陰陽座のアルバム「吟澪御前」がリリースされた。
本作は「龍凰童子」以来およそ2年半ぶり、16作目となるオリジナルアルバム。タイトルの「吟澪御前」は、「吟ずる(=歌う、音楽を作る)ことを己の澪とする強力な鬼」を意味し、「口先で己を語るのではなく、音楽そのもので語る」という陰陽座の信念が込められている。
結成25周年という節目を経て、なぜ陰陽座は今、バンドとしての信念を強く打ち出したアルバムを制作したのだろうか。音楽ナタリーは瞬火(B, Vo)にインタビューを行い、作品に込めた思いを詳らかにした。
取材・文 / 真貝聡撮影 / 野波浩(STUDIO No・ah)
自分の人生は陰陽座をやるためにあった
──前作「龍凰童子」は「陰陽座のセルフタイトルとも言える1枚」とインタビューでお話しされていました(参照:陰陽座・瞬火インタビュー|「龍凰童子」で浮き彫りになった“バンドそのものの姿”)。2年半ぶりとなるアルバム「吟澪御前」は、陰陽座にとってどのような作品になりましたか?
意図的に関連性を持たせているわけではないですが、前作と同じように、今回のアルバムも自分たちの信念や理念をそのまま形にしていて。「龍凰童子」が“龍”と“鳳凰”を守護神とした強力な鬼である陰陽座を示したとすれば、「吟澪御前」は音楽を吟ずることは己がたどる道そのものであると示している。言い方は違えど、男の鬼につける“童子”と、女の鬼につける“御前”をタイトルにしたのは「自分たちはこういうバンドなんだ」と2作続けて言いたい、そういう思いがあったのかなと思います。
──楽曲を作るうえで一貫したテーマはありましたか?
アルバム全体を通しての意図や意志はありましたけど、個々の楽曲に関して言えば「できるだけいい曲にする」ということしか考えていません。ただ、このアルバムがどういう性質の作品なのかは事前に決めていたので、自由に作ってなんとなく曲を入れるのではなく、「『吟澪御前』を制作しているんだ」という気持ちで作ってはいました。だからこそ、自然とアルバムにふさわしい曲がそろったと思います。
──取っかかりとなった楽曲は?
「吟澪に死す」ですね。これをアルバムの1曲目にしようと決めて作りました。過去に作った楽曲も収録していますが「1曲目がこれだから、こっちは何曲目がいいな」と配置していったので、「吟澪に死す」を書いたことでアルバムの軸が決まりましたね。
──「龍凰童子」の1曲目「霓」で黒猫(Vo)さんの喉が治って完全復活した陰陽座を表現したように、毎作1曲目に重要な楽曲を置いていますよね。
そうですね。例えば、野放図に楽曲を出していって、なんとなく10数曲集まったところで初めて作品全体を見渡して「こういう名前のアルバムかな?」と考える……そういう作り方をしても、自由な音楽としていいものができると思うんです。でも陰陽座の場合は、最初にアルバムの名前もコンセプトも決めてからマテリアルをはめていく。ちゃんと決め込んで作っていっているのに「それで1曲目がこれかよ」という感じになってしまったら、なんのために方向付けをしているかわからなくなりますよね。1曲目に重きを置いていると捉えていただけてうれしいですし、こちらとしてもそこを外すわけにはいかないと思っています。
──「吟澪に死す」は、陰陽座がこれまでどんな思いで音楽を吟じてきて、そしてこれからどんな思いで吟じていくのかを表しているように感じました。瞬火さんはこの曲にどんなメッセージを込めたのでしょう?
端的に言えば、アルバムのタイトルとコンセプトそのものを歌っています。25年以上もバンド活動を続けさせていただいて、いよいよ後戻りできない段階に来た。ありがたいことに「自分の人生は陰陽座をやるためにあった」と言うしかないところに差しかかっていて。四の五の自分語りをするのではなく、この歌を、この音楽を聴いてもらって、それが陰陽座だと受け取ってもらって構わない。そういう信念を込めたのが「吟澪御前」であり、それをそのまま歌っているのが「吟澪に死す」ですね。
青空さえも黒紅に見える
──「吟澪に死す」で気になったのが、「ただ風に混じるわずかな己が音」というサビのフレーズです。陰陽座は風に混じるというよりも、風向きを変えるぐらい個性の強い楽曲を歌ってきた特異なバンドだと思うのですが、このフレーズはどんな意図で書かれたのでしょうか?
「音楽を作り、歌を歌うことが、自らの人生であり生き方そのものなんだ」と宣言しつつも、人類規模で見て大層なことをやっているのかと言ったら、まったくそうではないと思っていて。一陣の風の中で、聞こえるか聞こえないかぐらいのことをやっている。世の中からしたら取るに足らないようなものだろうけど、それでも「これが自分たちのやっていることなんだ」と歌いたい。「ただ風に混じるわずかな己が音」とは、要するにこの世界から見た陰陽座の音楽という意味ですね。
──「龍凰童子」のインタビューで、陰陽座が今どのフェーズにいるのかをお聞きしたときに「『上に行く』と言うと聞こえはいいんですけど、まあ上に行くから落ちるわけで。前に進めば落ちることはないですよね? だから陰陽座は上を見ていなくて、前だけを見てる。それをずっと続けてきた」とおっしゃいましたよね。「吟澪に死す」はそういった陰陽座の音楽に対する姿勢を示した曲にも感じました。
その姿勢は陰陽座の基本理念として変わらずにあります。自分の道を前に向かって進むことしかできないバンドなので、その信念を、言い方を変えながら常に歌っている。「吟澪に死す」もその1つですね。
──アルバム発売に先駆けて「深紅の天穹」を配信リリースされたのは、どんな意図があったんですか?
どれを先行配信曲にしてもよかったんです。決していい加減な意味ではなく、それくらい全曲に手応えがありました。ただ、例えばアルバムの1曲目は必ずアルバムとして最初に聴くときに初めて聴いてほしい、というようなこだわりがあるので「吟澪に死す」は先行配信できないし、というふうに考えていった結果、全体を通して勢いがあり、ある意味での陰陽座らしさも強い「深紅の天穹」がいいだろうと。正直「吟澪に死す」以外だったら、どの曲をぶつけてもよかったんですけど、この曲がちょうどよかったということですね。
──この曲は現代社会を憂いているように感じました。
社会というか世界というか、個人的にこの世の中に対して感じることを曲にしました。普通だったら青空を見て「今日はいい天気だな」「きれいな空だな」と思うところですけど、最近は青空さえも黒紅に見えるというか。ちっとも「いい天気だね」という気分にならない。そういうことを最近強く思っていて、空が終末感のあるまがまがしい紅に染まって見える。ある種のイデオロギーを抱えているからとか、特定の立場にいるからとか、そういうことではないんです。世界中の成人している人たちに「今のこの世界が、問題も、危機も、不安も不満もない素晴らしい幸せな世界だと思いますか?」と聞いて、首を縦に振る人間が何人いるのか? 相反する立場の人たちでも「いや、この世界は危ない」とみんなが一様に言うと思うんですよ。政治的な話とか思想的な話ではなく、もっと広い意味での危機を感じるんです。「深紅の天穹」では、その現状に絶望するだけじゃなくて、せめて叫びを上げるという意味で歌っています。
──この曲は瞬火さんと黒猫さんのツインボーカルをより堪能できますし、招鬼さんと狩姦さんのツインギターの魅力も全面に出ていますね。
ここまでボーカルのパートをちゃんと半分に分けたのはひさしぶりですし、確かに男女ツインボーカルのよさをしっかり発揮できていると思います。そして男女ツインボーカルだけじゃなくて、持ち味が違うギタリストが2人いるのも陰陽座の魅力なので、そこもいい感じに出ていると思いますね。
次のページ »
現代人にも通ずる“鬼の話”