2010年代の東京インディーズシーン 第2回 [バックナンバー]
澤部渡(スカート)×川辺素(ミツメ)×吉田靖直(トリプルファイヤー)鼎談
3組が振り返る“東京インディー”の10年間
2020年10月21日 17:00 11
さまざまなムーブメントが生まれていた2010年代の東京インディーズシーンを、アーティスト、イベント、場所などの観点から検証する本連載。第2回では
2010年代序盤に頭角を現し、2012年のスリーマンライブを機に交流を深めていった3組。彼らや本稿にも登場する
この鼎談では3組が、この10年間の東京インディーズシーンを振り返る。“東京インディー”の当事者とされながらも「シーンからはみ出していた」と自称する彼らが、当時の“東京インディー”やその後のシーンの変容をどのように見ていたのか語り合ってもらった。
取材・
3組が見る2010年のインディーズシーン
──2010年代の東京インディーズシーンを振り返るにあたって、この3組はすごく絶妙な存在だと思うんです。最初から注目されていたわけではなくシーンの中で徐々に浮上して、それぞれのスタイルをはっきりさせて2020年代に入っていったという意味でもいい証言者になるのかなと。そもそも2010年代が始まる頃のシーンをどんな感じで覚えてますか?
澤部渡(スカート) 「TOKYO NEW WAVE 2010」(2010年にリリースされた、インディーズバンドによるコンピレーションアルバム)とかの盛り上がりはすでにあった気がしますね。
川辺素(ミツメ) 秋葉原CLUB GOODMANあたりのバンドが企画してたイベント「東京BOREDOM」とかね。僕らのバンドは呼ばれないけど、楽しそうにしてるなという印象でした。
──いずれもこの連載の第1回で詳しく取り上げたトピックですね(参考:2010年代の東京インディーズシーン 第1回 | ライブハウスが持つ「偶然の可能性」秋葉原CLUB GOODMANと新宿motionにおけるオルタナティブシーン)。
吉田靖直(トリプルファイヤー) 僕もそういうイベントが盛り上がってるのを傍目に見て「出てみたいな」とか思ってましたね。当時はまだライブハウスには平日しか出られなくて、土日に出るというのが夢だったので。
澤部 そうだね!(笑) 忘れてた、その感じ!
吉田 土日に出れないと、「TOKYO NEW WAVE」や「東京BOREDOM」とかは夢のまた夢という感じでした。
澤部 僕にとってはO-nest(現TSUTAYA O-nest)が大きい存在でしたね。昆虫キッズが始まった2000年代の終わりには、O-nestでのライブをうらやましく見てました。あそこにいつかスカートとして出るのを目標にしてた感じはあったなあ。「O-nestでワンマンやれたら本当にいいよね」みたいな。シャムキャッツもO-nestでよくやってるイメージだった。昆虫キッズとシャムキャッツが、僕のイメージする“東京インディーシーンで最初に出てきた人たち”でした。
川辺 シャムキャッツは「TOKYO NEW WAVE」にも「東京BOREDOM」にも参加してたよね。
吉田 昆虫キッズはU.F.O. CLUBとかにも出てて、澤部くんも昆虫キッズにサックスとパーカッションで参加していたので、澤部くんはそっちに出てる印象が俺的にはあった。
──2010年くらいに皆さんがよく出ていたライブハウスは?
川辺 GOODMANとかじゃないかな……?
澤部 僕は2010年の末に最初のCD(「エス・オー・エス」)を出したんですけど、その頃はまだあまりライブをやってなかったかな。
吉田 僕はMotionとかGOODMANでしたね。
3組の邂逅
──お互いのバンドを知ったきっかけは覚えてますか?
川辺 トリプルファイヤーとは当時共演してないけど、吉田と大学のサークルが一緒だったヤーチャイカ、はこモーフとかとはよく対バンしてて、吉田はその友達って感じでした。でも、打ち上げに吉田がよくいるという話を聞くくらいで、まだ面識はなかった。
吉田 あー、そうそう。ミツメはサークルの後輩がブログで「ミツメって本当に最高。初めて観てびっくりした」みたいなことを書いていて、僕はそのへんから意識するようになりました。
澤部 僕はトリプルファイヤーよりミツメを知ったのが先だったかな。当時下北沢SHELTERの店長だった上江洲修さんが面白いブッキングをけっこうやっていて、ミツメとスカートが出演したライブがあったんです(2012年2月6日開催「SHELTER presents "New Young City"」)。そのときに初めてミツメを観て、リハからあまりによすぎてその段階で物販を全部買った(笑)。
──川辺くんがスカートを観たのは、その日が初めて?
川辺 たぶん、そうですね。GOODMANの周年イベントのポスターに載っていたスカートの写真が「なんだこれ?」みたいな感じだったんですよ。それでスカートのことを調べて、SoundCloudかMyspaceで聴いて「すげっ!」ってなった記憶があります。
──その頃のトリプルファイヤーは?
吉田 2010年に鳥居(真道 / G)が入って、2011年に最初のCD(「実録・トリプルファイヤー」)を出したと思います。
──この3バンドが初めてそろった象徴的なイベントが2012年9月7日に下北沢SHELTERで行われています。それが「フラットスリー」。スカート、トリプルファイヤー、ミツメのスリーマンで、DJには昆虫キッズの高橋翔という顔ぶれ。
澤部 僕がミツメとトリプルファイヤーを好きすぎて、なんかできないだろうかと思っていたんです。そんなときに上江洲さんから「ここの日程空いたから、なんかイベントやらない?」と急に言われて、それで2組に声をかけたんじゃなかったかな? どうだったっけ?
吉田 そんな感じだったような気はする……。
川辺 ボールペンで「フラットスリー」って書いただけ、みたいなフライヤーがベッと壁に貼ってあって「ええー?」みたいな感じがあった(笑)。とにかく、上江洲さんの存在はデカかったなあ。
澤部 上江洲さんの存在はデカい! あと、WWWの名取(達利)さん、O-nestの岸本(純一)さん。
川辺 オルグ(南池袋ミュージック・オルグ)のミヤジ(宮崎岳史)さんの存在もデカいんじゃない?
澤部 あ、そうだ! オルグはデカいわ! オルグがなかったら、今の僕らはないですね。
──ミュージック・オルグは2014年末に閉店してるから、営業していたのは実質3、4年くらいでしたよね。雑居ビルの地下2階で、音が大きいと上の焼肉屋さんが苦情をよく言いに来てた(笑)。
川辺 ミツメの初めての企画がオルグで、Nag Ar JunaとFriends(現Teen Runnings)と
澤部 僕らはアルバムのレコーディングもしました。
吉田 借りるのが安かったし、ノルマもなかった。なんかマジで“何やってもいい感”があって面白かった。
川辺 ミヤジさんは話を聞いていても独特の美学がある感じがするね。何も狙わずに場を作るということをけっこう考えてるみたいで、知らないうちにいろんな人とつなげてもらってた。それがデカかったですね。森は生きている、吉田ヨウヘイgroup、ミツメでスリーマン(2014年12月9日)もやりました。
澤部 あと、ライブが入ってない日に多目的スペースとして貸してくれて、みんなでボンバーマンをスクリーンに映してやったりした(笑)。
“東京インディー”という空気感の現れ
──“東京インディー”というワードはいつぐらいから意識した記憶がありますか?
川辺 やっぱり「Shimokitazawa Indie Fanclub」(2010~15年に開催されたサーキットイベント)が盛り上がってきたくらいからじゃない? ceroの2nd(2012年10月発表の「My Lost City」)が出たくらいの印象もある。
澤部 「インディーファンクラブ」は大きいよね。
──「インディーファンクラブ」も最初の2010年は、まだ違った雰囲気でしたね。2011、2012年でメンツもお客さんの感じもどんどん変わっていった印象があります。
川辺 今は僕らのマネージャーでもあるタッツ(仲原達彦)が、当時日芸(日本大学芸術学部)の校舎で「プチロックフェスティバル」(2010~2012年)をやっていて、タッツが「インディーファンクラブ」のブッキングに深く関わるようになって、自分たちや身近なバンドが出演するようになった気がする。
──「インディーファンクラブ」に初めて出たのはいつ?
澤部 僕は2011年。
吉田 2013年とかですかね。
川辺 僕らは2012年じゃなかったかな。SHELTERでしたね。
澤部 北沢タウンホールの地下で「FLY ME TO THE MARS!!!」の7inchを買った記憶がある。
川辺 じゃあ、2012年だ。
この3組ならではの部活感
──自分たちが“東京インディー”の一員と言われることに対してはどう感じてました?
澤部 あんまり意識してなかった気がする。インディペンデントで活動するということが自分にとって当たり前すぎて。それよりは“シティポップ”と呼ばれることのほうが居心地悪かったかも。
吉田 “東京インディー”は、普通に「東京にいるインディーズのバンド」ってことなのかなって感じだったんで、キーワードになってるとは知らなかった。あ、でも“東京インディー三銃士”とか言っちゃってるけど(笑)。
澤部 “東京インディー三銃士”と言われたあたりで、やっと自覚的になったかもね(笑)。
──名古屋のWebマガジン・LIVERARYの企画で、2015年に3人で名古屋街ブラをしたときに“東京インディー三銃士”の名称が付いた、ということになっています。
澤部 名古屋のCLUB QUATTROで、我々のスリーマン(2015年8月24日「出張版 月光密造の夜 名古屋編」)をやることになったんですけど、「この3組でクアトロなんて絶対動員ヤバいぞ!」と思ってて、いろんなテコ入れをする中でやった企画で命名されたんですよ。
──でも、ぴったりでしたよね。全然キャラは違うけど3人とも同じ年(1987年)生まれで、何度もスリーマンやってて仲もいいから、トリオとしてのニックネームを付けやすかったのかな。
澤部 1987年生まれで同い年というのが僕はうれしかったんですよ。昆虫キッズとかと一緒にいた20歳前後の頃って、自分と同じ年齢で面白いことやってるバンドが周りに全然いなくて。ミツメやトリプルファイヤーが出てきて、「87年生まれでようやくすげえカッコいいと思える人たちが出てきた」と思えた。
川辺 友達の域を超えて広がっていきそうなほど「これはすげえ」と思えるような感じがしたのは、確かにスカートとトリプルファイヤーが初めてだったかも。
澤部 最近はスリーマンもできてないけど、よくやってた頃は、やるたびにそれぞれのバンドの方向性がワケわかんないほうに行ってるのを見るのが本当に楽しかったですね。
──お互いの曲をカバーし合った「密造盤」(2015年4月)というレアCDもありましたね。
吉田 ガチャガチャを作って、全員の顔写真でバッジを作ったりもした(2017年5月2日、東京・東京キネマ倶楽部で開催の「第六回 月光密造の夜」)。あれは、今でも家にあります。
川辺 澤部くんのバッジだけ大きかったよね。
澤部 楽屋でひたすら作ってたもんね。
川辺 ガチャガチャの人気がありすぎて、途中でなくなったから補充したもんね。
吉田 お客さんが帰ったあと、俺のバッジだけ会場に2個落ちてた。
澤部・川辺 はははは(笑)。
吉田 それを家に持って帰った。
──そういう面白さって、1人が「それはちょっと違うと思う」とか言い出すと消えてしまうじゃないですか。そういうのがこの3人はなさそうですよね。
吉田 澤部くんが「やろう」と言ったら「そうしよう」ってなる(笑)。
川辺 みんなが集まると部活みたいな感じになるんですよ。ほかではそういう関係になれる人たちはなかなか見つけられないかな。この3組だからそういう感じになるというのはある。
変わりゆく東京インディーシーン
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