西寺郷太のPOP FOCUS 第24回 [バックナンバー]
BOØWY「1994 -LABEL OF COMPLEX-」
若き吉川晃司との豪華タッグはまさに日本版「Under Pressure」
2022年8月15日 12:30 44
西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。
第24回では前回に引き続き
文
完璧を目指して突き進むエンタテイナー
先日の「PSYCHOPATH」回でも触れましたが、BOØWYの活動期間はわずか6年間。結成までの準備期間も入れたとしても、解散まで足掛け8年。彼らの音楽的進化と変遷、バラエティ豊かな傑作の数々を考えれば信じられないほど凝縮された時間です。
こうしてコラムとしてまとめ、文章としてアウトプットを重ねると、それまで漠然と頭の中にあった思考の断片がパズルのピースのようにピタッと自分の中でハマることがあります。BOØWYの結成と解散理由、特にソングライティングの軸となる氷室京介さんと布袋寅泰さんの美学、行動の力学の違いについて改めて考えてみると見えてきた世界がありました。
まず絶対的フロントマンの氷室さんは究極の匠であり、ファン思いのエンタテイナー。ともかく“完璧”を目指し、自らが設定した壁を越えるためにストイックに突き進む人に思えます。ダーツで言えばど真ん中、中心を貫くまで研究し、狙いを定めて投げ続けるタイプ。ソロになってからはタイムレスな代表作を何度も何度も磨き上げ、キャリアを築かれました。派手なメディア露出も極力控え、ファッションもソロになってご自身の「氷室スタイル」が確立されてからは、そのビジュアルコンセプトにほぼ変化がありません。インタビューやさまざまな発言を読んでもこの上なく優しさが滲み出ていて、何より自分自身の心に嘘がつけない真摯な方なのだなあ、という印象です。
氷室と布袋が出会うとき
少しのズレも許さないその厳しさの原点は、BOØWY結成前の氷室さんの苦い記憶にあるように思えます。彼がスピニッヂ・パワーという芸能的座組みのバンドに3代目ボーカルとして短期間参加されていたことはファンの間ではよく知られていますが、デビューシングル「ポパイ・ザ・セーラーマン」のタイトルから“スピニッヂ(ほうれん草)の力”と名付けられた相当企画物の色が濃いバンドだったそう。ただし氷室さん加入前の、2代目ボーカリスト・
スピニッヂ・パワーに参加したものの、思い描いたスタイルではなかったため苦悩の末、氷室さんは脱退を決意。1980年夏に同郷・群馬から上京していた1学年下の布袋さんに声をかけ、六本木のアマンド前で待ち合わせたことからBOØWYの伝説はスタートします。その時点で氷室さんは19歳、誘われた布袋さんはまだ18歳! 若いですね……。10代で上京してから最初につかんだチャンスとそこでのつまずきはのちの氷室さんにとって深い学びになったことでしょう。自分の理想が大きな雪崩れのような力によって抗えず汚されてしまった恐怖を、彼は若くして知ったのです。そして氷室さんと布袋さんが“学生時代からのプライベートな友人”としてではなく、お互いの類稀なる才能を見抜いた“戦友”のような関係性でタッグを組んだこともポイントだったと思います。ただガムシャラに戦い抜いた数年を経て、自分たちが0から作り上げたバンド・BOØWYも想像以上に巨大化していった。先ほどの例えで言えば、“ダーツの中心を射抜いた完璧な瞬間”を「JUST A HERO」「BEAT EMOTION」といった充実期のアルバムから全身で感じたからこそ、輝いている状態のまま、美しいまま終わらせる必要があったのではないでしょうか。
何度聴いたかわからない──布袋が生み出したあの1枚
対して日本ロック史にその名を刻むギタリスト、サウンドメーカーの布袋さんは、多少の失敗やアップダウンも糧にしながら貪欲に新しい音楽的挑戦を続ける“好奇心の人”に思えます。音楽を愛し、音楽に愛された男。80年代のBOØWY活動中もさまざまなプロジェクトに参加するなど先鋭的なギタリストとして活躍されていた彼はバンド解散後、The Beatlesの本拠地であったロンドンのアビーロード・スタジオに向かいました。ひと足早くソロアルバム「FLOWERS for ALGERNON」をリリースした氷室さんに遅れること1カ月。1988年10月5日、布袋さんは全編英詞でボーカルも務めた1stアルバム「GUITARHYTHM」をリリースしています。このアルバムを僕は何度聴いたかわかりません。今も「日本人が作り上げたアルバムの中で5枚選べ」と言われれば必ずセレクトするほど心酔している作品で、コンセプチュアルなアートワークを含めた“1枚のアルバム”としての一貫性、若さと経験が瑞々しく組み合わさったサウンドの完成度は驚異的。改めて聴き直しても心が10代の頃に戻り、全身の血が騒ぎ始めるのがわかります。Yellow Magic Orchestra(YMO)後期にテクニカルアシスタントを担当されていた藤井丈司さんによるふくよかな低音で弾みまくるシンセベースプログラミングと、制御されつつ高揚感に満ちたメカニカルなビートの応酬。才気あふれるホッピー神山さんが奏でる変幻自在のキーボード。何よりバンドの枠組みを外れ、自由に生きる喜びと冒険心が絡まり合って鮮やかに躍動する布袋さん自身のギターが素晴らしい。アルバムの幕開けを飾るのはストリングスの壮大なオーバーチュア。続いて畳み掛けるように始まる、1958年にリリースされたロックンロール草創期のアイコン、エディ・コクランのカバー「C’MON EVERYBODY」。時を超えたモダンな新解釈とスピード感の爽快さは、2020年代に聴いてもフレッシュ。当時CMソングとしてテレビでもオンエアされた「MATERIALS」は、UFO「ROCK BOTTOM」のマイケル・シェンカーによるギターフレーズを感じさせながらも、エッジーで正確無比なリズム感の刺激が心地よすぎて大好きな曲。「GLORIOUS DAYS」や「DANCING WITH THE MOONLIGHT」など各曲にちりばめられたロマンティックなメロディや歌詞に込められたストーリーの芳醇さも含め、文句なしのマスターピース。ボーカルも、英語で歌われている布袋さんの声の響きが今も僕は好きで。高校に入ってからはこのアルバムを男子全員が聴いているくらいのイメージがありました。
ただ、僕も夢中になりしばらくこの道を追求してほしいと願った布袋さんの“洋楽的な方向性”は瞬く間に終了してしまいます。矢継ぎ早に彼は1989年4月、吉川晃司さんとのユニット・COMPLEXを始動させ、デビュー曲「BE MY BABY」を発表、世間を驚かせることに。COMPLEXについてはまたいつか書き記したいのですが(最高です!)……。ただこの解散後のタイミングだけに着目しても1stアルバムでその後のソロキャリアの“縦”への1本線を提示した氷室さんと、ユニット結成、楽曲提供やプロデュースなどその活動領域を“横”に広げ、50歳でロンドン移住を決断されるなど可能性を試し続ける布袋さんの雑食性、つまり2人の音楽家としての歩み方の縦軸と横軸の違いが伝わってきます。
日本最高峰のボーカリスト同士が激突
さて、今回紹介するのは強い個性を持つBOØWYの4人がまさに完璧なバランスでぶつかり合った4枚目のアルバム「JUST A HERO」の収録曲「1994 -LABEL OF COMPLEX-」。ゲストボーカルになんとまだ19歳の吉川さんを迎えてレコーディングされた楽曲です。1986年8月4日、土砂降りの雨が降る中、東京都庁完成前の新宿都有3号地で「1994 -LABEL OF COMPLEX-」をBOØWYと吉川さんがパフォーマンスするライブ映像を観たことがあるでしょうか? 吉川さんは雨でずぶ濡れのお客さんと「同じ状態になる」と言ってスタッフに水を溜めたバケツを頭上でひっくり返してもらい、パフォーマンスをスタート。吉川さんはすでに“アイドル”としてテレビスターになっていましたが、逆に“コアなロックファン”からは若くルックスのいい人気者ゆえ、軽んじられることもあったと思います。ただし、BOØWYのメンバーは年齢差のある吉川さんの魅力と純粋さを早い段階で見抜き、この年リリースされた「JUST A HERO」に誘ったのです。
「1994 -LABEL OF COMPLEX-」の面白さを例えるならば日本版「Under Pressure」。つまりBOØWYがQueenで、吉川さんが
多くの若者がBOØWYをコピーした理由
もう1つ。作詞家として氷室さんがアルバム「JUST A HERO」で完成させた「笑い転げるデモクラシー」「マテリアルだけのキャピタル」(いずれも「1994 -LABEL OF COMPLEX-」の歌詞)など、英単語と日本語をリズミックに練り上げた“ロック言語的歌詞”の発明と定着について。1982年のパンク的な「MORAL」からのBOØWYの歌詞世界、イメージの劇的な変化の時系列を振り返ると、1984年5月に1年間のニューヨーク滞在を経た
BOØWYの楽曲は多くの若い世代がコピーしていました。その大きな理由は4ピースだったから。
西寺郷太(ニシデラゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。2020年7月には2ndソロアルバム「Funkvision」、2021年9月にはバンドでアルバム「Discography」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などに出演し、現在はAmazon Musicでポッドキャスト「西寺郷太の最高!ファンクラブ」を配信中。
しまおまほ
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「
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