DJ、選曲家としても活躍するライターの青野賢一が毎回1つの映画をセレクトし、映画音楽の観点から作品の魅力を紹介するこの連載。今回は1990年4月の日本公開から30周年を迎えた「
文
黒人の意識を鼓舞する「Fight The Power」
タイトルバックに続くオープニングシークエンスは、Public Enemyの「Fight The Power」に合わせて、
レコードから流れる音楽に乗せて
ダンスシーンに続く本編は、猛暑が予想される夏の日の朝8時、地元のFMステーション「We Love Radio」のDJ、ミスター・セニョール・ラブ・ダディ(
街の住民は黒人が多いが、それ以外にルーツを持つ移民も多い。サル一家のようなイタリア系のほか、ヒスパニックやアジアンなどだ。物語の中盤、そうしたさまざまな人種の人々が代わるがわる自分とは異なる人種の悪口をカメラ目線で言うくだりがあるのだが、これが実に痛々しい。この憎しみの連鎖を、ラブ・ダディがさえぎる。「そこまで! タイムアウトだ!」「ののしるのはやめて、みんな少し頭を冷やせ!」この街の住民は、各々不満を抱えつつも、なんとかそれらに折り合いをつけて生きている。「では以下の人々に感謝しよう」と、ラブ・ダディがレコードをかけながらジャズ、ソウルの偉人からヒップホップアーティストまで何十人もの名前を挙げる声に乗せて、街の人々の雑感を映し出すシーンは、本作の中でもひときわ美しいものだ(字幕は何人かの名前を端折っていて残念だが)。なお、このシーンは次の言葉で締めくくられる。「あんた方のお陰で──我々は毎日の暮らしに耐えている」。
矜持と哀愁を醸し出すビル・リーのオリジナルスコア
そんなギリギリ保たれている均衡は、サルの店の壁に黒人スターの写真を飾れと文句を言うバギン・アウト(
経緯こそまるで異なるが、今年5月のジョージ・フロイド氏の痛ましい死を思い出させるラジオ・ラヒームの死。バギン・アウトと遺体となったラジオ・ラヒームはパトカーで連行されるのだが、商店をやっている韓国人がパトカーを追いかけてガツンと殴るのは、さりげなくもこの街の良心のようなものを表しているように思う。しかし、この作品は何度観ても後味が悪い。冒頭に述べたように大団円、めでたしめでたしはこの映画にはない。なんというかやるせない空気が充満するのだ。
それぞれに自分が正しいと思うことを主張し、噛み合わない中でもどうにか日々暮らしている人々は、きっかけが与えられてしまったらあと戻りのできないところまで怒りや憎しみもあらわに爆発してしまう。当然ながらその根底には構造的な差別問題が大きく横たわっているわけだが、この作品では、それぞれのダメな部分といい部分を比較的公平に描いているように感じる。本作の後味の悪さは、おそらくそのあたりに起因しており、だからこそいつの時代に観ても考えさせられるのではないだろうか。音楽については、圧倒的に「Fight The Power」の印象で埋め尽くされてしまうのだが、加えて言えば、ビル・リーの手による既存楽曲以外のオリジナルスコア──演奏ではブランフォード・マルサリスらが参加している──は、この街に暮らす人々の矜持と哀愁が感じられるもので、極めて低い音量だが実に効果的で美しい。改めてご覧になる方はそこにも気を配ってみてはいかがだろうか。
「ドゥ・ザ・ライト・シング」
日本公開:1990年4月21日
監督・製作・脚本:スパイク・リー
音楽:ビル・リー
出演: スパイク・リー / ダニー・アイエロ / ロージー・ペレス / サミュエル・L・ジャクソン / ジョン・タートゥーロ / リチャード・エドソン / ジャンカルロ・エスポジート / ビル・ナン / ロジャー・グーンヴァー・スミス ほか
価格:DVD 1429円 / Blu-ray 1886円 (共に税抜)
発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント
※ 2020年9月時点の情報のため、変更になる可能性あり
- 青野賢一
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東京都出身、1968年生まれのライター。1987年よりDJ、選曲家としても活動している。1991年に株式会社ビームスに入社。「ディレクターズルームのクリエイティブディレクター兼<BEAMS RECORDS>ディレクターを務めている。現在雑誌「ミセス」「CREA」などでコラムやエッセイを執筆している。
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Kenichi Aono @kenichi_aono
音楽ナタリーの映画音楽連載、新しい記事が公開されました。何度観ても後味のスッキリしない作品ですが、それは現実を鋭く突いているゆえではないかと思います。/ドゥ・ザ・ライト・シング | 青野賢一のシネマミュージックガイド Vol.13 https://t.co/QfSpbruJZ7