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ジャニスの袖看板。2018年10月撮影。

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音楽好きを虜にした魔窟、ジャニスの37年の歩み(後編)

CDバブルの90年代、市場縮小の2000年代を経て、レンタル営業終了へ

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1991年に始まった洋楽の新譜レンタル1年間禁止の動きによって、ジャニスは旧譜貸出と中古販売をメインにせざるをえなくなった、と前回書いた。この点について、1990年代という時代はジャニスにとって追い風だった。後編となる今回は、その1990年代以降のジャニスの状況について書いていく。

取材・文 / ばるぼら

旧譜に価値がある渋谷系ムーブメント

1990年代に東京を中心に盛り上がったムーブメント・渋谷系は、邦楽の最新動向でもありつつ、膨大な旧譜の中から現代に新鮮に響く音楽を見つけ出す運動でもあった。「1990年代がジャニスにとって追い風だった」と前述したのは、渋谷系ファンの多くが、1960年代のソフトロックやサントラ、1970年代のファンクやジャズ、1980年代のネオアコやギターポップといった音楽を聴きたがり、その多くをジャニスはすでにレンタルで取りそろえていたからだ。当時ジャニスが入っていた御茶ノ水の増渕ビル入り口の壁にフリッパーズ・ギターのVHS「THE LOST PICTURES, ORIGINAL CLIPS & CM'S plus TESTAMENT TFG Television Service」(1993年9月発売)の大きなポスターが貼ってあったのは、そうしたリスナーを歓迎してのことだろう(このポスターは今もレジ裏にひっそり残っている)。

雑誌には広告を打たなくなっていたジャニスも、1年に1回発行されていた全国の中古盤屋ガイド本「レコードマップ」には、1994年から2000年代半ばまでほぼ毎年広告を出しており、自分たちの店はレコードマニア向けであると自覚していたようだ。

1995年9月には販売専門の2号店、ジャニス2を神田の高橋ビル1階に開店。中古CDを1万枚、新品CDを2000枚そろえており、渋谷系ファンが好きそうなジャンルはもちろんのこと、ワールドミュージック、ローファイ、音響派、現代音楽など癖のある品ぞろえで、非レンタル派はこちらに足を運んでいた。

これが好評だったのか、1998年3月には3号店・ジャニス3を神田・協立ビル1階にオープンさせた。こちらも中古1万枚・新品3000枚の在庫を抱え、扱うのはオールジャンル。私見では日本のインディーズやポストロックに強かった印象で、2001年に出たばかりのDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN(現DC/PRG)「REPORT FROM IRON MOUNTAIN」やデビューしたてのSpangle Call Lilli Lineを強く推薦していた記憶がある。1998年が日本のCDバブルのピークであるように、1990年代後半から2000年代前半はまだまだCD需要は高く、中古CDショップも栄えていた。

ジャニスが旧譜と中古販売路線になった、とは書いたものの、洋楽新譜レンタルの裏技として、店が客に一定期間貸し出すのではなく、“店が客に販売し、一定期間内に店がレンタル料金分を引いた額で買い取る”という疑似レンタルの仕組みがあった。青いテープが貼ってあるCDがその対象だったと記憶する。これは“買い戻し特約”と呼ばれる行為で、レシート上では売買だとしても法律上は貸与と見なされる。ただ、買い戻し特約は常に行われていたサービスではなかったので、権利者はその存在に気付かなかったかもしれない。なぜこの洋楽の新譜があるのか、という疑問にはレジで口頭で説明された。このあたりは限りなく黒に近いグレーだったと言える。

火災による移転と2000年代以降

1999年、ジャニスに異変が起こる。開店当初から入っていた増渕ビルで火災が起き、大半のレコードが水浸しになってしまったのだ。それを機にジャニスは移転を決定。1999年9月9日、スキー用品店がたくさん入った神田第2アメレックスビルの9階に新店舗をオープンさせた。併せてジャニス2はその火災が起きた増渕ビルに移動している。ジャニス2は2フロア編成となり、2階はそれまでと同じ路線だが、3階は全CDが500円均一(その後価格は変動した)という奇妙な営業形態をとっていた。

この移転後に始まったのがレンタルCDに貼られた“定番”シールで、何を借りようか迷っている人向けに始まったお薦めサービスである。特に過去20年間に借りられた上位2000タイトルには“超定番”シールが貼られており、そのときの統計では邦楽レンタル率第1位は裸のラリーズが1991年に発表したアルバム「MIZUTANI」だったそうだ。ラリーズは公式アルバムを3枚しかリリースしておらず、中でも「MIZUTANI」は500枚しかプレスされなかった入手困難作品。2000年代初頭はプレミア価格が5万円を下回ることはなかった。それが数百円でレンタルできるのだから、誰もが借りたいと思うのは当然だろう。ただし人気盤ゆえにレンタルの予約待ち人数は途方もなく、借りるまでに半年かかったような印象がある。ほかにもジャニスではスピッツの1990年のアルバム「ヒバリのこころ」、くるりの1997年のアルバム「もしもし」、ゆらゆら帝国の1992年のアルバム「ゆらゆら帝国」といったメジャーなアーティストのレアなインディ盤が当たり前のように置かれていて、後追いのファンに優しい店としてJ-POPファンにも口コミで広まっていた。

1990年代の渋谷系が一段落したあと、2000年代のジャニスは新たな路線を開拓していく。移転後に働き始め、のちに店長となったテクノミュージシャンのGeodezikこと下城貴博氏が新規に作ったエレクトロニカコーナーは、2000年代ジャニスの特に大きな路線の1つである。

ほかにプログレッシブロックのサブカテゴリ“辺境派・マージナル”も、ノイズ、即興、フリージャズ、変拍子ロックが混ざった独自の棚作りで特徴的だった。現代音楽のサブカテゴリ“ぼの・なごみ系”は、ほのぼのとしたトイピアノ演奏のグループなどが並ぶ奇妙な棚だ。さらに“80's MANIACS”“Chill Out~Cafe~Relaxin'”“Here comes Shoegazer Again”などジャンル入門的な特集コーナーは定期的に更新され、別のものを探しに来た客に提案するような棚作りを促進していた。

参考までに、2000年6月1日に開設されたジャニスの公式Webサイトは、当初は買取表や地図を載せる程度だったが、2003年から2006年までは邦楽のレンタルランキングを発表していた。それによると、2003年1位はPolaris「HOME」。2004年1位はZAZEN BOYS「ZAZEN BOYS」。2005年1位はサンボマスター「サンボマスターは君に語りかける」。2006年1位はrei harakami「わすれもの」。ジャニスの利用者がどんな音楽に興味を持ち、どんな音楽を自分で買わずにとりあえずレンタルでチェックしようとしたのか、ある程度想像できるラインナップである。このランキングは今もサイト上で公開されているので参照してほしい

ところで、CDが売れていた時代には問題になることも少なかっただろうが、ジャニスの特色である自主制作盤の扱いには議論が起き始めた。2007年10月、音楽家の渋谷慶一郎のブログで、渋谷が運営するレーベルATAKのCDをレンタルで扱わないようにとジャニスに申し入れた旨が書かれた。「自分もレンタルでお世話になっただろう」と批判する声も当時あったと思うが、CD市場の縮小で、報酬が入るわけでもないレンタルをされると、レーベル運営に支障をきたすという現実的な問題がそこには記されていた。2010年3月にはneco眠るがTwitterで「一銭ももらってない」と大阪のK2と東京のジャニスを名指しで言及し、インディレーベル・mapの小田晶房氏もレーベル運営のリスクをわかっていないといら立ちを表明していた。聞き手にとっては便利なジャニスも、作り手にとっては必ずしもそうではないらしいと、ここで初めて認識した人もいたのではないだろうか。

移転と中古販売の縮小

2000年代のジャニスは引越しが続いた。少し駆け足で説明するが、ジャニス2は2003年9月14日頃、御茶ノ水のエチゴヤビル1階に移転。それまで2、3階に分かれていた在庫が1つの店舗に統一されたので一覧性がよくなり、階段を上らなくて済むので利便性も高まった。レジの奥や店の屋根にはレア盤が吊り下げられ、特に邦楽インディーズや洋楽ポストパンクの希少盤が充実していた。店の奥ではレンタル店で誰も借りなくなった廃盤CDを安価で放出していた。それから13年以上は同じ場所で営業していたが、2017年4月1日に向かいにある第2万水ビル2階へ再度移転。こちらは店舗スペースが狭く、かつての豊富な品ぞろえをイメージするとやや戸惑う。

ジャニス3は2004年1月から御茶ノ水の成田ビル1階に移転。しかし2005年12月18日にビルで火災が起き営業を休止する。2006年3月9日頃から本店と同じビルの8階で仮営業を始めたが、中古だけを扱うにはフロアが広すぎたため、同年9月からフロアの余った半分を使ってイベントスペース「ジャニス・スペース」の運営をスタート。ライブなどを行うようになった(最初の出演者は静岡のユニット・TAaGA)。だが、2007年7月20日にジャニス3は同所での営業を終了し、イベントスペースも10月6日に閉鎖。下北沢に移転し、店名を「かぱえぷしろん」に変えて2007年8月24日に新規オープンした(2009年10月中旬閉店)。

こうした中古販売の閉店と縮小路線は、インターネット普及の影響が大きいと思われる。ヤフオク!やAmazonマーケットプレイス、最近だとメルカリのような個人売買が広まったことで、中古の買取が機能しなくなっていったという。中古屋では500円で買い取られるCDが、ヤフオク!に出せば2000円で売れるとなれば、中古屋に持っていく人が減るのは当然ではある。実際、ジャニス2の在庫は移転前の数年はあまり変化がなく、1年前にあったCDがまだ同じように並んでいることはザラで、流動性が減っていた。ジャニス2は2009年頃からヤフオク!、Amazon.co.jp、楽天などで通販を行うようになっていたが、これは実店舗を訪れずネット通販で済ませる人が増えてきた時代への対応だったのだろう。

ジャニスが象徴していたもの

2016年9月17日に代表の鈴木健治氏が亡くなり、そのおよそ半年後の2017年4月1日、ジャニス本店はアメレックスビル9階での営業を終え、ジャニス2が入っていたエチゴヤビル1階に移転した。スペースが狭くなったので店頭在庫が減り、品ぞろえはかなり厳選されてしまった。これはユーザ離れの一因となったに違いない。同年8月にはGeodezikが諸事情で店長を終え、そしてその1年後の2018年8月、本店の閉店が告知された。

閉店がアナウンスされてからの動きは、2018年9月で通常営業は終了、10月はレンタル料金30%割引営業、11月は在庫処分セール、という流れである。連日かなりの賑わいで、セール開始初日には入店のための整理券が数百枚配られたのを確認した。興味深いのは、11月16日にテレビ朝日系「タモリ倶楽部」で組まれたジャニス閉店についての緊急特集だ。それによれば、同番組の人気コーナー「空耳アワー」で使われている音源は、コーナー開始当初からジャニスでそろえていたという。投稿されたネタの内容を確認するため、25年以上にわたって毎回スタッフが100枚近く借りていたと言うから、いいお得意様だったのだろう。番組内でADは「元の歌詞がわからないといけないけれど、CDだと歌詞カードがあるから助かっていた」「閉店後にどうやって音源をそろえればいいのかわからず悩んでいる」と、「空耳アワー」が存続の危機であることを語っていた。思わぬ影響だが、今後どうなるのか気になるところである。

さて、ジャニスが閉店するのは時代の流れだろうか。YouTubeなどでいくらでもマニアックな音源の試聴が可能な時代に、レンタルは時代遅れな行為だろうか。iTunes Storeなどのダウンロード販売、Spotifyなどのストリーミングサービスがあれば、CDなどの物理メディアは不要になっていくのだろうか。「最近の若い人はCDプレーヤーを持ってないんだって」という話題が年配の音楽ファンの定番ネタになってひさしい。

ジャニスが象徴していたもの、それは「あそこに行けば聴きたいものが聴ける」という安心感だったのではないか。利用者にとっても、非利用者にとっても、である。「今はYouTubeがある」という声はあるだろうが、YouTubeは洋楽と比較して邦楽の公式音源がいまだに少ないままであり、無断アップロードと権利者による削除が繰り返される不安定なサービスだ。Spotifyもテイラー・スウィフトが一度全アルバムを削除したように、権利者側が配信を止めたらそこでもう消えてしまう非固定的なサービスである。そうした流動的な音楽環境が主流になっていく中で、固定化された音楽環境の底力を示していたのがジャニスだった。ここではジャニスの閉店を惜しみたい。もうあんな店は現れないだろう。

<終わり>

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ばるぼら

ネットワーカー、古雑誌蒐集家、周辺文化研究家。著書に「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」「消されたマンガ」(赤田祐一と共著)「日本のZINEについて知ってることすべて」(野中モモと共著)など。

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