「多彩な才能が集った伝説のクラブ、下北沢SLITS」ビジュアル

渋谷系を掘り下げる Vol.13 [バックナンバー]

多彩な才能が集った伝説のクラブ、下北沢SLITS

元店長・山下直樹が語る独自の“オール・イン・ザ・ミックス”感覚

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世代を超えた人たちがツルんでる感じがいいなって

ZOO / SLITSにあった“オール・イン・ザ・ミックス”感とは、同店が営業していた90年代前半、現在は確立されたジャンルが言わば地固めをしている時期で、まだまだ未分化だったということでもあるだろう。例えば荏開津広がDJに加えてブッキングも担当していたイベント「ショットガン・グルーヴ」では、TOKYO No.1 SOUL SETに加えて、KRUSH POSSE(DJ KRUSH、DJ GO、MURO)、BEATKICKS(TWIGY、HAZU)という、現在から振り返ると意外な組み合わせのライブが行われたという。また、同イベントから発展した「スラム・ダンク・ディスコ」はオープンマイクが売りで、MICROPHONE PAGERやYOU THE ROCK★RHYMESTERECD、キミドリ、SOUL SCREAMとやはり多様な面々がラップを披露し合う、決戦場兼社交場になっていた。ただし客入りは乏しく、フロアにはほぼラッパーしかいなかったという。

「スラム・ダンク・ディスコ」フライヤー

「スラム・ダンク・ディスコ」フライヤー

ZOO / SLITSに関して連想する光景は人によってさまざまだ。行列が駅まで続いていたことやフロアで酸欠になりそうなことを思い出す人もいるし、逆にフロアがガラガラだったこと、あるいは親密な雰囲気だったことを思い出す人もいる。ECDの著作「いるべき場所」(2007年、メディア総合研究所刊)における、キミドリや四街道ネイチャーがレギュラーだった「カンフュージョン」の描写は以下のようなものだ。「僕はクボタ(引用者注:キミドリのクボタタケシ)がかけるクック・ニック&チャッキーの『可愛いひとよ』やマコちゃん(引用者注:キミドリのMAKO)がかける浅川マキの曲を新鮮な思いで聞いた。何かといってはショットをあおったり、トンガラシの入ったビールを飲んで酔っ払ったりと非生産的な時間を過ごすのが楽しかった。店が終わってからも下北の南口にあった立ち食いそば屋『富士そば』で注文したそばやうどんを店の外に持ち出して噴水の跡の囲いに座って食べた後、昼近くまで皆でダラダラと過ごしたりした」。やがて日本のラップミュージックは全国的なブームとなり、一方でECDはアルコール依存症を悪化させていく。それは大きな動きが起こる“前夜”でもあったのだ。

「カンフュージョン」フライヤー

「カンフュージョン」フライヤー

「石田(ECD)さんが『LIVE AT SLITS』(1995年)という作品で店の記録を遺してくれたことには本当に感謝しています。石田さんは自分が福岡にいるときから存在を知っていて。その頃はトレンドセッターみたいな感じで、次から次に流行りのラッパーの格好をしたり、俺から見たらスターだった。どちらかというと、MAJOR FORCEの人という印象。でもキミドリが出てきたときに急速にそのへんと仲よくなった感じがうれしかったですね。自分は外から見ていただけですけど、世代を超えた人たちがつながって、いつもツルんでいる感じがすごくいいなあって」

「ECD presents CHECK YOUR MIKE 95」フライヤー

「ECD presents CHECK YOUR MIKE 95」フライヤー

「渋谷系にあえて乗っかってやろう」という気持ち

94年、ZOOはSLITSへとリニューアルする。山下はその名前に敬愛するポストパンクバンドTHE SLITSのようにさまざまな音楽の影響を受け、そこからオリジナルの表現を生み出せたら、という思いを込めた。リニューアル1年後に営業時間帯は夜の早い時間帯に──つまりSLITSはライブハウス寄りのスペースになった。そしてそこには山下の時代に対する意識の変化が関係していた。

「SLITSの頃になると渋谷系というムーブメントをわりと意識するようになっていたんです。毎晩どこかのレコード会社の人が来て、名刺を渡されて、『面白いバンドいませんか?』みたいなことを言われて。ライブが終わったあとにレコード会社の人がアーティストを店外に連れ出して何やら話していたりとかね(笑)。そういう場面をしょっちゅう見ていたんで。“盗られる”ような感覚もあったのかな。それまでよくイベントに出てくれていたバンドがデビューしたら、レコード会社との契約の条件でうちの店には出演できなくなったりとか。『なんだ、普通のライブハウスに出ているようなバンドと変わらないんだな』と思っちゃいましたよね。今考えれば当たり前のことだってわかるんですけど、当時は理解ができなかったです。そういうことが重なると、またゼロから出演者と関係性を作っていかなきゃいけないのかって、ちょっと気が遠くなりました。

でも、渋谷のHMVに行ってバイヤーの太田(浩)さんとしゃべっているうちに、渋谷系と呼ばれるような音楽が売れている今の状況ってかなり稀なんじゃないかとも思えてきて。さっき話したパンクやニューウェイブの、日本での受け入れられ方の規模がさらに大きくなったものっていうか。だったらこの際、そこにあえて乗っかってやろうじゃないかという気持ちが湧いてきた。自分たちの店と関係しているようなアーティストが作る音楽が渋谷系と呼ばれているのなら、いっそ開き直って『そうです!』みたいな感じで打ち出してみたらどうなるんだろう。今までやってきたようなことを、規模を大きくして思いっきりやったらどうなるんだろうって。『LIFE AT SLITS』のあとがきって暗いじゃないですか。確かに閉店間際は暗い気持ちだったんですけど、一方で、そういう未来も思い描いていたんですよ」

山下は営業時間帯の変更だけでは飽き足らなかった。契約更新のタイミングで、バブル期の高額な保証金の返却をあてに移転を決意する。

「当時の店の構造ではやれることに限界があった。それで移転というアイデアが浮かんだんです。新しい店はクラブやライブハウス、レコーディングスタジオ、編集部といったいろいろなスペースを組み合わせたものが作れないだろうかと考えていました。例えば新宿JAMは、ライブハウスでありながら店でレコーディングができたんですよね。代々木チョコレートシティというライブハウスもNUTMEG(ナツメグ)ってレーベルをやっていたり。ソウルセットも最初のレコードはNUTMEGから出したんですけど、それに対する嫉妬もありました(笑)。あとは読み物みたいなものを作りたいという構想も。それは『Barfout!』や『米国音楽』といった雑誌の影響が大きかったですね。インディペンデントな体制で本を作って、普通に全国の書店に流通させるっていう。そういう動きを横目で見て、いいなと思っていたので。

移転にあたってまずは下北中のビルを見て回ったんですけど、想定していたような大きな地下スペースがあるテナントが1つもなくて。そこから『どうせ渋谷系に乗っかっていくのなら、この際、渋谷でやるのはどうだろう』と発想を変えて、周辺の物件をしらみつぶしにしていったものの……結局タイミングが悪くていい物件と出会えなかった。もしあのあと、店を続けていたらどうなったんだろうな、ということはちょっと考えますけど」

山下直樹

山下直樹

日本のサブカルチャーの過去と未来をつなぐ役割

山下はSLITSの移転先を見つけられなかったものの、97年には音楽レーベル・SKYLARKIN RECORDを立ち上げ、クボタタケシや川辺ヒロシ、渡辺俊美のミックステープ、クボタと渡辺の共作音源「TIME」、日暮愛葉とTSUTCHIEのユニット=RAVOLTAの音源などを制作している。クボタのミックステープ「CLASSICS」シリーズのまさに“オール・イン・ザ・ミックス”な内容が象徴的だが、そのディスコグラフィはまるでZOO / SLITSの想像上における移転先のようだった。そしてそういった感覚は「LIFE AT SLITS」の編集を手がけた浜田淳が、2004年から07年にかけて開催したフェスティバル「RAW LIFE」にも受け継がれていたし、現在もあちらこちらに見つけることができるだろう。つまりZOO / SLITSは日本のサブカルチャーの過去と未来をつなぐ機能を果たしたのだ。しかしその役割を担った山下は不思議そうに言う。まるで夢を思い出すように。

「ZOO / SLITSの雰囲気って、やっぱりたまたまできたものだと思うんです。もし自分が普通にもっと若いときに上京していたら『LONDON NITE』にも行ったりしただろうし、その他、東京の文化の影響を丸ごと受けていたはず。でも25、26歳ぐらいまで福岡にいて、『こんなことができたら面白いんじゃないか』ってある程度のビジョンを構築してから東京に来て。そして1年後とかに『自由にやっていいから』って店を任されるようになったわけですから。そんなパターンはあまりないと思うんですよ。上京したての素人がいきなりブッキングを任されるっていう、今思えば本当に夢のような(笑)。しかもお客さんはほとんどが東京の人で、俺だけが田舎者なんです。その状況も変だと思うし、さっきも言ったように当時の自分は東京の常識みたいなものを知らなかったから、手当たり次第に『DJやりませんか?』って誘えたんだろうし。それでいろいろな人たちがうちの店でDJを始めて。ちょうど日本でDJカルチャーがもう1段階大きくなる時期で、DJをやってみたい人にとっても按配のいいハコだったんじゃないかな。そして場所も六本木とか西麻布ではない、普段から若い子がブラブラしてるような街にあったし。そういうふうに、偶然さまざまな要素が重なって面白い雰囲気が作り上げられていったと思うんですよね」

あるいは、偶然の積み重ねこそが歴史と呼ばれるのだろう。ZOO / SLITSの小さなスペースはその中で大きな存在感を放っている。

バックナンバー

磯部涼

1978年、千葉県生まれのライター。90年代末より音楽ライターとして活動を開始する。日本のヒップホップカルチャー、及びラップミュージックに関するテキストを多数執筆。近著は「ルポ 川崎」(サイゾー)。そのほかの著書に「音楽が終わって、人生が始まる」(アスペクト)、「踊ってはいけない国、日本」(編著 / 河出書房新社)、「ラップは何を映しているのか」(大和田俊之、吉田雅史との共著 / 毎日新聞出版)などがある。

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大根仁 @hitoshione

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