みんな身を削って自分のことを歌ってた
──大森さんゆかりの高円寺のスポットといえば、やはりライブハウス・無力無善寺や、レコードショップ・円盤が真っ先に思い浮かびます。大森さんのキャリアを語るうえでとても重要な場所ですよね。
小さなライブハウスって、基本的にお金を払って出るものなんですよ。特に私が高円寺にいた2007年から2012年頃って、ライブハウスがバンドマンにけっこうな場代をふっかけて、そのお金をもとに営業しているという時代で。そんな中、無力無善寺は1000円払えば出してもらえたので、修行のつもりで毎月ライブをしてましたね。
──円盤についてはいかがでしょうか?
やっぱり高円寺のカルチャーの拠点でしたよね。東京や大阪のコアな面白いCDがたくさん集まってたし、ミドリとかを最初に扱ったのも店長の田口(史人)さんだったはず。円盤に自分の作品が置かれるのが1つの名誉、という感覚がみんなにあったと思います。でも、私は最初「こんなの置けない」って言われたんですよ。
──そうなんですか。
円盤でバイトしていたジョニーさん(
──そのほかに高円寺で思い入れの深いスポットはどこでしょう?
あとは、どついたるねんの家かなあ(笑)。どついたるねんのみんなも高円寺に住んでいて、一番仲よかったんですよ。どついたるねんハウスにはよく行ったし、その流れではやとちりにも行くようになったので。
──どついたるねんもそうでしょうし、高円寺という磁場の中だからこそ出会えたであろう人がきっとたくさんいたはずですよね。
そうですね。メジャーデビューするときに横並びでいたような人たちって、結局みんないなくなっちゃったんです。もとから「すぐ辞めそうだな」と思ってたし。でも高円寺で一緒にライブをやってたような人たちは、ずっと音楽をやっている。そういうところへのリスペクトは当時から持っていたかもしれないですね。ちゃんとライバル視していいと思えたというか。誰かに与えられた自分をやっている人と、自分の生活を下手くそでもいいから歌おうとする人とでは、圧倒的な違いがありますから。高円寺にいるミュージシャンは、技術がない人や、やる気あるときしかやらない人、なんかボケっとしてる人も多いけど、ちゃんと身を削って自分のことを歌ってた。そういう面白みはみんな持ってたんじゃないかなあ。
──ただ、一方で大森さんは「高円寺から早く抜け出さなきゃ」という思いも強く持ってたわけですよね。
それはもう、絶対売れないと思っていたので。「ここにいたら絶対売れない」って。やっぱり、高円寺にいるとそれだけでなんとなく満たされちゃうんですよ。缶チューハイ片手に駅前に行ったら友達がいて、楽器を弾いて楽しいね、みたいな感じで満たされちゃう。でも、別に自分が満たされたくて音楽を始めたわけではないので。「自分が楽しいだけでは本当の意味では満たされない」という感覚はずっとどこかにありました。
高円寺にいる人間にすらなりきれない
──2013年リリースのアルバム「魔法が使えないなら死にたい」には、そんな大森さんの拠点である場所をストレートに冠した楽曲「高円寺」が収録されています。この曲は、どのようにして作られたのでしょうか?
個人的に気に入ってる曲ではあるけど、特別「高円寺のことを歌おう」と思って書いたわけじゃないんですよね。電車で高円寺に帰って行くときのふわーっとした感覚を、ふわーっとしたまま書いちゃった、みたいな曲で。“なんか作っちゃった曲”なんですよ。例えば「東京」というタイトルの曲を作るときって、みんな気合いを入れて作るじゃないですか。それとは正反対の曲だと思います。だから曲中に高円寺の情報もあまり入ってないですし。
大森靖子 -「青い部屋」「高円寺」@ヲルガン座
──「高円寺」と題した曲が、「いらない BABY BABY / いらない I&YOU / いらない BOYS&GIRLS」と銀杏BOYZやGOING STEADYの作品を思わせるフレーズから始まるのも印象的です。しかも大森さんにとって大きい存在のはずのそれらを「いらない」と断言している。
自分って、銀杏BOYZの世界にいない人間なんですよ。銀杏BOYZの世界には君と僕しかいないし、男性社会しかなくて。「この世界に私はいないのに、なんで高円寺にいるんだろう」という感覚にたまになるんです。そういう所在なさを、どこにいても感じてしまって。中学生のときは早く中学を卒業したかったし、高校生のときは早く高校を卒業したかった。それは東京に来ても同じで、早く高円寺を出たいと思ってしまう。そういう「ここじゃない」というわがままな感覚が、ずっと私にはあるんです。「高円寺」はそういう感覚を歌った曲なんですよね。自分の好きな世界にすら自分がいないという感覚。
──なるほど。
そもそも自分が歌手になろうと思ったのも「あ、自分の曲ないな」という感覚がきっかけで。美大に行って、「もうあらゆる技法がやり尽くされてるから、新しいものなんてないよ。だから古きを学びなさい」と教えられたけど、じゃあなんで自分はこんなにムシャクシャして生きてきたんだよ、と思うんです。マンガを読んでも映画を観ても、自分のことなんてどこにも描かれてなかったけどなって。完全なフェミニストでもなければ、男社会にも乗り切れず、どっちも嫌いだしどっちも好きだし。でもそれは別に間違ってなんかないはずで。いろんな気分を抱えながら、それを理性で抑えているだけで、被害者になるかもしれなければ、加害者になるかもしれない。男になるかもしれなければ、女になるかもしれない。そういう自分が間違ってるとは思えないのに、まだどこにも描かれていない。そんな感覚があるんです。その感覚を歌にしたものです、この「高円寺」も。
──あらゆる場所に対して「ここは自分の居場所じゃない」と思いながら生きてきて、その結果たどり着いた高円寺すらも例外ではなかったと。
例外ではなかったですね。「銀杏BOYZの世界のモブにすらなれない」「高円寺にいる人間にすらなりきれない」という感覚がずっとありました。ただ、高円寺は自分みたいな人間が少なくなかったと思います。自分くらい斜に構えていたり、「こんなの俺じゃない」という感覚を持ってたりする人が、身の周りにもけっこういたので、ほかの場所よりは居心地よかったですね。
──「魔法が使えないなら死にたい」には、最後から3曲目の「高円寺」と対をなすように冒頭3曲目に「新宿」が収録されています。新宿も大森さんの活動において重要な街ですよね。
ずっとライブをしてきたところがいくつもあるので、今のホームという感覚ですね。でも、新宿は高円寺以上にこの10年くらいでだいぶ変わったなと感じます。当時は“新宿っぽいファッション”みたいなものもなかったし、歌舞伎町とかももっと怖い空気があって。その怖い空気がなくなった結果、トー横がああいうことになっていて、別の危なさにつながっているとは思うけど。ただ、それこそ“誰でもなさ”を受け入れてくれる街だというのはずっと変わらないはず。自分が何者でもなくて、どんなひどいことをしてでも生きたいと願ってる人が集まってできたのがトー横だと思うし、その雰囲気は10年前にもあった気がします。
新宿
──「“誰でもなさ”を受け入れてくれる」という感覚は「新宿」の「あのまちを歩く才能がなかったから 私 新宿が好き」という歌詞にも表れていますよね。“誰でもなさ”を受け入れてくれるという点で、高円寺と新宿ではまた違いがありますか?
新宿は言っても住んでる人が少ない街なので。外から集まってきていたり、本当に家がなかったり……そういう点が違うかも。高円寺はその人のことを受け入れたうえで、囲っちゃうんですよね。高円寺の人間にされちゃう(笑)。
──高円寺という場所がアイデンティティになっている人はたくさんいるだろうけど、新宿はまたそれとは違うというか。
“誰でもなさ”がアイデンティティになっている人が、「新宿が自分のホームです」と言っているんじゃないかなという気がします。
私が東京
──「高円寺」「新宿」だけでなく、例えば「TOKYO BLACK HOLE」と題したアルバムを2016年にリリースしたことなども含めて、当時の大森さんの表現には“東京”という概念へのある種の執着のようなものを感じます。ご本人的にそのあたりはいかがでしょうか?
やっぱり執着はありましたよ。だって愛媛から東京に出てくる人って、本当に全然いないですもん。上京的な感覚で行く場所が大阪、福岡、広島あたりなので、東京に行くという発想自体がなくて。だからなんていうか……けっこうなモチベを持って来たんです。以前、和歌山出身の志磨(遼平)くんと「東京って、天下一武道会みたいにすごいやつがいっぱいいると思ってたけど、別にそんなことなかったよね」という話をしたことがあって。それくらい、夢を抱いて東京に来てるんですよ。
──夢を抱いて来たからこそいろんなギャップもあっただろうし、変わらない憧れもあるだろうし、それが当時の作品に表れていたと。
そうですね。でも、2019年に初めて47都道府県ツアーをやったときに、「これっていろんなところに“自分の東京”を作っていくみたいな作業だな」と感じたんです。私は「自分の憧れとか自分がなりたいものをつかみ取れる」と思わせられるのがロックだと思っていて。私のライブに来ている地方の子を見ると、キラキラギラギラとねじれたものを観て「ああ、生きてるな」という感覚になってくれてるのを感じる。それって私が東京に抱いていた空虚な憧れと一緒で。ってことは、私は東京を作れてるんですよ。
──東京への執着云々を超越して……。
もう、私が東京。だから東京に来なくても、私のツアーに来れば東京旅行を味わえるよ、みたいな気持ちです(笑)。でも、そもそも音楽を聴くってそういうことですよね。実際に行ったことがなくても、「Edo River」を聴けば「江戸川ってこんな感じなのか」と思える。音楽ってそういうものなのかなと。
──では最後の質問です。大森さんは2014年のインタビューで、「高円寺は自分にとってスタート位置だし、ものを作る人のスタート位置みたいなところがあるから、そこからどれくらいやれてるかっていうのが冷静にわかる」とおっしゃっていました(「Rooftop」2014年1月号)。それから10年以上が経ち、今でも高円寺はスタート地点のような感覚がありますか?
どうなんだろう……。これまでは、自分で自分のことを「がんばって上がっていってるぞ」と思い込んでいたから、それを測るための秤として高円寺を使ってたんです。でももう高円寺に来ても、あまりそういうことは考えないかもしれない。もっとフラットな感覚です。「あ、ここドラマのロケ地だ」とか考えちゃうくらいの距離感。ほかの街よりは今でも好きだし、友達と高円寺に来たらちょっとは街のことを紹介できますけどね。「ここの山形料理屋さんは以前はあっちにあってね、売れたからこれくらいのキャパのところに移転してね……」とか、「ここのケーキ屋さんおいしくてね、桃のコンポートがね……」とか。今となっては、そういう知識がやたら自分の中にある街です(笑)。
【動画はこちら】大森靖子が高円寺のゆかりの地を訪れるロケ映像を公開中
プロフィール
大森靖子(オオモリセイコ)
愛媛県生まれのシンガーソングライター。2013年3月に1stフルアルバム「魔法が使えないなら死にたい」を発表し、その後2014年9月にエイベックスからメジャーデビュー。数々の作品を世に送り出す傍ら、ZOCX、MAPA、THE PINK MINDS、Zavage、絶対少女といったアイドルグループのプロデュースも手がける。2025年に株式会社パンクチュアルと専属契約し、2026年3月より全国47都道府県ツアー「大森靖子のライブに行くと幸せになれる47都道府県ツアー『PUNKTUARY 2026』」を行なっている。
大森靖子公式サイト
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大森靖子が高円寺で語る「高円寺」
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