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カミナリ

私と音楽 第16回 バックナンバー

カミナリが語るBUDDHA BRAND

色褪せないままいつまでも僕らの胸の中にいる

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各界の著名人に“愛してやまないアーティスト”について話を聞くこの連載。16回目はカミナリの竹内まなぶと石田たくみがBUDDHA BRANDについて語ってくれた。

取材・文 / 秦野邦彦 撮影 / タマイシンゴ

ヒップホップは地元を誇りに思わせてくれた

たくみ 2人とも1988年生まれなので「さんピンCAMP」(1996年7月7日に東京・日比谷野外大音楽堂で開催されたヒップホップイベント)の頃は小学生で、BUDDHA BRANDを聴いたのは完全に後追いなんです。僕は中学生のときにRIP SLYME、KICK THE CAN CREW、ケツメイシを聴いて、初めて韻を踏んで歌う音楽のジャンルがあるんだと知って。まなぶとは中学時代一緒にそういう音楽を聴いていたんですけど、高校に進学したらヒップホップ好きが僕しかいなかったんです。

まなぶ 僕は8コ上の姉にLUNCH TIME SPEAX、Dragon Ash、Sugar SoulのCDをよく聴かされていました。ちょうど地元の茨城県水戸市はランチ(LUNCH TIME SPEAX)がめちゃくちゃ熱い時期で。たくみとは違う高校だったんですけど、僕の高校はラップ好きなクラスメイトが多くて、その子たちにNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDを教えてもらいました。

たくみ ある日まなぶから電話で「濃いヒップホップ聴きたくない?」って言われて。それで休みの日にまなぶの家に行って、その日一気にニトロ(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)とランチ聴かせてもらって。正直リリックは何言ってるかわからなかったんですけど、それ以前にリズム感とかときどき聴き取れる言葉の強さに衝撃を受けて。だから、あのときのまなぶからの電話がアンダーグラウンドな日本語ラップの入り口でした。その頃観たランチの「BEAT ON TACTICS」のMVに、小学生の頃親の車で遊びに行ってた水戸芸術館のタワーが出てきて彼らが水戸出身だと知ったんですよ。それから石岡のMARS MANIE、守谷のSMITH-CN、茨城にこんなかっこいいラッパーいるんだって知って急に誇らしくなって。そこからどっぷりはまっていた感じです。

まなぶ ちょうどTEAM 44 BLOX(DELI、YAKKO、MIKRIS、MARS MANIEを中心とする千葉、茨城のヒップホップクルー)が出てきて、このへんすげえ熱いんだ、みたいになって。16歳くらいで僕らはまだ年齢的にクラブには行けなかったんですけど、姉ちゃんに聞いたら地元のヒップホップイベントは毎回パンパンでとにかくすごかったって言ってました。

ILLもCHILLもブッダから

たくみ BUDDHA BRANDを知ったのは、ランチが参加してる「DON'T TEST DA MASTER」を聴いて「めちゃくちゃカッコいいけど、この3人誰?」と思ったのが最初です。そこから過去をさかのぼって「病める無限のブッダの世界 ~BEST OF THE BEST(金字塔)~」を聴いて。ブッダはアメリカから逆輸入という形で日本に入ってきて、俺たちも逆輸入というか「ランチ目当てで聴いたらブッダが来た!」という感じの衝撃でした。

まなぶ 曲の入り口でいうと、僕は「ILL伝導者」から。高校の友達が始めたブログのタイトルが「ILL伝導者」だったんです。「これ何?」って聞いたら「BUDDHA BRANDだよ」って。うちの高校で当時流行ったのが、放課後カラオケ行って「ブッダの休日」のテンポを一番速くして誰が一番うまく歌えるか競う遊びでした(笑)。

たくみ 僕はまなぶから教えてもらったんです。そのあと「人間発電所」「ブッダの休日」を聴いて。“ILL”って言葉は「ILL伝導者」で知って、“CHILL”って言葉は「ブッダの休日」で覚えました。ヒップホップの言葉はほとんどBUDDHA BRANDから教わった感じですね。僕は「ブッダの休日」が大好きで、今もロケで間に困ったら「ブッダの休日」を歌います。「空を駆けてくような気持ち良さ……」

まなぶ まるまる歌えるっていうボケですね(笑)。

BUDDHA BRANDが大好きだからブッダにしようって

たくみ 僕らの最初のコンビ名は“ブッダ”だったんです。まなぶが「語呂がいいもの、例えばダウンタウンとか次長課長みたいに韻を踏んでるのがいいんじゃない?」ということでいろいろ考えたんですけど、いいのが見つからなくて。だったらインパクト重視で2人ともBUDDHA BRANDが大好きだからブッダにしようって。

まなぶ “ブランド”まで付けるかどうかちょっと迷ったんですけど(笑)。ただ事務所に入って1カ月ぐらい経つ頃に「ブッダは宗教の匂いが強すぎて勘違いされるから変えましょう」って言われて。それでうちの母ちゃんの提案で「カミナリ」になりました。KAMINARI-KAZOKU.から取ったという説もあるんですけど(笑)。

たくみ BUDDHA BRANDのMC3人からそれぞれ影響を受けたんですけど、僕が最初にすごいと思ったのはCQさんです。「ILL伝道者」も「人間発電所」もCQのラップで始まるんですけど、歌い出しってサビと同じくらい重要じゃないですか? それでまず耳に入ってくるCQのラップにやられて。ほかにないですよね、あんな独特なフロウ。そこから次第に「DEV LARGEのフロウ、カッコよくね?」「NIPPSのパンチライン多くね?」「3人みんなすげえ!」ってなって。

まなぶ 俺はやっぱりデミさん(NIPPS)ですね。18歳で東京に出てきて芸人始める22歳までの4年間、たくみと俺とRISKYっていう地元の友達3人でオリジナルのラップを作って遊んでたんです。RISKYは中学のとき“ビーフ”になった相手なんですけど。

たくみ ただの喧嘩な(笑)。

まなぶ 20歳ぐらいのときに向こうから電話が来たんです。「仲直りしたい」って。俺らのほうが悪いんだけど……と思いながらも「許してやるよ」みたいな感じで。

たくみ ひさしぶりに会ったらけっこう本格的にラップやってて。なんなら俺らより全然詳しいし、だったら一緒にやろうよって。最初YouTubeで海外のフリー素材みたいなインストを引っ張ってきて、ノートパソコンに声を吹き込んで。

まなぶ 曲ができたら今度はMV作ろうって夜中の多摩センター駅前で映像撮って、朝までにMVを完成させて。誰に聴かせるわけでもないんですけど、その作業がすごく楽しかった。当時はデミさんぽいリリックを書こうとして……今聴くとめちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってます。

たくみ 俺が覚えてるまなぶのリリックは「国分太一 カーボンカスタム」「見た目が黄色の茶色いもの」。何言ってるかわかんないけど、耳には入ってきますよね? デミさんって同じ言葉を隣り合わせで2回使うことがよくあるんですけど、その流れで「国道ダッシュだ 国分太一 国分太一 カーボンカスタム」(笑)。とにかくまなぶの“パンチライン残そう感”は強かったですね。

まなぶ 1回、RISKYの知り合いのDDくんというトラックメーカーの家でレコーディングしたことあったよな? 実家暮らしで、親に買ってもらった機材がすごいんです。仏間にMPCとか網(ポップガード)の付いたマイクとかいろいろあって。

たくみ 途中、DDくんのお母さんの「静かにして!」って声が入って、それがなんかいい感じだったり(笑)。これがそのとき作った「I-TA-CHIIIII Style」という曲です。ちなみに今回のインタビューはBUDDHA BRAND好きとして臨んでますけど、この曲の俺のリリックはICE BAHN「越冬」のFORKさんのヴァースに感化されて、ひたすら韻踏むことばっか考えて作ってます。

ルーズリーフ片手に歌うのもヒップホップ

まなぶ どうしても生でデミさんを見たくて池袋BED観に行ったもんな? 月曜の深夜。

たくみ B.D. the BrobusとのTHE SEXORCISTというユニットがリリースイベントやるからって。行ったらデミさんがSEXORCISTの黄色いシールをめちゃめちゃ持ってて。遠くから見てたら向こうから「いるう?」って俺に6枚、まなぶに3枚くれたんですよ。

まなぶ あげすぎだし、数合ってないし。意味わかんない(笑)。

たくみ しかもそのあとデミさんの出番になったら、ルーズリーフ片手に歌ってるんです。歌詞覚えてないから(笑)。それが全部衝撃で。枚数バラバラでシール配るのも、客前で堂々と紙を見ながら歌うのも全部ヒップホップだって思っちゃって。

まなぶ お笑いのライブのオープニングでオリジナルのラップやってくれって言われることが多いんですけど、僕も紙を見ながらやるんです。お客さんは「何こいつ紙見ながらやってるんだ?」と思ってるかもしれないけど、「いやいや、デミさんがやってるから。カッコいいことだから!」みたいな感じで誇りに思ってやってました。

たくみ 申し訳なさそうにじゃなくブースに肘ついて堂々と歌って。誰1人伝わってなかったよね、あれ(笑)。あと「さんピンCAMP」でデミさんが殺虫剤のスプレー撒きながら「大怪我」歌ってる映像がめちゃくちゃカッコよくて。いつかああいうパフォーマンスやりたいなと思っていたら、先輩芸人の永野さんがZepp Tokyoで単独ライブをやるとき「最後はジュリアナ東京みたいにみんなで踊って終わりにしたいから、カミナリも賑やかしでステージに上がってくれ」って言われて、「ここだ!」と思ってスプレー持って上がったんです。夢を叶えてくれた永野さんには感謝ですね。

まなぶ 100円ショップで買った石鹸の香りのやつだったけど(笑)。

ひさしぶりにDEV LARGEの声が聴ける

たくみ 僕ら結局DEV LARGEさんには会えないままだったんです。だから2015年に亡くなったときはすごくショックでした。なんでカッコいい人って一番いいときに死ぬんだろう……って。裏を返せば、色褪せないままいつまでも僕らの胸の中にいるってことなんですけど。そしたら今年DEV LARGEが生前プロデュースしていたBUDDHA BRANDの2ndアルバムが出るっていうじゃないですか。

まなぶ 突然たくみからメッセージが来たんです。「BUDDHA BRANDの新曲だよ」って。

たくみ YouTubeの公式チャンネルに先行シングル「CODEな会話」が上がって、慌ててまなぶに送った。たぶんみんな、ひさしぶりにDEV LARGEの声が聴けるってことで、楽しみにしていたはずなんです。実際カッコいいし、「て」で踏んでる韻の数もハンパないし。それでも結局NIPPSの「ロッキー・バルボア」の部分のパンチラインで持ってかれちゃった人、けっこういるんじゃないかな。

まなぶ 言ってることひどいし、意味わかんないんですよ(笑)。「やっぱデミさんヤバいわ」ってメッセージ返して。

たくみ なんなんですかね、漫才で言うならダウンタウンさんの漫才を今観られるみたいな感覚ですかね。当時の未発表曲ですけど、カッコいいからリアルタイムで届いた新曲みたいな感覚で受け取れるし、20歳の頃のワイワイやってた自分に戻れる感が楽しいですね。

まなぶ 俺らも今のうちに未発表漫才作っとこうか? 超面白いやつ。

俺らなりの“無敵の3本マイク”

たくみ 昔から僕はDEV LARGEのプロデュース能力に憧れていて。だから自分たちでラップをやるときは編曲もするし、MVも全部撮る。とにかくプロデュースというのがすごい好きで、「HIS MASTER WORKS」の真似してロゴマークも入れてたんです。北野武さんの映画が“K”のロゴから始まるように、俺の映像作品は“STUDIO ISHIDA”で始める。

まなぶ 動画はたくみに全部任せて、ロゴは俺と姉ちゃんで作ったんです。

たくみ 芸人としても俺の中では漫才でまなぶをどう面白く見せるかっていうプロデュースをしてるつもりなので、プロデューサーでありプレイヤーでもあるDEV LARGEをすごく尊敬してますし、ああいう力を付けていきたいと思っているんです。そしてまなぶはまなぶで、“カミナリのデミさん”としてずっといてほしい。ライブのとき一緒にネタ作ってるダーヨシはCQさんみたいな顔してるな(笑)。

まなぶ 俺らなりの“無敵の3本マイク”ですね。それをマネージャーがDJ MASTERKEYとしてしっかり支えてくれて。そこにシオマリアッチが加わって一緒にライブ告知用のラップを作って。

たくみ グレープカンパニーは俺らにとってのEL DORADO(DEV LARGEが主宰していたEL DORADO RECORDS。黄金郷の意)だな!

カミナリ

茨城県出身の幼なじみ、竹内まなぶと石田たくみで2011年に結成されたお笑いコンビ。2016年、17年の「M-1グランプリ」で決勝に進出。現在「おはスタ」「ウチのガヤがすみません!」「カミナリのチャリ旅! シーズン3」「カミナリの『たくみにまなぶ』~そういえば茨城ばっかだな~」にレギュラー出演中。

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