アーティストの音楽履歴書 第15回 [バックナンバー]

益子寺かおり(ベッド・イン)のルーツをたどる

Shakatakで踊り、バブルごっこに興じたベッド・イン結成前夜

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デス声なら音痴も関係ないのでは……?

高校では軽音楽部に入ったんですけど、寄せ集め的に組んだバンドだったから、メンバーごとにヤりたい曲もバラバラだし、最初はいわゆる女子校にありがちな“なんとなく可愛いイキフン”のフワっとしたバンドになっちゃって。そんな自分を変えてくれたのが、交流があった近所の男子校の軽音楽部の人たちでした。合同でライブをやったときに、彼らは自分たちの好きなことを誇りを持って全力でヤッていて、モッシュして、ダイブして、男を謳歌してる様がたまらなくカッコよくて、処女的衝撃(ヴァージンショック)!を受けたんです。圧倒的な熱量と意識の差も感じて、うらやましかった。当初自分のバンドは全然相手にされなかったことが悔しくて「この人たちに認められるようになりたい」と思ったし、ナオンというレッテルを外して、同じ土俵で戦いたいと思うようになりました。

ギター&ボーカルだった高校時代。ドリームデストロイヤーでデス声を放っていた。

ギター&ボーカルだった高校時代。ドリームデストロイヤーでデス声を放っていた。

そこで自分も好きな曲をやってみようと、高2になって女子3人でTHE MAD CAPSULE MARKETSやYELLOW MACHINEGUNのコピーバンドを始めるんです。組んだバンドの名前が「ドリームデストロイヤー」(笑)。まだ怖かったけど、人前で歌いたいって気持ちは残ってたので「デス声なら音痴も関係ないのでは……?」ってひらめいて、やってみたら全然ダイジョーブイだったんですね! 特に女の子ってデス声を出すほうが勇気がいると思うけど、自分にとってはメロディを歌うことよりも断然ハードルが低かった。何より好きな曲をバンドで演奏できることや、誰かと一緒に1つのものを作り上げる達成感をわかち合えることがうれしくて、ギターボーカルに転身して以降は、朝から晩まで、ごはんを食べることも忘れて練習に没頭しました。女の子のデス声が珍しかったこともあって、このバンドを始めてからは一気に男子校の人たちが認めてくれるようになり、少しずつステージに立つ自信もついてきました。ほかにも、マイナーリーグ、BRAHMAN、THE BACK HORN、cocobat、GARLICBOYS、Hi-STANDARD、System Of A Down、The Offspring、Pantera、Hatebreedのコピーもしましたね。メロディのある曲も歌うようになって、音痴コンプレックスも徐々に解消されていったんですが、高3年になると受験でバンドメンバーはみんなドライな感じで辞めていき、結果ドリームはデストロイされてしまいましたとさ(笑)。

学校には同じ音楽の趣味の子もいなかったし、あまり居場所もなかったので、話が合う男子校の子たちとの関係がうれしくて、しょっちゅう一緒に遊んでました。オススメの音楽を教えてもらったり、負けじと自分も知識も増やすべく、行きつけのレンタルショップのお得デーを見つけては、まとめてレンタルをして“お気に入りMD”を作ってました。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTやBLANKEY JET CITYを聴くようになったのも、中森明菜さんや山口百恵さん、浅川マキさんをはじめ、昭和歌謡をオケカラで練習するようになったのもこの時期でした。なかでもアン・ルイスさんのたくましい声に憧れて、太い声が出るように水面下でシコシコ特訓もしてましたね。

プログレロック×歌謡曲の折半、「妖精達」結成

大学ではデス声に頼らずに、女性ボーカルの曲も歌えるようになりたい!と決意して。それで入学式の日に、軽音サークル勧誘の名簿に同じタイミングで名前を書いていたのが、妖精達のベーシスト、バンデラス・ハセガワだったんです。その名簿に“好きなバンド”を書く欄があって、ハセガワが書いてたのが「X JAPAN」! 「ヤダ! 超信頼できる……!」と思って、すぐに熱いモーションをぶっかけました。ハセガワとは学部も一緒で音楽の趣味も合ったからすぐに仲良くなって、一緒にメンバーを探して妖精達を結成しました。一方で聴く音楽はさらにGスポットを開拓していき、エレクトロニカや実験音楽、民族音楽、ノイズとかにハマって。BOREDOMS、ROVO、山本精一さんのソロ活動、渋さ知らズオーケストラ、Mum(※uはアキュート付き)、Warp RecordsのBattles、エイフェックス・ツイン、Clarkとかをよく聴いてました。ニューウェイブも聴くようになって、邦楽だとSOFT BALLETやバブル時代にしか活動していなかったGRASS VALLEYが特に好きになりました。周りから「青田典子さんに似てる」とよく言ってもらうようになったのをキッカケに、C.C.ガールズさんやバブル時代に興味を持ち始めたのもこの辺だったと思います。バイトをしながら、フェスやライブに行き、徐々に昭和歌謡のレコードも集めるようになりました。

2013年頃の妖精達のライブで歌うかおり。

2013年頃の妖精達のライブで歌うかおり。

オリジナル曲を作り始めたのは大学2年生くらい。妖精達はメンバー全員、音楽の趣味も普段の嗜好もまったく違ったこともあり、当時はまだ、ちぐはぐなバンドでした。私は憧れの中森明菜さんの「TATTOO」みたいなドレッシーな衣装でキメたかったんですけど、ほかのメンバーからTシャツとGパン以外は着たくないと断固拒否され……(笑)。結果、私だけドレス姿。MCも当時から私は今と変わらないイキフンでしゃべっていたこともあり、SF(少し不思議)なバンドに……でも全員、男勝りなくらい各楽器に対しての愛が強く、バリバリの職人気質ぞろいだったので、音の化学反応がガチッとハマった瞬間が最高に気持ちよくて! おのおのの持ち味や魅力をうまく織り交ぜたオリジナル曲が作れないかと試行錯誤しました。全員ベクトルが違うからこそ、融合させたら“誰かっぽい”という括りにはまらない、素敵なサムシングを追求できるんじゃないかと思ったんです。

そこで行き着いたのがもともと好きだった、昭和香る情念系の歌謡のメロディと変拍子のプログレッシブロックを掛け合わせたスタイルで。変拍子についてはTool、Opeth、Meshuggah、kamomekamomeなど、この頃特にプログレ要素の強いバンドが好きで聴いていたので、その影響かもしれません。今のこの音楽性やコンセプトを確立させたのは、10年前くらいですかね。しばらく活動休止を経たタイミングで「ヤれるところまでヤってみようぜ」と帯をキュッと締め直し、妖精達の“第2章”を本格始動させたんです。場末感のあるドレスに身を包み、官能的な世界観でもって「どんなきれい事ばかり言っていても、どうせ頭の中はセックスのことだらけなんでしょう……?」と性と欲望の解放、世の中へのU.N.S(恨み・妬み・嫉み)を撒き散らす、大人のナオンバンドへと変化してイキました。曲は私が中心に考え、メンバーに相談しつつ作ってるんですが「この人たちなら、どんな変拍子や難解な展開でもイケるであろう!」という信頼とリスペクトのもと、いつも無茶ぶりしてます(笑)。結成して15年経っても全然飽きないし、家族みたいな存在ですね。結婚してママになったメンバーも増えてきたので「老後まで続ける」を目標にマイぺースに活動してます!(笑)

そうそう、妖精達が活動を再開する直前、2008年に初めてプロレスをおナマで姦戦したんですけど、「こんなに体を張った、やまだかつてないエンタテインメントがあるんだ!」とクリビツテンギョーしまして。妖精達のライブで必ず花道入場、場外乱闘をするようになったのは完全にプロレスの影響です。ベッド・インも含め、今でもステージに立つときのマイクパフォーマンスや所作は、プロレスから学んでいる部分が多いですね。特に新日本プロレスの飯塚高史選手には当時感銘を受けました。飯塚選手はとにかくミステリアスで、ヒール(悪役)としての貫き方が素晴らしい選手で。おギグ中のパフォーマンスに迷いがなくなったのは、確実に飯塚選手のおかげです! ただ行き過ぎてしまって、ギタリストの暗黒王アラキにプロレス技をかけるのがライブの定番になってしまって(笑)。ここでも好きが爆発してしまう性格が顕著に出ましたね。

“愛方”ちゃんまいとの運命の出会い

ちゃんまいちゃん(中尊寺まい)と初めて会ったのは2010年頃だったかな。立川BABELで私が妖精達、彼女がかたすかしってバンドで競演したんです。ちゃんまいちゃんは当時から重厚で凶暴なギターを弾いてて、同世代であんなに曝け出したスタイルの女性ギタリストって珍しかったから「ゴイスーな子がいるな!」と衝撃を受けましたよ。今と違って、MCも演奏も終始とがったイキフンだったので、最初話しかけるのに少し勇気がいる感じで。でも終演後のアゲウチで怖い子じゃないってわかって(笑)、すぐに打ち解けて、「バブル顔って言われない?」「私あだ名“愛人”なんだけど!」「ねえ、女子校出身じゃない?」「え! わかる? やっぱり一緒ー!」ってバーカウンターで爆笑しながら話したこと、よく覚えてます。そこから頻繁に飲みに行くようになって、ボディコンを着てオケカラでジュリ扇を振る“バブルごっこ”をやっているうちに、ベッド・インを結成することになったんです。

2010年頃。愛方のまいと一緒にバブルごっこ。

2010年頃。愛方のまいと一緒にバブルごっこ。

池袋の音処 手刀で開催された、ちゃんまいちゃんが所属していたバンド、例のKのカノウ(Vo)さんの性誕イベントが初おギグでしたね。そのときは一夜限りのコピーバンドとしてヤッたんですけど、バブル文化への愛とリスペクトの気持ちも込めて「ちゃんとしないといけない」というプレッシャーもありました。それに当時の音処 手刀界隈の人たちは昭和やバブル文化の知識も豊富だったから、ちょっとでも違う部分があると失礼に当たるなと思って、君は1000%の気合いで挑んだのを覚えています。コピバンにしてはかなり熱の入った練習をして、特にライブ中の煽り方やパフォーマンスは浜田麻里さんやSHOW-YAさんのライブ映像を何度も観て研究しましたね。いろいろハウトゥしてくださったり、鍛えてくれた手刀界隈の皆さんには本当に感謝してます!

その日のおギグが予想以上に盛り上がったのと、楽しかったことが相まって、本格始動のキッカケとなった憧れのC.C.ガールズさんをイメージした写真集の自主制作につながっていきました。もともと私は学生時代からライブやイベントのフライヤーをデザインしたり、グッズや制作物を作るのが好きだったこともあって、「せっかくだから写真集、実際に作ってみようよ! 自分たちで作れると思う」と、具体的な話を持ちかけたのを覚えています。印刷会社を調べて、ロケ地や構成を考え、バンド仲間たちと夜な夜な楽しく作って。私もちゃんまいちゃんも、お互い手をヌけないタイプなことも相まって、「ここはこうしよう」「衣装はこっちのほうが当時っぽいよね」とか、阿吽の呼吸で進められたのがすごくABCDE気持ちでね……今でもそれは変わらないですが、まさかベッド・インとしてここまで長く活動するとは、当時は想像できなかったなー!

ウチらにしかできない“ネオバブル”

バブル時代の作品は、音楽もロンモチでスキスキスーですが、私にとってのルーツは当時のアートワークやマンガがより色濃い気がします。マンガで言うと、原作も主題歌もDAISUKI!な北条司先生の「シティーハンター」、上條淳士先生の「TO-Y」、澤井健先生の「イオナ」、椎名高志先生の「GS美神 極楽大作戦!!」などなど、ガラスの十代の頃からGスポットに刺さる作品が多くて……! 作品に登場するセクシーで強くてカッコいい、人に媚びないタカビーなお姉様キャラたちに憧れてましたネ。一方で学生時代から美術館に行くことも好きだったので、永井博さん、篠山紀信さん、山口はるみさんをはじめ、いろんなアーティストの作品集や写真集、広告集を集めていたことも、当時の文化との出会いのキッカケでした。昔から古本屋で写真集や美術書を漁ったり、レコードを集めることも趣味で、特にバブル時代のアートワーク特有の絶妙な色遣いやフォントとか、たまらなく愛してるんです……!「無駄の美」を地でいってる大胆さや、ビビッドでハッキリした色遣い。お金が潤沢な分、遊び心やユーモアで攻めまくったデザ淫が多くてタマランチ会長……! アートワークを眺めているだけでも、こんなにパワーをもらえて元気びんびん物語になれる時代、やまだかつてないですよ!

妖精達最新作「KINGDOM OF WOMAN」ジャケット

妖精達最新作「KINGDOM OF WOMAN」ジャケット

音楽活動って、楽曲やライブだけじゃなく、衣装やCDジャケット、ビジュアルワーク、グッズ、文章、SNSさえも表現の1つとして、そのアーティストを表す顔になるじゃないですか。私はそのすべてが同じくらい愛しく思えるし、だからこそ全部に対して徹底的にこだわって考えています。それもあって、ベッド・インは絶対にセルフプロデュースを譲らないし、守り続けてるんです。ロンモチで私たちの意向を汲み取って、形にして下さる素晴らしいデザイナーの皆様のおマンパワーもお借りして成り勃ってますが、ナニよりもまず自分たち自身が「バブル時代のオイニーを感じられつつ、リスペクトが込められた表現方法になっているかどうか」という嗅覚を常に大事MANにしています。これは結成当初からZUTTO変わらないですね。当時の文化を愛しているからこそ、文字フォントのデザイン1つにおいても、こだわらずにはいられないんです。

私はそういう細かい部分から大きな企みまで含めて、総合的なエンタテインメントを作り上げることが、たまらなく好き……! だからこそ、こうしてベッド・インで“大人の文化祭”をヤレて、それを生業にできていることは、本当に夢がMORI MORIでマンモスうれPことなんです! そしてナニより、それを心待ちにして楽しんでくれる性徒諸クン(ベッド・インのファンの呼称)たちがいる。だからこそ、まだまだ日本武道館や紅白歌合戦の夢も本気であきらめてないわ……! 脳内ではたくさんのジュリ扇が舞う、巨大なバブル空間を作るビジョンがあります。

3月4日には新しいミニアルバム「ROCK」が発射オーライしますし、まだまだいろんな可能性があると、今もWAKU WAKUしてるんです! バブル時代の魅力的な部分と、現在(いま)を融合して、ウチらにしかできない“ネオバブル”をとことん追求し、いかに面白いことをできるかが勝負……! これからも愛方や仲間たち、性徒諸クンたちと一緒に、まだ見ぬ景色と桃源郷(ユートピア)を目指してイクわよ……!

益子寺かおり(ますこでらかおり)

ベッド・イン(左が益子寺かおり)

ベッド・イン(左が益子寺かおり)

バブル文化をリスペクトして活動中の“地下セクシーアイドルユニット”ベッド・インのボーカル、おみ足担当。2012年にセルフプロデュースで活動を開始し、2013年6月には初の作品となるグラビア写真集「Bed In」、2014年3月に8cm短冊シングルCD「ワケあり DANCE たてついて / POISON~プワゾン~」を自主制作で発売。2020年3月には新作ミニアルバム「ROCK」のリリース、そして全国12カ所のツアー「THIS IS “ROCK”」を控えている。現在CAMPFIREでは5月3日に行われるツアー「THIS IS “ROCK”」 東京・TSUTAYA O-EAST公演のおギグDVDを作るための“マル金パパ”も募集している。ベッド・インと並行して“歌謡ロックバンド”妖精達のボーカリストとしても活動中。結成15周年を迎えた2019年12月にはミニアルバム「KINGDOM OF WOMAN」を配信リリースした。

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