活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている
ゼミ生として参加しているのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(
取材
エキゾはタイトルに出る
──本日はエキゾチックサウンドをテーマにお話しを伺いたく思います。まず細野さんから、エキゾチックサウンドについて簡単にご説明いただいてもよろしいでしょうか?
細野晴臣 エキゾチックサウンドっていうのは、すごく狭い意味ではレス・バクスター一派が始めたアメリカの音楽ね。ストリングスセクションからなる、いわゆるムード音楽的なサウンドと言うのかな。で、エキゾの代表曲である「Quiet Village」を作ったのがレス・バクスター。それをマーティン・デニーがジャングル風のサウンドに仕立ててカバーしたら1950年代に大ヒットしちゃった。
安部勇磨 マーティン・デニーがオリジナルじゃないんですね。
細野 そう。実はエキゾチックサウンドの源流にあたるようなブラジルの音楽があって。アリ・バホーゾという有名な作曲家が作った「Na Baixa do Sapateiro」 (ナ・バイシャ・ド・サパテイロ)っていう名曲。それが元の音楽なのね。
ハマ・オカモト そうなんですか、へえ。
細野 だいぶあとにこの曲を知って驚いたよ。バホーゾはカルメン・ミランダの曲も書いているし。
──細野さんがエキゾチックサウンドに最初に興味を持ったのは?
細野 小学生の頃ですね。当時はテレビがない時代だったから、よくラジオを聴いていて。ある時期、頻繁に流れてたのがマーティン・デニーの「Quiet Village」だった。世界的に大ヒットしていたから。初めて聴いたときは曲よりも、ジャングルの中にいるような鳥の鳴き声みたいなものが印象に残って。あとで知ったんだけどオージー・コロンというパーカッション奏者が鳥の鳴き声を真似て声を出していたんだよ。
安部 SEじゃなくて声なんだ。
細野 すごい人がいるんだ。その人がメンバーにいたんで、ああいうサウンドになったんじゃないかな。
ハマ 特技だったんですかね(笑)。
細野 特技。声帯模写っていうか。それがずっと印象に残ってた。
──お二人はエキゾチックサウンドにどんな印象がありますか?
ハマ それこそやっぱり細野さんの作品を通じて知ったところはありますよね。マーティン・デニーという名前も細野さん経由で知ったし。
安部 僕もまったく一緒。細野さんのアルバム「泰安洋行」(1976年発表)を10代の終わり頃に聴いて「なんだこれ!」ってなって、そこでマーティン・デニーとかを知りました。うまく言えないけど、妖術的なパワーみたいなものを感じて。全然詳しくないんで、今日は勉強したいなと思って来ました(笑)。
──先ほど細野さんの口からムード音楽という言葉が出ましたけど、いわゆるムード音楽とエキゾチックサウンドは似て非なるものだったりするんですか?
細野 そうですね。でも当時はマーティン・デニーとかのサウンドをなんて言ってたんだろう。そもそもムード音楽って日本発祥の言葉なんだよ。アメリカでは、なんて言ってたんだっけな。イージーリスニングか。
ハマ どういうジャンル分けだったんでしょうね。
細野 日本ではジャンル分けがレコードショップによって違うんだよね。昔は“中間音楽”っていう棚があって、そういうところにあの手のレコードが入ってた。
ハマ 中間音楽って面白いですね(笑)。
細野 ジャンルで分けられないものがエサ箱と言われたボックスにいっぱい入ってて。
ハマ 「これ、どこの棚に入れたらいいんだ?」って、レコ屋の店員さんが困っちゃうやつですね(笑)。
細野 マーティン・デニーなんかは、そういうところに入ってたと思うんだ。でもムード音楽っていうと、マントヴァーニとかパーシー・フェイスとかストリングスアンサブルが人気商品だった。
ハマ もうちょっと正統派っぽい楽団というか。「何をもってエキゾか?」っていうのがすごく気になるんですよ。鳴ってる楽器とか音階とか、なんとなくのイメージはあるんですけど。
細野 特に厳密な規定はないからね。
ハマ 雰囲気なんですかね、そういう意味では。
細野 雰囲気。でも、だいたい曲名に出てる。
ハマ&安部 ああ!
細野 例えば、マーティン・デニーで言うと「Quiet Village」もそうだけど、「Rush Hour in Hong Kong」とか「Busy Port」とかね。アメリから離れた、アジア~南洋系の景色が多い。
安部 なるほどなー。面白い。
ハマ 曲名にエキゾ感が現れているというのは全然考えたことなかったです。
細野 だってインストだから曲名で主張するしかないんだよ、彼らは(笑)。
ハマ 確かにそうですよね(笑)。そういうタイトルが付いていたら、そういうふうに聞こえますもんね。
細野さんはトロピカルでしょ
──細野さんがご自身の楽曲にエキゾ的な要素を取り入れようと思ったのはどういうきっかけだったんですか?
細野 「トロピカル・ダンディー」(1975年発表)というアルバムを作ってる最中に、ある曲ができたんだよね。そこで何か足りないなと思っているときに思い浮かんだのが、小学生の頃に聴いたマーティン・デニーのジャングルサウンドだった。でも当時の僕はマーティン・デニーのレコードを持っていなかったら、持っていそうな人に声をかけたの。それが田中唯士。今のs-kenね。
安部 へえ!
細野 彼は当時「ライトミュージック」という雑誌の編集をやっていて音楽に詳しかったから聞きに行ったの。「マーティン・デニーのレコードを持ってる人いませんか?」って。そしたらイラストレーターの河村要助さんが持ってると。それを全部カセットにコピーしてもらって。
安部 じゃあ最初に知ってから、だいぶ時間が空いたんですね。記憶の中にあるサウンドだったというか。
細野 うん、そもそもエキゾチックなサウンドにそれほど興味があるわけじゃなかったし。
安部 そうだったんですか!
ハマ 「いつかこういうことやってやろう」みたいなこともなかったんですか?
細野 ない。まったくの思い付き。そのとき作ったのは「熱帯夜」って曲だったんだけど、もともとはThe Bandみたいな曲にしようと思ってたんだよ。
ハマ そうだったんですね!
細野 全然違うでしょ(笑)。
安部 そうですね(笑)。エキゾ前のバージョンも聴いてみたい。
ハマ じゃあ、「熱帯夜」がああいうサウンドになったのは細野さんの中ではたまたまだったんですか?
細野 そうだね。僕はずっと、たまたまで生きてきたから(笑)。
安部 じゃあ全然違う形もあり得たってことなんですね。
細野 うん。もうちょっとThe Bandっぽくなったかもしれない。
ハマ 「トロピカル・ダンディー」「泰安洋行」、そして「はらいそ」(1978年発表)って今では“トロピカル3部作”って呼ばれてるわけじゃないですか。「熱帯夜」を作ってる最中にマーティン・デニーを思い出さなかったら3部作も存在しなかったかもしれませんね。
細野 そうかもしれない。田中さんと会ったり、要助さんにカセットをもらったり、あとは久保田麻琴くんの存在も大きかったね。当時、僕はベースプレイヤーとしてファンクみたいなことをやってたから、「HOSONO HOUSE」の次のソロアルバムは、そういう作品にしようと思ってた。でも、ファンキーなサウンドに乗せて歌ったら、自分の声が曲のイメージに全然合わなくてね。その頃、久保田くんが遊びに来て、悩んでる僕を見て「細野さんはトロピカルでしょ」って言ったの。
──細野さんの歌声にはトロピカルなサウンドが合うんじゃないかって。
細野 そうそう。「細野さんはトロピカルダンディーだよ」って。それがそのままタイトルになっちゃった(笑)。
ハマ&安部 あははは(笑)。
安部 そこから細野さんもエキゾなサウンドにハマっていったんですか?
細野 当時、正統派のラテン音楽は聴いてたんだよ。「ミュージック・マガジン」の編集長だった中村とうようさんの影響で。だからキューバ音楽とかはいっぱい聴いてた。あとはヴァン・ダイク・パークス経由でカリプソを聴いたりね。わりとカリビアンはいっぱい聴いてた。
ハマ 言葉が適切かわかんないですけど、エキゾって“なんちゃって感”みたいなところがあるじゃないですか。空想上のイメージをもとに作られてる音楽だから、正統的なカチっとした音楽とはちょっと雰囲気が違うというか。
細野 あの根も葉もない、胡散臭い感じが面白くてね(笑)。
ハマ 細野さんに言ってもらえるとすごく安心しますけど(笑)、エキゾって、まさにその胡散臭い感じが魅力ですよね。
細野 だから本物のラテン音楽は当時の僕にはちょっと敷居が高すぎるぞと思ってた。
安部 へえ、そうだったんですね。面白い。
今聴くとロックな「泰安洋行」
細野晴臣 Haruomi Hosono _information @hosonoharuomi_
細野晴臣とエキゾチックサウンド(前編) | 細野ゼミ 2コマ目 前編 https://t.co/nSVdN96v4d