アーティストの音楽履歴書 第12回 [バックナンバー]

奥田民生のルーツをたどる

音楽好きの母親がきっかけで始まった長いロックンロール人生

2301

アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにする本企画。今回はソロ活動25周年を迎えた奥田民生に、幼少期のエピソードを交えてその音楽的なルーツを聞いた。

取材・文 / 大谷隆之

1人で音楽を聴いている時間が多かった幼少期

ぶっちゃけ言うと、僕、そんなすごい音楽ファンってわけじゃないんですよ。もちろん聴かない人よりは聴いてると思いますが、語れるほどの知識や遍歴はないし。好きなバンドやアーティストはいますけど、あまりマニアックには掘り下げてないっていうか。実は上辺しか聴いてなかったりする(笑)。特に中学に入ってバンドを始めてからはね。音楽を聴くことよりも、自分でやることに夢中で。純粋な好き嫌いだけじゃなく、「これなら俺にもできそうだ」みたいな部分も大きかったので。本当のところ、自分がどんなミュージシャンに影響を受けてきたのかよくわからないんです。

考えてみれば子供の頃からそうだったかもしれない。母親が音楽好きだったので、家にはかなり多方面のレコードがあって。特に意識することもなく雑多な音楽を聴いて育ちました。母はエルヴィス・プレスリーが好きだったんですが、ほかにもニール・セダカみたいな古いポップスもあったし。ムード歌謡の青江三奈さん。演歌もレコードが何枚かあって、あとはニニ・ロッソのイージーリスニング集。なんつーか、脈絡ってものがない(笑)。

育ったのは広島市の東区というところ。新幹線の駅まで車で10分くらいの普通の住宅地でした。小学生までは小児ぜんそくで。どちらかというとインドア派だったんです。そんなに外でバリバリ遊ぶって感じでもなく、体もぽっちゃりしていた。なので、1人で音楽を聴いている時間は多かった気がしますね。

家にはビクターの一体型ステレオがありました。当時流行っていた観音開きの扉付きの家具っぽいやつ。プレーヤーは33回転と45回転だけじゃなく、古いSP盤向けの78回転にも対応していて、低学年の頃はそれで母親のレコードを片っ端から早回しにして遊んだり(笑)。もう少し大きくなると、彼女がたまにレコード屋さんに行くのについて行って。自分の欲しいレコードも買ってもらうようになりました。最初はウルトラマンとか仮面ライダー。あとはテレビで流れていた歌謡曲。西城秀樹さんや沢田研二さんのシングルを買ってもらったのを覚えてます。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドでギターに目覚める

初めてギターに触れたのは10歳くらいかな。親戚が車の修理工場を営んでいて、小さい頃からそこによく預けられていたんです。そこに古いアコースティックギターが転がっていて自然と手に取るようになった。工場に出入りしていた若いアンチャンたちが、弾き方を教えてくれてね。最初に覚えたのは、The Ventures「Pipeline」。有名な「♪テケテケテケテケ」というイントロのやつですね。通して弾けたときはうれしかったな。

で、そうこうしてるうちに、その親戚のおばさんがガットギターを買ってくれまして。初のマイギター。たぶんおばさんはアコギとガットギターの違いを知らなかったんだろうね。弦はスチールじゃなくてナイロン。ネックも太くて押さえるのが大変でしたけど。当時「週刊明星」とか「週刊平凡」に付いていた“歌本”を見てコードを覚えて。フォークのかぐや姫とか、それこそ西城秀樹さんとか。いろんな曲をコピーするようになった。

バンドというものを初めて生で観たのも、ちょうどその時期です。同じ親戚がなぜか、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのコンサートに連れていってくれたんですよ。確か「サクセス」って曲が流行っていた頃で。ギターを買ってもらったのとどっちが先だったかな? 前後関係はちょっと忘れちゃいましたけど、僕にはこれが鮮烈だった。音楽性云々よりも、単純に音がデカいとか。ドラムの震動がずんずん響くとか(笑)。そういう演奏自体の存在感みたいなものが、ガーンときたんでしょうね。それ以降、俄然ギターへの興味が増していった。小学校の高学年かな。忘れられない経験でした。

実際、僕の中でダウン・タウン・ブギウギ・バンドとの出会いはデカかった。原体験って言うんですかね。「なるほど、ロックンロールってこういう音楽のことを言うんだな」と最初に思ったのも、ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」でしたし。まあ厳密に言うと、あれはロックンロールではないんですけど。そんな細かい違いは、小学生にはわからない(笑)。映画「トラック野郎」シリーズも好きだったんですが、そこでもブギウギ・バンドが「トラック・ドライヴィング・ブギ」という劇中歌を演奏してました。初期ブギウギ・バンドはそういうシンプルなスリーコードの曲が多くて。音数も少なく「これなら自分にもできるかも」みたいなワクワクもあったんでしょうね。その感じはたぶん、今も変わってないと思います。宇崎竜童さんはそれ以来ずっとファンで。ダウン・タウン・ブギウギ・バンド解散後の作品もずっと聴いています。今でもスマホに入ってますよ。

修理工場のアンちゃんたちに囲まれる環境

話は逸れますが、人生で受けた影響でいうと、その親戚の修理工場はけっこう大きかった気がしますね。さっきも話したように、小さい頃からしょっちゅう預けられていたので。そこに来ているアンチャンたちと話す機会が多かった。今思うとみんな若者だったんだろうけど、自分で働いて車を買ったり遊んだりしてるから、当時の僕にはすごいオトナっぽく見えてね。いろんな音楽も教えてもらったし。趣味でバンドをやってる人から、話を聞かせてもらったり。そんな環境もあって、同年代の友達が知らない音楽を多少先取りして聴いていたかもしれません。

あと、音楽とは関係ないですけど、やっぱり車好きにはなりましたよね。その家ではずっと、自動車メーカーのカタログが絵本代わりでしたから。新車が出ると、子供ながらにまず何馬力あるのかチェックして(笑)。3、4歳の頃は、エンジン音を聴けば大体の車種は当てられました。マジで。例えばトヨタと日産ではエンジンの音が明らかに違うし。あとは排気量とかを考えると、ほぼほぼわかった。まあ当時は、今に比べて車種も少なかったし。僕の地元では外車なんてほとんど走ってなかったので。そんなに難しくもなかったんでしょうね。もちろん今はもう、まったくわからないですけど。

小学校高学年で出会ったThe Beatles

いわゆる洋楽で最初にガツンときたのは、やっぱりThe Beatlesですね。これも前後関係は忘れちゃいましたが、小学校高学年のとき、夏休みのお昼に4人が主人公の連続アニメを再放送してたんです。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴが世界中いろんな場所をツアーして、ファンに追いかけ回されるという内容で。ドタバタ劇の間に彼らの楽曲が流れる。確か「アニメ・ザ・ビートルズ」という邦題でした。そこで「Please Please Me」とか「Day Tripper」みたいな初期の曲を好きになって。お小遣いを貯めて「Rock 'n' Roll Music」というアルバムを買ったんですよね。カバー曲も含め、シンプルなロックンロールナンバーを集めた2枚組の編集盤で。僕にとってはそれがThe Beatlesの入り口になった。

その後、ベストアルバムの赤盤、青盤、オリジナルアルバムと聴いていって、The Beatlesのいろんな側面に触れるわけですけど。僕にとって最初のイメージはあくまで「Roll Over Beethoven」みたいなシンプルなロックンロールを演奏してるバンドなんですよね。オリジナルを歌っているチャック・ベリーのことも、ここで初めて知ったんだと思う。ロックンロールの形を作った大元みたいな人ですね。実際にチャック・ベリーのレコードを聴きだすのはもう少しあと、高校に入って以降ですけど。ロックンロールという形式の偉大さ、奥深さを本当に痛感するようになったのは大人になってからかもしれない。それはずっと、今も感じてます。

中学校にヒデキが来た

そうやって、一方ではThe Beatlesとかダウン・タウン・ブギウギ・バンドを聴きながら、世の中で流行っている歌謡曲も大好きでした。なんつったって歌番組世代ですからね。木曜夜は必ず「ザ・ベストテン」。まあ、ほかにやることもないですし(笑)。観ないと翌日、学校で話が通じない。好きだったのはやっぱりジュリー(沢田研二)と、広島出身の西城秀樹さん。あと自分で楽器を始めてからは、普通の歌手よりギターを持って出てくる人がカッコよく見えたところはありましたね。当時はCharさんの「気絶するほど悩ましい」とか「闘牛士」もヒットチャートの上位に入っていたし。布施明さんとか野口五郎さんも、ときどきテレビで弾き語りをしていたので。

「ザ・ベストテン」といえば、僕が通っていた中学に、西城秀樹さんが中継ライブで来たことがありました。もちろん観に行きましたよ。暇ですから(笑)。校庭が黒山の人だかりになって。西城さんが、校長先生が朝礼で登る台に立って「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を歌った。次の日、学校に行ったら、廊下にチョークでご本人のサインが書いてあったっけ。

The BeatlesとKissをカバーしていた中学時代

中学生になると、同学年で「俺、ギター弾いてるぜ」みたいなやつもポツポツ出てくるじゃないですか。で、お互い何となく知り合いになって。友達に誘われて、初めてバンドというものを組みました。その頃はもう、新しいエレキギターも手に入れてましたね。と言っても、特に人前に出るわけでもなく。学校の近くの公民館を借りて練習したり、たまに安いスタジオで演奏してみたり。まあ、そんな感じですね。

カバーしたのはThe BeatlesとKiss。あと当時、Bostonの「Don't Look Back」が流行ってたので、それもカバーしてました。Kissはルックスがけばけばしいわりにはキャッチーでいい曲が多かったのと、ギターのパートが意外とオーソドックスで。中学生の僕にも「これなら弾けるかな」と思わせてくれた。その頃はとにかく、自分でギターが弾けるかどうかが、聴く音楽の理由になってましたから。リッチー・ブラックモアとか、一応聴いてはいましたけど弾ける気がしないでしょう(笑)。その点、Kissは親しみが持てた。最初に買ったのはオリジナルアルバムじゃなくて、やっぱり「Double Platinum」という2枚組ベスト盤でした。

「自分にできるかどうか」でハマった子供ばんど

高校に入ると、友達と「文化祭に出よう」つって。アーチェリー部で活動しながらバンドのほうももう少し真剣にやるようになりました。僕の高校時代はちょうど、いわゆるジャパニーズメタルのバンドがわーっと出てきた時期だったんですね。LAZYが解散し、高崎晃さんと樋口宗孝さんがLOUDNESSを結成したり。高校を卒業する頃には、EARTHSHAKERとか、44MAGNUMみたいなバンドが次々デビューして。高校時代はKissとかハードロックからの流れもあって、僕はそっち方向をわりと聴いてました。LOUDNESSは、確か警備のバイトでライブにも行ったんだよな。もちろんステージは観られず、背中で大音量の演奏を聴く感じでしたけど。

高校時代の奥田民生。

高校時代の奥田民生。

中でも好きだったのは、うじきつよしさんの子供ばんど。地元大学の学園祭でライブがあって行ったんですけど、ライブを観るとやっぱりすごくて、圧倒されました。演奏はめちゃめちゃハードなんだけど、曲はどこかKissみたいなキャッチーさがあって。芸風的にもヘヴィメタの人みたいに長髪の革ジャン、革パンでカッコつけるんじゃなく、うじきさんがパトランプが付いたメットを被ってステージを走り回ったりして。ポップで親近感を持てた。

やっぱり「自分にできるかどうか」が音楽の判断基準になってたんでしょうね。もし僕がすごいギターテクの持ち主だったら、もっと王道のメタルバンドにハマってたかもしれないけど。早弾きとか全然できないですからね。バンドのあり方という意味でも、子供ばんどには影響を受けたと思います。

次のページ
高校時代に思い描いたミュージシャンの道

リンク

関連商品