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パンチライン・オブ・ザ・イヤー2020 (後編) [バックナンバー]

女性ラッパーの活躍、差別語、ラッパーの労働観……2020年のシーンに何が起こったのか?

言葉という観点からシーンを振り返る日本語ラップ座談会

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「2020年もっともパンチラインだったリリックは何か?」をテーマに、二木信氏、斎井直史氏、二宮慶介氏、Genaktion氏という4人の有識者たちが日本語ラップについて語り合う企画「パンチライン・オブ・ザ・イヤー2020」。前編の記事ではZORN、LSBOYZ、Moment Joon、Playsson、REAL-T、舐達麻らのリリックについてそれぞれが意見を交わしたが、後編ではいよいよ2020年の一番のパンチラインが決定する。

取材・/ 橋本尚平 題字 / SITE(Ghetto Hollywood)

ボディポジティブや多様性をストレートに言う流れができてきたのが2020年

斎井直史 僕はZoomgalsの「Zoom」は2020年を振り返るうえで欠かせないと思うんですよね。自粛に飽きた女の子たちが、Zoomで集まって遊ぶように曲を作ってしまったこと自体が最高です。

二宮慶介 コロナ禍になって初めて明るい話題をくれた感じがしますよね。

斎井 僕はこの曲からvalkneeの「うっせーブーンバップ爺は沸いとれサンタフェ見とけ」というラインを選びました。「Santa Fe」というのは1991年に発売された宮沢りえのヌード写真集のことで、「ブーンバップ至上主義者はずっと90年代のことで盛り上がってろ」ってことなんでしょうね。Zoomgalsって、女の子がこれだけ集まってるのに個性がまったくぶつかってないのがすごい。今までに似たタイプの人たちを見た記憶は、自分はあまりないです。あと彼女たちがこの曲の次に発表した「生きてるだけで状態異常」って曲が完全にブーンバップだったのも忘れられません(笑)。

二木信 そのZoomgalsのメンバーでもあるあっこゴリラの活躍と勇気には感服します。彼女は2020年2月に「ミラクルミー e.p.」という5曲入りのEPを発表しました。食品まつりやXLIIといったプロデューサーが参加してベースミュージックを鳴らしているのもこの作品の肝ですけど、言葉つまり彼女のメッセージに焦点を当てるとやはり、「わたしはブラを外したけど 恥の基準だけはぶらさないよ」というリリックがもっともインパクトがあります。これぞパンチラインだな、と。

二木 彼女はこの曲以前に、Zoomgalsの「GALS」にも参加した大門弥生の「NO BRA!」という直球のタイトルの曲にフィーチャリングで参加しています。

二木 また、あっこゴリラは2018年に、無駄毛処理を主題にした「エビバディBO」という曲も発表していますし、2021年初頭にYahoo!ニュースにアップされたインタビューでは、わき毛を生やしたり染めたりすることについて語っています。こうしたあっこゴリラの表現は、例えば今だとボディポジティブや、もちろんフェミニズムの文脈で語られたり、受け取られたりすると思います。実際彼女は2019年3月2日のツイートで、「フェミニストって名乗ることにした!」と積極的に宣言しています。ただそうしたときに、女性の権利の向上やエンパワーメントという側面に焦点が当たりがちですし、自分もそこでだけ捉えてしまう場合がある。そのことはもちろん重要なのですが、そのうえで男女二元論そのものを問い直していくのもフェミニズムの本質である、と気付かせてくれるのが、あっこゴリラだと思うんです。そんな彼女が先日、2日連続でこんなツイートをしていました。

フェミに目覚めさせた要因の1つである日本ヒップホップ村のイジメもう限界。信念なくフェミネタに転向ってなに?日本の音楽業界でフェミやるしんどさ絶対に絶対にお前らにはわからない。代わりにあたしの戦いやってみれば?死ぬよ
売れたい、目立ちたい、見返したい、だけで生きられるほどアタシは強くないし弱くない。バックラッシュとラベリング地獄の泥かぶってでもやることがあるんだよ。アタシのHIPHOP

二木 「バックラッシュとラベリング地獄の泥かぶってでもやることがあるんだよ。アタシのHIPHOP」という決意の言葉には胸を打たれると同時に考えさせられます。実は、先ほど挙げた彼女のリリックの前のラインも重要で、「スカート リップ チーク 伸ばす背筋 性別関係ないアイデンティティ」と歌っていますし、「ラッパーって自分の歴史を解体していくのが仕事。自分で自分をカウンセリングするみたいな」とあるインタビューで答えています。つまり、“女らしさや男らしさだけでは自己を計れない”という絶え間ない自己探求が彼女のヒップホップだと思うんです。だから例えば、ヤング・サグのスカートを穿くというファッションによる自己表現とも同じ地平にあると自分は捉えています。自分にとっては、あっこゴリラの音楽からシンプルにパワーと元気をもらえる、というのも大きいですね。

“Nワード”について

二木 ヒップホップとフェミニズムという観点で考えると、2020年、アメリカではカーディ・Bとメーガン・ザ・スタリオンの、いわゆるセックスソング「WAP」が政治論争にまで発展しました。この件を受けて、例えば音楽サイトOkayplayerが「Before WAP: The Evolution of Sex Anthems by Female Rappers(「WAP」以前:女性ラッパーによるセックスアンセムの進化)」という歴史を振り返る記事をアップしている。日本語で読めるものだと、その記事にも言及している音楽ジャーナリストの高橋芳朗さんが、著書「ディス・イズ・アメリカ 『トランプ時代』のポップミュージック」の番外編としてスモール出版のnoteに公開した「単なる下ネタ? それともフェミニズム? カーディ・Bの全米1位曲『WAP』をめぐる政治論争」がとても参考になります。そこで翻って、日本のヒップホップにおける女性のセックスソングは何か?と考えてみました。すると、2020年で言えば、NENEとAwichのコンビによる「名器」があります。NENEの「夢太郎」というアルバムに収録されていますね。

二木 タイトルには女性器の隠語と、オーガズムに達することやセックスをするという意味も持つ「Make it」など、複数の意味がおそらくかかっている。例えばAwichは「どうぞ奥へ そこは龍宮 乾いた現実を忘れさす水中 収縮 収縮」「痛いほどに充血する海綿体」「搾り取るおしべ」といったレトリックを用いながら行為や現象そのものを言語化し描写していきます。「カーマ・スートラ」という古代インドの性愛論書の書名も出てくる。NENEの「遊女の見た目で中身は芸者」というリリックとともに、こうしたレトリックから彼女たちは、欧米のヒップホップのセックスや性にまつわる語彙や定型、価値観にただ無自覚に沿うのではなく、日本語 / アジア圏独自の言語や文化体系の中でいかに表現できるかを追求していると考えられます。しかも、彼女たちのちょっとおどけた調子のデリバリーから、そうした性的なイメージのステレオタイプに引っ張られるのではなく、むしろ自らそれらと戯れようとしているのが伝わってくる。自分はそこが「名器」の素晴らしさだと思いました。一方でNENEは、この曲で「わたしも野郎みたいにやる / 遊んでおいて連絡はブチ」とラップしている。それは、彼女が自身のソロアルバム「NENE」の収録曲「稼ぐ女」で「男みたいに稼ぐ」とラップしていることとつながっています。

二木 「稼ぐ女」のリリックについて、あるインタビューで彼女は「私は男の子がやっていることをすると強くなった気がして、だから男の子みたいに稼ぐ女はカッコいいでしょって。稼いでる女の子に贈る応援ソングみたいな感じ」と語っています。そしてNENEは、Awichのアルバム「孔雀」に収録された「Poison」に客演参加して「クソなことでも私なら金になる」とラップし、一方Awichは同じ曲で「イタイ Hoes big noise でいきがる / 『Get money』 Bad bitches の美学」と喝破している。

二木 そして、ここからは自分の解釈になりますが、「big noise」には、大物、有力者といった意味も含まれることから推測するに、有力者の男性の威を借りる女性を批判しているのではないかと。つまり「Poison」という曲は、女のメイクマネーのラップソングという側面があり、別の言い方をすれば、Destiny's Child「Independent Women」の現代版とも捉えられるのですが、さらにそうした文脈を踏まえると、NENEの「返信は後日じゃ話になんねぇー / しゃべえ奴しゃぶってんじゃねーよ」というラインはビジネスを対等にできない同性への痛烈なディスとも解釈できる。そして、このラインの“しゃべえ奴”とは、ざっくり言えば、おそらく“つまらない男”という意味ですよね。自分が「しゃべえ奴しゃぶってんじゃねーよ」を選んだのは、もちろんNENEの言う「稼いでる女の子に贈る応援ソング」はラップに限らずあると思うのですけど、女性がオーラルセックスを表す言葉を用いて喧嘩腰で同性をディスる日本語の歌詞は、自分の知る限り思い当たりません。ちょっと衝撃でした。借り物の言葉を使っていないからこそ出せるNENEのラップの凄みだと思います。ここでGenさんに、アメリカのラップ、英語圏や欧米の文化圏、また日本のラップにおけるカースワードの使用ついての意見も聞いてみたいです。例えば、この曲には「『Get money』 Bad bitches の美学」というラインがありますけど、この曲に限らず“Bワード”などの使用そのものをどのように捉えていますか?

Genaktion “Nワード”や“Bワード”などについては、「世界と僕のあいだに」や「僕の大統領は黒人だった」などの著作で知られる作家のタナハシ・コーツさんの解説が非常に簡便です。彼は「僕の大統領は黒人だった」の刊行記念イベントでこう述べました。「言葉は文脈なしでは意味を成さない。例えば僕の妻は僕を“ハニー”と呼びます。そこに信頼関係があるからそう呼んでくれます。でも見ず知らずの女性が僕を“ハニー”と呼んだら?(笑) 同様に、妻は女性同士の会話では“Bワード”で呼び合うことがあるでしょう。でもだからと言って僕は彼女らに“Bワード”を交えて話しかけることはありませんね。それは僕にはその関係性がない(女性ではない)からです。“Nワード”のみがそのルールの外にあるわけではないのです」と言っているんですね。同じで、女性が自分たちのことを“Bワード”で呼ぶのは、男性である僕が口を出すことではないですが、男性が女性に対して使うべき言葉ではないと思うので、僕は使わないです。でも“Nワード”もそうですけど、信頼関係の成り立つ間においては、本来罵倒の言葉だったものが逆転して「カッコいい」意味でも使われるじゃないですか。そしてそう呼ばれて喜ぶ女の子がいるのも事実なので、そのあたりは人間関係の密接さとか次第なんだろうと思います。

二木 誰がどういう場、関係性の中で使用するのかが重要である、と。

Gen ただAwichさんに関しては、曲の中で“Nワード”を使ってるんですよね……。

二木 彼女の“Nワード”の使用でもっとも論争となったのは、2017年に発表されたKOJOE「BoSS RuN DeM feat. AKANE & Awich」の「Boss ni**as wouldn't get a job among babylon」という一節です。このAwichの“Nワード”の使用についてはすでに議論が起こり、彼女自身もインタビューやパネルディスカッションなどで自身の見解を示し、意見を述べています。2020年3月に発売された「文藝別冊 ケンドリック・ラマー 世界が熱狂する、ヒップホップの到達点」のインタビューもその1つです。そこで彼女が、アジア人である自分が“Nワード”を使うことに対してさまざまな批判の声があることを明確に認識していることがわかります。そのうえで彼女は、アフリカンアメリカンの亡き夫との間に授かった娘が黒人であることから、黒人を取り巻くシステム化された差別構造などと無縁ではない、つまりその問題の当事者である、という認識に立っています。そして亡き夫と、“Nワード”の歴史について語り合った経験も踏まえて、“黒人の強さを象徴する”言葉として“Nワード”を捉えていますね。

Gen それに対して僕の意見を言わせてもらうと、彼女がそう思うのは自由ですし、彼女を知っているコミュニティや身内でそういう言葉を使って相手が許してくれる環境は実際にあったと思うんですけど、“Nワード”を使っている彼女の曲を何も知らない普通のアメリカ人が聴いたら、不快に感じる人は絶対にいるでしょうね。

二木 そうした現実は間違いなくあると思います。

Gen きっとその相互理解がないままに言葉を使ってしまっているのでしょう。「黒人男性と結婚してミックスの子供がいるから、自分には使う権利がある」と本人が思っていても、そう思わない人も世の中にはたくさんいるので。もし彼女がアメリカでライブをやって“Nワード”を言ったら、たぶん最悪攻撃されるか、よくてブーイングされると思います。「何言ってんのお前?」って。コミュニティ内のクローズドな場で使って相手が許すなら構わないのかもしれないけど、彼女も初対面の人には絶対言わないでしょう。

二木 ただ、「文藝別冊」のインタビューやBLMにレスポンスする彼女の積極的な活動から、当然のことながら、彼女が“Nワード”の使用が非常に複雑な問題を孕んでいることを理解し、黒人の差別の歴史や黒人が負ってきた痛みについて真摯に向き合おうとしているのはわかります。無自覚なわけではなく、むしろ非常に意識的です。

斎井 「文藝別冊」の中でAwichは、「ブラザーと呼ぶことだってできたのに、あえて差別用語で互いを呼び合うようになった過程には、ひょっとしたら笑いのニュアンスがあったのではないか」と推測しています。そして“Nワード”にはそんなアフリカンアメリカン特有の強さが宿っているから、もっと憧れの言葉として広がってほしい、という独自の考えを述べていたと思います。

Gen ああ、ヤバいっすね、マジで。もともとスペイン語に「黒いもの」を表す「ニグロ」という言葉があって、それがだんだんと肌の色の黒い人、つまり「黒人」を指す言葉になっていったわけですが、およそ400年前に北米で奴隷貿易が始まり、そして米国でプランテーション農業が始まった際に、奴隷農主が「ニグロ」をより侮蔑的な表現に変えて黒人奴隷を呼ぶようになりました。そうしてできあがったのが“Nワード”です。その流れは歴史的な事実なので、彼女がどう思うかは知らないですが、僕には正直理解できないです。

斎井 “Nワード”を使う側に理屈があるとしても第三者はそこまで汲み取れるのか、と考えると、その使い方は難しいですよね。

Gen 非常に難しいです。ただ僕は、日本育ちのアジア人アーティストが安易に“Nワード”を使おうとしているならば、とりあえずやめておいたほうがいいと思いますね。これから世界に活動を広げようと思っているのだとしたら、何もいいことはないと思いますし。

二木 実は、昨年に引き続き今年もこの座談で話題に上っているMoment Joonが「日本移民日記」という岩波書店のWebマガジンの連載で前後編の2回にわたって執筆した記事の前編の導入部分で、まさに昨年の「パンチライン・オブ・ザ・イヤー」の座談会への言及があります。そして、この記事には数多くの重要な指摘があります。例えば、Awichの“Nワード”の使用についても論じられているのですが、彼女が、いまだ根深い差別構造が残る、日本における沖縄という地域で生まれ、そうした差別構造を理解する黒人たちとの間で互いを“Nワード”で呼び合っていた事実にも触れられます。そんな彼女はそもそも論争を呼んだくだんのラインで、いわばエンパワーメントの文脈で肯定的に“Nワード”を使っている。そして、ここで1つ問いが生まれます。それは、なぜこれまでも日本のヒップホップにおいて、非黒人のラッパーが“Nワード”を使用した楽曲があるのにもかかわらず、むしろ肯定的な意味合いを付与したAwichの“Nワード”の使用のほうがこれほど論争を呼んだのか、ということです。それは単に彼女の知名度だけによるものではないと思います。逆説的ですが、彼女が“Nワード”を、ほかのどのラッパーよりも、立場や文脈に強い意識を持ったうえで用いたからじゃないでしょうか。そしてさらに、こうした議論に自ら参加しているからではないかと。裏を返せば、Moment JoonがWebマガジン連載後編の後半で鋭く指摘していますが、これまでの非黒人の日本のラッパーによる“Nワード”の使用の多くは、そうした「社会的文脈」を強く意識することのない、“ヒップホップの定型”として用いられてきたものだったと推測できると。仮に表現者がそこまで深く考えず差別語をラップで用いたとすれば、生産的な議論には発展しようがないですよね。確かに「コミュニティ内のクローズドな場で使って相手が許すなら構わないのかもしれないけど、彼女も初対面の人には絶対言わないでしょう」というGenさんの意見を自分もとても理解できますし、それが「社会的文脈」で考えた際の正しい差別語との向き合い方だと思います。その一方で、楽天的に聞こえるかもしれませんが、よくも悪くも「社会的文脈」で考えた場合、こうした議論や論争が起こらざるを得ない表現が生まれるのがヒップホップだと僕は思いますし、こうした対話を日本のヒップホップが差別語を、表現と社会の双方の文脈の中で捉え返す機会につなげることができれば、そこに可能性と希望はあると思います。それが今の自分の考えです。

二宮 差別語で言えば、BESのリリックも2020年に批判の対象になりましたよね。自分もGenさんと同じ意見で、不特定多数に聴かせている音楽なんだから、そういうリリース形態で出している限りは、やっぱりそこを意識しないといけないと思う。ただ“Nワード”はRYKEYも使ってるんですよね。彼はケニアがルーツで、八王子で生まれ育っているけど見た目はブラック寄りで。そういう人は果たして使ってもいいのか? 基準はどこにあるのか? というのも難しい。本来だったらBLMの話題と合わせて2020年にもっと議論されるべき話題だったけど、結局あまり言及されずに終わっちゃった感がありますよね。

Gen 人種的には「黒人」とカテゴライズされるけれども、生まれや育ちは日本、という人はいっぱいいますよね。有名どころだとOMSBさんとかもそうでしょう。そういう人たちがもし“Nワード”を使っても、もちろん僕には咎める理由も資格もありません。ただ、僕の家族や友人など、アメリカというシステミックレイシズムが強固な社会の中で育ったアフリカンアメリカンの中には、日本で育った彼らのそういった発言を見聞きしたときに、何か思うところはあるようです。もちろん人によって言葉に対する捉え方は違いますけど、いろんな人がいて、いろんな考え方をしているので、そういったセンシティブな物事に対しては、アーティストは安全なほうを選んだほうがいいと僕は思いますね。発言は一瞬でも、曲はずっと残りますから。

二宮 誤解されるのはもったいないですよね。

Gen Awichさんはがんばっていると思うしラップもうまいので応援したいんですが、そういう細かいところで引っかかって「じゃあ申し訳ないけど、メディアで彼女を褒める言葉は言えなくなるな……」となっちゃう。同じミックスの子を持つ僕にとってはそれぐらい重要なことです。

斎井 白人であるジャック・ハーロウがBLMのときに、ヒップホップについて「自分はあくまでゲストとしてこのカルチャーに参加させてもらってる」みたいな発言をしてるんですよね。そういう謙虚な姿勢ってカルチャーの内側にいる人たちはすごく好感が持てると思うし、よりカリスマ性が増すような気がします。

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いよいよ2020年のパンチライン・オブ・ザ・イヤーが決定!

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