中島卓偉がTAKUIを完コピ、ソロ活動26年の成長を示す“リテイク”アルバム

今年2月から最新オリジナルアルバム「JAGUAR」を携えた全国ツアー「TAKUI NAKAJIMA LIVE 2025 BRAND NEW JAGUAR TOUR」を開催し、7月には20年ぶりとなる東京・日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)でのワンマン「大感謝祭!! 2部構成LIVE!! ALL TIME BEST “HISTORY” すべて見せますスペシャル!!」を実施した中島卓偉。日比谷野音公演は26年間にわたるソロ活動を総括するような構成で、現役で走り続ける中島の軌跡がパフォーマンスで示された。

数多くのライブをこなす中、中島は10月22日に“リテイク”アルバム「Retake The Best ~TAKUI SONGS ONLY~」をリリースした。このアルバムは1999年から2005年までの約7年間、“TAKUI”名義で活動していた頃に発表した楽曲を再びレコーディングした作品。ボーカルのキーは同じまま、あえて再構築せず極力オリジナルを忠実に再現したアレンジで、当時の楽曲を現代によみがえらせた。

中島はなぜ“アレンジ”ではなく、“リテイク”という形で再レコーディングを試みたのか? 音楽ナタリーのインタビューでは「Retake The Best」の制作背景について触れつつ、26年間のソロ活動を振り返ってもらった。

取材・文 / 西廣智一撮影 / 星野耕作

原点回帰だけじゃない、これまでの成長を証明するための“完コピ”

──7月21日の日比谷野音公演、無事成功のうちに終わりましたね。2部構成でトータル4時間の長丁場でしたが、手応えはいかがでしたか?

やっぱり野音が建て替えで今の形ではなくなるってことで、憧れのステージでもあったので寂しさもありましたよ。ライブ中は一切思わなかったんですけど、朝に野音まで向かう道中とか建物に入るときとかは、さすがにそういう気持ちになりましたね。

中島卓偉

──お客さんの中には卓偉さんのライブにひさしぶりに駆けつけた方もいらっしゃったでしょうし、前回のインタビューを読んで「行ってみよう」と思った方もいたかもしれません(参照:中島卓偉「JAGUAR」インタビュー)。

ですよね。やっぱり野音って独特で、自分もお客さんとして観に行ったときに夏祭りみたいな雰囲気を感じたりしていて。それをステージからひさしぶりに体感できたし、「そうそう、野音ってこうだよな!」という感覚になれたのはうれしかったです。特に、初めてのお客さんは、時間の経過とともに会場の雰囲気が変わっていく様子を体感できて、すごくラッキーだったんじゃないかな。スタートした時間帯はやっぱり暑かったですけど、最終的には気持ちよかったですね。

──そのライブの直後に届いた、今回のリテイクアルバムリリースの知らせ。前作「JAGUAR」が最後のCDになるかもしれないとおっしゃっていたので、ホッとしたところもありましたが、その後Xで「THIS IS LAST CD!」と投稿していたことで、「やはり、そうかあ……」と複雑な気持ちになりました。

そりゃそうですよね(笑)。状況がそんなに大きく変わっているわけではないんですけど、ただ作り続けたいっていう気持ちだけは変わらなくて。今後どうなるかは本当にわかりませんが、ひとまず今作が中島卓偉としての最後のCDになる予定で、その後は配信とレコードでのリリースを考えているところです。

──そんな最後のCDに選んだのが、活動初期にTAKUI名義で発表した楽曲群のリテイク。なぜこのタイミングにこの作品を出そうと思ったんですか?

これまで中島卓偉名義で、TAKUI時代の楽曲を含むベストアルバムを出したことはあるんですけど、TAKUI名義で活動していた時期の曲だけを集めたベストアルバムって一度も作ったことがなくて。デビューして26年が経って、独立してからも3年が経ったこのタイミングに一度原点回帰として、ずっと歌い続けてきた初期の楽曲にスポットを当てるのもいいのかなと思ったのがまず1つ。そして、単に過去の音源の寄せ集めよりも、リスナーの皆さんの当時の思い出を崩さないやり方として、今の自分が当時の音源を完コピする形でリテイクベストアルバムという形を採るのがいいんじゃないか、というのがもう1つの理由です。加えて、どの曲も一切キーを下げていないので、この26年でどれだけ自分が成長したか、その力量も皆さんに確かめてほしかった。かつ、ファンのみんなと一緒に育ててきた初期の曲を今の自分が歌って表現することで、ここまでおごらずやってきたんだよという証明にもなるのかなと思って、「Retake The Best ~TAKUI SONGS ONLY~」というアルバムの制作に至りました。

中島卓偉

──そうだったんですね。

別に過去の音源が恥ずかしいから全部洗い直したいとか、そういうことではないんですよ。とはいえ、デビュー当時の楽曲はすでに26年も前の作品なので、制作におけるテクニカルな技術も大きく変わっているし、過去の音源をリマスタリングするにしても限界はあると思うので、2025年のテクノロジーと今の自分の歌を用いて、当時の楽曲を現代によみがえらせたかったわけです。

──確かに、レコーディング含め制作におけるテクノロジーは進化していますし、ミックスひとつ取っても時代ごとにハイを強調するとかローを強調するとか、流行りの移り変わりもあります。特にTAKUI名義で活動していた1999年から2000年代初頭は、90年代半ばに主流だったサウンドを引きずっていた時期ですからね。

だから、その頃の音源をいくらリマスタリングしたとしても、限界があるんです。あと、ミックスに関しても……例えば、入れてはいたのに聞こえてこない音というのも当時はありました。自分はその音を収録していたのに、当時のミックス技術によってそれがお客さんに届いていなかった。これはもう作り手にしかわからないことですけど、作者としてイメージした音像を正確に伝えたくて、リテイクという形を採ったところもあります。

中島卓偉
中島卓偉

あのとき到達できなかったラインにもう一度挑む

──活動の長いアーティストやバンドが近年、過去の楽曲やアルバムを再録する機会が増えています。人によっては過去の技術に満足していないから、今のテクノロジーを使って成長した自身の歌や演奏でリテイクすることもあるでしょうし、時代を重ねて表現方法が変わったことで、過去の曲を今の表現の仕方で再構築したいという場合もあるかと思います。

僕の場合、当時はプロデューサーやアレンジャーがいて、自分が思い描いていた形通りに曲を完成させられなかったこともあって。もちろん、それによって思いがけずによくなった曲もあるし、お客さんの中には当時のあのアレンジが好きだという人もいるでしょう。過去にアコースティックセルフカバーアルバム(「アコギタクイ」シリーズ)を作ったこともありますけど、今回に関しては自分のエゴを突き通してリアレンジしたり、最初のイメージに寄せて再構築したりするのではなくて、みんなの思い出を壊さずに、極力オリジナルの音源に忠実にリテイクすることにこだわりました。

中島卓偉

──だからなのか、このアルバムを聴いたあとにオリジナルバーションにも触れてみたんですが、原曲のイメージをまったく損なっていませんでしたし、同時に前作「JAGUAR」から地続きの“新作”という感覚も得られました。

それは素直にうれしいなあ。TAKUI時代をリアルタイムでは知らなくて、ライブを通して当時の曲に触れてきた人たちには、ライブや新作からの流れでこのリテイクアルバムを楽しんでもらえると思うんですけど、個人的にはこれをニューアルバム……独立してから発表してきた「BIG SUNSHINE」(2022年)、「JAGUAR」に続く3作目の新作とは言いたくなくて。そこに対しては、大きなこだわりを持っているんです。もちろん、新作として受け取ってもらうこと自体はすごく光栄で喜ばしいことではあるんですけど、一方で「リテイクだからニューアルバムじゃないじゃん」って言われた僕も「確かに」と思ってしまうので、あえて今回はイレギュラーなもので、ファンに対するプレゼントだという感覚が強いですね。

──収録された楽曲は1999年から2003年までに制作されたものが中心ですが、選曲に関してこだわりはあったんでしょうか。

これはもう笑い話として受け取ってほしいんですけど、「納得していない」という基準で曲を選びました(笑)。もちろん、誰かを傷付けたいとか当時の関係者に対してフラストレーションがあるとか、そういうことじゃなくて。作曲者としては「ここまで持っていきたい」っていうラインが当然あるわけですけど、いろんな人間が関わってくることで、僕1人の意思が100%尊重されるわけではない。その結果、僕が設定したラインに到達できなかった……そういう意味で「納得していない」わけです。今は独立して、すべて自分が好きなようにやれるようになりましたけど、結局「行きたい場所」とか「ここまで持っていきたい」というラインってまったく変わらないんですよ。「本当はこうしたかったんだ」っていう、いい意味でのエゴも当然残っているけど、かといって最初に言った通り、いろいろ変えてしまうとお客さんの思い出を壊してしまう。だから必要最低限、「申し訳ないけど、ここだけはこうしなきゃダメなんですよ」っていうところは変えつつ、原曲のアレンジに近付けていった結果が今回のアルバムです。

中島卓偉
中島卓偉

納得できるものを世に出さないと、あとで絶対に後悔するよ

──思えば90年代の日本の音楽シーンは、プロデューサーの存在が強く打ち出され始めたタイミングでした。今よりもプロデューサーの色が強く反映されることも多かったのでしょうか。

当時の日本ってアーティストやバンドよりも、プロデューサーの位が高かったんですよ。最近はそういう傾向もなくなってきているとは思うんですけど、海外に目を向けるとアーティストとプロデューサーの関係性は対等で、最終的なジャッジの権限は絶対にアーティストやバンド、作曲者にある。ただ、昔の日本はどうしてもプロデューサーの意見が絶対になってしまって、僕はそこに対して苦しみを感じていたんです。なので、自分が関わるアーティストやプロジェクトにおいて、まず僕は最初に「僕と君の立場、君たちの立場は絶対に対等。最終ジャッジにおいて『僕はこうしたほうがいいと思うよ』とは言うが、それが気に入らなかったら絶対に自分たちのエゴを突き通してほしい」と言うんです。もし若い世代のアーティストがこのインタビューを読んでくれたのならば、本当に自分がいいと思うもの、納得できるものを世に出さないと、あとで絶対に後悔するよっていうことを伝えたくて。だって、僕も当時すべてに納得していたら、こういうアルバムは出していないと思いますから。

中島卓偉

──なるほど。確かに、海外の若手アーティストのドキュメンタリー映像を観ていると、おっしゃるようにアーティストとプロデューサーが対等な立場で、楽しみながら音楽を作っていて、最後のジャッジはアーティスト本人が下していることがほとんどです。

日本もそうなっていくべきだと思いますよ。もちろん、70年代や80年代には「是が非でもアーティストをこっちに持っていくんだ、こうやっていかないと日本の音楽シーンは変わらないんだ」とオーバープロデュースすることで、この日本の音楽シーンを大きく塗り替えた人たちもたくさんいましたけど、今はそういう時代じゃないですから。

──それぞれの楽曲をどこに導くべきかが事前にわかっていて、かつレコーディングには気心知れたバンドメンバーの皆さんが参加しているので、作業はとてもスムーズだったんじゃないでしょうか。

実は、レコーディングに関しては今までで一番短時間で終了したんです。「ここはどうしようかな」とか「こんなこともできるよな」なんて悩みもなく、「ここまで持っていくんだ」っていう正解が全13曲……アナログ盤は16曲ですけど、全部にあったわけですからね。エンジニアの中村(惣)さんも「ミックスしやすかった」と言ってくれました。

──あと、これは個人的な偏見かもしれませんが、初期の楽曲のメロディラインはよりZIGGYや森重樹一さんへのリスペクトがストレートに表れているなと感じました。

やっぱり僕はZIGGYが好きで、森重さんの歌を聴いて育ってきたので。もっと言うと、音楽はもちろんですけどファッションやビジュアル、メッセージも含めて、グラムロックの人たちからの影響が強いんですよね。本当はデビューシングル「トライアングル」のときに、そこを踏襲したものを作りたかったんですけど、当時ノウハウと知識がなくてできなかったりしたので、そのへんも全部ひっくるめてのリテイクなわけです。