「ATTACK OF...MUSHROOM PEOPLE」(1987年)

渋谷系を掘り下げる Vol.2 [バックナンバー]

多くの才能を輩出したネオGSシーン

小西康陽、田島貴男らが集った80年代後半のインディームーブメントを検証

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もう1人の重要人物・高護

そんなザ・ファントムギフトのライブに足繁く通っていたのが小西康陽だった。すっかり彼らのライブに魅せられた小西は自らサウンドプロデュースを買って出てアルバム制作にまで乗り出すこととなる。そうしてリリースされたのが1stアルバム「ザ・ファントムギフトの世界」(1987年)である。そしてもう1人、ザ・ファントムギフトにとって重要な存在だったのが、バンドのマネジメント / 制作をサポートしていた高護(現ULTRA-VYBE代表取締役)だ。

「小西さんはB級GSだろうが洋楽のカバーだろうが面白いものは面白いという感じでファントムのことを評価してくれていたんです。そして、もう1人の重要人物が、のちに僕らのマネジメントをしてくれることになる高護さん。高さんは当時、GSや歌謡曲をマニアックに掘り下げる『季刊リメンバー』という雑誌を刊行していたんですけど、僕は『季刊リメンバー』を愛読していて、GSや洋楽をボーダーレスに聴く感覚を身に付けていたんです。だから、ライブを観に来てくれた小西さんと会って話をしたときに『ああ、僕と同じような感覚の人っているんだな』と思えたんです。小西さんと僕は同世代なんですけど(小西が1歳年上)、今思えば時代やジャンルを超えて純粋にいい音楽を評価するという、あのボーダーレスな感覚が、のちの渋谷系につながっていくような感じもありますね。小西さんは『ネオGSはパンクムーブメントに匹敵する日本初のインディーズシーンではないか』とおっしゃっていて。2003年にファントムが未発表音源集(『ザ・ファントムギフトの奇跡』)を出したときにもそういうことをコメントで書いてくださっていました」

1986年9月に豊島公会堂でライブを行った際に制作されたフライヤー。遠藤ミチロウ、小西康陽、近田春夫、PANTA、しりあがり寿など、そうそうたる顔ぶれがコメントを寄せている。(画像提供:サリー久保田)

1986年9月に豊島公会堂でライブを行った際に制作されたフライヤー。遠藤ミチロウ、小西康陽、近田春夫、PANTA、しりあがり寿など、そうそうたる顔ぶれがコメントを寄せている。(画像提供:サリー久保田)

2枚の自主製作シングルを発表したのちザ・ファントムギフトがリリースした4曲入りコンパクト盤「魔法のタンバリン」(1987年)の制作に携わったのがソリッドレコード / SFC音楽出版を運営していた高で、彼と親交の深い小西が「僕がレーベルを紹介する」と声をかけてつないだのがミディレコードだった。ザ・ファントムギフトの躍進の影には、そんな要人たちのバックアップがあったということだ。

「小西さんはサウンドプロデューサーというより、正確に言えば、スーパーバイザー的な立場でアルバムの制作に関わってくれたんです。僕らがスタジオで、ああでもないこうでもないといった感じで音を出してるときに、小西さんが的確なアドバイスをしてくれたり。ある意味、バンドのまとめ役みたいな感じでしたね。小西さんといえば、ヒッピー・ヒッピー・シェイクスのサミー中野さんを通じてデザイナーの信藤三雄さんと知り合ったのもこの頃です。信藤さんがギタリスト兼リーダーを務めていたスクーターズもネオGSと近いところにいたバンドで。僕が知り合った頃には、もうユーミンのジャケットのデザインとかも手がけていて、すごい人なんだなと思った記憶があります。その信藤さんが、のちにピチカート・ファイヴやフリッパーズ・ギターなど渋谷系と呼ばれるアーティストたちのアートワークを多数手がけるようになるわけで……そう考えると面白いですね」

ザ・ファントムギフト「ザ・ファントムギフトの世界」(1987年)

ザ・ファントムギフト「ザ・ファントムギフトの世界」(1987年)

キーワードは「60年代音楽再評価」

一方で、久保田はネオGSシーンの周辺で次々と活動を始めていた同世代のバンドたちとの“共闘”が、渋谷系への胎動を加速させたのではないかと分析する。例えば、東京発のネオモッズを標榜していたTHE COLLECTORS、The Jesus and Mary Chainの初来日公演でフロントアクトを務めるなどネオサイケと言われるような覚醒的なギターロックを聴かせていたワウ・ワウ・ヒッピーズ、ロリポップ・ソニック時代の小山田圭吾が大ファンで、しばしばライブに足を運んでいたというレッド・カーテンなど。THE COLLECTORSには加藤ひさしや古市コータローらが、ワウ・ワウ・ヒッピーズにはのちにロッテンハッツを結成する木暮晋也や高桑圭、白根賢一らが、そしてレッド・カーテンにはORIGINAL LOVEの田島貴男が、と渋谷系~90年代の音楽シーンを作っていく重要人物がそれぞれこの時代に力を付けていたのである。

THE COLLECTORS。写真は1986年に新宿JAMで行われたライブの様子。当時のメンバーは加藤ひさし(Vo)、古市コータロー(G)、チョーキーとしはる(B)、リンゴ田巻(Dr)。(写真提供:WONDER GIRL)

THE COLLECTORS。写真は1986年に新宿JAMで行われたライブの様子。当時のメンバーは加藤ひさし(Vo)、古市コータロー(G)、チョーキーとしはる(B)、リンゴ田巻(Dr)。(写真提供:WONDER GIRL)

ワウ・ワウ・ヒッピーズ。左より木暮晋也(G)、宗像淳一(Vo)、白根賢一(Dr)、高桑圭(B)。(写真提供:木暮晋也)

ワウ・ワウ・ヒッピーズ。左より木暮晋也(G)、宗像淳一(Vo)、白根賢一(Dr)、高桑圭(B)。(写真提供:木暮晋也)

「ネオGSシーン界隈で活動していたバンドはだいたいみんな60年代の音楽に影響を受けていました。僕らはガレージロック、ワウ・ワウ・ヒッピーズの木暮くん、白根くんやレッド・カーテンの田島くんはサイケ、THE COLLECTORSの加藤くんはモッズとか、それぞれ嗜好性は異なりましたけど、自分たちのサウンドを追求するうえで60年代の音楽を参照していたという点では共通していました。60年代の音楽を再評価するという動きは、XTCとかThe Dukes Of Stratosphear(アンディ・パートリッジを中心としたXTCの変名バンド)あたりの存在が大きかったのかなと思います」

ORIGINAL LOVE / RED CURTAIN「RED CURTAIN(Original Love early days)」(2011年)。ORIGINAL LOVEの最初期音源および前身バンドであるレッド・カーテンの音源をコンパイルした作品。

ORIGINAL LOVE / RED CURTAIN「RED CURTAIN(Original Love early days)」(2011年)。ORIGINAL LOVEの最初期音源および前身バンドであるレッド・カーテンの音源をコンパイルした作品。

ヒッピー・ヒッピー・シェイクスの10inchアナログ「MERA MERA!!」(1987年)。ザ・スパイダース「メラ・メラ」、ザ・カーナビーツ「すてきなサンディ」といったGSソングのカバーなど6曲を収録。クラブイベント「LONDON NITE」でも頻繁にスピンされた。

ヒッピー・ヒッピー・シェイクスの10inchアナログ「MERA MERA!!」(1987年)。ザ・スパイダース「メラ・メラ」、ザ・カーナビーツ「すてきなサンディ」といったGSソングのカバーなど6曲を収録。クラブイベント「LONDON NITE」でも頻繁にスピンされた。

1987年、そうした動きを象徴するような作品がリリースされる。MINT SOUND RECORDSが発表したオムニバスアルバム「ATTACK OF...MUSHROOM PEOPLE」だ。そこにはザ・ファントムギフト、ヒッピー・ヒッピー・シェイクス、THE COLLECTORS、ワウ・ワウ・ヒッピーズ、レッド・カーテン、ザ・ストライクスといったネオGSシーン界隈のバンドが総結集していた。

「ATTACK OF...MUSHROOM PEOPLE」(1987年)

「ATTACK OF...MUSHROOM PEOPLE」(1987年)

「ATTACK OF...MUSHROOM PEOPLE」のジャケットインナーより。なお本作に参加した女性3人組バンド・CHEESEの平ケ倉良枝はのちにドラム / パーカッション奏者としてフリッパーズ・ギターのサポートメンバーを務めている。

「ATTACK OF...MUSHROOM PEOPLE」のジャケットインナーより。なお本作に参加した女性3人組バンド・CHEESEの平ケ倉良枝はのちにドラム / パーカッション奏者としてフリッパーズ・ギターのサポートメンバーを務めている。

「ファントムってモッズ方面とは交流がなかったんですよ。そんな中で加藤くんは音楽的な間口が広かったのでTHE COLLECTORSとはよく対バンするようになって。あと、モッズシーンで活動していたザ・ロンドン・タイムスの片岡健一くんが“脱モッズ”みたいな感じで新たなアクションを起こそうとしていて、三多摩地区を中心に活動していたファントムを新宿JAMとかでやるイベントに誘ってくれたのも大きかったと思います。そのあたりから、『ATTACK OF...MUSHROOM PEOPLE』に参加しているような、いろんなバンドとつながりが生まれるようになって。そういえば、真城めぐみさんがやっていた女性3人組のコーラスグループ、ペイズリー・ブルーのバックをファントムのメンバーで務めたこともありましたね」

その真城めぐみは、ワウ・ワウ・ヒッピーズの木暮、高桑、白根、ザ・ハワイズの中森泰弘、そしてネオGSシーンの周辺にいた片寄明人と、のちにロッテンハッツで合流。そこから枝分かれしたヒックスヴィルGREAT3は共に90年代の音楽シーンを支える存在となり、特にヒックスヴィルの木暮と真城は渋谷系の象徴的存在ともいえる小沢健二のアルバムやライブをサポートするに至った。60年代の音楽やカルチャーをキーワードにしたような東京のアンダーグラウンドインディーロックとも言えるような領域で活動していた彼らは、渋谷系の時代に軒並み活躍していくのである。

V.A.「MINT SOUND X'MAS ALBUM」(1987年)。MINT SOUND RECORDSのクリスマスコンピレーションアルバム。当時のピチカート・ファイヴのメンバーによる個人ユニットYOUNG ODEON(小西康陽)、WINK SERVICE(高浪慶太郎)の楽曲も収録されている。

V.A.「MINT SOUND X'MAS ALBUM」(1987年)。MINT SOUND RECORDSのクリスマスコンピレーションアルバム。当時のピチカート・ファイヴのメンバーによる個人ユニットYOUNG ODEON(小西康陽)、WINK SERVICE(高浪慶太郎)の楽曲も収録されている。

お手本は筒美京平?

そして、さらに「渋谷系のお手本になっていたのは筒美京平だったのではないか?」と久保田は話す。筒美京平は主に1960~80年代にかけて歌謡曲のフィールドをメインに膨大な数のヒット曲を手がけた作曲家 / アレンジャーだが、90年代に入ると筒美の作品をまとめたボックスセットがリリースされるなど急速に再評価が進んでいく。ストリングスを生かしたきらびやかなアレンジ、都会的で洒落たメロディやコード進行、歌謡曲なのに体を揺らせて踊らせることもできるグルーヴィな音作り。小沢健二と筒美が共作した「強い気持ち・強い愛」などはあの時代の筒美京平再評価を象徴する1曲だ。

「筒美京平HITSTORY Ultimate Collection 1967-1997 2013Edition」(2013年)。1997年に発表された「筒美京平 ULTIMATE COLLECTION 1967~1997」のVol.1とVol.2に、新たに1998年以降に発表された作品を収録したディスクを加えた9枚組のボックスセット。

「筒美京平HITSTORY Ultimate Collection 1967-1997 2013Edition」(2013年)。1997年に発表された「筒美京平 ULTIMATE COLLECTION 1967~1997」のVol.1とVol.2に、新たに1998年以降に発表された作品を収録したディスクを加えた9枚組のボックスセット。

「結局、渋谷系的な音楽の在り方に共通しているのって筒美京平さんの仕事なのかなと思うんです。最先端の洋楽の要素を時代ごとに引用しながら、日本の新たなポップミュージックを作り出すというようなスタイルですよね。そういった和洋折衷的なセンスが90年代に入って花開いたのが渋谷系だったんじゃないですかね。京平さんがやっていたようなことを当時体現していたのが、まさに小西さんや田島くんだった。ファントムは青木くんが抜けるような形で終わっちゃいましたけど、小西さんや田島くんのようにその後もずっと活躍していく人がいたことが、ネオGS界隈と渋谷系がつながることになった大きな理由なのかもしれないです。あとはやっぱり高護さんというキーパーソンの存在も改めて大きいなと思います」

柔軟でハイブリッドな音楽の聴き方を提案していた小西と高という核となる重要人物の働きが、渋谷系という音楽誕生の背景の1つになったのは揺るぎない事実だろう。その礎の1つがネオGSだった。同じように当時の東京のインディーシーンで60年代の音楽の影響を受けたガレージロック、サイケデリックロック、モッズ系のバンドたちのエネルギーが1つになり、来たる90年代の幕開けにバトンをつないだからこそ渋谷系という価値観がオーバーグラウンドで形になったのではないか、と。

今回の取材の最後に、サリー久保田にこんな質問をしてみた。「ところで、ネオGSという言葉はそもそも誰が名付けたものなのですか?」

「高護さんです。ファントムがミディから作品を出す頃に、THE COLLECTORSやザ・ストライクスといった同じように60年代の音楽に影響されたバンドが出てきていたから、このムーブメントを適切に言い表すようなジャンルみたいなものを考えようということになって。そこで、高さんが『ネオGSってどうかな?』って(笑)。THE COLLECTORSの加藤くんが『俺たちはネオGSじゃない、ネオモッズだ』って当時怒っていたのも無理はなかったと思いますよ(笑)。出てきた背景も違うし、ファンも少しずつ違っていましたから。でも、そう言いつつ加藤くんは僕らを好きでいてくれたと思うし、一緒にライブもよくやりました。音楽の方向性は違えど、どこかで互いに理解し合っていたと思います。そういう柔軟な姿勢が渋谷系の時代につながる、1つの大きなエネルギーになっていたんじゃないですかね」

サリー久保田

1980年代中盤よりネオGSバンド、ザ・ファントムギフトのベーシストとして活躍。バンド解散後はles 5-4-3-2-1、サリー・ソウル・シチュー、SOLEILといったグループで音楽活動を続けている。またアートディレクター / グラフィックデザイナー / 映像ディレクターとしての顔も持ち数々のアーティストの作品を手がけている。

バックナンバー

岡村詩野

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制作協力:MINT SOUND RECORDS / ミディレコード

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西寺郷太 @Gota_NonaReeves

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