「時をかける少女」は原田知世の引退作のはずだった!?大林宣彦が明かす

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特集上映「角川映画祭」が開催中の東京・角川シネマ新宿にて、本日8月13日、「時をかける少女」の上映に合わせて監督の大林宣彦がトークショーを行った。

「角川映画祭」のトークショーに出席した大林宣彦。

「角川映画祭」のトークショーに出席した大林宣彦。

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「角川映画祭」ポスタービジュアル

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「時をかけるおじいちゃんです」とにこやかに登場し、「角川映画は僕にとっての青春です」と語り始めた大林。プロデューサーとして名を馳せていた角川春樹から「映画にはアイドルが必要だ。薬師丸ひろ子をアイドルにしてほしい」と頼まれ、1981年公開作「ねらわれた学園」を手がけた。

「時をかける少女」 (c)KADOKAWA1983

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「時をかける少女」の企画のきっかけについて話が及ぶと、大林は同作を「女の子がピンと背筋を伸ばして『こんにちは』『ありがとう』と言っているだけの映画」と言ってのける。実は大林に監督を依頼したプロデューサーの角川は、その当時駆け出しの女優だった原田知世にすっかり惚れ込んでいたが、同時に彼女の凜とした姿勢は、薬師丸や萩原健一といった時代を象徴する役者たちのイメージと反するものだと考えていたという。

「角川映画祭」のトークショーに出席した大林宣彦。

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そのため大林と角川は「時をかける少女」を、原田の“引退作”として制作。角川の「いつか知世がおばあちゃんになって、田舎の家の一室で1人、『ああ、昔、私のために映画を作ってくれた人がいたな』と思い出してこの映画のフィルムをかけてくれたらいいなあ」という思いに応えるために作った映画だと、大林は続ける。

完成した作品を観て、原田は「私あんなんでいいんですか? 私だけポキポキして木彫りの人形みたいで、変ですねえ」と述べていたというが、大林は「時代からズレにズレた大ズレの映画。でも僕には、いつの時代でも少年の中には清純な心があると思っていた。徹底的に古典的に作れば、ひょっとしたら今の時代の子も振り向いてくれるのでは」という期待があったと述懐。そしてアイドル女優として売れっ子だった薬師丸主演の「探偵物語」と2本立て上映だったため、「ひろ子で呼んで、知世で帰す」というキャッチコピーを自身で付けていたことを明かし、観客を笑わせた。

1976年に公開された角川映画第1作「犬神家の一族」から、2016年で40周年。大林は「角川映画がなかったら今の日本映画界はない。そう言えるくらい、今の日本映画界の中心となっている監督たちを育ててきた」とその功績をたたえ、角川映画を手がけた日々を「表現者の自由が、未来を信じる熱気があった」と振り返った。

「角川映画祭」は9月2日まで開催中。

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桃田百合若 @yuriwaka

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