1990年代に日本の音楽シーンで起きた“渋谷系”ムーブメントを複数の記事で多角的に掘り下げてきた本連載。最終回となる今回は、エディター / ライターの川勝正幸を取り上げる。ピチカート・ファイヴ、
今回登場してもらった
取材・
川勝さんだったらどうしたかな
「もうバッタバタ。今日も“高津”に行ってたんです。高津装飾美術。舞台で使うステージ用の椅子とか小道具を借りに。イメージするラグマットがなかなか見つからなくて。あれでもないこれでもないって探してたら、私が以前、もう使わないからって寄付したラグマットが出てきたのね。『これたぶん小泉さんのものだと思うんですけど』『そう、それ』って(笑)」
インタビューをしたのは2020年9月下旬。彼女は、翌10月に行うイベント「asatte FORCE」の準備に追われていた。それは、本多劇場で16日間にもわたって開催した日替わりイベントで、「西城秀樹を語りあう夕べ」があったり、殿山泰司のエッセイを朗読する舞台があったり、旧友である
「もともとは『ピエタ』というお芝居をやろうとしていたんです。石田ひかりさんと峯村リエさんと私がメインキャストだったけれど、コロナでできなくなってしまった。でも、押さえていた劇場をそのまま手放すのはもったいない。せっかくだったら何かやろうって」
近頃のコイズミさんは忙しい。大手芸能事務所を辞め、自身の会社「明後日」を立ち上げてからは、演劇や映画を企画したり、それまでの歌手 / 女優としての小泉今日子だけではなく、プロデューサーとしての活躍がめざましい。何より、心底楽しんでそれを発信している様子がうかがえる。
「こうやっていろいろ動いていると、川勝さんを思い出してならないんです。川勝さんだったらどうしたかな、どう思うかな、どんなキャッチフレーズを考えるかなって絶対思っちゃう。例えば、今年8月に無観客ライブをやったとき、レコード会社の人はカッコいいタイトルを考えてくれるんだけど、『いやいやいや、もっとユーモアがあったほうがいいんじゃない?』って、『唄うコイズミさん』はどうでしょう?って私が提案したんです。こういうことも川勝さんから学んだ気がする。簡単に意図が伝わるけれど、カッコつけてないフレーズ。若い世代は、私の歌手時代を知らない人が多いから、実は歌うんですよっていうような意味も含めてね」
確かに。川勝さんならそういうタイトルを付けただろう。
川勝正幸。自らを「ポップウイルスに感染した“ポップ中毒者”」と呼んだエディター / ライター。80年代から雑誌で活躍、深夜テレビやラジオに構成作家として参加することもしばしば。90年代にはクラブカルチャーや渋谷系など自らが体感したポップカルチャーの現場を、コラムなどで積極的に発信することで、ブームの盛り上げ役となった。中でもスチャダラパーは川勝がフックアップし世に出したと言っても過言ではない。学生時代の思い出としてラップコンテストに出ただけの彼らをメディアで初めて紹介したのも川勝だったし、渋谷系のアンセムと呼ばれた「今夜はブギー・バック」(1994年発表)のジャケとミュージックビデオをディレクションしたのも川勝だった。ついでに言うなら、
“パンパース・コイズミ”
「TOKYO FMの番組『KOIZUMI IN MOTION』(1989~91年放送)の構成を川勝さんがやってくれたのが大きかった。そこで、高木完ちゃん、
スーパーアイドル・キョンキョンにそんなキャッチフレーズを付けるとは。ちなみに同時期、川勝は雑誌「宝島」で小泉の連載企画「K-iD」を編集。イギリスのカルチャー誌「i-D」にオマージュを捧げたものだが、それにちなんだコンサートのパンフレットも作っている。アートディレクションは安齋肇。内容に凝りすぎたため、コンサート初日に間に合わなかったという伝説も。
「間に合わなかった事件、覚えてる(笑)。厚木が初日だった気がするんだなあ。あのときのグッズは、
川勝曰く、後に「i-D」の創始者テリー・ジョーンズは「K-iD」を見てたいそう喜んでくれた、とのこと。そしてそれは「裏小泉」(1992年刊)というビジュアル本に発展している。
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