5年前に末期がんであることがわかった彼女は病魔と戦いながら活動を続けてきたが、今年1月から痛みを発するようになり、病院にて緩和ケア治療に取り組んでいた。戸川の息子であるNEROによると、末期がん宣告を受けた際に家族2人で何度も話し合って、「戸川昌子らしく生きたい」という本人の意向からその後もライブ活動を続けることに決め、彼女は入院する前日までステージに立ったという。
戸川は1950年代後半からシャンソン歌手として日本初のシャンソン喫茶店・銀巴里に出演するようになり、音楽活動の合間に長編小説を執筆。処女作「大いなる幻影」が江戸川乱歩賞を受賞し、さらに翌年「猟人日記」が直木賞の候補となる。1967年には東京・渋谷にサロン・青い部屋をオープンさせる。近年は人生の総仕上げとして、そして次世代に自身のスピリッツを継承するためNEROとともに「商売やめた」「ボン・ボヤージュ」という2枚のアルバムを制作。青い部屋のマダムとしてのエピソードをYouTubeで配信するなど、80代を過ぎてなお精力的な活動を続けていた。
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