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佐久間正英の渾身の遺作「Last Days」ビデオクリップ公開

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今年1月に亡くなった音楽プロデューサー、佐久間正英の遺作になった楽曲「Last Days」のビデオクリップが公開された。

「Last Days」は佐久間がプロデュースした作品の中から自ら選曲・監修した、3月5日発売のコンピレーションアルバム「SAKUMA DROPS」の収録曲。ビデオクリップは2013年12月13日に横浜のランドマークスタジオで行われたレコーディングの映像をもとに構成したもので、佐久間は入院先の病院からそのままスタジオに入り、ギター、ベース、ピアノを演奏した。

レコーディングメンバーはTAKUYA(Vo, G)、屋敷豪太(Dr)、乃木坂46の生田絵梨花(Piano、Background Vocal)、息子である佐久間音哉(Key、Programming)。スタジオにいる全員が「この作品が最後のレコーディングになるかもしれない」と覚悟する状況の中、佐久間は笑顔を交えて適切な指示を送り、おだやかにレコーディングを進めた。なお、このPVは川村ケンスケが監督を手がけている。

「SAKUMA DROPS」収録アーティストからのコメント(カッコ内は収録曲)

土屋公平(THE STREET SLIDERS「Angel Duster」)
レコーディングのスタジオに佐久間さんの柔らかな佇まいと笑顔があるだけでもうサウンドが鳴ってた気がします。一緒に音を作った日々と佐久間さんのこと、ずっと忘れません。

広石武彦(UP-BEAT「KISS IN THE MOONLIGHT」)
佐久間さんはアーティストの個性を最大限に引き出してくれるプロデューサーでした。予想外なアイデアを出すと「面白い」と言ってそのまま伸ばしてくれる。「KISS IN THE MOONLIGHT」はサビが3回あるんだけど、サビを抜ける所のコードとメロディーが3回とも違ってる。シングルとしてはかなり変な作りだけど「個性」という判断。間違った方向には絶対に首を縦に振らないけど、間違ってなければ「どんどん何でもやりなさい」というスタンス。

もし佐久間さんと出会っていなかったら、UP-BEATはもっと早い段階で崩壊していたと思うし、今でもミュージシャンとして活動している僕も無かったと思います。佐久間さん、ありがとうございました。

木村達司(dip in the pool「Miracle Play 天使が降る夜」)
佐久間さんが使う音楽に対する誉め言葉に”ありがたい”というものがある。「このギターの音、ありがたいねぇ」「この曲はありがたいねぇ」みたいな言い方。「『Miracle Play 天使が降る夜』はホントありがたい曲だよねぇ」……そんな音楽を一緒に作ることが出来て、ありがたき幸せ。

大槻ケンヂ筋肉少女帯「暴いておやりよ ドルバッキー」)
筋肉少女帯で2枚のアルバムをプロデュースしていただきました。ちょうどバンドが音楽的に転換期だったので、佐久間さんの包みこむようなアドバイスが本当にメンバー一同うれしかった。一度、佐久間さんのイベントで、佐久間さんがプロデュースしてくれた曲を、佐久間さんまじえて、筋少が横一並びにカラオケで歌ったことがありました。先に亡くなった者が、天国の上から人々を優しく見守り、時にアドバイスを与えるという内容の歌詞の曲でした。ご冥福をお祈りします。

ROLLY(すかんち「12月はいつもレイン」)
中学二年生の時、四人囃子の「ゴールデン・ピクニックス」を友人の奨めによって購入しインフルエンザ発症時に「泳ぐなネッシー」をヘッドフォンで聞いた私は人生初のサイケデリックトリップを体験し、それまでの価値観をすべて覆された!

その日以来、熱狂的な四人囃子フリークスの私が、佐久間正英氏と初めて仕事させていただいたのは、すかんちの5枚目のアルバム『GOLD』ございました。佐久間氏はもちろん色々な録音テクニックを教えてくださいましたが、その中でも一番印象が強く、且つ自分の中で今でも燦然と輝いているのが一般的なピッキングとは逆のアングルでギターの弦にピックを当てる佐久間式のピッキング。佐久間氏は海外ミュージシャンが実践する、このピッキング方法をご自分がプロデュースするギタリストに必ず伝授されておりました。私ROLLYはその日以来ずっと現在も佐久間式ピッキングを続け、また後輩のギタリストにも佐久間式を広めようと今日も活動しております。佐久間さん本当にありがとうございました!

岸田繁(くるり「東京」)
氏と初めて一緒にやったレコーディング、思い起こせば、当時キャリアのない自分たちにとって、まず音の良さが感動的だった。佐久間さんは、王道のサウンドを追求していらっしゃるように見えて、普通ならこうするよね、という所を直感的に斜めから切り込み、ポップな曲なら正反対のアブストラクトな音を、パンクロックなら全く正反対のジャズ的なギターのトーンを、といった風に、一筋縄ではいかないけれど、常にエクスキューズをバンドに提供してくれた。風通しのいい現場と、1音1音を大切にしてくれる素晴らしい耳。自由かつ柔軟なお人柄で、作業がとにかく楽しかった。目黒のドッグハウス・スタジオ近くの公園で、寒い中2人でギターとアコーディオンのセッションを録音したのがとてもいい思い出。今もなお、自分はしっかりと佐久間さんのある部分を受け継いでいる気がします。

佐藤征史(くるり「東京」)
「ピック弾きで指弾きの音とかスラップの音を鳴らすのが一番難しいから、僕はピックでベースを弾いているの」

佐久間さんが何気に質問に答えてくださった言葉は、デビュー前の自分には到底理解できる答えじゃなかったけど、まずは良い音を鳴らす努力が大事なんだと鮮明に当時の自分にインプットされました。そして、環境、機材、楽器の力を借りて「良い音」とは何かを教えてもらえたのが、佐久間さんとのレコーディングだった気がします。これからも精進していきます。ありがとうございました。

リンダdada(N'夙川BOYS「プラネットマジック」)
佐久間ジックできらきらと、光を帯びたプラネットマジックが、色とりどりのドロップスの中に在る事が、佐久間さんからのラブレターやと勝手に、想ってます。とけない魔法をありがとう佐久間さん。

マーヤLOVE(N'夙川BOYS「プラネットマジック」)
佐久間さんにレコーディングしていただいた曲は「プラネットマジック」「Freedom」「24hour」「路地裏BE-BOP」、BUCK-TICKさんのトリビュート「Empty Girl」という5曲です。「路地裏BE-BOP」では佐久間さん直々にベースもプレイしてくれました。一緒にスタジオに入って練習など一切なしで、初めて聴く歌とギターとドラムしか鳴ってない曲に同時進行でベースをサクサク録音していく佐久間さんに、ほんまスゲーなこの人と心の底でゾクッとしながらブース後ろで見てました。

穏やかでとても親切に接してくれる佐久間さん、しかしやはりロック気質な一面も多々あり、たまに飛び出す毒舌などにも震えました。楽しい思い出ですが、俺がね、ごちゃごちゃうるさかったんやとおもいます。「はいっ、マーヤは寝といてください」とミックス作業中スパッと言われたのは「うぉっ」となった記憶がございます。最後に録音してくれた時の終了時、たくさん生意気を言ってすいませんでしたと話したんすが、佐久間さんは「最近はこうしたいんだと主張するアーティストがへってきている、しっかりヴィジョンを持ちどうしたいのかしっかり伝えるということは大切なことだからそれでいいんだよ!」と、返してくれました。いちミュージシャンとして、先輩として、頂けたエールだと思ってます。

佐久間さんとのレコーディングで得た知識や思い出をしっかり胸に刻み付けロックンロールしていきます。ありがとうございました。

シンノスケBOYs(N'夙川BOYS「プラネットマジック」)
佐久間さんとのレコーディングは音楽の深さ、自由な表現の可能性、楽しみ方、アートとの向き合い方など様々ことを学ばせていただきました。またライブでは同じステージで演奏させてもらい、今でもその曲をプレイする時は佐久間さんのサウンドが心の中で鳴り響いています。名だたる先輩アーティストと共に「SAKUMA DROPS」に収録していただいたことにとても感謝しています。本当に有り難うございました。

遠藤賢司(遠藤賢司「東京ワッショイ」)
「佐久間正英ワッショイ!」

1978年、渋谷は、キャバレーロンドンチェーンの三階に、ライブハウス渋谷屋根裏は、在った。僕は、僕の新アルバムに、イギリスでもアメリカでもない、日本人の、東京の音が、欲しかった。四人囃子の大迫力生演奏のち、汗だくでベースを抱え、控室へ向かう佐久間くんを、客席で呼び止めた。「おお!勿論やりたいです。高校の時買ったシングル盤『本当だよ』大好きなんです」と、初対面のお公家様顔は、にょろっと、歯を剥いた。そして、確か、初夏から秋にかけて、他人から見ると、かなり奇想天外らしい僕の構想を、画の視える音楽にすべく、佐久間くん、岡井大二くんたちとの、空前絶後800時間にもわたる「東京ワッショイ」の録音が、始まった。そして、その800時間、いつも皆、クスクスと、時には腹を抱えて、兎に角、笑ってた。

この世には、あの世という願望は在るけど、皆目、分からないので、「そろそろ、君と、も一度、一緒に、録音したかったよ。お人好しで、のんびり優しく、何にでも真摯に応えてくれる、君が居たから、「東京ワッショイ」は、今日においても、完璧です。衷心よりありがとうございました。「佐久間正英ワッショイ!」

平沢進(P-MODEL「美術館で会った人だろ」)
優しい数学者のような風貌。 どんな音楽家や業界人の類型にも当てはまらない、等身大で清潔感の漂う誠実な方でした。デビューアルバムプロデュースのオファーを頂いた時、警戒心の強いP-MODELも「佐久間さんなら信頼できる」と即決したものです。

中西俊夫(PLASTICS「COPY('79 UK Version)」)
まーちゃんと過ごしたプラスチックスの時代は異常に濃い奇跡のような時間でありヨーロッパ、アメリカツアーはメンバー、スタッフ我々全員にとって希有な体験だった。そして作品は永遠に近いくらい未来にも残るそれを誇らしく思っている。

島武実(PLASTICS「COPY('79 UK Version)」)
P÷1/5=m.p×1/5=M.な感じですね。WTの時はいつも同室。静かに2人で睡眠薬の数を数えてました。

青柳亨(はる「むらさき」)
「むらさき」という楽曲を歌いました。当時佐久間さんはまだ30代であったと思われますが、常に不思議な静けさを漂わせセントバーナードを従えて、決して無理強いはせず、微笑みを持って我々を見守っていてくれました。河口湖のスタジオでのリハ合宿の事など懐かしく思い出します。佐久間さんありがとう。そして さようなら。

早川義夫(早川義夫「ひまわりの花」)
佐久間正英さんから「あれ?何で俺はこんなことが弾けるんだ?何でこんなに自由に演奏できるんだ?」と言われたことがある。「自由に弾ける」ということは、いったいどういうことなのだろう。おそらく、ふたりの間には言葉を交わさずとも、同じ音楽が流れていたのだと思う。

イズミコウジロウ(エレキブラン「なんかいいこと」)
収録曲は俺の昔のバンドのもので、当然、佐久間さんと録音したもの。スタジオにパンジーとキウイが遊びに来るレコーディングは楽しかった。そして佐久間さんがあまりにこちらの思考や、先に起こる事象を読み取る事に長けているので、バンド内では「佐久間正英宇宙人説」がまことしやかに流れた。時は経ち、佐久間さんが病気を告白なさる直前、久々にライブで共演する機会に恵まれた。佐久間さんは俺のステージを観てから重大なアドバイスを下さり、俺はそれを活かし、前へ進めた。その成果を見てもらうことは叶わなかったが、残念だとは思っていない。だってきっと、宇宙人は何もかもお見通しだったろうから。

CURIO(CURIO「君に触れるだけで」)
「君に触れるだけで」は、CURIOの1stアルバムで佐久間正英さんに数曲プロデュースをしていただいた後の、出会って2年目の共同制作でした。バンドデモの段階では詰め込みすぎていたアレンジを、解きほぐしてきちんと並べていただきました。こんなに間引いていいのかなと思ったほど。でも今聴くとまだ音数多いですね(笑)。佐久間さんにはずいぶん苦労をお掛けした楽曲でしたがCURIOの代表曲として今も演奏させていただいております。ありがとう!佐久間さん。

SHO(BY-SEXUAL「DEEP KISS」)
佐久間さんとの出会いは、DEEP KISSのレコーディングでした。あの頃の私は恐ろしいほど無知で勢いだけで唄っていました。それまでのレコーディングとは違い淡々と作業を進める佐久間さん。メンバー間で「絶対ロボットに違いない!」と話をしていたものです。そんな佐久間さんから「あの歌い方良かったね」と一言。堪らなく嬉しくなった事を今でも覚えてます。そして今から3年程前にある場所で16年振りに偶然再会。そこにはとても楽しそうに赤ワインを飲み仲間と語り合っているナチュラルな佐久間さんが居ました。その時に一言「SHOやん、また唄わないの?」って……堪らなく嬉しさが込み上げ、あの時と同じ気持ちが甦りました。

RYO(BY-SEXUAL「DEEP KISS」)
BY-SEXUALの「DEEP KISS」、この曲からアルバムレコーディングへと佐久間さんと作らせていただきました。佐久間さんと過ごす時間はとても緩やかに流れ、スタジオ中に流れる空気の清らかさに驚き、そしてその空気がとても居心地の良いものだった事を憶えています。何も知らない、何も出来ない、何も解っちゃいない間違いだらけの僕らの音楽の良いトコ伸ばして頂きました。

DEN(BY-SEXUAL「DEEP KISS」)
佐久間さんと初めての出会いとなった曲BY-SEXUALのシングル「DEEP KISS」。あれから20年以上が過ぎましたがあのとき、佐久間さんに出会っていなかったら恐らく僕は音楽を続けて行けなかったと思います。この曲のレコーディング後に行ったアルバムレコーディング時に佐久間さんからベースの弾き方を教わりました。教わる際に「まずどうしたらイイですか?」との僕の言葉に「まず爪を切りなさい!」と佐久間さん……そして「ハイ!」と従いパチパチと爪を切る僕に「そうやって、すぐ人の言う事を聞くからダメなんだよ(笑)」。スタジオ内は僕以外、大爆笑!真面目で冷静そうに見えるけど実は茶目っ気たっぷりな佐久間さん。僕はそんな佐久間さんが今も大好きです。

NAO(BY-SEXUAL「DEEP KISS」)
DOG HOUSE STUDIO。そこは今まで大きなブースでしかRECをした事のない自分には衝撃的でした。こんな所で何が出来るんだ? これが正直な僕の感想でした。たった4畳半程のブースとコンソールルームだけのスタジオ。しかしそのスタジオで起きるマジックに只々ビックリするだけでした。そこでは数々の日本の代表作が出来ました。その1枚として僕等の音楽にマジックを起こしてくれた佐久間さん。今でも自分の楽曲製作の参考にさせて頂いてます。本当に有り難うございました。

オーノキヨフミ(オーノキヨフミ「ショッキングエクスプレス」)
「ちょっとこの曲歌ってるんだよこの人!」。そう言って佐久間さんがご自身の音楽仲間にYouTubeで「ショッキングエクスプレス」のPVを再生したのは、お亡くなりになる約1年前の2013年2月。その時の子供のような笑顔が忘れられない。僕はこの日、佐久間さんに作っていただいたばかりのテレキャスターを受け取りに、目黒のスタジオを訪れていた。この夜、佐久間さんと語ったのは、楽器のこと。音楽のこと。生き方のこと。話しながらこの曲のレコーディング当時の事を思い出した。コンソールの前で素直に良いものを追及していくその姿勢。時代や音楽業界の形が変わっても、その姿勢は10年前とまったく変わっていなかった。佐久間さんがふれた多くの曲たちは、そんな単純で純粋な思いに満ちている。もちろん、生み出した楽器達にも。それらはこの先もずっと残っていくのだろう。

この日、佐久間さんが「この人みたいな才能を持つ人とまた仕事をしたい」と言ってくれたこと。この時は恐れ多くて照れ笑いしか出来ませんでしたが、実は音楽を続ける大きな原動力になっています。ありがとう。

山岸賢介(ウラニーノ「ダンボールに囲まれて」)
ウラニーノはインディーズ時代から最新作まで7年間、佐久間さんにプロデュースしていただきました。制作現場での佐久間さんは、いつでも静かに見守ってくれ、そして確かに導いてくれる人でした。静かすぎるなと思ったら寝ていることもよくありました(笑)。

「アーティストに最も必要なものは根拠のない圧倒的な自信」。そう教えてくれた佐久間さんのもと、のびのびと表現をさせてもらえたことは、この上ない幸せな経験でした。シングルでありながら自分たちの色を出し切ったこの曲を選んでくれたことも、最後にまた佐久間さんに背中を押されたような気がしています。

TAKUYA(Masahide Sakuma「Last Days」 / ROBOTS「コイビト」 / JUDY AND MARY「そばかす」)
僕のソロでのデビューシングル「コイビト」、JAM唯一のシングルチャートNo1「そばかす」、そして師との最後のセッション「Last days」。この3曲以外にも佐久間さんとの思い出のレコーディングは沢山あるけど、最後にソファーに倒れたまま、何度もサムズアップで頂いたプロデューサーOKを僕は生涯大事にこの先も佐久間さんにOKもらえるような演奏、音楽がんばります!

屋敷豪太(Masahide Sakuma「Last Days」 / The d.e.p「Mr.No Problem」)

風の様な人、風を操れる人。迷っていると追い風をくれて背中を後押してくれたり、集中したい時には無風にしてくれたり。辺りがはしゃぎ過ぎてるとクールな風になったり、辺りが沈み気味の時には暖かい風で僕らを和らげてくれる。自分自身は風だけにスルッと無理難題を通り抜けられる人でした。人間的にも音楽的にも包容力があり、知恵と才能を兼ね揃え世界でも通用出来る人でした。でも、日本の音楽シーンを盛り上げる事に本当の意味で命を捧げて来た人です。

生田絵梨花(Masahide Sakuma「Last Days」)
佐久間さん、そして素晴らしいアーティストのみなさんに囲まれて、本当に貴重な経験でした。レコーディングの時はプロの姿を目にしてたくさん刺激を受けました。その中で、佐久間さんに「のびのびと楽しんで」と言っていただきリラックスしてみなさんとセッションを楽しむことができました。こんな素敵な機会をもらえたことに感謝しています。

佐久間さんの最後の作品で、自分も一緒に音を吹き込むことができて、本当に光栄です。このアルバム『SAKUMA DROPS』には、色とりどりのドロップのように佐久間さんがプロデュースしてきた色んな年代の様々な曲が入っているので、私も佐久間さんの集大成を聴くのを楽しみにしています。

佐久間音哉(Masahide Sakuma「Last Days」)
ある晴れた週末の午後。父と僕はソファに座って話していた。「アルバム用にアンビエントテクノぽい曲を3曲作ってくれない?」アルバム「Last Days」を計画していた彼は僕に曲のオファーをしてきた。結局アルバムは作れず、この表題曲が遺作になってしまった。2014年1月15日、彼はその日マスタリングが終わったばかりのこの曲を聴き自らオッケーを出し、その夜、永眠した。佐久間正英が自身の最後の日々についての思いを描いたこの曲のレコーディングに参加できたことは今後の僕にとってとても大切なものになることだろう。

■Masahide Sakuma - Last Days 【MUSIC VIDEO & DOCUMENTARY】

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