平成の音楽シーンの遍歴を追うこの連載。4回目となる今回は2005~11年の動向について振り返っていく。この時期は、YouTubeやニコニコ動画、さらにブログやSNSなど、新たなメディアが次々に登場し、音楽のあり方やカルチャーそのものが激変した時期だ。その一方で低迷するCDの売り上げを打開すべく、さまざまなアイデアがアーティストやクリエイターの側から打ち出されるようになる。
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ヒットの生まれ方が変わった
2005年という年はゼロ年代の音楽を取り巻く状況を振り返る際、1つの節目となる年でもある。まず、この年の前後にさまざまなネットメディアが開設され、それによって音楽そのもののあり方も変容していった。05年11月29日の「IT media NEWS」の記事にはこう書かれている。
「日本広告主協会Web広告研究会が11月28日発表した『消費者メディア調査』によると、ブログやソーシャルネットワーキングサイト(SNS)の利用者・訪問者数が急速に伸びている。今年9月時点のブログ訪問者は前年同期比で約2倍の2014万人、SNSは同6倍の190万人に拡大した」
この報告の通り、05年前後はブログが急速に広まった時期にあたる。“ブログの女王”と呼ばれる眞鍋かをりや中川翔子が自身のブログをスタートさせたのは04年のこと。そしてその同じ年にmixiやGREE、前略プロフィールといったSNSも日本で誕生している。これらの新しいコミュニケーションツールによって、タレントだけでなく、アーティストもファンと直接交流する時代に突入していったのだ。
続いて05年4月には、YouTubeもサービスを開始。それから2年も経たない07年1月、カナダで開かれた小さなのど自慢コンテストで2位を獲得した男の子の動画を母親がYouTubeにアップする。当時まだ12歳だったジャスティン・ビーバーの最初のYouTube動画だ。
彼のように、YouTube経由で大スターになる無名アーティストたちが後に続いた。12年に大ヒットしたPSYの「江南スタイル」や、13年にバウアーの「Harlem Shake」に合わせて踊る動画が世界中でアップされるなど、今日よく見られるような“音楽の風景”がこれ以降確立していく。YouTubeのトレンド・カルチャー部門の責任者であるケヴィン・アロッカは著書「YouTubeの時代 動画は世界をどう変えるか」において、バイラル動画という言葉が定着したのは06年から07年にかけてのこととしているが、この時期あたりから世界的なヒットを生み出すための方法論そのものがガラリと変わったわけだ。
そうした変化は当然日本にも及んだ。まず06年8月、ネットでライブができないかと考えていたドワンゴの技術者たちは、YouTubeの画面の脇にコメントを付けられる“試作品”を完成させる。これがのちのニコニコ動画だ。07年1月にサービスを開始し、翌08年頃から神聖かまってちゃんのの子はストリーミング配信を行い、そのパフォーマンスによって注目を集めるようになる。
また03年という早い時期に、ほかのSNSに先駆けてサービスを開始していたMyspaceは、日本語版を07年に入ってから本格的に展開。程なくMyspace上でたむらぱんがブレイクし、08年にはメジャーデビューアルバムをリリースしている。
そしてニコニコ動画がサービスを開始してからわずか7カ月後の07年8月、クリプトン・フューチャー・メディアによって開発された音声合成ソフトウェア「VOCALOID2 初音ミク」が発売。これは歌詞とメロディを入力するだけで、コンピュータで歌唱を作り出せるヤマハの技術“VOCALOID”を用いたソフトの1つであるが、“初音ミク”といえば、そのパッケージに描かれたキャラクターとしてご存知の方も多いはずだ。
07年9月、早速Otomaniaが彼女に歌わせた「Ievan Polkka」の動画をニコニコ動画にアップすると、瞬く間に人気に火がつくなど、発売直後から大勢のクリエイターが初音ミクで音楽を作ってインターネット上に投稿。一躍ムーブメントとなる。特に11年に黒うさPが投稿した「千本桜」はテレビCMに使われるなど、その波は一般層にまで届いていった。
09年からVOCALOIDでのオリジナル楽曲の制作をスタートさせ、同年5月には初音ミクを使った「お姫様は電子音で眠る」をニコニコ動画に公開していた米津玄師の現在の活躍については、改めてここで言及するまでもないだろう。
アキバ系のメジャー化、AKBの誕生
2004年末、アキバ系オタクを自称する人物による2ちゃんねるへの書き込みをもとにしたラブストーリー「電車男」の小説版が発表された。翌年にはその映画版が大ヒット。このことにより、アキバ系カルチャーの存在が一般層にまで認知され、その裾野が大きく拡張された。
05年には世界最大級のアニソンライブイベント「Animelo Summer Live」も初開催されている。また、06年4月にはライトノベルを原作とする「涼宮ハルヒの憂鬱」がテレビアニメ化されて話題を集めるなど、広義のアキバ系カルチャーが大きなムーブメントを作り出していった。
野村総合研究所による「オタク市場の研究」では、05年におけるコミックオタクのみの市場規模を850億円と概算している(ここで言う“コミックオタク”とは、フィギュアやコスプレの愛好家も含まれる)。同書ではオタク文化がメジャー化した背景として、消費社会が成熟し、平成に入ってから多様な価値観の発露が盛んになったこと、海外でアニメやコミック文化が高く評価されるようになったことを挙げている。
「電車男」以降、アキバ文化はオタク以外の一般層も楽しむものとなった。そして05年、それまでにない音楽ビジネスの方法論を打ち出した、とあるグループが秋葉原で活動を開始する。それが同年12月8日の公演「チームA 1st Stage~『PARTYが始まるよ』」によって劇場デビューを飾ったAKB48だ。そのプロデューサーを務めるのは、美空ひばり「川の流れのように」の作詞でも知られる秋元康。「川の流れのように」は、平成になって4日後に発売されたCDである。
「アイドルは時代の一番エネルギーのある場所から生まれる」と考えた秋元は、秋葉原に専用劇場としてAKB48劇場を開設。“会いに行けるアイドル”として彼女たちをデビューさせた。記念すべき初公演の一般観客数はわずか7人だったと伝えられているが、その後も握手会や写真会、じゃんけん大会、ドラフト会議など、それまでにないイベント企画を開催。中でもCDに投票権を封入して行われる選抜総選挙が話題を集め、徐々に劇場を超えた人気を獲得することになる。
「図解 平成オタク30年史」ではAKB48のブレイクの背景に、ブログやmixiなどのSNSにライブの感想が盛んにアップされ、ファンの間で拡散されていったことがあると指摘。そのうえで以下のように分析している。
「アイドルグループの先輩格となるおニャン子クラブ、モーニング娘。たちはまずテレビから知名度を広めたが、AKB48は『ライブ+インターネット発』という点が決定的に異なる。平成時代だからこそ成立したプロセスで人気が出たアイドルなのだ」
【1億5000万回も聴かれて、タイトルそのものとなったAKB48「ヘビーローテーション」。10年8月リリース】
また、秋葉原というホームを持つAKB48の成功は“ご当地アイドル”とも呼ばれるさまざまなローカルアイドルの結成も促したが、彼女たちが活動を開始する2年前の03年に新潟を拠点に活動を始めたアイドルNegiccoは、その先駆けとして忘れてはならない存在だろう。
【Negicco代表曲の1つに挙げられる作品「圧倒的なスタイル」】
さらにNegiccoよりも前の00年に結成し、広島をホームに活動していたPerfumeは05年にメジャーデビューをする。また、さまざまなコラボレーションを繰り広げて幅広い層のファンを獲得したももいろクローバーZ(08年結成)、AKB48の公式ライバルとして登場した乃木坂46(11年結成)、14年に世界進出を果たしたBABYMETAL(10年結成)などなど、その名を挙げていくだけで本稿の文字数を埋め尽くしてしまうほどのグループがデビューを果たしていく。こうしてゼロ年代後半から10年代初頭にかけてはまさにアイドル戦国時代の様相を呈していった。
【05年9月、Perfumeのメジャーデビュー作品「リニアモーターガール」】
【10年5月、ももいろクローバー(当時)のメジャーデビュー作品「行くぜっ!怪盗少女」】
その一方で、これらアイドルの楽曲やダンス、また先述の初音ミクの楽曲はリスナーによってたびたびコピーされ、“歌ってみた”や“踊ってみた”といった動画コンテンツとしてニコニコ動画やYouTubeに公開されていくようになる。そこから新たな才能が発掘され、歌手やアイドルとしてデビューするケースは珍しいことではなくなり、インターネットを介して生まれた“新しい循環”はますます加速していった。
ギャル演歌とケータイ小説、そしてアメブロ
最後にもう1つ、ゼロ年代後半ならではのとある潮流について触れておこう。それが加藤ミリヤや西野カナなど、“ギャル演歌”とも呼ばれた女性シンガーたちだ。
【10年5月にリリースされた、西野カナ「会いたくて 会いたくて」】
日経トレンディネットの記事「『報われない恋』『待つ女』―ギャルがケータイで聴きまくる“演歌”とは?」において社会学者の鈴木謙介は、ギャル演歌を「ギャルの支持が熱いアーティストが歌う、辛いことや悲しいこととどう向き合うかをとうとうと語る歌」と定義。ゼロ年代半ばから主に10代の間で人気となっていたケータイ小説との影響関係を指摘している。
また、速水健朗は著書「ケータイ小説的。―“再ヤンキー化”時代の少女たち」において、ケータイ小説の作家たちが浜崎あゆみの歌詞から多大な影響を受けているとも論じている。加藤ミリヤは90年代後半のディーヴァブームのシンガーたちに影響を受けて歌手への道を志し、西野カナはデビュー前に津軽民謡のボイストレーニングを受けている。だが、歌い手の世界観としてつながるのは“報われない恋愛”を歌う浜崎あゆみであり、そこにゼロ年代におけるギャル歌謡の1つの系譜も浮かび上がる。
【00年6月にリリースされた、浜崎あゆみ「SEASONS」】
加えて、ギャル文化を考えるうえでアメーバブログの存在も忘れてはならないだろう。04年に始まったこのサービスは若槻千夏が公式ブログを開設した07年くらいから急成長し、ギャル文化の新たな発信源となっている(西野カナも09年にアメーバブログに公式ブログを開設)。この時代はみんながインターネットにアクセスするようになった結果、ネットの中身が進化を遂げていった。アメーバブログのほか、YouTubeやニコニコ動画といった動画サイト、mixiなどのSNS、そして数多あるニュースサイト……ちなみにこの音楽ナタリーも07年に始まっている。
そして08年4月にTwitterが、翌5月にFacebookが日本語対応となる。さらにそれに歩調を合わせるようにして08年7月、iPhone 3Gがソフトバンクから発売。次に訪れるスマホ時代の足固めは着実に進み、人々はパソコンの前から解放されようとしていた。次の時代は常にその前の時代から始まるようだ。
次回は東日本大震災以降の4年間に焦点を絞って平成の音楽史を振り返ってみたい。
<つづく>
(参考文献)
「ブログ訪問者は1年で2倍の2000万超に 2chは990万人」(IT media NEWS)
野村総合研究所オタク市場予測チーム「オタク市場の研究」(東洋経済新報社)
「図解 平成オタク30年史」(新紀元社)
ケヴィン・アロッカ「YouTubeの時代 動画は世界をどう変えるか」(NTT出版)
「『報われない恋』『待つ女』―ギャルがケータイで聴きまくる“演歌”とは?」(日経トレンディネット)
速水健朗「ケータイ小説的。―“再ヤンキー化”時代の少女たち」(原書房)
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- 大石始
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世界各地の音楽・地域文化を追いかけるライター。旅と祭りの編集プロダクション「B.O.N」主宰。主な著書・編著書に「奥東京人に会いに行く」「ニッポンのマツリズム」「ニッポン大音頭時代」「大韓ロック探訪記」「GLOCAL BEATS」など。最新刊は2020年末に刊行された「盆踊りの戦後史」(筑摩選書)。サイゾーで「マツリ・フューチャリズム」連載中。
山田耕史 @yamada0221
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