新型コロナ感染で急逝した江崎マサルが見た夢と、突然プロデューサーを失ったhy4_4yhの決意
志半ばにしてチームの最重要人物と死別、しかし彼女たちは自分の足で歩き続けることを選んだ
2021年11月11日 19:15 72
江崎がhy4_4yhに託し続けた思い
こうした浮世離れしたエピソードからも江崎のユニークな才能の一端を垣間見ることができるかもしれない。そんな彼が
「『hy4_4yhは絶対売れる』『今よりも絶対よくなる』っていつも言ってましたね。私たち以上にhy4_4yhへの愛情と執着がすごかった。その代わりパフォーマンスに関してはクソ厳しかったです。褒められたことはほぼないし、打ち上げとかもしたことなくて。『ライブ終わってああ楽しかったとか言ってる場合じゃない。次につなげないといけないのにヘラヘラすんな』って言われて、終わったらいつも車の中で反省会でした」(yukarin)
「でもPちゃんがいなくなってから自分たちがいかに愛されて育ったのかをことごとく思い知らされてます。例えばPちゃんは2人がバイトしなくていいようにって、ずっとお給料を出してくれてたんですよね。自分らそんなに売れてたわけじゃないのに」(chanchala)
hy4_4yhは江崎の個人事務所に籍を置き、長年にわたりインディペンデントな形で活動を続けてきた。江崎は作家としてAKB48、まなみのりさ、織田裕二ら他アーティストへの楽曲提供のほか、CM音楽や舞台音楽、ゲームミュージックなども数多く手がけており、その収入と自身のポケットマネーでhy4_4yhの活動費をまかなっていたという。hy4_4yhの才能と成功を誰より強く信じていたのが他ならぬ江崎自身だった。
「いつもホワイトボードに今後の予定を書いてくれてたんですけど、そこには日本武道館ワンマンと紅白歌合戦出場の2大巨頭がずっと書いてありましたね。いまだに叶ってないですけど」(chanchala)
大きな目標を抱きながらも志半ばにしてチームの最重要人物を失ったhy4_4yh。これまで江崎が作った道の上を全力疾走していた2人は、これから自分たちで進む方向を見つけねばならない。彼女たちは今後どうしていくつもりなのだろうか。
「とにかくPちゃんが遺した曲がたくさんあるから、なんとか2人で形にしてリリースし続けたいと思ってます。わしらの代ではやりきれないほど、2代目hy4_4yhを作らなきゃいけないくらい曲があるので(笑)」(chanchala)
「とりあえず来年3月まではPちゃんの遺した会社でやらせてもらえることになったんで、それまでに自分らYouTubeがんばって登録者数増やしてグッズもたくさん売って、なんとか続けていけるようにしたいです」(yukarin)
江崎は過去のインタビューでhy4_4yhの目標について聞かれ「やっぱり若いうちだけやって終わりっていうんじゃ寂しいんで、30代になったときに芸能の枠で食べているかどうかってところだと思います」(洋泉社MOOK「アイドル最前線2013」)と語っていた。2人は今まさにその言葉通り、“若いうちだけ“ではない活動のあり方を考え始めている。
「これが遺言になると思うんですけど、hy4_4yhのグループLINEでPちゃんが『(テレビ朝日系「フリースタイルティーチャー」への出演により)yukarinにフリースタイルバトルのオファーが絶対に来ちゃうのでこれからも練習続けてください』『chanchalaはウクレレでYUKIさんの「JOY」をカバーしてください』って書いていて」(chanchala)
「実は今年に入ってからソロの活動もやっていこうってPちゃん言ってたんです。実際chanchalaがウクレレの曲を配信リリースしてるし、私も10月に出す予定だったんですけどPちゃんが亡くなってしまったんでソロデビューできずにいて。なのでそういう活動も少しずつやれたらいいなと思ってます」(yukarin)
yukarinの夢に現れた江崎が話したこと
hy4_4yhは短い休止期間を経て11月14日、東京・LOFT9 Shibuyaでのトーク&ミニライブから活動を再開する。そして2022年2月22日には東京・新宿LOFTで江崎逝去後初のワンマンライブを行うことも2人で話し合って決めたという。
「とりあえずバンドメンバーのスケジュールは押さえました。長く一緒にやってる人たちなので少ないギャラだけどなんとかお願いして」(chanchala)
「今までグッズもPちゃんがデザインして作ってくれてたし、イベントタイトルもPちゃんが考えてたし、気が付くと自分らは何もしたことがないんですよね。甘やかされて育ちました。何も教えずに逝きやがって(笑)。『こんなに大変なことをPちゃん1人でやってたんか、ホントごめんなさい』って今めっちゃ思ってます」(yukarin)
チームを構成する大きなピースが欠けた今、hy4_4yhがこれまでと同じように活動していくのは正直困難かもしれない。普通なら解散してもおかしくない状況だが、しかし彼女たちは自分の足で歩き続けることを選んだ。
「どうなるかわからないけど1つひとつやっていくしかないですよね。売れるとか売れないとかじゃなくとにかくやり続ける。今までみたいなペースは無理かもしれないけど、誠実に音楽をやるとかちゃんと生きていくとかそういうことが一番大事なんじゃないかなって。Pちゃんは最後まで止まらなかった人だから私たちもここで終わるわけにはいかないし、せっかく生きてるんだからこういう経験を経て今まで以上に伝えられることがあるかもしれないと思う。hy4_4yhはうちらが辞めますって言わなければ終わらないし永遠に続いていくから」(yukarin)
「そう、それがPちゃんの教えですね。Pちゃんはいろんなユニットを何個も組んでるけど、どれも解散って言ってないんです。ふわっとやらなくなっただけで今もずっと続いてるんですよね(笑)」(chanchala)
最後にyukarinが話してくれたのは先日見たという夢の話だった。
「Pちゃんが亡くなったあと私がすごく落ち込んでた日があって、もうステージに立つの無理かもなって思っちゃったんです。でもその日の夢にPちゃんが出てきまして。Pちゃんが運転してて私は助手席に乗ってて、あっ、私死んだPちゃんと今しゃべってる!と思って『このままずっと話してたい』って言ったら『うれしいねえ!』って答えてくれて、『できるかな?』って聞いたら『できるさ! ずっと歌ってたらいいんだよ!』って言われて。夢はそこでバンって終わって目が覚めて、まだ眠かったけど夢って忘れちゃうから一応メモしておこうと思ってスマホを見たら、そのときの時刻が8:18=ハイパーだったんです。これまでもライブを8月18日にやったりしてPちゃんその数字は大事にしてたから、これは私の妄想じゃなくてPちゃんが本当に夢に出てきてくれたのかもと思って。それから考え方が変わったというか、どんな形であれ歌っていればそれはPちゃんと話せていることになるかなって思うようになりました。今もすごく話したいことたくさんあるけど、Pちゃんが作ってくれた歌が全部の答えだから、寂しくないかって思ってます」(yukarin)
江崎マサル a.k.a. エザキマサル卍 ディスコグラフィ
ザ・エザキマサル
- 「ビート文豪 処女作集 ~我が愛しのロミ篇」2001年10月24日
- 「ビート文豪 主題歌 BE-AT BUNGO根津ェ」2002年2月21日
- 「ザザザのザ」2002年5月22日
- 「ラヴ ゲノム」2006年12月6日
AMIDA
- 「AMIDEMO」2004年
<メンバー:江崎マサル(Vo)、峰将典(G)、田口智則(B)、阿部徹(Dr)>
すわマサル
- 「自首盤SM00121世紀のミュージックシーンに自ら出頭!すわマサル自首します!!」2005年6月3日
- 「すわマサル誕生」2005年9月28日
- 「不条理戦士☆怒ENKAマン」2006年5月31日
- 「CDらしきもの。SM001」2006年12月1日
<メンバー:エザキマサル(Vo)、すわひでお(Vo)>
島グニーズ
- 「嬉~うれし~」2008年7月7日
- 「ナビイ・ロード」2009年7月20日
- 「島ヤカラー」2010年7月19日
<メンバー:えざきまさる(Vo)、シアトルリセス(Vo)、ゲレン大嶋(三線)、目木とーる(G)、ほか>
えざきまさる
- 「我は音の子~初号盤」2009年8月19日
SMフレンズ
- 「No.9 中坊サンバ」2011年7月8日
- 「ヘルメット」2011年7月8日
<メンバー:エザキマサル(Vo)、すわひでお(Vo)、backy(B)、目木とーる(G)、ほか>
エザキマサル卍
- 「LOVE GENOME」2021年3月31日
- 「そのWAY→その上」2021年5月19日
- 「1991 NICE!」2021年7月7日
(※すべて配信シングル)
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