愛知県芸術劇場が主催するAAF戯曲賞は、劇作家の発掘・育成、愛知からの文化創造・発信を目的に、2000年に創設された戯曲賞。第22回AAF戯曲賞では、新聞家の村社祐太朗による「とりで」が大賞に輝いた。「とりで」は、川と川に挟まれた“陸の孤島”と呼ばれている住宅地を舞台に、とある家族のやり取りを描いた緻密な会話劇。その受賞記念公演では、AAF戯曲賞初の試みとして、2人の演出家が異なるアプローチで1つの戯曲を演出し、連続上演する。演出を手がけるのは、愛知県名古屋市を中心に活動する,5(てんご)の澄井葵と、けのびの代表を務める羽鳥嘉郎。3月にワークインプログレス試演会が愛知県芸術劇場 大リハーサル室で行われ、12月に愛知県芸術劇場 小ホールで本公演が行われる。
本公演では、演出家たっての希望で、建築家の中山英之が舞台美術デザインを手がけることが決定。ステージナタリーでは、澄井、羽鳥、中山の3人に、演出家、建築家それぞれの視点からクリエーションにおけるこだわりを聞いた。
取材・文 / 興野汐里撮影 / 三浦一喜
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中山英之が作り出す、「モネ-光の中に」の展示空間に感銘
──3月に愛知県芸術劇場 大リハーサル室で行われた第22回AAF戯曲賞受賞作「とりで」ワークインプログレス試演会を経て、12月に愛知県芸術劇場 小ホールで本公演が行われます。今回は、試演会に続き演出を担う澄井葵さんと羽鳥嘉郎さん、本公演から舞台美術デザインで参加する建築家の中山英之さんにお集まりいただきました。羽鳥さんの強い希望により中山さんとのタッグが実現したと伺いましたが、中山さんにオファーした理由を詳しくお聞かせいただけますか?
羽鳥嘉郎 中山さんが会場構成を担当し、2021年に箱根のポーラ美術館で開催された「モネ-光の中に」を拝見し、さまざまなスタディを繰り返して表現された展示空間に驚愕したんです。地下の一室であるにもかかわらず自然光に包まれているかのような展示空間でモネの絵画を観る、という体験をして、今までこんなに居心地の良い環境で絵画を観たことがないと感じました。実は中山さんといつかご一緒してみたいという気持ちはそれ以前からずっとあって、というのも、中山さんが参加した書籍「建築家の読書術」を学生時代に読んで感銘を受けていたんです。「建築家の読書術」は、5人の建築家が影響を受けた本をそれぞれ20冊選書し、それらについてレクチャーした内容をまとめた講演録でした。建築家の方々がオリジナルの言葉で自身の理論などを語るのではなく、彼らが影響を受けた“言葉の連なり”が紹介されています。中でも中山さんの選書には大きな特色があり、建築分野に留まらない、子供の頃に読んだ本から詩集に至るまで、さまざまな種類の本を紹介していたのが印象的でした。また、中山さんはレクチャーの冒頭で「読書の連なりから空間を作る」というお話をされているのですが、本というメディアが持つ空間性についての、解像度の高さに痺れました。この「建築家の読書術」にインスパイアされて、2024年には「演出家の読書術」というイベントを企画しました。
中山英之 なんと素敵なイベント! ありがとうございます。
羽鳥 「演出家の読書術」は5人の演出家がそれぞれ影響を受けた本を紹介するイベントで、僕や澄井さんに加えて、「とりで」の作者である村社さんも参加していました。村社さんが「演出家の読書術」に向けた選書で最初に思い浮かんだ本というのが「ダ・ヴィンチとマキアヴェッリ」だったそうなのですが、「建築家の読書術」に掲載されているQ&Aで「今、読んでいる本」として中山さんが挙げていたのも「ダ・ヴィンチとマキアヴェッリ」で……。
中山 すごい偶然! もはや恐ろしいですね(笑)。
羽鳥 村社さんもゾッとしたと言っていました(笑)。「演出家の読書術」を開催した頃にはまだ「とりで」を演出するお話はいただいていなくて、このエピソードも最近になって思い出しました。「とりで」の作者である村社さんと舞台美術デザインを手がける中山さんに、不思議な共通点があったことに気付いて、とても驚きました。
客席と舞台の境目をなくすための“白い円盤”
──中山さんが作成した「とりで」の舞台美術デザインの初期スケッチには、「白い円盤を吊り下げ、照明を上向きに照射する」と描かれています。“白い円盤”のイメージについて教えてください。
中山 演出家お二方のうち、羽鳥さんと先にコミュニケーションを取らせていただいて、2人の演出家が同じ脚本を上演するための舞台を表現するにはどうすれば良いか、また、羽鳥さんが気に入ってくださった「モネ-光の中に」の展示空間のような空気感を実現するにはどうすれば良いかを考えました。ちなみに「モネ-光の中に」には11点の絵が展示されていたのですが、モネが絵を描いていた屋外に、太陽は11個ないですよね。なので、それぞれの絵にスポットライトを当てるのではなく、会場全体を1つだけの光で満たすことはできないかと考えました。「とりで」本公演の舞台美術デザインを制作するにあたって、ワークインプログレス試演会の映像を拝見したのですが、同じ戯曲を2人の演出家が異なるアプローチで演出することは、複数のミュージシャンが1つの歌をカバーすることと似ているなと感じました。“この世のどこかに存在するであろう、架空のオリジナルソング”をお二人がそれぞれの解釈でカバーして歌っている。しかもこの“オリジナルソング”は、ヒットソングではなく、人々が身近に感じる“日常感”のある歌なのではないかと思って。それらの要素から、日常と非日常、客席と舞台、観る側と演じる側の境目をなくしてみようというアイデアが浮かんできました。具体的には、白く塗った丸い円盤を客席と舞台の間に設置する予定です。「とりで」本公演の会場となる小ホールは愛知県芸術劇場の地下階にありますが、そこになぜか曇天の白い空が切り取られた丸い天窓があるという構造が面白そうだなと考えています。
中山 夏に澄井さんや羽鳥さんと現地で美術打ち合わせをさせていただいたとき、照明デザインを手がける吉本有輝子さんも参加してくださって、「こういう舞台装置にしようと考えています」とお話ししたら、即座に理解してくださって。これまでにも舞台美術を何度か手がけたことはありますが、劇場の中の光や空間については自分の中にレファレンスが少ないので、このとき現場で吉本さんと交わしたやり取りやその場で一緒に考えたことがすごく重要だったと思います。建築も1人で作るのではなく、さまざまな人と意見交換をするうちに共通認識が生まれていくところが面白いと考えているので、近いものを感じました。
──建築と舞台美術は異なる分野ではありますが、共通項があるのですね。
中山 そうですね。実はあまり違いはないのではと思っていて。というのも、人が一定期間ある空間に居続けることは、観劇以外の場面でもけっこうあると思うんです。たとえば、レストランでコース料理を食べているときとか、オフィスで仕事をしているときとか。
──なるほど。演出家のお二人は、中山さんの舞台美術デザインに関する構想を聞いて、どのような印象を受けましたか?
羽鳥 戯曲賞の受賞記念公演ですし、まず自分の中に「しっかりと戯曲を上演してあげたい」という思いがあって。リアリスティックな舞台美術を建て込むつもりはないのですが、「とりで」の戯曲の中に、庭と屋内両方に人物が存在して、それぞれの場所を行き来することが明記されているので、それを実現したいと思っていました。なので、屋内ではあるけれど、屋外の光が入って来るかのような環境で上演できることは望ましいかなと。実際に劇場に現物を設置してみないと、円盤がどれくらいの存在感を持つのかは正直わからないのですが、今はとにかく楽しみですね。
「モネ-光の中に」の展示空間もそうだったのですが、中山さんの創作物は、存在感を放ちすぎないように、遊び心がありつつもルーズになりすぎないように、しっかりとコントロールされているところが美しいと思っていて、私は中山さんの的確な判断力を好ましく感じています。照明デザイナーの吉本さんとは何度かご一緒しているのですが、私とはまた違った判断基準をお持ちの方々と一緒に作業できることも非常に楽しみです。
澄井葵 白くて丸い円盤を設置するというアイデアを伺って、私は可愛いなと感じました。中山さんが描いたスケッチの絵が可愛いからでしょうか?(笑) 中山さんのお話の中に“曇り空”や“天窓”というキーワードが出てきたので、私が考えている明かりに関するお話をさせてください。以前、雨が降るシーンがある戯曲を上演したときに、LEDの照明を使ったら、俳優の身体に“雨が降らなかった”んです。普通の灯体だと、俳優の身体にちゃんと“雨が降った”んですよ。「とりで」本公演で劇場に灯体を吊るすことになったら「“雨が降ってしまう”かもしれないな」と思っていたんですけど、中山さんが“曇り空”とおっしゃってたので、自分のイメージに近くてうれしくなりました。
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作家が涙したワークインプログレス試演会





