ウティット・ヘーマムーン×岡田利規「プラータナー:憑依のポートレート」の詳細が発表された。
公演は8月22日から26日まで、タイ・バンコクのチュラロンコーン大学文学部演劇学科 ソッサイパントゥムコーモン劇場にて。オーディションで選出された11人の俳優が出演するほか、空間の演出やデザインを行うセノグラファーとして
ウティット・ヘーマムーンは、タイの激動の歴史と政治を背景に、自伝的な要素を織り交ぜた長編小説「ラップレー、ケンコーイ」で、東南アジア文学賞とセブン・ブック・アワードを受賞した、タイ文学界の新鋭。彼の新作長編小説を、チェルフィッチュの
上演に向けてヘーマムーンは「ぼくたち二人は芸術家だ。民族、それぞれが住む社会、コミュニケーションの言語がどのように異なっていようとも、創作を始めれば、共通点が生まれるー脆く、危険な、針金を這い登っていく。演劇の如きしぐさと身のこなしを生み出すために。美しく生きるためにー芸術創造の中で。だからこそ、なにがあろうとも、この舞台作品を見逃すべきではないのだ」とコメントしている。
岡田利規コメント
ウティット・ヘーマムーンによって紡がれた、怒りと悲しみから生み出されたエネルギーに充ち満ちている小説、現代のタイの社会に生きる芸術家の半生における性愛の遍歴が、芸術との遍歴が、そして、激しく揺れ動き続けるタイの政治状況・社会状況の中で格闘し、消耗し、スポイルされて無気力になっていく様子が描かれた、おそろしく濃密度で、挑発的で、痛々しいまでに切実な小説。それを原作にして、演劇をつくろうとしている。
わたしたちが身体に囚われて生きていること。身体の欲望に囚われて生きていること。国家に囚われて生きていること。国家の欲望に囚われて生きていること。それらのものに囚われるしかないまま、わたしたちが生と闘って、疲れて、歳をとっていくこと。そのことを、演劇の上演として、体現させようと考えている。誰も見たことのないような形式の演劇をつくりだすことによって。
2018年6月
ウティット・ヘーマムーン コメント
自身の作品が舞台演劇に翻案されていくさまを目にすること。それは喜びをはるかに上回る経験だ。心中の欲望が、現実のものになったのだから。抑圧され、語ることもできず、語らせてももらえず、自由を欠いたこの社会で、挑戦的であると見なされ、禁じられているものが、この物語には満ちている。非常に脆く、鋭いものが。この作品に信頼が寄せられて、岡田利規という、芸術的創造の思考と視点を十全に備えた演出家の手に渡り、舞台演劇へと脚色される。禁忌と挑戦が、ぼくたちの心を捉えるものになる。
ぼくたち二人は芸術家だ。民族、それぞれが住む社会、コミュニケーションの言語がどのように異なっていようとも、創作を始めれば、共通点が生まれるー脆く、危険な、針金を這い登っていく。演劇の如きしぐさと身のこなしを生み出すために。美しく生きるためにー芸術創造の中で。
だからこそ、なにがあろうとも、この舞台作品を見逃すべきではないのだ。
2018年6月
ウティット・ヘーマムーン×岡田利規「プラータナー:憑依のポートレート」世界初演・バンコク公演
2018年8月22日(水)~26日(日)
タイ チュラロンコーン大学文学部演劇学科 ソッサイパントゥムコーモン劇場
原作:ウティット・ヘーマムーン(“Rang Khong Pratthana”)
脚本・演出:
セノグラフィー:
演出助手:ウィチャヤ・アータマート
出演:ジャールナン・パンタチャート、ケーマチャット・スームスックチャルーンチャイ、クワンケーオ・コンニサイ、パーウィニー・サマッカブット、ササピン・シリワーニット、タップアナン・タナードゥンヤワット、ティーラワット・ムンウィライ、タナポン・アッカワタンユー、トンチャイ・ピマーパンシー、ウェーウィリー・イッティアナンクン、ウィットウィシット・ヒランウォンクン
関連記事
岡田利規のほかの記事
リンク
- 『プラータナー:憑依のポートレート』ウティット・ヘーマムーン(小説家)× 岡田利規(演劇作家、小説家)
- pratthana (@pratthanabkk) | Twitter
- Pratthana - A Portrait of Possession | Facebook
※記事公開から5年以上経過しているため、セキュリティ考慮の上、リンクをオフにしています。
shikakun @shikakun
最近よく、このページに書いてある岡田利規のコメントについて考える https://t.co/QNAvkbQIvv