「多彩な才能が集った伝説のクラブ、下北沢SLITS」ビジュアル

渋谷系を掘り下げる Vol.13 [バックナンバー]

多彩な才能が集った伝説のクラブ、下北沢SLITS

元店長・山下直樹が語る独自の“オール・イン・ザ・ミックス”感覚

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京王井の頭線の急行で渋谷から1駅の距離にある世田谷区下北沢では、近年、大々的に再開発が進められている。一方で昔ながらの商店街と、中古レコード店、古着店、スケートボードショップ、ライブハウス、ロックバーなどが同居してきた街の特徴はむしろ売りにしようと試みられており、一帯にはまるでサブカルチャーのテーマパークのような雰囲気すら漂う。ただしかつての下北沢を──例えばZOOやSLITSを知っている人からすれば、少々きれいにまとまりすぎていると感じるかもしれない。

下北沢南口商店街、ミスタードーナツ向かいのビルの地下深くへと延びていく、細く急な階段。かつてその先には、1987年に下北ナイトクラブの名前で開店、88年にZOO、94年にSLITSとリニューアルされたのち、95年いっぱいで閉まったわずか20坪のクラブが存在した。同店について残された無数の証言から浮かび上がってくるイメージはまさにカオスだ。ある側面としては、そこは瀧見憲司がDJを始め、フリッパーズ・ギターカヒミ・カリィが常連客として訪れ、スチャダラパーやラヴ・タンバリンズがレギュラーイベントを行い、TOKYO No.1 SOUL SETが結成された──いわゆる“渋谷系”の供給源だった。そしてフィッシュマンズがZAKのPAでライブを行い、Buffalo Daughterや暴力温泉芸者も出演したように“ポスト渋谷系”の流れも準備している。

もちろん、日本のDJカルチャーやラップミュージックの歴史に位置付ければまた違った見方ができるだろう。1つだけはっきりと言えるのは、その狭い地下室で行われていたパーティや実験がやがてレコードとなって各地へ広まり、90年代以降のサブカルチャーを大きく変えたということだ。今年8月に開店したばかりのLIVE HAUSの店長スガナミユウは、以前、「現代版のZOO、SLITSを俺たちがやるべきだ」と語った。下北沢もまたリニューアルされ、イメージが利用されていく一方で、その遺産と精神は地下で受け継がれている。ZOOとSLITSの店長を務めた山下直樹に、ありとあらゆるジャンルをミックスし、新しい音楽を作り出した小さなクラブについて振り返ってもらった。

取材・/ 磯部涼 ポートレイト撮影 / 沼田学 図版提供 / 山下直樹

原点にあるのはニューウェイブ

ZOO~SLITSの歴史に関しては山下直樹が監修を務めた書籍「LIFE AT SLITS」(2007年、P-Vine Books刊)という決定版がすでに存在する。編集者の浜田淳が130名以上にも及ぶ関係者の膨大な証言を「イーディ― '60年代のヒロイン」や「トルーマン・カポーティ」といった評伝で知られるジョージ・プリンプトンに倣い、いわゆるオーラルバイオグラフィの手法でまとめ上げた同書には、意外なことに渋谷系という言葉がほとんど出てこない。そもそも、山下は冒頭からこのように書いているのだ。

「渋谷系って何だったんですか?」
残念ながらその問いには答えられないけど、ズーやスリッツでやっていたことなら聞かせてあげられるかもしれない。(「LIFE AT SLITS」まえがきより)

また、同書は1995年12月31日──SLITSの“移転”に伴う閉店日であり、現在から見れば渋谷系ブームの只中と思える時期──に行われた年越しイベントの描写で終わっていくが、そこでの山下の筆致はとても暗い。彼は好きでもない酒で悪酔いしながら、マイクをつかんで満員のフロアに何度も何度も問いかける。

「楽しんでますか?」と。そんなことなかったよと言われるかもしれないけど、ぼくから見えるお客さんの表情は辛そうだった。ギュウギュウ詰めのなか、ただ自分のお目当ての出演者を待っているだけだと言わんばかりの朦朧とした目線がそこにはあった。その目線は本来ライヴハウスなどで目にするものであり、自分が携わる場所では見るはずのないものだった。しかしその頃にはすでに自分の店でも目新しいものではなくなっていた。ぼくはその瞬間、ズーからスリッツへの変化の際に自分が選んだ手段が正しかったのかどうかの判断をするより、ただただ朝になって早くこの場から立ち去りたいとしか思っていなかった。(「LIFE AT SLITS」あとがきより)

そこには山下と、あるいはZOO / SLITSと時代との微妙な距離が表れているだろう。SLITS閉店から25年後。「LIFE AT SLITS」刊行から13年後。この連載のテーマに合わせて山下に改めて渋谷系について聞くと、やはり答えはそっけないものだった。

 「正直、渋谷系というものを何も理解していなかったですね。あくまでも店の外で知ることというか。当時、レコードショップに行くと、うちの店によく出演している人たちの作品がまとめて置いてあって。そこに渋谷系というポップが貼ってあったかどうかは覚えていないんですけど……なんとなくそう呼ばれているんだなと」

しかしZOO / SLITSと渋谷系には、同時代的感覚があったことも確かだろう。例えば、かつて日本のDJカルチャーで頻繁に使われた“オール・イン・ザ・ミックス”という表現だ。ありとあらゆる音楽を混ぜ合わせる。90年代の日本においてその試みはそれこそありとあらゆるところで──ターンテーブルとミキサーで、バンドサウンドで、そしてZOO / SLITSという下北沢の地下にあった店で──行われていた。

 「“オール・イン・ザ・ミックス”と言うと、自分の原点にあるのはニューウェイブだと思います」

山下の回想は80年代前半へとさかのぼる。

山下直樹

山下直樹

福岡のディスコまで押し寄せた“新しい波”

「あの時代、ニューウェイブはサウンドがどんどん変化していったじゃないですか。それに応じて俺もロックだけでなくレゲエやダブ、ノイズ、いろいろな音楽をつまんで聴くようになって。そして、ほぼ時を同じくしてDJカルチャーが出てきた。DJはミュージシャンよりもさらに幅広く音楽を掘り下げていますから、やっぱり影響を受けて自分の音楽の聴き方も変わっていきましたよね。だから確かなのは、俺はもともと1つのジャンルにどっぷり入り込む人間ではなくて、まあ尻が軽いというか(笑)。一方で、音楽を好きだという気持ちは人一倍強かった。80年代前半、東京に出る前は福岡にいて。天神にあったディスコで働いていた時期もあるんですが、そのお店自体は、毎晩マイケル・ジャクソンの『Billie Jean』がかかるようなところで。そこにもニューウェイブが好きな人も来るには来ていたものの、それほど音楽に深く入り込んでいるような感じではなかったんですよね。どちらかと言えばファッション寄りというか、The Specialsで踊っているけど、着ている服はコム・デ・ギャルソンみたいな。だから、『自分がいるべき場所はここじゃないのかな』と思いながら働いていましたね。

そういえば、その店で“Wild Style事件”という出来事がありました。ある日、店のDJとマネージャーが映画『Wild Style』の試写会に行って、感化されて全員アディダスのジャージ上下で出勤して来たんです。そうしたら、店長が『なんだその体操服は!』って黒服に着替えないマネージャーに怒っちゃって。しまいにはそのことがきっかけでマネージャーは辞めてしまった。俺は『みんなをこんなに熱くさせる<Wild Style>って一体何なんだ!?』みたいな感じで、そこからヒップホップにも強く興味を持ったんです。世界的に音楽が変わっていく時代だったんでしょうね。ヒップホップも黒人音楽の流れで言えば、ある意味、ロックに対するパンクみたいなものだったと思うし、その波が福岡のディスコにまで押し寄せていたという」

藤井悟のDJから受けた衝撃

そして“その波”は社会の動きとも合わさりながら、夜の街を変えていく。84年には通称・風営法が大幅改正。ディスコの深夜営業が禁じられたが、一方で法の目をかいくぐるようにあちらこちらに現れたのが初期のクラブだった。

「80年代半ばになってくると、福岡にもその後で言うクラブみたいな店ができ始めました。そういうところを作ったのは、1回東京に出て、戻ってきた人たちなんですよね。当時の自分はディスコで働いたあとにお客さんたちと一緒にクラブへ行って朝4時ぐらいまで遊んで帰るみたいな生活をしていたんですが、そこでは店の人がわりと突っ込んだ選曲をしていて、『おお、こんな曲もかけるのか!』みたいなことが何度もあった。それで、自分の中でも『こういう感じの店で働きたい』という気持ちが強くなっていきました」

当時、福岡からクラブカルチャーの発展期にあった東京に遊びに行った山下が衝撃を受けたのが、西麻布のクラブP.Picassoで体験した藤井悟のDJだという。ライター / DJの荏開津広は「LIFE AT SLITS」において、P.Picassoでの藤井のDJを以下のように振り返っている。「あの頃はみんなそれぞれ好きな音楽があるんだけど、ジャンルで言っちゃえばやっぱり二、三種類じゃない? スカとブガルーとか、ヒップホップとエレクトロ、レゲエ全般とか。だけど悟くんのプレイを聞くと平気で歌謡曲とかいろんなのが入ってきちゃうから、『これは混ぜた方がかっこいいかも』ってなるよね」。また、やはりP.PicassoでDJを務めていた松岡徹のDJについては「リン・コリンズぐらいから始めて、きれいにビート・ミキシングでレア・グルーヴから『パンプ・アップ・ザ・ヴォリューム』まで繋げて、最後にスカに持っていったのは鮮明に覚えてる。実際、すごい盛り上がったし。衝撃としては、最初に2メニー・DJズのCDを聴いたときぐらいの衝撃ですよ(笑)」と語っているように、彼らのDJはまさに“オール・イン・ザ・ミックス”だったようだ。

「『LONDON NITE』の噂は福岡のディスコ時代から聞いていて、大貫(憲章)さんはとにかくディスコっぽくないさまざまな曲をかけるというので、いろいろなジャンルをつまんで聴く自分にはぴったりだなと思っていた。ただ、俺が上京した頃には会場のツバキハウスが閉店してしまって、結局、元祖の『LONDON NITE』には1回も行けなかったんです。それで時期的にちょうど体験したのが、P.Picassoでやっていた悟くんのDJだった。当時の彼のスタイルがオリジナルなのか、大貫さんからの影響なのかはわからなかったんですけど、とにかく悟くんがかける曲がことごとく自分が好きな曲だったんです。

その後、上京してすぐに福岡の知り合いから『クラブをオープンするので店長をやってほしい』という誘いがありました。でも俺はディスコでしか働いたことがなかったので、東京で半年ぐらい修業してから福岡に帰ろうと思って。そしてP.Picassoと同じく村田大造さんが勤務していた会社が内装など手がけて、悟くんもDJをしていた下北ナイトクラブに雇ってもらったんですが、途中で福岡のクラブの話が立ち消えになってしまった。そして下北ナイトクラブは店名がZOOに変わって、もともと企画やブッキングをやっていた荏開津くんに、『青山にできたばかりのMIXでDJに専念したいから、山下さん、諸々引き継いでくれませんか』と言われたもんで、やるしかないかなという感じでスタートしたんですね」

ZOO店長時代の山下。

ZOO店長時代の山下。

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