「pink」19話「愛と暴力」扉ページ(C)岡崎京子 / マガジンハウス

渋谷系を掘り下げる Vol.12 [バックナンバー]

岡崎京子と渋谷系のシンクロニシティ

“引用と編集”の先に見えていたもの

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「何を元ネタにするかということを重要視していたところがあります。フリッパーズしかり小西康陽さんしかり、いかにみんなが知らない元ネタを見つけてくるか、それをあえて提示するのが渋谷系的な感覚だったと思うんです」。本連載の第4回に登場したカジヒデキが語るように、渋谷系華やかなりし90年代初~中旬は、ポップカルチャーにとって“引用と編集”の時代でもあった。音楽や映画、文学などさまざまなカルチャーの一節をいかに引用 / 編集し、自らの表現へと昇華するか──多くのアーティストが試行錯誤を繰り広げ、その結果、小沢健二スチャダラパーの「今夜はブギー・バック」やピチカート・ファイヴの「東京は夜の七時」など普遍的な魅力を持つ数々の名曲が生み出された。本稿で取り上げるマンガ家・岡崎京子も、そうした“渋谷系的”とも言える姿勢で表現と向き合ったアーティストの1人だ。1996年に交通事故で重傷を負って以来、休筆状態にある岡崎であるが、彼女の作品もまた時代を越えて多くの読者を魅了し続けている(2020年秋には名作「ジオラマボーイ・パノラマガール」が映画化され公開)。“引用と編集”を駆使しつつも、彼らは “借り物”ではないオリジナルな表現をいかにして手に入れることができたのか。90年代初頭に岡崎と親交を結び、また多くの渋谷系アーティストと交友関係を持つラッパーのA.K.I.に、“引用と編集”の先に彼らが見ていたものについて、90年代当時のエピソードを交えてつづってもらった。

/ A.K.I.(倫理B-BOY RECORDS / A.K.I.PRODUCTIONS) ヘッダー画像 / 「pink」19話「愛と暴力」扉ページ(C)岡崎京子 / マガジンハウス

■彼女たちは何に気付いていたのか

●2018年に映画化された、岡崎京子さんの「リバーズ・エッジ」の主題歌である、小沢健二さんの「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」には、当時の(そして、現在の!)小沢さんと岡崎さんとの交流が歌われています。

●岡崎さんは、その小沢健二さんも在籍されていたフリッパーズ・ギターや、ピチカート・ファイヴ、それに、ORIGINAL LOVE、そして、スチャダラパー、電気グルーヴ、といった、90年代に“渋谷系”と、名付けられた音楽を、まだ渋谷系と名付けられる、そのずっと前から、チェックされていました。●当時のメディアでは、岡崎さんも、岡崎さんが好きなアーティスト / ミュージシャンも“引用と編集”というキーワードでその作風について言及されることが多かったのを覚えています。●しかし、意識的にせよ無意識的にせよ、作品を作るには“引用と編集”は付きもの。「大学時代の恋愛しか曲を作る題材がなかった」と謙虚に語るミュージシャン、であったとしても、実はその方のさまざまな経験から得たたくさんの情報から“引用と編集”をして創作活動をしてらっしゃるわけですし、もっと言えば、日々の経験で得たその多くの情報を、創造時に“誤読”することで、作品は生まれたりするものです。●ただ、当時の岡崎さんや岡崎さんが好きな方々は、普段の生活では経験できないもの、に触れるために、より多くの音楽や映画や書籍などをチェックしていた、というところだけ、が、メディアに注目されたのでしょう。●でも、実際は、その皆様方が、もっと多くのこと、に気が付いていた、ということが、実は重要だったのだと私は思います。●では、岡崎さんたちは、当時、一体何に気付いていたのでしょうか?

システムに回収されないもの

●私が、岡崎京子さんと初めて出会ったのは、1990年の渋谷CLUB QUATTROで、シークレットゲストとして、小泉今日子さんが出演されたり、ORIGINAL LOVEも出演されていたイベントでした。●紹介してくださったのは、そのとき、岡崎さんと一緒にライブを観に来られていた(「ポップ中毒者の手記(約10年分)」などの著者としても知られる)編集者 / ライターの川勝正幸さん(当時、確か、現在J-WAVE 「RADIO DONUTS」のナビゲーター役などでもおなじみの編集者・渡辺祐さんが設立された編集プロダクション「DO THE MONKEY」に参加されたばかりの頃だったはずです)でした。ちょうどその頃、「月刊カドカワ」という雑誌で、岡崎さんの大特集が組まれ、その中のロングインタビューで、最近注目している若手として、当時20歳ちょい前のラッパーだった私の名前を挙げてくださっていた(ほかに、チエコ・ビューティーさんと井上三太先生の名も!)ということもあり、私はそのお礼などを伝えつつ、岡崎さんと川勝さんと3人で並んでライブを観ていました。●岡崎さんはORIGINAL LOVEの田島貴男さんのMCや立ち振る舞いを観ながら「サイテー!(笑) サイテー!(笑)」を連呼されていて、私も川勝さんも大笑いしながらライブを楽しんだという思い出があります(そう、その日「も」、田島さんは、サイテー!<笑> a.k.a. 最高!!!だったのです!!!)。●ORIGINAL LOVEは、当時、「キングコブラ」の井出靖さん(現在は、ソロアーティストでありつつ、THE MILLION IMAGE ORCHESTRAを率い、また、レーベル「Grand Gallery」に加え、「Grand Gallery Store」「The Beach Gallery」を運営し、近々、自伝もリリースされるそうです!)が、マネージメントをされていて、思えば、その井出さんが仕掛けられた当時の重要なイベント、例えば、93年のヤン富田さんの渋谷PARCO劇場2DAYS(のちの渋谷系の重要人物も多数来場した伝説のライブ!)や、小沢健二さんのソロデビューお披露目となった、日比谷野外大音楽堂でのフリーライブにも、岡崎さんと川勝さんはお見えになっていて、帰りに、みんなでご飯を食べに行ったし、小沢さんのときは、岡崎さんとは隣の席で一緒に拝見していて、そのとき、オープニングアクトを務めた、まだフルアルバムをリリースする、ずっと以前のTOKYO No.1 SOUL SETに大興奮されていたのをとても印象深く覚えています。

「月刊カドカワ」1993年12月号に岡崎が描き下ろした作品「オザケン大好き。」の扉ページ。1993年10月7日に東京・渋谷公会堂にて行われた小沢健二のライブの模様をレポートしている。本作は2015年に刊行された作品集「恋とはどういうものかしら?」の新装版に再録された。(C)岡崎京子 / マガジンハウス

「月刊カドカワ」1993年12月号に岡崎が描き下ろした作品「オザケン大好き。」の扉ページ。1993年10月7日に東京・渋谷公会堂にて行われた小沢健二のライブの模様をレポートしている。本作は2015年に刊行された作品集「恋とはどういうものかしら?」の新装版に再録された。(C)岡崎京子 / マガジンハウス

●先ほどお名前の出た、井出靖さんの事務所「キングコブラ」の名付け親は、確か、当時ピチカート・ファイヴだった小西康陽さんで、そのピチカートのライブも、岡崎さんと一緒に拝見したこともありましたが、岡崎さんも小西さんも、映画監督ジャン=リュック・ゴダールがお好きなのは、有名なお話です。●そのゴダールこそ、それこそ当時(と言うか、渋谷系以前から!)のメディアで、“引用と編集”というワードで語られることが多かったのですが。●ゴダールと言えば、「リバーズ・エッジ」の復刻版に解説を寄稿され、ご自身の著書でも岡崎さんに多く言及されている、宮沢章夫さんも、ルイス・ブニュエルなどと並んで影響を受けられていているのも周知の事実です。シティボーイズを筆頭に、岡崎さんが「兄貴!」と慕い、共著もある、いとうせいこうさん、それに、中村ゆうじさん(a.k.a. FUNKY KING)や竹中直人さん、また後期には(パール兄弟サエキけんぞうさんと並んで)岡崎さんの古くからの盟友の1人である加藤賢祟さんも在籍されていた、その宮沢さんが作・演出を手がけられた、ラジカル・ガジベリビンバ・システム(主に80年代に活動)。実は、その舞台の選曲をこれまた井出さんが担当されていました(elレーベルからRUN D.M.Cまでの幅広い選曲!)。●また、そのラジカルの第2回目の公演が「スチャダラ」で、これが「スチャダラパー」の名前の由来である、というのは、有名なお話!●岡崎さんは、Young Marble GiantsやThe Slitsなどのニューウェイブ勢から(ゴダールなどのヌーヴェル・ヴァーグの考え方とも共通する)お金がなくてもごく手近な物や手法で面白い表現ができる!ということを学んだ、と、どこかで話されていました。

●また、岡崎さんは、「システムに回収されないもの」、という言い回しをよくされていたのを覚えています。●私が岡崎さんと(現時点で)最後に電話したとき「今度、タワレコでゴダールのイベントがあるんだけど、A.K.I.も出なよ!」と(いわゆる、ジャニー喜多川さんの「YOU出ちゃいなよ!」的なことを<笑>)言われ、でも、その直後に事故に遭われ、私は結局イベントには呼ばれなかったのだけれども、そのイベントには、ソロデビュー直前のカジヒデキさんがムッシュかまやつさんらとご出演され、終演後、楽屋にお邪魔させていただいたとき、当然、岡崎さんの話になり、そのこともあって、私がその直後に参加した、カジさんのソロデビュー作「マスカットe.p.」収録の「Brother」のラップのリリックには、岡崎さんのお弟子さん筋でもある、安野モヨコ先生と冬野さほ先生の作品のタイトルを引用し、自分的には岡崎さん回復への祈り、を捧げたのでした。

渋谷系以前に起きていた異種交配

●岡崎さんのお気に入りのアルバムに、89年、やはり当時、井出さんがマネージメントをされていた、いとうせいこうさんの、日本最初のヒップホップのソロアルバム(そして、渋谷系の源流の最重要作とも言える!)「MESS/AGE」があります。ヤン富田さんといとうさんが共同でプロデュースされた作品で、その中には岡崎さんも好きな文学者・坂口安吾のフレーズ「絶対の孤独」が引用されています。●現在の多くのメディアで語られる渋谷系とは駆け離れたお話、のような気もします、でも!●渋谷系としてまとめられる以前は、さまざまな領域で、システムやジャンルや前提の違うアーティストたちが交流し、異種交配が起きていました。例えば、スチャダラパーのシンコさんが、小沢健二さんにサンプラーの使い方を教えなければ、フリッパーズ・ギターの「DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-」も、あの「今夜はブギー・バック」も生まれなかったのでしょう(また、シャシャミンさんとMATT-NYさんのCARSが参加した、小沢さんの「Buddy」も!)。

●でも、例えば、現在のヤン富田さんのライブには、小山田圭吾さん(Cornelius)から、脱線3のロボ宙さん、M.C.BOOさん、(MAJOR FORCE PRODUCTIONSや、東京ブラボーでも知られる!)高木完さん、Buffalo Daughterの大野由美子さんまで、幅広い方々が、登場されたり、もします。●コロナ禍でライブの開催自体がなかなか難しいであろう昨今、そうした豊かさを家で楽しむ方法として、2016年にリリースされた、いとうせいこう&リビルダーズ「再建設的」に収録されている、いとうせいこう&ヤン富田の「スイート・オブ・東京ブロンクス」を聴くことをおオススメします(ここ10数年に及ぶ「アシッドテスト」などでのヤン富田さんのライブで披露された数々のフレッシュ!が、惜しげもなく有機的に融合された、16分近くに及ぶものすごい展開を見せる録音物です!)。●ECDさん(実は、ラッパーとして、私とは同じコンテスト出身の同期!)、または、坂口修さん(渋谷系以前に、「シティボーイズ・ライブ」の舞台音楽を、ヤン富田さんや小西康陽さんに依頼!)それに、(カートゥンズでもある!)タケイグッドマンさん! もっともっと話したいことはあるけれども、それはまたの機会に! GAS BOYSやDub Master Xさん、まだまださまざまなアーティストが……。

バックナンバー

A.K.I.

ラッパー。1987年に、ヒップホップグループKRUSH GROUPを結成。1989年に、A.K.I.PRODUCTIONSを結成し、1993年に1stアルバム「JAPANESE PSYCHO」を発表する。その後、メンバー変更の紆余曲折を経て、現在はA.K.I.のソロユニットとなる。2005年には山口小夜子&A.K.I. PRODUCTIONSを結成。その後、自身が主宰する「倫理B-BOY RECORDS」より「DO MY BEST」(2009年)、「小説『我輩はガキである・パレーシアとネオテニー』」(2012年)という2枚のアルバムを発表した。2016年より、神田TETOKAにて、Buchla Music Easelの演奏を中心にした、不定期ライブシリーズ「A.K.I. Plays Buchla~ラップとトークとエレクトロニクス」を開催中。著書に、天然文庫「ガキさん大好き♥ Keep it Real !」。

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