今聴くとロックな「泰安洋行」
──「トロピカル・ダンディ」を経て、「泰安洋行」でさらにエキゾな要素が強まっていくわけですが、アレンジを組むにあたって当時はどんなことを考えていたんですか?
細野 いや、でも「泰安洋行」を今聴くとロックバンドの音なんだよね。
ハマ ああ! 確かに演奏はそうですね。
細野 だってみんなロックやってる連中だから(笑)。「トロピカル・ダンディー」でも「Chattanooga Choo Choo」なんてやってるけど、演奏の雰囲気はLittle Featっぽいし。(鈴木)茂がスライドギター弾いたりね。今聴くとロックなんだよ。僕らはロック世代だったんで、そこから飛び出てはいない。
ハマ でもあの感じが今やオリジナルになりましたもんね。
細野 そういうことなのかな。
ハマ たぶん意識せずロックな感じが出ちゃってるわけじゃないですか。原曲を完全に模していたらあのカッコよさは生まれていないと思うんです。
細野 そう。そのまんまじゃない。要するにイマジネーションだよね。
ハマ そうですよね。「こんな感じだよね?」という音が乗っかってますもんね(笑)。
細野 ただ当時の僕はそれまでに感じたことのないような解放感に浸っていた。きっと自分の中で違う世界が開けていたんだろうね。マーティン・デニーの曲を聴いて踊ってたから(笑)。
ハマ あははは(笑)。
細野 「Sake Rock」「Hong Kong Blues」「Sayonara(The Japanese Farewell Song)」とか、そういう曲を聴いて創作舞踊してた(笑)。
安部 いい話(笑)。
細野 楽しかったんだよ。
ハマ でも結果的に3部作まで広がったわけですから、細野さんの中でトロピカル路線って大きな手応えがあったんじゃないですか? こう、探求心というか。
細野 どうなんだろう。特に探求してるつもりもなかったな。
ハマ 面白いと思いながら作ってたら3枚できちゃったみたいな?
細野 解放感が3枚分続いたんだよ。
ハマ 「解放感が3枚分続いた」って素晴らしい表現ですね(笑)。てっきり当時の細野さんは、この路線を追求していこうと思っていたのかと。
細野 そう言えばよかったかな(笑)。
ハマ いやいや(笑)。
細野 さっきも言ったけど、僕は常に行き当たりばったりでここまで来てるから(笑)。
楽しみながらやってれば、そのうちどうにかなる
安部 前に星野源さんと連絡を取ったとき、「ネバヤンはどうやって今のサウンドにたどり着いたの?」って聞かれたんですけど、そのとき僕は「細野さんのトロピカル3部作みたいなサウンドを目指していたんだけど、やり方がわかんなくてこうなってしまいました」って答えたんです。そしたら「SAKEROCKもまったく同じだよ」みたいなことをおっしゃってて(笑)。僕らはトロピカル3部作みたいなことがやりたかったけど、できなかったんです。
細野 それでいいんだよ。当時の僕らもマーティン・デニーみたいなことはできなかったわけだから。
──ちなみにSAKEROCKというバンド名も、細野さんを通じて知ったマーティン・デニーの曲名から星野さんが付けたということで。
細野 そうらしいね。初めてバンド名を聞いたときびっくりしちゃった。
ハマ つながってますよね、そこは。
細野 自分がやってたことが、こんなに離れた世代につながるとは思わなかった。
ハマ 源さんがマリンバを叩きたいと思ったのも細野さんからの影響なんですよね。
細野 実際に買っちゃったと言ってたからね。そこまでするとは思わなかった(笑)。
ハマ 人生で初めて“MYマリンバ”持ってる人に会いましたもん。
細野 そうそう、めったにいない。
安部 あっ、でも僕も買いました。
細野 エッ!マリンバ買ったの?(笑)
安部 はい。いつか、ああいう音を出したくなったときのために買って。一応持ってはいます。
細野 驚いたな、練習してるの?
安部 練習したんですけど難しくて。一時中断して、今は壁に立てかけてます(笑)。
細野 でも買っちゃたのはすごいね。よく買う気が起きるな。あんな大きなもの。
安部 1回触れてみないと自分に合ってるかどうかもわかんないなと思いまして。
細野 そうか。昔はマリンバが備品としてスタジオにあったんだよ。
安部 今はそういう環境が失われつつありますよね。
ハマ スタジオ自体なくなってきちゃってるしね。フェンダー・ローズとかは僕らの世代でもスタジオにあって触ってましたけど、だんだんなくなってきてる。だから触らないと話にならないという勇磨の考えはごもっともで。
安部 細野さんは中華街ライブ(「泰安洋行」の発売を記念して1976年5月8日に横浜中華街の老舗広東料理店・同發新館で行われたライブ)でマリンバを叩かれてますけど、あれってけっこう練習したんですか?
細野 いやいや。持ってないから練習できないよ。適当にやってるんだ、いつも。
ハマ あの映像を観ると、とても適当には見えないです(笑)。
細野 スタジオでなんとなく「こんな感じかな?」って弾いてみて、本番になってから真剣にやるんだよ。
ハマ 本番で一気に集中して。
細野 そう。で、終わっちゃうともうできない(笑)。忘れちゃうっていうか。
安部 僕、すっごいうまいんだと思ってました。
細野 いや、とんでもないよ。星野くんの演奏を見てびっくりしたんだから。
ハマ 源さん、マリンバ超うまいですよね。
細野 うまい。あれは練習してる人の音だ。
安部 難しいですよね、マリンバ。
細野 でもみんな、ギターもベースも独学で弾けるようになってるわけだし。楽しみながらやってれば、そのうちどうにかなる。
安部 細野さんのそういうところがカッコいいなと思うんですよ。本職のマリンバ奏者が見たら弾き方とか違うのかもしれないけど、細野さんはユーモアみたいなものも込みで“こんな感じかな”ってササッと肩の力を抜いて演奏してるから、こっちもすごく聴きやすい。
ハマ わかる。そういえば以前、細野さんと対談させていただいたとき、「ベースの練習はしてたんですか?」って質問したら、「ベースの練習する代わりによく踊りに行ってた」って答えられて。そういう感覚がきっとプレイに現れていたんでしょうね。自分も練習の虫じゃないから、その話にすごく共感して。
細野 ああ、そう。じゃあ仲間だ、みんな(笑)。
ハマ ゼミ長に仲間にしていただけるのなら光栄です(笑)。
細野 でも楽器を本気でマスターするには一生かかるじゃん。
安部 そうですよね!
細野 極めている人は尊敬するけど、自分にはそういうことができない。時間も気力もない。
ハマ 楽器を弾いてて「楽しい!」って思えるぐらいが。
細野 そうそう。僕たちにはちょうどいい。
安部 元気出ました、ちょっとなんか(笑)。
※近日公開の後編に続く。
細野晴臣
1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2020年11月3日の「レコードの日」には過去6タイトルのアナログ盤がリリースされた。
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安部勇磨
1990年生まれ、東京都出身。2014年に結成された
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ハマ・オカモト
1991年東京生まれ。ロックバンド
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