渋谷系を掘り下げる Vol.13 [バックナンバー]
多彩な才能が集った伝説のクラブ、下北沢SLITS
元店長・山下直樹が語る独自の“オール・イン・ザ・ミックス”感覚
2020年11月26日 19:00 56
いろいろな音楽を同時に楽しんで何が悪いんだ?
88年、山下はZOOの店長に就任する。荏開津が付けた店名には多様性への思いが込められていたが、同店で山下が始めたブッキングもまたジャンルの動物園の様相を呈していった。「LIFE AT SLITS」で章立てられているレギュラーイベントだけを書き出したとしても、初期はゴシックな雰囲気だったという「クラブ・サイキックス」、東京パノラママンボボーイズを産んだ「パノラマ・キャバレー・ナイト」、
「最初から1つのジャンルに特化したハコにするつもりはまったくなかったんです。自分がいいと思って聴いているいろいろな音楽を店のスケジュールにちりばめたかった。そうするとそれぞれのイベントにお客さんが来るじゃないですか。それで今度は店を媒介としてジャンルに関係なくイベントに足を運んでもらって、いろいろな音楽をみんなで共有できるようになればいいなと思っていた。そもそも、違うジャンルの音楽でもさかのぼっていけばどこかでリンクするはずだという気持ちがあったので。
自分の中には『いろいろな音楽を同時に楽しんで何が悪いんだ?』みたいな思いもありました。というのも、俺が若い頃ってそういう音楽の聴き方がよくないことだとされていたので。『俺はパンクだ!』とか『俺はヒップホップだ!』とか、1つのジャンルを追及している人がカッコいいという風潮があったんですよ。『どんな音楽が好きなの?』と聞かれて、いろいろなジャンルを挙げると『ありえない!』みたいな。でも今はジャンルを問わず音楽を聴くことって別に普通じゃないですか。当時の自分はそういう反発心を持っていたので、ZOOのお客さんにも音楽を分け隔てなく楽しんでほしいなと思っていた。実際、店をやっていると『あの人、あのイベントにもあのイベントにもいたな』っていうことがあって。例えば元DRY&HEAVYのマイちゃん(
各ジャンルの中のオールジャンル
「LIFE AT SLITS」が示唆に富んでいるのは、各イベント関係者がジャンルにこだわる一方で、それ自体がさまざまなジャンルの集合体であると証言していることだ。例えば、「パノラマ・キャバレー・ナイト」は「『パノラマ』っていうのはね、テレビのチャンネルをガチャガチャひねってる感じだね。(略)ラテンだけじゃなくて東京に入ってきたリズムは全部やってやろうと思ってたんだ。(略)ドドンパからマンボまでひっくるめて、ロックンロールもロカビリーも全部やっちゃおうよ、って」(ハスキー中川)、「ガレージ・ロッキン・クレイズ」は「なんせお手本はそんなになかった。しいて言えば、映画『アニマルハウス』のジョン・べルーシのいる大学のクラブのパーティね。いわゆるフラット・ロック。客はパンクでもモッズでもロッカーズでもいいわけ。もともと六〇年代アメリカン・ローカル・ガレージそのものが適当な交じり物でしょ?」(ジミー益子)、「ズート」は「スカからルーツ・レゲエ、ダンスホールまで、ジャマイカの音楽の歴史をそのまま体現してるような構成でした。(略)あとそれだけじゃなくて、ギャズ・ロッキン・ブルースの世界観にも影響を受けてたから、たまにジェイムス・ブラウンやリトル・リチャードがかかったりもしてて」(Likkle Mai)というように。
「各ジャンルの中のオールジャンルみたいなことを提示したかったんです。そうすると1つのジャンルをテーマにしていてもかかる音楽の幅が広がるじゃないですか。その広がりの中に、お客さんが引っかかる何かが出てくるはずだから。『ジャンルを幅広く解釈して選曲してください』というのは、どのDJにも伝えていましたね」
クラブの楽しさを知るきっかけの場所に
ところでZOO / SLITSと渋谷系の接点と言えば、前述した瀧見憲司がメインDJを務めたレギュラーイベント「ラヴ・パレード」が筆頭に挙げられるだろう。常連だったという
「『ラヴ・パレード』には『こんなに来ていいのか』というくらいお客さんが来ていた時期もありましたね。あんな狭い店に毎回300人とか。ただ、それは純粋な『ラヴ・パレード』のお客さんというより、初期から遊びに来ていたフリッパーズ・ギターの2人とかカヒミ・カリィのファンが、彼ら経由でイベントを知って来るというかね。だから、『初めてクラブというところに来てみました』みたいな人たちが大勢いたんですよ。お酒を頼まないでずっとソフトドリンクを飲んでいたり(笑)。そういうのって西麻布なんかではありえなかったんですけど、自分としてはクラブの楽しさを知るきっかけの場所になればいいなと思っていた。大きな音で音楽を楽しめるのはライブハウスだけじゃないんだよって。ただ先ほども言ったように、フリッパーズ人気に呼応していたので。瀧見くんはかけるものがどんどん変わっていく人でしたから、ネオアコ好きの人たちはマッドチェスターはよくても、ブラックミュージックをかけるようになると来なくなってしまったり、なかなか難しいところもありました」
また、いわゆる渋谷系に位置付けられるのかどうかは議論があるだろうが、それと同時代的なバンドとして山下が真っ先に名前を出したのが、やはり前述したイベント「スーパー・ニンジャ・フリーク」のセッションから形成されていったTOKYO No.1 SOUL SETだ。“ソウルセット”は、ジャマイカのサウンドシステム(1940年代に生まれた移動式の野外ダンスパーティ)においてレゲエ以外にもいろいろな音楽がかかる日を意味する言葉から取ったという。川辺ヒロシの膨大なレコードコレクションから作られたコラージュのようなビートに、ビッケのラップともポエトリーリーディングともつかないボーカル、渡辺俊美のコーラスとギターが乗る彼らの音楽は、まさに東京でしかあり得ない“ソウルセット”だった。
「ZOOから始まって大きくなっていく過程を間近で見ていたという意味では、やはりTOKYO No.1 SOUL SETには思い入れがあります。メンバー全員、もともとお客さんとして店に遊びに来ていた人たちだったので。川辺はフラッシュ・ディスク・ランチ(下北沢の中古レコード店)で働いていて、最初、荏開津くんが『レコードいっぱい持ってるんでしょ? 今度、ゴングショー(DJコンテスト)があるから出ない?』って声をかけたんじゃないかな。一方で(渡辺)俊美くんはいつも派手な格好して友達をいっぱい連れて、ZOOのフロアでめちゃくちゃ盛り上がっていたんですよ(笑)。『いったい何者なんだ?』みたいな。で、2人をくっつけたら面白いんじゃないかと思って川辺と俊美くんを引き合わせた。ソウルセットはやがてレコードを作り、全国ツアーまでやるようになって。自分にとって盛り上がりを一番リアルに感じられた人たちでしたね」
当時はロンドンの人たちを意識していた
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大根仁 @hitoshione
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