渋谷系を掘り下げるvol.11「韓国のポップミュージックへの影響」ビジュアル

渋谷系を掘り下げる Vol.11 [バックナンバー]

韓国のポップミュージックへの影響

長谷川陽平が語る、もう1つの“渋谷系”

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1980年代末にその萌芽が見られ、やがて日本の音楽史に影響を及ぼすようになった渋谷系のムーブメント。その広がりをさまざまな視点から検証する本連載で今回舞台となるのは、2000年代に入ってから“渋谷系”のブームが巻き起こった韓国。ナビゲーターは、韓国を拠点にギタリスト、プロデューサー、DJとして活動する長谷川陽平だ。彼は95年に初めてソウルを訪れて以降、黎明期にあったソウルのインディーシーンで活動。のちに韓国インディーズの代表的バンドであるチャン・ギハと顔たちの正式メンバーとしても活躍する一方で、近年はDJとしても精力的に活動しており、韓国におけるシティポップDJの第一人者として人気を集めている。

渋谷というローカルな場所で育まれた音楽は、ソウルというもう1つのローカルに持ち込まれたとき、どのように変異していったのだろうか。その現場をつぶさに見つめてきた長谷川ならではの分析と共にお届けしよう(なお、本稿では韓国の独自解釈による渋谷系について話す際は、“渋谷系”と括弧付きで表記している)。

取材・文・編集 / 大石始  ヘッダビジュアル / 大石慶子

パソコン通信で韓国に広まった渋谷系

──長谷川さんが初めて韓国を訪れたのは1995年ですよね。当時の韓国に渋谷系の動きは伝えられていたんでしょうか。

今でも覚えてるのは、95、6年にソウルのヒャンミュージックというCDショップに行ったとき、「今度こっちに来るときフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴのCDを買ってきてくれないか」と言われたことがあったんですよ。その頃にはすでに渋谷系とされる日本のアーティストをチェックしているリスナーがいたということでしょうね。

――そういったリスナーはどうやって情報を得ていたんでしょうか。

90年代半ばの韓国ではパソコン通信が爆発的に流行していて、オルタナやUKインディーを好きな人たちはパソコン通信上のサークルで情報交換をしていたんです。そういう場所でフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴに関する情報もやりとりされていたようですね。韓国ではそれまで欧米の音楽、80年代であればヘヴィメタルの人気が高かったんですけど、90年代半ばになると、UKインディーなどヘヴィメタル以外のロックも柔軟に受け取る層が少しずつではあるものの出てきて、パソコン通信の中に「モダンロック小集団」というサークルを作るんです。そういう人たちが渋谷系にも興味を持っていたということですね。

90年代末、ソウルの清渓川を訪れた際の長谷川。(写真提供:長谷川陽平)

90年代末、ソウルの清渓川を訪れた際の長谷川。(写真提供:長谷川陽平)

――欧米の音楽と同じ流れで聴いていた、と。

そうですね。当時、OasisやPrimal ScreamのようなUKのバンドを取り上げていた「sub」という音楽雑誌があったんですけど、その中で日本の音楽を紹介する連載があったんですね。いま手元にある2000年の号では、僕も一時期ギターを弾いていたDeli Spiceのベーシスト、ユン・ジュノさんがトラットリアについてコラムを書いているんですよ。そこではカヒミ・カリィ、VENUS PETER、bridgeなんかを挙げながら、Corduroyみたいな同時代の欧米のバンドも取り上げているんです。

「sub」2000年3月号表紙(資料提供:長谷川陽平)

「sub」2000年3月号表紙(資料提供:長谷川陽平)

渋谷系を取り上げた「sub」の特集記事。(資料提供:長谷川陽平)

渋谷系を取り上げた「sub」の特集記事。(資料提供:長谷川陽平)

――パソコン通信上の音楽サークルから結成されたバンドもいるんでしょうか。

オンニネイバルグァンなんかはパソコン通信上ででっちあげた架空のバンドから始まってますよね。Deli Spiceもメンバー全員、ハイテル(パソコン通信サービス)の参加者でしたね。あと、マスタープラン(ホンデのライブハウス / レーベル。同時期には黎明期にあったヒップホップシーンの中心地となり、同名のクルーとしても活動を展開する)周辺のバンド。マスタープランの社長であるイ・ジョンヒョンさんはフリッパーズ・ギターやカジヒデキさんが大好きで、おそらくマスタープランに出演しているバンドに渋谷系のCDを聞かせたりしながら広めていたとも思うんですよ。彼は日本に来るたびに何百枚もCDを買っていくような人だったので。

Deli Spiceのメンバーと談笑する長谷川。90年代末に東京で撮影されたもの。(写真提供:長谷川陽平)

Deli Spiceのメンバーと談笑する長谷川。90年代末に東京で撮影されたもの。(写真提供:長谷川陽平)

Deli Spiceのメンバーと談笑する長谷川。90年代末に東京で撮影されたもの。(写真提供:長谷川陽平)

Deli Spiceのメンバーと談笑する長谷川。90年代末に東京で撮影されたもの。(写真提供:長谷川陽平)

――イ・ジョンヒョンさんはのちにマスタープランのサブレーベルとしてハッピーロボット(韓国における“渋谷系”の代表的レーベル。フリッパーズ・ギターやカジヒデキの韓国盤もリリースしている)を立ち上げ、日本人アーティストを韓国で数多くリリースする方ですよね。

そうですね。2007年には「Grand Mint Festival」(ソウルのオリンピック公園で開催されている大規模な野外フェス。韓国のインディー系バンドが多数出演するほか、日本人アーティストも毎年ブッキングされている)を始める人です。韓国のインディーシーンで長年活動している人って、90年代から日本の音楽に精通していた人が多いんですよ。

長谷川が撮影した90年代末のソウル。(写真提供:長谷川陽平)

長谷川が撮影した90年代末のソウル。(写真提供:長谷川陽平)

長谷川が撮影した90年代末のソウル。(写真提供:長谷川陽平)

長谷川が撮影した90年代末のソウル。(写真提供:長谷川陽平)

韓国独自の“渋谷系”とは

――では、韓国で渋谷系という言葉が使われるようになったのはいつ頃なんでしょうか。

それはもっとあと、2003、4年くらいからじゃないですか。ただ、その頃紹介されていたのは、いわゆる渋谷系のアーティストではなかった。韓国には僕らが知っている渋谷系とは違う“渋谷系”が存在しているんです。90年代にパソコン通信上でフリッパーズ・ギターの情報を交換していたリスナーとはまったく別の層で、そうした“渋谷系”とされるアーティストが人気を博すようになったんですね。

――それはどういったアーティストだったんでしょうか?

まず、ブームの背景には2000年代頭頃からインターネットが広く浸透したことが大きかったんですよ。2002年の日韓ワールドカップや日本文化解禁の影響も多少あったと思うけど、一番大きかったのは間違いなくサイワールド(1999年にサービスを開始した韓国のソーシャルネットワーキングサービス。一時は3200万人もの会員数を誇り、2005年には日本でのサービスも開始した)。日本のmixiみたいな国内基準のSNSですね。

――パソコン通信のときのようなサークルがサイワールドの中にあったということですか?

いや、それが違うんです。サイワールドって加入者それぞれのホームページにアクセスしたとき、BGMが流れる仕様になってたんですね。そこで流れていたのがHARVARDの「Clean & Dirty」であり、m-flo loves melody. & Ryoheiの「miss you」、Fantastic Plastic Machineの「Days and Days」、Nujabesの「Aruarian dance」などだったんですよ。その頃の韓国の歌謡曲というと、どうしても泣きのバラードが多かったわけですが、そうしたものとは明らかに違う洗練されたダンストラックがそこで鳴っていた。2003年から2004年という時期はまさにサイワールド全盛期だったんですが、この4曲もすべてこの2年のうちに出てるんですね。

――そして、そうしたアーティストが“渋谷系”と捉えられるようになった?

そういうことですね。

――韓国の“渋谷系”における代表的レーベルであるハッピーロボットからはHARVARDの「Lesson」(2003年)を皮切りにさまざまな日本人アーティストの作品がリリースされていますが、STUDIO APARTMENTDJ KAWASAKIなど、日本では間違いなく渋谷系としては紹介されないアーティストも多いですよね。

そうですね。韓国ではFreeTEMPOやJazztronikDAISHI DANCEはものすごく人気があって、彼らも“渋谷系”に含まれてしまうんです。ポップでラウンジーな感覚のあるものに、メインストリームにはないオシャレを感じていたんでしょうね。

雑誌「MAPS」に掲載されたHARVARDのインタビュー記事。(音楽ナタリー編集部私物)

雑誌「MAPS」に掲載されたHARVARDのインタビュー記事。(音楽ナタリー編集部私物)

――なおかつサイワールドという新しいメディアと結び付いたことにより、それまでの韓国にはなかった新しい文化として一気に浸透したと。

そうなんですよ。だから、今でもDJでHARVARDの「Clean & Dirty」をかけると、2000年代中盤に青春時代を迎えた世代が大騒ぎするんです。「これこれ!」って。1つ言えるのは、HARVARDの「Clean & Dirty」やFantastic Plastic Machineの「Days and Days」は歌詞が英語なんですね。ということは、韓国のラジオ局でも流すことができたんです。そこも大きかったかもしれない。あと、サイワールドの中にはクラブ情報を交換するグループもあって、そういう場所でも日本人アーティストの情報がやりとりされていたんです。

ソウル有数の歓楽街、ホンデの夜。(写真提供:大石慶子)

ソウル有数の歓楽街、ホンデの夜。(写真提供:大石慶子)

――そうした音楽が人気を集めた背景には、日韓ワールドカップ以降のソウルでカフェが急増したことも関係しているんでしょうか。

それはあると思いますね。サイワールドの加入者ホームページのBGMとして“渋谷系”が使われていたように、カフェのBGMとしても同じタイプのものがもてはやされるようになった。そこで重要だったのは、“決して有名になりすぎていない、私だけが知っている音楽”という感覚。自分たちはヒップなものを聴いているんだという感覚が後押ししたんだと思います。

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韓国産“渋谷系”インディー勢の登場

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