おんがく と おわらい 第6回 [バックナンバー]
いとうせいこうが語る「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」が結びつけた音楽と笑い
それはコントが終わり、暗転の中で大音量の音楽が流れた瞬間から始まった
2022年11月28日 18:00 61
かっこよすぎる田島貴男を見ると、人間は笑う
──宮沢さんといとうさんの音楽的なコンセプトは、ラジカルのほかの皆さんにすぐ伝わったんですか?
みんなは音楽のことなんて何も考えてなかったと思う。でも、誰かがひと言ポンと言って、暗転すると同時に音楽がかかる快感。そこで客席から笑い声が聞こえるっていうのは、ものすごく気持ちがいいんですよ。そうなると「最後のセリフはちょっとデカすぎたな」とかいろいろ調整するようになるし、それは茂一さんに習わなくても舞台でやればわかってくるから。自動的に音楽とお笑いが、お互いに高め合うことになっていくんだよね。この連載で(大竹)涼太が「音楽とお笑いが一緒にやるのは難しい」(※参照:おんがく と おわらい 第4回 大竹マネージャーが考える音楽とお笑いの“対立した緊張関係)って言ってたじゃない。やっぱり演出があったうえで出会うから効果があるのであって、面白い音楽、コミックソングがただ面白いかといったらそれは違うんだよ。
──コミックソングが一番難しいですよね。
音楽に乗っちゃうと意識がそっちに向いて、ギャグとして聞けなくなっちゃうから。今「
──笑いに対して、音楽が流れてきたときの身体的な支配力が強いということなんでしょうか。いとうさんもリコメンドされているコントユニット「
そうなっちゃうんだよ(笑)。でも、そういうトライはしていくべきで。ある意味での両立しなさが面白いんだよな。音楽で動物的に盛り上がる部分と、ロジカルに笑う部分と。もちろん動物的な笑いもあるけどね。笑いはさまざまな現象として現れるから。カッコいい音楽を聴くとつい笑っちゃう、ということもあるわけでしょ。一時期、俺の事務所に
フロイトと人間国宝は同意見
それこそエノケン・ロッパの頃から、ドリフターズ、クレージーキャッツから何から、バンドマンがコメディをやるのが当たり前だったわけだけど、それはどう考えても笑いがリズム感を必要とするものだからなんだよね。リズム感のない人が同じセリフを同じ声量で言ったとしても面白くはならない。タイミングが違うんですよ。そういう意味で、笑いには音楽的な素養が絶対必要になってくる。実際に音楽をやっているかは別として。
──共通するセンスとしてのリズム感ですね。
面白いもので、ツッコミは何回か舞台を重ねるうちに「ここウケないな」という部分のタイミングをだんだん調整していくから、「ここだ!」っていうタイミングが見つかるわけ。そうして1回ドカンとウケたら、二度とそのリズムとタイミングを外さないんだよね。もう食らいついたら離さないオオカミみたいな連中だから、ツッコミは(笑)。でも、ボケの人はやっぱり揺れるよね。
──ツッコミという鉄壁のリズム隊の上で、ボケがギターソロを弾いてる感じでしょうか。
それも変なギターを弾いてるんだよ(笑)。それでもちゃんと32小節に収めるのがツッコミの役割で。お客さんもちゃんと8の倍数の小節数で終われば気持ちいいということが確実にあると思うんです。きたろうさんは俺の師匠なんだけど、師匠から教わったことが1つだけあって、「ボケやツッコミのタイミングを外しそうになったら咳をしろ。客にはほぼ聞こえないから大丈夫」と。セリフの前に自分だけの間を作るということなんだけど、これをやると確実にウケる。
──リズムが上滑りしそうなところにブレイクを入れる感じですか。
そうだね。その間を入れることで感情も入っていくから、セリフも複雑になる。音楽やテンポがあるから、人間がそういう気持ちになっていくと考えたほうが科学的かもね。
──型に人間が合わせていくと。
そうそう。その型を利用して笑いが生まれやすくするというのが僕らの仕事なんだろうな。
──以前、芸人さんの出囃子について取材したことがあるんですが、
へー、じゃがたらなんだ。
──やはり、その芸にハマるテンポ、BPMというのがあるんだなと。
それは絶対そうだよね。僕がピン芸をやるときはリントン・クウェシ・ジョンソンが「ジョージ・リンド!」って叫んでる曲(「It Dread Inna Inglan(For George Lindo)」)を使ってたんだけど、まず自分がアガる。それでシリアスな感じにしておいて、ひと言目で落とすと客もこっちの味方になるというか。お笑いに限らず、歌舞伎でもなんでも舞台には出囃子というものがあるから、ある種、動物を制御するための手段ですよね。
──劇場空間を整備・調整するために音楽が機能しているんですね。
言葉ならざるメッセージなんだよね。でも、リズム感をセンスのない人に教えることはすごく難しい。「ちょっと早いな」と思ったら稽古場では直せるけど、根本的には無理。フロイトも「センス・オブ・ユーモアは生まれつきのものだ」と言うんだけど、そのセンス・オブ・ユーモアの中にはリズム感も含まれてると思う。俺がもう1人尊敬してやまない竹本住太夫師匠という、人形浄瑠璃の人間国宝だった人がいるんだけど、異常な量の稽古をしてるんですよ。何十年と稽古を重ねて鍛えているという面白い話が聞けたんだけど、最後に「まあ、芸は生まれつきやね」と言ったんだよ。
──そんな残酷な!(笑)
泣かせるにせよ笑わせるにせよ、そういうふうに生まれてきてる人がいるから、いかにそれをさらなる高みに持っていくか、ということだと。驚いたよね(笑)。でも、芸とはそういうものなんだろうなと思いました。
思考停止のタップダンス
──大竹さんがご自身のラジオで宮沢さんのお話をされてたんですが、「宮沢は緞帳という言葉も知らなかった」とおっしゃっていました。ある種の「素人だけどやる」というスタンスは、時代的にもパンク / ニューウェイブ的な価値観の影響があったかと思うんですが、いかがですか?
うん、80年代は「やっちゃえ」という風潮があったよね。それに金を出すプロデューサーもいたし。何もないところから作り出すという意味ではヒップホップ的でもあるよね。今だってそれこそ明日のアーとか
──当時はNSCができたばかりで、まだ演芸的な徒弟制度が根強い中、いとうさんはそこからも自由な出自で。
そういうのが嫌だと思ってたから。のちに僕は長いこと住むことになるけど、当時の浅草は古びていてひどい状態だった。もちろん、そっちの演芸の世界でも音楽は大事にされてたから、(ビート)たけしさんはタップを習ったわけなんだけど、そのあとの世代はなんでタップを習ってるのかわからなくなっていたと思うんだよ。タップでリズム感を養うことが大事だよってことでしょ。
──この連載でヒコロヒーさんが「(ほかの芸人のライブを見て)『あの音楽の使い方は痺れたな』というのはあまり思い浮かばないんですよね。でも、それは選曲がいいからだと思うんです。(中略)逆はめちゃくちゃあるんですよ。『このライブ、音楽ダサッ』っていう(笑)」(参照:第3回 ヒコロヒーから考える「お笑いライブと音楽」)とおっしゃっていて。浅草のタップと同じで、「ライブの幕間には音楽をかけるものでしょ?」という思考停止に陥っているとむしろマイナスになるというか。
「なんか曲かけとけばいいよね」となると、そういう状態になっちゃうよね。テンポにしても、音色にしても、曲をかけるタイミングにしても、正解があるはずだから。
──ラジカルが最初にこの手法を発明したときには、そうすべき明確な理由があったわけですよね。
やっぱり稽古場が豊かだったということなんだと思う。宮沢さんがコントの設定を持ってきても、なかなか稽古が始まらない。「こういうふうにやると見たことある感じになっちゃうな」「あの映画で似たシーンがあるぞ」みたいな話を延々としてるの。そのうち「じゃあ、こうしたらいいんじゃないか」となって、ようやく立つんだよね。それは本当にクリエイティブな空間だった。僕は講談社を2年半で退職するんだけど、そのときの夢はラジカルのみんなで同じ家に住んで、7段ベッドに寝て毎日コントのことを考えるという生活だったんだよ。
──「僕たちずっと一緒だよ」という(笑)。
今考えるといかにも子供っぽいけど、本人たちにも言ってたからね。「このちっちゃい子は何言ってるんだろう」って感じだっただろうけど(笑)。やっぱり「ずっと考える」という場がよかったんだよな。
本当に面白いものは簡単には観られない
──ラジカルの当時の公演映像はソフト化されていません。
裏ビデオみたいにダビングされた映像が、どこからか回ってきたって(カンニング)竹山くんが言ってた(笑)。宮沢さんが亡くなっちゃったから、どうにかして観れるようにしようかなとも思っているけど、今観ると昔なりの演技力と構成だし、音楽の音量の問題とかも含めて、観れないほうがいいのかなとも思うんだよね。
──伝説は伝説のままにしておくほうがいい、というか。
そのほうがみんなクリエイティブな状態でいてくれるから。全部観れちゃうというのも面白くないじゃない。今度
あんなに公演がDVD化されていて、それを観て芸人になった人も多いシティボーイズの一番面白いコントがどこにも残っていないという(笑)。これがすごく大事なことだよね。「どんな内容だったんだろう」と想像できることこそが財産だと思う。
──ラジカルが観られなかったからこそ、下の世代の想像力が刺激されたというのはありますよね。あと、宮沢さんがラジカルとベクトルの違う演劇に進んだことも大きいのかなと。
それはあると思う。宮沢さんたちと笑いの科学者になってずっと考えてるような、あのクリエイティブな感じをまたやりたいと思っていて。大北とか
いとうせいこう
1961年3月19日生まれ、東京都出身。早稲田大学在学中からピン芸人としての活動を始動し、情報誌「Hot-Dog PRESS」などの編集を経て、1985年に
※記事初出時、本文と画像のキャプションに誤りがありました。お詫びして訂正いたします。
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いとうせいこう @seikoito
ラジカルについて久しぶりに話しました。 https://t.co/8V48GF78T3