そのとき、何を思い、何をしましたか? 第3回 [バックナンバー]
少しずつ前へと進む、劇作家、演出家、俳優、舞台スタッフたち
──長い眠りについた劇場、そして舞台人たちの思い
2020年4月29日 19:00 26
ダムタイプ
ダムタイプは、ロームシアター京都で、3月28日・29日に予定していた新作パフォーマンス「2020」公演が、3月23日に公演中止となりました。
ロームシアター京都としては、ウイルス感染防止対策を最大限検討しつつ、ぎりぎりまで公演の準備を進めていましたが、最終的に主催者である京都市の判断により公演は中止となりました。
約1年半にわたって制作に取り組んできた作品の初演が中止になったことは極めて残念ですが、私共ダムタイプとしても、この新型コロナウイルスの感染拡大の危機的状況においては、お客様や劇場スタッフ、メンバーおよび関係者の皆様の安全のためには、公演中止という判断は正しい判断だったと思っています。
このような困難な状況の中、直前まで粛々と準備を進めてくださり、また公演中止決定後にはチケットの払い戻し等の対応作業に当たってくださっているロームシアター京都のスタッフの方々には心から感謝しています。
【公演中止】ダムタイプ 新作パフォーマンス『2020』 | ロームシアター京都
堂本教子(舞台衣裳家)
イベント自粛要請が出された2日後の2月28日は、私にとっては異例の公開トークが歌舞伎座ギャラリーで行われることになっておりました。急きょ中止になり楽しみにしていただいていた知人、友人に急ぎ「またやることになったら、ぜひ来てくださいね」とお知らせ。3月の中旬にはいつもの日常が戻るものと、どこか遠い国の出来事のようにのんきに思っておりました。
しかし公開トークどころではなく、参加することになっていた舞台公演が次から次に中止・延期になり、公演間際の中止のことを聞くと、時間をかけて創り上げられた舞台芸術が世に出ないことに、心が折れる思いでした。
この空白期間に気付かされたのは、私にとって舞台芸術に携わることはもちろん、観客としてそれらを目撃してゆくことが、エネルギーチャージになっているのだということです。これからどこで私のエネルギー補給していくのか、じっくり考えていきたいと思っています。
また、今回の苦難がさらなる新しい舞台芸術の始まりになってゆくことを、切に願ってます。
KYOKO88%|堂本教子(舞台衣裳家・堂本教子の制作作品の紹介)
徳永京子(演劇ジャーナリスト)
3月は約40本の公演を観る予定でした。実際に観られたのは20本ですが、観劇できたものもそうでないものも、1日単位で予定が変わる日々でした。ご招待を受けていた公演で、初日延期→日程を再調整→結局中止というものがいくつもあり、その間の制作の方々のご苦労を思うと言葉がありません。ちなみに4月の劇場での観劇本数はゼロです。
当初は「上演を決めた団体を観ることで応援したい」と考えていましたが、3月25日の小池都知事の緊急記者会見を機に、私だけでなく東京の演劇関係者の多くに、それまでと違うギアが入った気がします。2月26日の大規模イベント自粛要請より深いギアですね。
仕事はもちろん減っていますが、今、考えているのは、書くことが根幹から問われ直しているということ。私はこれまでひたすら劇場に通って皮膚感覚を敏感にする、つまり足で書いてきましたが、それが当分できない。オンラインの演劇はそれぞれ付帯条件が異なっていて批評の軸をどこに置くか迷っています。ほどなく生まれるであろう新しい形の演劇を待ちながら、自分が足場にできる演劇の本質を探しています。
徳永京子|note
徳永京子 (@k_tokunaga) | Twitter
泊篤志(劇作家・演出家 / 飛ぶ劇場)
2月下旬、台本の北九州弁への翻訳・方言指導として関わっていた舞台が初日のみ上演し、翌日以降すべて中止になった。北九州芸術劇場の主催事業だったこの公演は「北九州市が主催するすべてのイベント等が中止」となったことで漏れなく中止となったのだ。自分が作演出した作品ではないけれど、作り上げてきた舞台を観客に届けられないというのは初めてのことで、気持ちをどこに向けていいのかよくわからなかった。3月に入ってからは自分が関係した舞台が続々と中止や延期になっていった。当初は「何らかのカタチで上演したい、届けたい」と画策しようとしたが、やがて事態が深刻になるにつれ「安心してお客さんを迎えられるようになるまで延期やむなし」と気持ちも変化していった。悔しさから諦めへといったところか。これらほぼ全て「公共」が主催者だったので自分の意志が入り込む隙はなかった。逆に自分の劇団公演ではなかったので経済的なダメージはさほど大きくなかった……というのは不幸中の幸いだったか。そして今「延期になった舞台をいつ上演するのか?」という問題に直面している。コロナ騒動はいつ収束するのか、いつ舞台を始められるのかがまったくわからない。これが4月下旬、緊急事態宣言下における最大の苦しみ。
飛ぶ劇場
ブログトマリ
泊篤志〔飛ぶ劇場〕 (@tmr_atc) | Twitter
中島諒人(演出家 / 鳥の劇場 芸術監督)
当劇場では、大型連休の公演を無観客ライブ配信により実施する。演劇の「生」にこだわりたくて、8回の配信を全部ライブでやる。最後に芝居のテーマ曲を、観てくれた人と一緒に歌い、それぞれの場所と劇場をつなぎたい。さらにそれぞれの歌声を録音して送ってもらい、合唱にしたいとも考えている。劇場の新しい在り方を試行する機会として前向きに捉えようとしている。
課題は山積みだ。当劇場も助成金によって支えられている部分が大きいから、売り上げ減は、事業規模の大きな縮小につながる。20名のメンバーが、演劇人としてフルタイムで生活している現状をどのように維持できるか、日々頭を悩ませている。
世界でそして日本でも、この伝染病が新しい、より深い社会的分断を生んでいる。共に考え、共に悩み、共に怒り、共に喜ぶ場として、劇場の役割はますます高まるだろう。最終的な収束まで数年という予測の中、運営基盤の強化が急務だ。
BIRD Theatre Company TOTTORI 特定非営利活動法人鳥の劇場
鳥の劇場 (@bird_theatre) | Twitter
長塚圭史(劇作家・演出家・俳優 / 阿佐ヶ谷スパイダース・新ロイヤル大衆舎)
KAAT神奈川芸術劇場においてインフルエンザにより中止となった公演を目の当たりにしたこともあり、ウイルスと演劇の相性が極めて悪いことについて考えていたところだった。それゆえ忍び寄る新型コロナウイルスに対して比較的早くから警戒心を抱いていたのだが、パンデミックにまで拡大するとは思ってもいなかった。
6月の新ロイヤル大衆舎の延期を決めたのは4月14日。緊急事態宣言の発令もあり、5月1日からの稽古が現実味を失っていたことと、稽古中の俳優及びスタッフ陣の安全の問題、また上演の可否が不透明な中で券売の見込みが立たないゆえ、リスクが大き過ぎるという判断だ。参加してくれるはずだった方々とは再会を約束し、
大堀こういち、福田転球、山内圭哉と私のメンバー4人で、上演期間中に何かしらしようと「緊急事態軽演劇」というタイトルだけは決める。何をするのか、どこでやれるのか日々協議している。50歳前後の4人でこれだけリモート会議をすることになるとは思わなかった。
オンラインでの表現を探らざるを得ないこの状況下、私も当然考えるのだが、原始的な思考に立ち戻ってばかり。オンラインは思いがけずとても便利だが、演劇的ではない。こう言い切ってしまう自分を苦々しく思ってまた煩悶する日々である。
どのような形で演劇が再開できるのかはまだわからないが、できれば多くの劇場が、さあまた始めるぞと一斉に劇場の扉を開けないものか。横目でチラチラ探るのではなく、一斉に。いずれにしても、現在そして未来の劇場、演劇の在り方、非常時における表現者の生活の維持、膨大な課題と向き合う機会であることは間違いない。
長塚 圭史 | 鈍牛倶楽部 -- DONGYU OFFICIAL SITE
阿佐ヶ谷スパイダースWEB
新ロイヤル大衆舎「無法松の一生」
那須佐代子(俳優 / シアター風姿花伝 支配人)
私は俳優業と小劇場運営を行っている身です。俳優として、公演の縮小・中止によるダメージももちろんありましたが、劇場にとっては、私個人のレベルでは語れないほど大きな、そして全国の劇場がもれなく存亡に関わる打撃を受けていると感じています。
振り返ると、この3月は「自粛」というあいまいな線引きで非常に悩ましい月でした。民間の小劇場としては、借主である主催者の意思ある限り公演を続行するというスタンスでした。中止する団体と続行する団体は半々で、劇場としてできる限りの衛生対策は施しましたが、日に日に増える感染者数に気が気ではない毎日でした。当時はクラスター発生源として「ライブハウス」がやり玉に上がっていた頃で、このタイミングでどこかの「小劇場」がクラスターを出したら最後、すべての小劇場が世間から総攻撃にあってしまうだろうという危機感でした。
やがて緊急事態宣言が出て、劇場にとって命を懸けた問題はここからがスタートなのだろうと思っています。この状態がどこまで続くのか。演劇にお客様が戻ってこられるようになったとき、果たして自劇場は存在していられるのか。
良い方策はまだ見つかっていません。
シアター風姿花伝
波乃久里子(俳優 / 劇団新派)
2月16日に新橋演舞場で開幕した「八つ墓村」に出演しておりました。
横溝正史先生のミステリーを新派版としてお届けする新作に、昨年のスチール撮影から気合いが入っておりましたし、1月に始まったお稽古も活気にあふれておりました。
初日の幕が開くと、お客様からうれしい反応を頂戴しましたもので、27日を最後に3月3日まで予定していた残りの公演が中止と聞いたときには、残念でなりませんでした。
「評判を聞いてますます観たかった……」とおっしゃっていただく機会に触れるにつけ、大変に残念で悔しくもあります。でも、何より生命あってのもの。生きていれば、またお会いできますし、その悔しさは次の舞台に向かう底力になります。
父勘三郎の舞台に立った初舞台から、今年でちょうど芸歴70年を迎えますけれど、このような状況は初めてのことです。
私は舞台に立っているときに初めて、自分の生を実感できるようです。ですから、早く事態が収束していただかないと、生きた心地がいたしません……困りますね。
舞台はご覧いただくお客様がいらして成り立ちます。皆様も、くれぐれもお身体にお気を付けになられて、お健やかにお過ごしくださいませ。お会いできる日を楽しみにしております。
波乃久里子 | 俳優名鑑 | 劇団新派 公式サイト
波乃久里子/新派特別公演『八つ墓村』コメント動画 - YouTube
野上絹代(振付家・演出家・俳優 / 快快)
「カノン」の公演中止を告げられたのは劇場入りの日。政府から文化イベントの自粛要請が出た日だった。私は主催者ではないので、もし中止と決まれば受け入れる覚悟はしていた。
劇場からの提案で、当初の初日(3月2日)に記録撮影する運びとなり、それまではキャスト・スタッフと仕事ができることになった。初打ち合わせから1年半、オーディションも経て丁寧に作り上げた座組みだ。本当にいいチームで、仕事ができることが幸せだった。
3月2日。非公開とはいえ、初日で千穐楽なので全体的にかなり力は入っていたが、それでも前日の通し稽古から飛躍的に完成度が上がっていた。もともと劇場で公演することにこだわらない活動をしてきたが、身体のほとばしり、野田さんの言葉、客席に迫る舞台美術は間違いなく劇場で観るのがふさわしく思えた。たった1回のみ許されたこの時間を「いにしえの貴族の遊び」と呼び気持ちを保った。最高の人員を集め、ぜいたくに劇場を使ったまさに夢の公演だった。
覚悟していた中止とはいえ、予定通り16回上演されていた未来を想像すると簡単に悲しくなったし、まだ3月の初め、いつも通り電車や駅に人があふれているのを見ると簡単に怒りが湧いた。
この一変してしまった世界では絶対的に大事なものだけに集中していないと、相対的に自分を憂いて気持ちの分断を生んでしまうことを学んだ。
私にとって絶対的に失くせない表現とは何か、演劇の何を大事にしているのか、いただいたたくさんの励ましの言葉と共に今ゆっくり考えている。
野上絹代 | 快快 -FAIFAI-
野上絹代 (@silkgeneration) | Twitter
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山西惇 @8024atc
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