中村吉右衛門が77歳で死去、尾上菊五郎・松本白鸚・松本幸四郎がコメント寄せる

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中村吉右衛門が、11月28日18:43に心不全のため、東京都内の病院で死去した。77歳だった。

中村吉右衛門(c)松竹

中村吉右衛門(c)松竹

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「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」より、中村吉右衛門扮する熊谷直実。(c)松竹

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吉右衛門は、急性の心臓発作を発症し、今年3月末から都内の病院で療養していた。最後の舞台出演は、3月に東京・歌舞伎座で行われた「三月大歌舞伎」の第3部「楼門五三桐」。同公演で、吉右衛門は初日から千秋楽前日の3月28日まで石川五右衛門役を勤めた。

吉右衛門は、1944年5月22日東京生まれ。八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)の次男。自身の祖父・初代吉右衛門の養子になり、1948年6月に中村萬之助の名前で初舞台を踏む。1966年10月に二代目吉右衛門を襲名。2011年に重要無形文化財保持者(人間国宝)、2017年に文化功労者に認定された。毎年9月には、初代吉右衛門の芸を顕彰し、その当たり役を自身が演じる毎年恒例の公演「秀山祭」を2006年から行っていた。

尾上菊五郎(c)松竹

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訃報を受け、尾上菊五郎は「長い役者人生を全身全霊で頑張られました。再び、一緒に舞台に立てることを願っていましたので残念でなりません。これまで幾度も同じ舞台に立ちましたが、菊之助の結婚を機に、縁あって親戚となり、孫の丑之助も生まれ、初お目見得や初舞台では共に孫の成長を喜び合いました。平成最後の舞台では『鈴ヶ森』で私が白井権八、播磨屋さんが幡随院長兵衛を勤めたのも深く印象に残っています。本当にお疲れ様でした」とコメント。

松本白鸚(c)松竹

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吉右衛門の実兄・当代松本白鸚は「別れは何時の刻も悲しいものです。今、とても悲しいです。たった一人の弟ですから。幼い頃、波野の家に養子となり、祖父の芸を一生かけて成し遂げました。病院での別れの顔は、安らかでとてもいい顔でした。播磨屋の祖父そっくりでした」と思いを語る。

松本幸四郎(c)松竹

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当代松本幸四郎は「叔父のお顔を見た時、初めて涙が溢れてきました。80歳で『勧進帳』の弁慶を勤める。必ず復活されてご自身の目標に向かわれる日が来ると信じていましたので、訃報を聞いてすぐにはこの事実を受け入れられる自分ではありませんでした。叔父は先人を敬い、その芸を体現し、芸術である歌舞伎を進化されてこられました。叔父の芸を永遠のものにするために、教えていただいた我々がその情熱を心に刻み舞台を勤めて参ります。いずれも様には、叔父をご愛顧くださり心より御礼申し上げます」とメッセージを送った。

なお葬儀は親族葬にて執り行われる予定。

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読者の反応

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itachi @dipdeepers

吉右衛門さんの訃報を今知った。
ショック。

中村吉右衛門が77歳で死去、尾上菊五郎・松本白鸚・松本幸四郎がコメント寄せる(コメントあり) https://t.co/9X1S64YvDA

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