2021年に上演された「あたらしい生活シアター」いなべ公演より。(撮影:松原豊)

菅原直樹がつづる「ゆるゆる狂気の旅路 ~OiBokkeShi 10年の歩み~」 第2回 [バックナンバー]

老いのプレーパークの広がる輪と受け継がれるバトン

2023年は特別な年だった

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劇作家、演出家、俳優、介護福祉士の菅原直樹が、「老いと演劇」OiBokkeShiを立ち上げて今年で10年。「老人介護の現場に演劇の知恵を、演劇の現場に老人介護の深みを」という理念に基づき、さまざまな状況・年齢の人たちと創作を続けている。本連載では、そんな菅原、そしてOiBokkeShiの10年間の歩みについて振り返る。第2回となる今回は、2023年に大きく展開した、老いのプレーパークについてつづる。

老いのプレーパークが三重から岡山へ

2023年は老いのプレーパークにとって特別な年となった。

老いのプレーパークは、三重県文化会館のアートプロジェクトの一環として2018年に結成された。老いや介護に関心を持つ人々が集まった“劇団”と言うとわかりやすいが、実際は形式にとらわれず、自由でのびのびとした集団だ。これまでに「老人ハイスクール」や「あたらしい生活シアター」などの作品を発表し、年に一度の公演を続けてきた。

現在、この活動を三重県内に広めようと、三重県文化会館がある津市から飛び出して、いなべ市、尾鷲市、名張市など三重県内の他の市町で公演を行なっている。2025年2月には、志摩市で「あたらしい生活シアター」を上演する予定だ。

そんな老いのプレーパークが5年目を迎えた2023年が特別な理由は、その活動が岡山にも広がったことだ。

この年の秋、岡山市に新しくオープンした岡山芸術創造劇場ハレノワで、岡山版老いのプレーパークが結成された。そして翌年2月には、三重と岡山の合同公演「老人ハイスクール/いざゆかん」を上演。岡山メンバーが制作した「老人ハイスクール」と、三重メンバーによる「いざゆかん」の2本立て公演が、ハレノワと三重県文化会館で上演された。

三重メンバーにとって念願の岡山公演であり、岡山メンバーにとっては結成間もない中での大きな挑戦となったが、互いに刺激を受け、老いのプレーパークが掲げる「老いることを前向きに捉え、共に表現を楽しむ」というスピリットがさらに強まったと感じている。

2024年に上演された「老人ハイスクール/いざゆかん」より。(撮影:冨岡菜々子)

2024年に上演された「老人ハイスクール/いざゆかん」より。(撮影:冨岡菜々子)

2024年に上演された「老人ハイスクール/いざゆかん」より。(撮影:冨岡菜々子)

2024年に上演された「老人ハイスクール/いざゆかん」より。(撮影:冨岡菜々子)

受け継がれるバトン

ただ、2023年が特別だったのはそれだけではない。長年活動を共にしてきた三重メンバーの2人が、この年と翌年に亡くなったことも大きな出来事だった。

柊木茂雄さんは、92歳のときに娘の辻屋康子さんと共に老いのプレーパークに参加し、最年長メンバーとして活動していた。いつもスーツ姿で、ジェントルマンな振る舞いが印象的だった。2019年の「老人ハイスクールDX」では、寝たきりの父親役として出演。特別養護老人ホームでの看取りを描いた物語の中で、柊木さん演じる父親がベッドに横たわる姿は、物静かでありながら愛嬌のある存在感を放っていた。

その後、柊木さんは特別養護老人ホームに入所し、コロナ禍の2021年には生の舞台出演が難しくなったが、家族や介護職員の支えのもと、オンライン稽古を通じて「あたらしい生活シアター」に映像で出演した。

「あたらしい生活シアター」の劇中で上映されたオンライン演劇の様子。

「あたらしい生活シアター」の劇中で上映されたオンライン演劇の様子。

2024年初頭、柊木さんの体調が悪化し、看取りの時期を迎えたと、娘の康子さんから連絡があった。老いのプレーパークのメンバーや僕も、稽古の前後に見舞いに行った。言葉を発することはできなかったが、僕のことを認識し、「また一緒に舞台をやりましょう」と声をかけると、柊木さんは力強く手を握り返してくれた。握手を通して、動けなくなった身体の奥に、いつもの若々しい柊木さんの姿があるように感じた。

その翌日、「老人ハイスクールDX」で息子役を演じたくるぶしさんが見舞いに訪れ、柊木さんの枕元でギターを演奏した。「老人ハイスクールDX」では、引きこもりの息子がベッドに横たわる父親にギターを演奏する場面があり、現実と演劇が溶け合うような不思議な感覚を覚えた。その数時間後、柊木さんは永眠した。

2019年に上演された「老人ハイスクールDX」より、(撮影:松原豊)

2019年に上演された「老人ハイスクールDX」より、(撮影:松原豊)

「あたらしい生活シアター」に出演した池田由美さん(写真右)。(撮影:松原豊)

「あたらしい生活シアター」に出演した池田由美さん(写真右)。(撮影:松原豊)

もう1人のメンバー、池田由美さんは2023年10月に亡くなった。由美さんは、地元で長く演劇活動を続けてきたベテランであり、老いのプレーパークでもチームを引っ張る存在だった。しかし、春に体調を崩し、原発不明がんと診断された。それでも岡山公演を心待ちにしており、夏の終わりには僕に電話をかけ、「もっと舞台をやりたかった」と悔しさを口にした。おそらく、老いのプレーパークメンバーの誰よりもOiBokkeShiの看板俳優・岡田忠雄さんとの共演を楽しみにしていた。

「あたらしい生活シアター」より。(撮影:松原豊)

「あたらしい生活シアター」より。(撮影:松原豊)

秋に、由美さんの自宅を訪れた際、由美さんはベッドに横たわりながらも、舞台に立てないことへの無念を感じている様子だった。僕は「由美さんに捧げる舞台を作ります」と約束し、由美さんの手を握った。その手もまた、力強く握り返された。

三重メンバーが創作した「いざゆかん」の主人公・歌子は、由美さんを想定して書いた。認知症となりながらも、自分らしく老いていく力強い女性。公演では、佐脇柚さんが紫色に髪を染めてその役を演じた。紫色の髪は、由美さんのトレードマークでもあった。

「いざゆかん」の歌子を演じる佐脇柚さん。(撮影:松原豊)

「いざゆかん」の歌子を演じる佐脇柚さん。(撮影:松原豊)

舞台が彼らを受け止める

老いのプレーパークのメンバーはそれぞれにさまざまな事情を抱えている。難病や認知症、親の介護──そういった現実に対峙しながらも、彼らは舞台と向き合っている。最初、僕は演出家として、こうした人生を受け止められるのかとプレッシャーを感じていたが、稽古を進めていくうちに、舞台そのものが彼らを受け止めるのだと気づいた。

舞台は、どこまでも寛大だ。1人ひとりの人生と思いが役を通じて交差し、それぞれにとって大切な意味が見出されていく。「老人ハイスクール/いざゆかん」は、作り手である僕らが当初想像していた以上のものが出来上がったように感じる。ストーリーや登場人物の枠を超え、それぞれの人生や思いが舞台の上で溢れ出たような公演となった。

「老人ハイスクール/いざゆかん」より。(撮影:冨岡菜々子)

「老人ハイスクール/いざゆかん」より。(撮影:冨岡菜々子)

「老人ハイスクール/いざゆかん」より。

「老人ハイスクール/いざゆかん」より。

活動を5年続けてきて、これまで関わったメンバーが作り上げた役は、その意志を受け継いだ新たなメンバーによって演じられ、その役に関わったすべての人と共に舞台のその瞬間に「生きる」ということを実感した。

柊木さんも由美さんも、きっとあの舞台に一緒にいてくれただろう。老いのプレーパークは、これからもさまざまな人々の人生や思いをのせて、上演を続けていく。

菅原直樹 プロフィール

菅原直樹(撮影:草加和輝)

菅原直樹(撮影:草加和輝)

1983年、栃木県生まれ。桜美林大学文学部総合文化学科卒。「老いと演劇」OiBokkeShi主宰。青年団に俳優として所属。2010年より特別養護老人ホームの介護職員として勤務。2012年、東日本大震災を機に岡山県に移住。認知症ケアに演劇的手法を活用した「老いと演劇のワークショップ」を全国各地で展開している。松井周作・演出「終点 まさゆめ」に演出協力と出演で参加。11月から来年1月にかけて、岡山・三重・埼玉で公演する。

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