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アーティストの音楽履歴書 第15回 バックナンバー

益子寺かおり(ベッド・イン)のルーツをたどる

Shakatakで踊り、バブルごっこに興じたベッド・イン結成前夜

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アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は“地下セクシーアイドルユニット”ベッド・インのおみ足担当、益子寺かおりにこれまでの音楽との関わりを語ってもらった。なお同じくベッド・インから、中尊寺まいのインタビューも近日中に掲載するのでお楽しみに。

取材・文 / 高橋拓也

Shakatakで踊った幼少期、憧れは母親と「アイドル伝説えり子」

私が生まれたのは1985年で、バブル時代の始まりと言われた時期だったんです。父も母もちょうど甘い蜜を吸っていた世代で、当時はそれなりにブイブイ言わせていたようで(笑)。それこそ休みの日には、母にガルウィングドアのスポーツカーに乗せられて、ユーミン(松任谷由実)さんの曲を聴きながら逗子マリーナの海に向かったり……わたせせいぞうさんの世界みたいなキラキラした情景が、子供の頃の記憶に残っています。そんな母の姿を見て、幼いながらにどこか憧れのようなものがありました。

早熟だったのか、家ではShakatakの「Night Birds」を聴きながら、ランバダのごとくクネクネ踊る遊びもしていて。あんなトレンディでアーバンな曲が幼少期のオコチャマに刺さるなんて、ったく「マセガキ」よね……(笑)。一方で昔から自転車に乗れないくらい運動音痴で、もうこの頃から「自分は周りの子と同じことができないダメな子だ」って自覚があって(笑)。スポーツのフィールドで戦うことは早々にあきらめ、お家で絵を描いたり、何時間も集中して1000ピースのパズルを黙々と完成させたり、テレビやマンガに夢中な“もやしっ子”でした。特に「アイドル伝説えり子」(※1989~90年放送のテレビアニメ)がDAISUKI!で。アイドルたちの人生を描いたアニメで、田村英里子さんとタイアップした作品なんですけど、当時えり子になりきって主題歌を歌ってる映像が実家に残ってました! もしかしたら、えりりんに憧れたことが、歌に興味を持つきっかけだったかもしれないです!

幼稚園児の頃はウォークマンを聴きながら眠るのがお気に入りで、クラシックのテープをよく親から借りてました。その中でも「ツィゴイネルワイゼン」とか「熊蜂の飛行」みたいな、暗くて激情的な曲ばっかり好きで、それを聴くと安眠していたそうです(笑)。クラシック以外だと両親が好きなPeter, Paul and Maryもよく聴いてたんですけど、明るくてポップな「Puff」とかより、暗くて切ない「500Miles」とか「Gone the Rainbow」のほうがスキスキスーだったみたい。それを母から聞いて、なーるほどTHEワールド! のちのちアングラ系の音楽やメタルにズッポシ夢中になったのも、この時期聴いていた音楽の影響が大きいんでしょうね。

大チン事勃発!ピアノ発表会でエクスタシーを知る

母はザ・ハマっ子で、ジャズがものすごい好きでして。それで「ジャズピアノを娘に弾いてもらいたい」という願望があったみたいで、3歳頃にピアノを習い始めたんです。中学3年生くらいまで続けていたんですけど、決まったルールに従った練習が本当に苦手で、指番号通りに弾くのとか「イーッ!」ってなるぐらいできなくて。楽譜を読むのも苦手だったので、代わりに先生が弾いてくれたものを耳コピして弾いて、ゲームみたいなものに転換して乗り切っていました。そうそう! そういえば、ピアノの先生が超バブリーな方だったんですよ! もう今の自分の生き写しみたいな見た目で、常に肩パットスーツにボディコン着てて、髪型もワンレンでグラマラス……先生ったら、私がピアノを演奏してるときに、横で聴いててパッションがあふれ出すと、突如立ち上がって、高らかに歌い出すんですよ……!(笑) 逆につまんない演奏すると、ウトウト寝ちゃうっていう。もしかすると母よりも、ピアノの先生から受けた影響のほうが大きいかもしれない……!

唯一発表会だけは、自分が弾きたい曲を弾けたので好きでしたね。小学生の頃、DAISUKI!なベートーベンの「月光・第1楽章」を自ら志願して弾きまして。これまた絶望的に暗い曲だけど、第3楽章とかプログレッシブメタルみたいで超カッコイイの……! で、この曲を発表会で演奏したとき、スポットライトを浴びた瞬間……やまだかつてないエクスタシーを感じてしまったんですよ! ゾーンに入って、完全にイッちゃったんです(笑)。「なんて気持ちいいの……神になった心地だ!」と弾き切って、恍惚としたままドヤ顔でステージを降りたら、先生が「素晴らしい演奏だったわ! でもなんで同じところ何回も繰り返したの!?」って。まさかの無意識のうちにエンドレスで弾くというチン事を起こしてて、ぶっとびいー!(笑) 今でもたまに、ドヤ顔でMCをミスって、後で指摘されるまで気付かないことがあるんですが、全然変わってないな……。

ピアノを始めてからは、テレビで流れている歌謡曲や大好きなユーミンさんの曲も耳コピして、弾き語りして遊ぶようにもなりました。誰に披露するわけでもなく、1人で何時間も。マイペースに自己の快楽を追求するのが好きな性分だったので、ズッポシ自分の世界に入れる“ス―パーひとりっ子タイム”がお気に入りだったんです。そんな私の姿を見て、ある日母親が「ユーミンさんは曲も歌詞も全部自分で作ってるんだよ。そういう人、目指したら?」と話してくれたことがあって。そこからシンガーソングライターという存在を知って、淡い夢を抱くようになったんです。当時家の隣がレンタルビデオ屋さんだったこともあり、母がよくCDをレンタルをしてくれて、アン・ルイスさん、大黒摩季さん、山口百恵さん、中森明菜さん、槇原敬之さん、CHAGE and ASKAさん、My Little Loverも好きでよく弾き語りしてましたね。

悲劇の始まり、小学校での音痴コンプレックス事件

そんな夢をぶち壊されたのが小学生高学年。通っていた学校に合唱団みたいなものがあって、そこは校内で歌がうまい人たちが集まっていたんです。私も入団テストを受けたんですけど落ちてしまって。それ自体はあんまり気にしていなかったんですけど、先生に「歌っているときの表情が暗かった」と落選理由を言われて、カチンときて。そこで「音楽なんて人それぞれ、表現の仕方は自由だろ! 暗く歌おうが明るく歌おうが、歌いたいように歌えばいいじゃんか!」という“なめ猫”精神が芽生えまして。それと同時に「自分は音痴なのかもしれない」と思い込んでしまい、人前で歌えなくなり、合唱してても「自分だけ音程が違うんじゃないか?」と怖くなるという重度の音痴コンプレックスに陥ってしまったんです。今思えば「固定観念なんてクソくらえ!」ってことを早めに気付かせてくれたきっかけでもあるので、結果オーライですけど(笑)。

でも、こんなことで好きなことをあきらめるのは悔しかったので、毎晩お風呂でDAISUKI!なアン・ルイスさんや、中島みゆきさんなどの歌を熱唱しては「うらみ・ます」ばりの情念を込めながら練習する日々でした(笑)。中島みゆきさんを知ったキッカケはドラマ「家なき子」。ドラマ「コーチ」では玉置浩二さんに恋して、そこから安全地帯を知って聴くようになったり、この頃の情報源はほとんどテレビでしたね……あ! 小学校6年生の頃に電気グルーヴが好きになり「ライブに行ってみたい!」と親に熱弁したら反対され、大喧嘩して泣いた記憶もあります(笑)。

ベッド・インの前身? ポポリポ星人襲来

その後小学校を卒業してからは、さらに己の道を突き通す子に育っていくんです。ZUTTO女子校だったので、異性の目を気にせず、すくすく自分のGスポットを開拓できる環境でした。当時は篠原ともえさんが好きだったこともあって、クラス唯一の“シノラー”であり、原宿文化の1つ“いちごちゃん”を体現していました。自分で作った全身いちご柄のお洋服で学校に通い、前髪をギザギザにしたり(笑)。そこでついに、世の中への反逆をおっ始めるんです……子供の頃から違和感に思っていた「自分の意思ではなく、周りに流される風潮」や「こうしなきゃいけないという固定観念」への反骨精神が渦巻いていて。爆発しそうな気持ちを、何かしら表現として伝えたいけれども、当時はバンドもやってなかったので、手段がわからなかった。そこで「ポポリポ星人」という血迷った前衛ユニットを始めるんですけど……パフォーマンス内容が、だいぶプッツンで! 自分で作った奇抜な洋服を着て、鼻で美しくリコーダーを奏でるという……私以外にもう1人“愛方”がいて、彼女が主旋律を吹き、私が美しくハモるというシュールさ……(笑)。謎すぎてセキメーン! でも主張をただ言葉にしただけじゃつまらないし、説教じみてしまい誰も聞いてくれない。だから笑いに昇華して表現しようという考えはこの頃からあって。ユーモアでもって反骨精神を啓蒙しようという点においては、自分にとって、ベッド・インの前身のような存在にあたるかもしれないです(笑)。

中2になると、オタクの道にのめり込みました。実はバンドを始めるまでは、絵を描くことが生き甲斐!と思うくらい好きで。幼稚園から中3くらいまでは、家に帰ったら真っ先に落書き帳でイラストやマンガを描くことを365日ルーティンのように続けていたんです。これも誰にも見せずに、1人でシコシコと。それが中2になった頃、同じ趣味のオタク仲間と出会って「誰かと好きなものを共有する」といううれしさを知って爆発しちゃって! もう、授業中も家に帰ってもマンガばかり描いては、馬渡松子さん、TWO-MIX、小坂由美子さん、清水咲斗子さんの曲など、オケカラでアニソンを熱唱する日々。そうなると今度は洋服に気が回らなくなって、気付いたら全身真っ黒な服しか着なくなっちゃって。「あんた最近服装ヤバいよ!」と友人に指摘され、「イカン! このままでは、破滅に向かって……††」と思い、危機感を感じて足を洗ったんです。そのくらい、昔から「好きなモノはコリだ!」ってなると、周りが見えなくなるほどZOKKON命で、服装にまで表れちゃうほど夢中になる性格でしたね。

おじさまに調教されてばかりの中学生時代!?

中学生の頃には特にヴィジュアル系とメタルにハマりました。当時PENICILLINさんのファンだったんですけど、んもう、歌詞がすっごいスケべで……! 最初はそれがキッカケで好きになったんです(笑)。小中高12年間女子校育ちという性を抑圧されていた環境も相まって、DOKI DOKIしながら「この比喩表現どういう意味なんだろう……?」と妄想を膨らませては図書館の広辞苑で調べる日々でした(笑)。広辞苑、だいたいエッチな単語は網羅してますからね! そこで「私ったら今、イケナイコトをしている……」っていう、誰にも知られない秘密を楽しむ背徳感のような快感を覚え、親に隠れて深夜ラジオも聴いたり……下ネタはこのとき学びましたね(笑)。PENICILLINさんは、楽曲も凝りに凝ってらして、特にキメやリフ、展開が素晴らしくて! 「ここのブレイクが気持ちいい!」と思っては、何度もそこを“リフレ淫”して聴いたり、ライブに通うにつれメンバーの関係性を知り、“バンド”という存在って素敵だなと思うようになりました。Marilyn Mansonを好きになったのもこの頃だったかな。「汚いものは美しい」という世界観に感銘を受け、物事は1つの見方ではなく、いろんな見方ができ、その人次第でそれが1つの美学になるんだと気付き、次第にアングラな世界に心地よさを感じるようになっていきました。

同時期には近所のメタル好きな知り合いのおじさんが「これを聴いたほうがいい」と“俺ベスト”的なカセットセープを貸してくれて、その中にランディ・ローズが参加していた時期のオジー・オズボーンの曲が入ってまして。ランディのギターソロを聴いた瞬間、鳥肌が勃って、月に吠えるの巻! エレキギターの音ってなんて官能的で美しいんだと、うっとり。そこから今も放送しているtvkの「伊藤政則のROCK CITY」を観始めて、セーソク先生にPanteraや、Dream Theater、Anthrax、Slayerなど、いろんなメタルバンドの存在をハウトゥしてもらって……振り返ると、おじさまたちに調教されてばかりの中学生でしたネ(笑)。

一方で思春期真っ盛りなこの頃は、今では信じられないくらい心が弱くて、見た目のコンプレックスもあったし、家庭問題も抱えていたりで、消えてしまいたい……とまで思っていました。そんな鬱屈した気持ちを発散させてくれたのがメタルやハードコアの音楽。わがままも弱音も吐けない性格だったので、攻撃的な音や叫びが、自分の怒りや負の感情を代弁してくれてる感じがして、かなり救われましたね。この頃から、放課後に1人でdiskunionに通ってはディグるようになり、自分のGスポットに当たる音をひたすら探って、プログレやグラインドコアとかまで聴くようになりました。次第に「バンド、やってみたいかも」と思うようになったものの、まだ音痴コンプレックスも引きずっていたから、代わりにエレキギターを始めて。最初はS.O.D.(Stormtroopers Of Death)の「March of the S.O.D」とかを弾いて練習してましたね。それが中学校3年生くらい。それ以来、ギターは10年くらいやってたんですけど、ギターソロが苦手で結局“ともだちんこ”になれずじまいでした……トホホ(笑)。

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デス声なら音痴も関係ないのでは……?

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