笹川真生「CULTURE DRUG ORCHESTRA」インタビュー|血肉となったカルチャーへ愛と感謝を込めて

前作アルバム「STRANGE POP」から約1年。笹川真生から4thアルバム「CULTURE DRUG ORCHESTRA」が届けられた。

バンドサウンドが主軸だったそれまでの“笹川真生像”と一線を画した、実験的な音楽性で注目を浴びた「STRANGE POP」。以降、新境地に突入した笹川はさらにさまざまなジャンルをクロスさせ、自身から湧き出るカルチャー愛とオルタナ性を「CULTURE DRUG ORCHESTRA」という作品に注ぎ込んだ。

音楽ナタリーでは笹川にインタビューを行い、今作の大きな指針となった「好きなものは好きでいい」という精神性や、唯一のゲストボーカル・平塚紗依が参加するに至った経緯、ストリングスを多用した意図などをじっくりと語ってもらった。特集後半にはアルバムのミックス担当の池田洋(hmc studio)とマスタリングを手がけた吉良武男(TEMAS)のコメントを掲載する。

取材・文 / 金子厚武撮影 / 笹原清明

始まりは常に「すべての音楽ファンよ、ありがとう」

──まずは前作「STRANGE POP」(2025年4月)のリリース以降、この1年の活動を振り返っていただけますか?

「STRANGE POP」をリリースして、すごくいいライブができる日が増えて。自分の人生を振り返ってみても、若い頃の自分を救済してあげられたような1年だったなと思います。BURGER NUDS、People In The Box、The Novembersとか、自分の血と肉になってる人たちと対バンできたのは、自分のキャリアの中でも意味のあることだったなと。

──近年ではアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」のブームもあって、2000年代の下北沢ギターロックやオルタナシーンが再発見され、そこと現在のインターネット普及以降の音楽シーンをつなぐ存在がキタニタツヤさんであり、その中で笹川さんの存在も目立っていたように感じます。

その2つが接続された感覚があるのは……インターネットと現実のあり方が、今と昔とでは逆だからだと思うんです。昔は「現実で言えないことをインターネットで言う」みたいな感じだったけど、今は逆転して、「ネットで言えないことを現実で言う」ようになった。で、結局オルタナティブロックもインターネットの音楽も、そもそもオタクのものじゃないですか。その共通するナードな部分がインターネットという広場に集まることによって接続されて、ようやく認められるようになったうえで、今は「ネットでできないことをライブでやろうぜ」みたいな感じなのかなって。

笹川真生

──充実した活動を経て、前作から1年という短いスパンで新作「CULTURE DRUG ORCHESTRA」が完成しました。前作は「自動書記のように一気に作った」とインタビューで話していましたが(参照:笹川真生「STRANGE POP」インタビュー)、新作に関してはいかがでしたか?

もう、“より自動書記”ですよね(笑)。「STRANGE POP」を作ってるときも「制作期間短いな」と思いつつ2、3カ月はあったんですよ。でも今回は1カ月もなかったので、自分から出てきたものを全部信じてあげないと、物理的に間に合わなかった。

──結果的にその期間でアルバムが完成したということは、いいペースで曲作りができたということでもある?

そうですね。フルアルバムになったのは自分のせいなんですよ。最初はスタッフさんから「ミニアルバムくらいで勘弁してやろう」と言われてたんですけど(笑)、作り始めてみたら「いや、フルアルバムいけるかもしれないです」と。外した曲もあるので、そういう意味ではすごくノッていたかもしれないですね。

──前作の制作期間は「もう自分の作品は作らなくてもいい」と思ったり、迷いの時期でもあったと話していたけど、このアルバムに至る1年ぐらいはやりたいことがどんどん出てきた?

そうですね。制作の根っこにあるのが「俺を見てくれ」じゃなくて、「すべての音楽ファンよ、ありがとう」みたいな。それが完全に自分の創作という行為のベーシックになった感じがあります。「STRANGE POP」のときは「みんなにラブレターを書くつもりで」というのが頭にドカンとあったけど、今は常にそこがスタート地点の感覚。で、「じゃあ次はどんなアウトプットになるのかな?」っていうのが今回のアルバムだと思いますね。

自分を形成したカルチャーへの愛を恐れずに表明

──制作環境も前作の延長で、自室ベースの制作だったそうですが、楽器演奏と打ち込みの割合はどうなりましたか?

今回は演奏9割くらいです。ピアノロールでポチポチする作業がほとんどなくて、単純にそれだと時間が足りなかったのもあるし、最近はとにかく弾いて、それでよしとするのが自分の中で流行っていて。

──最近はAIの話題が増え、AIで整えられた音楽も増えてきた中で、演奏による人間味、揺らぎのあるものの価値を捉え直そうという視点もありましたか?

どうなんでしょうかね……AIが理路整然としてるというイメージがあんまりなくて。私も趣味でSunoとかで曲を出してみるんですけど、「これはもう俺には無理」ってくらい奇想天外なグルーヴを持った曲を出力してくるんですよ。「じゃあ、俺は何をしたらいいんだろう?」と考えたときに、その答えとして「演奏に重きを置く」とか「打ち込みでタイトにする」でもなく、「とにかく自分の好きなことをやる」っていう、ただそれだけ。まずはやれることをやって、そのうちにやれることがやりたいことになっていく。そんな感じですかね。

笹川真生

──アルバムの方向性は作り始めた頃どの程度見えていましたか?

まずはアルバムのタイトルだけポッと浮かんで。最初は前作の「STRANGE POP」をちょっと踏襲して「MAD WAVE」というタイトルだったんです。でもいざ作り始めたら、「MAD WAVE」ってなんだ?みたいな(笑)。

──自分で考えたのに(笑)。

その後「CULTURE DRUG ORCHESTRA」というタイトルが浮かんで「これだ」と思って、そこから1曲目から13曲目まで順番に作っていきました。なので、ちゃんとしたアウトラインがあって始めたわけではなく、「リスナーとしてアルバムを聴いたとして、この曲の次は何がいいかな?」と自分と対話をしながら進めるような感覚でした。

──アルバムを曲順通りに作るのは初めてですよね?

初めてかもしれないですね。今まではなんとなく「リード曲から作ろうかな」とか「ちょっとカマす曲ねえとな」みたいな気持ちがスタートにあったけど、今回は自分が残したいものを作って、自分ができることをただ順番にやっていっただけですね。

──「CULTURE DRUG ORCHESTRA」は何をインスピレーション源に出てきた言葉だったのでしょうか?

私がインスピレーションを得る最も大きなものがゲームでして。ゲームをやっているときの反応、コントローラーを握って入力して出力されるもの、絵作り、ストーリーなどから謎のインスピレーションを受けるんです。1曲目の「CULTURE DRUG ORCHESTRA」を作るきっかけになったゲームが、すごくドラッギーだったんですよ。「Ghost of Yōtei」という、北海道の羊蹄山を舞台に、自分が流浪人になって人を斬りまくるというゲームなんですけど、すごく怖くて。なので、「ドラッギー」はテーマの1つとしてありました。でも自分はもちろんドラッグなんてやったことないので、実際にトリップしたことがある人が共感できる視点は持ってない。そこで「カルチャー」という言葉を合わせました。

──音楽にしろゲームにしろアニメにしろ、そういったカルチャーをドラッグのように摂取して生まれた作品、というような解釈もできそうですね。

そうですね。自分を形作ってくれたいろんなカルチャーに対して、それが好きだということを恐れずに表明しようっていうのはアルバムを通してあると思います。

「笹川真生、弦が入ってよくなった」と言われたい

──1曲目「CULTURE DRUG ORCHESTRA」のアレンジはどのように進めましたか?

まずタイトルが思い浮かんで、だったらオーケストラがいいだろうということで(笑)、とりあえずイントロのメインとなるストリングスをMIDIキーボードで作って、グルーヴを見つけていきました。

──ほかの曲にも何度かストリングスが出てきますよね。

「あのアーティストはメジャーデビューしてから弦が入って微妙になった」みたいなことってよくインターネットで言われていて、「弦が入ってよくなった」という話はほとんど聞かないじゃないですか。なので、タイトルから引っ張られたのもありつつ、今回は“弦が入ってよくなったパターン”をやってやろうと。前作はほとんど弦を入れなかったけど、今作はわりかし入れています。「笹川真生、弦が入ってよくなった」と言われたくて。

笹川真生

──この曲は後半のビートがかなり強烈です。

今作から制作のソフトを変えまして。これまではStudio Oneを使ってたんですけど、新たに導入したAbleton Liveはプレイバックしながら曲を作れるんです。なので、最初に組み立てたリフをずっと流しながら手でビートを打って、気持ちいいところを見つけていく作業を繰り返していました。

──前作以降、DTMベースで、いろんなジャンル感が混ざっていて、テンション高めの曲が増えたこともあり、作られる音楽がハイパーポップの文脈で語られることも増えたかと思うのですが、笹川さん自身はどう感じていますか?

そういったカルチャーの仲間入りを果たしたい、みたいな考えは一切なくて、自分を形作ってくれたカルチャーの1つひとつに「これが好きです」と表明することに正直になった結果なのかなと。アニソンっぽい、ボカロっぽい、ジェントっぽいとか、そういう曲を出していくことにためらいを持たない、好きなものを好きでいようという気持ちをガッチャンコすると、今の言葉で言うならハイパーポップが近い、という感じなんですかね。

──ジャンルのクロスオーバーが普通になって、“それをどう呼ぶか合戦”が起こり、「ポストジャンル」という言葉が生まれたように、ハイパーポップもそういう文脈にあるのかなと。でも今はいちいち名前をつけなくてもいいし、それぞれがやりたいことをやるのが一番だというフラットな感覚が大事になってきた気がします。

本当にそうだと思います。名前がつくとそのカルチャーが終わりますから。

──確かに。それこそ最初に「オルタナがまた盛り上がってきた」っていう話をしたけど、それを言い始めた途端に“死んでいく”側面もあるから、そこは難しいところで。

そうなんですよね。すごく難しいところだと思います。今はロック、ジャズ、クラシックっていう言葉に対してムカつく人なんていないじゃないですか。そういう形式になるかならないか、ですよね。ハイパーポップにしてもそう。名付けられて死にゆくのか、形式として定着するのかは、みんな次第だなって。