秋葉原ディアステージ

2010年代のアイドルシーン Vol.4 [バックナンバー]

アキバ系カルチャーとのクロスオーバー(後編)

でんぱ組.incはいかにして時代に求められる存在になったのか

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クリエイティビティとポピュラリティの両立

大手レコード会社・トイズファクトリーと契約を結んだのは2011年3月11日のこと。でんぱ組.incサイドとの会談を終えたトイズファクトリー首脳陣は、意気揚々とディアステージを出た。その直後、東日本大震災が発生する。

「人が当たり前に死ぬという現実を前にして、多くの日本人は考え方に変化が生じたと思うんです。結局、自分は一度しかない自分の人生を生きるしかないんだという本質的な問いかけですよね。世の中の価値観が変わるというのは、アイドルが世の中に届けるメッセージも変わるということ。でんぱ組は契約したあの日に一種の宿命を背負ってしまった」(もふくちゃん)

余談ではあるが、私がでんぱ組.incのメンバーに初めて取材させてもらったのは2012年に入ってからだった。場所はライブハウスの楽屋。複数のグループが出演するフェスの合間を縫ってのインタビューである。まだ加入したばかりの最上と藤咲は少し緊張しているように感じられたが、ほかのメンバーは自由奔放。積極的に発言する者とそうでない者の差が激しかったように記憶している。

インタビューの途中で「すいません、ごはん食べてもいいですか? おなかが空いちゃって」と言いながら楽屋に用意されていた弁当を口にし始めたのは成瀬だった。突然の奇行に面食らったほかのメンバーは「ちょっと、やめなよ」とたしなめるのだが、成瀬は「なんでよ? 別にいいじゃん」とまったく意に介さない。そして、とうとうメンバー間で軽い小競り合いが始まった。ここで取材は中断することになる。

夕方に会っても「おはようございます!」と言いながら深くおじぎをするようなローティーンのアイドルを見慣れてきた身には、非常に新鮮に映る光景だった。でんぱ組.incメンバーの取った行動は、芸能人としてのエチケットとしては0点なのかもしれない。だが、私自身は不愉快な印象をまったく受けなかった。むしろ業界ズレしていない無邪気さを微笑ましく思ったし、オドオドしながらも質問に対しては真摯に答えようとする姿勢に感心もした。彼女たちを大手芸能事務所で純粋培養されたようなアイドルと比較しても意味がない。ストリートにはストリートの流儀があるというだけのことだ。

成瀬の弁当を諫めたほかのメンバーにしても、人と目を合わせられない者が数人いた。その楽屋に漂っていたのは華やかな芸能人オーラでは決してなく、ガチのオタクだけが有する妙なぎこちなさである。楽屋を出たあと、編集者とカメラマンは「本物でしたね」と言い笑い合っていた。確かに「作られたキャラ」でないことは明白だった。

ブレイク以前から音楽関係者やメディア関係者の間ででんぱ組.incの評価は極めて高かった。例えば加茂啓太郎も彼女たちに魅せられた1人。加茂は東芝EMI(現・ユニバーサル ミュージック)入社後、ウルフルズ、NUMBER GIRL、氣志團、Base Ball Bear、相対性理論、Mrs. GREEN APPLEなど多くの新人ロックバンドを発掘する敏腕ディレクターであった。だがでんぱ組.incと出会ったことでアイドルに開眼し、現在はフィロソフィーのダンスのプロデューサーを務めるに至っている。

加茂啓太郎

加茂啓太郎

「興味を持ったきっかけは雑誌『MARQUEE』だったんですよね。それまでロック系の雑誌だったのに、いきなりでんぱ組.incが表紙と巻頭で特集されていた。編集長の松本昌幸さんがハマっちゃたんです。そこで『これは何かありそうだぞ』と興味を惹かれました。実際に楽曲を聴いてみると、『でんぱれーどJAPAN』には世界のどこにもないような革新性があって驚いた。ビデオも面白かったですしね。それから小沢健二さんの『強い気持ち・強い愛』をカバーするセンスも最高だと思いました。

最初にディアステージに行ったのは2012年6月だったんだけど、『こんなものは見たことがない!』と心の底から衝撃を受けました。もふくちゃんの凄味というのは2つあって、1つは女性として初めて成功した女性アイドルプロデューサーであるということ。そして、もう1つは独自性。灰野敬二などの日本のノイズ系アーティストと日本のアイドルをオリジナリティという観点では等価値としたと僕は考えています」(加茂)

加茂はかつて「でんぱ組.incがベルベット・アンダーグラウンド、もふくちゃんがアンディー・ウォーホール、ディアステージがファクトリー、秋葉がNYという構造で捕えると他のアイドルとの違いと面白さが分かると思います」とTwitterに記したことがある。「クリエイティビティとポピュラリティの両立」というミュージシャンなら誰でも突き当たる壁を、でんぱ組.incは突破しようとしていた。

「W.W.D」に込められた「俺たち、私たちのリアル」

そしてグループの運命を一変させるシングルが2013年1月にリリースされる。タイトルは「W.W.D」。歌詞はすべてメンバーの実話から構成されており、グループの自叙伝とも呼べるナンバーである。「いじめられ 部屋にひきこもっていた」「中二病 ひどくて みんな ひいてた」「ラジオだけが友達だった」「ずっと ずっと ひきこもって ネトゲやってた」「両手じゃ足りないからファンクションキー足で押してた」「生きる場所なんてどこにもなかった」……アイドルにあるまじき刺激的なフレーズが並び、メンバーは「マイナスからのスタート 舐めんな!」と魂の叫びをブチまける。この曲が生まれた経緯について、もふくちゃんは次のように語っている。

でんぱ組.inc「W.W.D / 冬へと走り出すお!」初回限定盤Aジャケット

でんぱ組.inc「W.W.D / 冬へと走り出すお!」初回限定盤Aジャケット

「あの曲でやりたかったことって本当は『会員番号の唄』(おニャン子クラブ)だったんですよ。ヒャダイン(前山田健一)さんにもはっきりそう伝えましたし。ヒャダインさんも『わかりました』って即答してくれて、『それならメンバーのパーソナルを1人ずつ教えてください』という話になったんです」(もふくちゃん)

打ち合わせではメンバーの特徴をストレートに伝えていった。「みりんちゃん=ゲームオタク。元ひきこもり。学生時代いじめられていた。アイドルになりたくてオーディション受けまくったけどすべて落ちた……」「えいたそ=オタクすぎて秋葉原に憧れ田舎から出たけど冴えない毎日。ゲーム三昧の日々を嘆いたネット上の友人からメイドになることを勧められ流れでディアステに」といった調子で。

「残念なことにちょびっと冴えないエピソードしか出てこないんです。それが彼女たちの現実なんだから仕方ないんですけど。それで上がってきた歌詞が例のやつ。さすがにギョッとしましたよ。いいことが何1つ書かれていないんですから。私、最初はNGを出しましたもん。ヒャダインさん、さすがにこれはないんじゃないですか? 『会員番号の唄』に全然なっていないですし」(もふくちゃん)

ヒャダインは当時の心境をこう振り返る。

「本人たちは『会員番号の唄』を歌うような典型的美少女でもないし、すんなりオーディションに受かってアイドル道を進んでいるわけでもない。なので、彼女たちの必死こいて今の位置にいる感じを出したいなと思ったんです。NGを出されたときはビックリしましたよ。こっちは『これしかない!』と思っていたので。普通のことをやったって、でんぱにはハマらないですしね。『W.W.D』がファンに支持された理由は正直わかりません。けど、嘘のない感じがよかったんじゃないでしょうか」(ヒャダイン)

「まぁ、確かにヒャダインさんの言う通りなんですよ。あんな歌詞になったのはヒャダインさんのせいというより、私があんな話ばかりしたのが原因。それで恐る恐る周囲に意見を聞いたら、みんな口々に『いいよ、これ!』って言うんです。私としては、まったく自信はなかったんですけどね(笑)」(もふくちゃん)

この曲が多くのリスナーの支持を集めたことで、グループの進むべき方向性はおのずと決まっていく。『W.W.D』には「俺たち、私たちのリアル」が詰まっていた。6人は時代に求められる存在になったのだ。

「『でんぱ組ってどういうグループですか?』『ほかのグループとはどんな点が違うんですか?』……こういった質問に対して答えられることって、どうしてもアイドルとしてはマイナスなことばかりなんです。でも、本当に彼女たちにはそれしかないんですよ。なので『オタクだし、根暗だし、冴えないし、そんな子たちが集まったアイドルです』みたいなことをそのまま説明すると、テレビなんかでは『アハハ!』って感じでウケるんですよね。その笑いというのは、今思うと嘲笑だったのかもしれないですけど。だから“オタク”とか“非リア”という要素がウケることはなんとなくわかっていたけど、まさかそれが人々の共感につながるとは……この点はまったくの予想外でした」(もふくちゃん)

キャンディーズの時代から松田聖子、モーニング娘。、AKB48に至るまで、アイドルというのはキラキラ輝く存在と相場が決まっていた。男の子が付き合いたいと考え、女の子はこうなりたいと憧れる対象。なのに、でんぱ組.incは最初から非リア。その点が決定的に新しかった。結果的にはその生き様が支持されてスターダムに上り詰めていくのだが、これはどこまで意図的だったのか? そうもふくちゃんに尋ねると、「狙ったものなんて何1つない」と苦笑いした。

もふくちゃんこと福嶋麻衣子。

もふくちゃんこと福嶋麻衣子。

「本当は私、ハロプロみたいなグループを作りたかったんですよ。でも、ディアステージには鈴木愛理がいなかったんだから仕方ない。ない要素を無理矢理ひねり出すよりは、最初から持っているものを武器にしていくという発想で、でんぱ組のひな形が作られていったんです。私たちにはコネもなければ資本もなかったですしね。そもそも鈴木愛理がいたら、でんぱ組みたいなユニットは作らないですよ。℃-uteを作っています」(もふくちゃん)

非リアによる一種の革命

勢いに乗ったでんぱ組.incは一気にトップギアを入れ、アクセルをベタ踏みした。大阪城音楽堂、日比谷野外大音楽堂、日本武道館、国立代々木競技場第一体育館、幕張メッセ……立錐の余地なく埋まった客席からは祈りにも似た声援がメンバーに届けられる。その間、運営サイドには海外公演のオファーも次々と届く。6人は2010年代のアイドルシーンを代表する存在となっていた。

2014年5月に東京・日本武道館で行われた単独公演「ワールドワイド☆でんぱツアー2014 in 日本武道館 ~夢で終わらんよっ!~」の様子。

2014年5月に東京・日本武道館で行われた単独公演「ワールドワイド☆でんぱツアー2014 in 日本武道館 ~夢で終わらんよっ!~」の様子。

2015年2月に東京・国立代々木競技場第一体育館で行われた単独公演「でんぱーりーナイト de パーリー」の様子。

2015年2月に東京・国立代々木競技場第一体育館で行われた単独公演「でんぱーりーナイト de パーリー」の様子。

どんな層が、でんぱ組.incの生き方や歌詞に共感したのか? 当初、もふくちゃんがイメージしたのは、例えばだが「メイド喫茶で働きながらも、くすぶっている子」。しかし冷静に考えれば、そんな少女は全国で1000人いるかどうかという少数派だろう。代々木第一体育館2DAYSを満員するような観客全員がひきこもりやニートだとは考えづらい。

「1つは時代的に疲れてきたという面はあると思う。社会が病み始めたと言い換えることもできるでしょう。驚いたのは、私が考えていた以上に世の中には闇を抱えている人が多いということ。『いじめられた過去を持つ子って、こんなにも多いんだ……』と愕然としましたから。ニュースなどで報道されている以上に、現代社会においていじめってありふれているメジャーな問題なんですよ。つらい思いを抱えながらネットに引きこもっているような子は決して少数派ではないということを思い知らされました。

正直言って私自身はそういう暗い部分を通ってこない人生だったので、そういう子たちが新鮮に映ったんですよね。『待って。病むってどういうこと?』みたいな。秋葉原の女の子たちと出会って初めてリストカットっていうものを知りましたから。当時はまだ『メンヘラ』って言葉が一般化する前だったと思うけど、リスカやうつ病の問題はそこら中にあふれかえっていた。バイトに来る子もオーディションに来る子もメンヘラとくくられてしまうような子が多かったですね。それが秋葉原の……というか日本の現実なんですよね」(もふくちゃん)

このもふくちゃんの発言は、ここ10年間のアイドルを語るうえで非常に重要な核心部分を衝いている。2010年からの10年間で日本の若者の生活はどう変わったか? 格差の固定化、貧困ビジネス、ブラック企業、非正規雇用の急増、奨学金返済地獄、パパ活、国際競争力の低下、少子高齢化と結婚できない層の増加……多くの若者たちにとって今の日本が極めて生きづらくなっていることは間違いない。しかし、この若年層の苦悩を果たして上の世代は本当に理解していると言えるのか? でんぱ組.incが若者から熱狂的に支持されるヒントが、実はこのあたりにある気がしてならない。

「六本木でファッションショーをしたとき、見るからにおしゃれな人たちから絶賛されたんです。これにはすごく驚かされましたね。だって自分なんてただのキモヲタとして生きてきただけだし、秋葉原にしか居場所がなかったから。だから、ここで考え方が変わったというのはあると思います。『そうか、でんぱ組も外に出ていいんだ。引きこもらなくてもいいんだ』って……」(成瀬)

ファンを元気付けるのがアイドルという職業だが、実際はファンに励まされることも多いと成瀬は考えている。少女は嫌々始めたアイドル活動に生きがいを見出し、その一方で国民的アニメ「スター☆トゥインクルプリキュア」で主人公役の声優を務めるまでになった。制作発表会では「夢が叶いました」と万感の思いで語ったが、それはファンが成瀬に託した夢でもあった。

「ファンの方から手紙が届くんですよね。『私と同じヲタクのえいたそががんばっているんだから、私もがんばることにします』とか『聞いてください! 私も学校に行けるようになったんですよ』とか……みんながいろんなことを報告してくれるから、なんだか一緒に生きているような感覚なんです。アイドルになったからには、ずっと誰かの光でありたい」(成瀬)

現在、でんぱ組.incからは最上もがと夢眠ねむが去り、鹿目凛と根本凪が加わった新体制で活動を続けている。古川は結婚を発表しながらもグループ活動を続け、夢眠もバカリズムとの結婚を発表して世間を驚かせた。最近、もふくちゃんはメンバーから「新メンバーを入れましょうよ!」と言われるのだという。通常、アイドルはメンバー増員を極度に嫌がるもの。自分の地位が脅かされるかもしれない、などと考えるからだ。しかし、グループを継続させていくためには世代交代が必須なのも確かである。12年目に突入したでんぱ組.incの物語を自分たちの代で終わらせる気は毛頭ない。

現在のでんぱ組.inc。

現在のでんぱ組.inc。

大衆音楽は常に時代の写し鏡として機能してきた。この国の若者が抱えたリアルを、でんぱ組.incは清濁併せ呑みながら表現している。彼女たちの登場により、水と油だった秋葉原のオタクカルチャーとアイドルカルチャーはクロスオーバーしていった。そして社会の底辺でくすぶっていた者たちにも大いなる希望を与えた。私たちだって夢を見ていい、私たちだってキラキラ輝ける──。でんぱ組.incによって自殺を踏みとどまった者はかなりの数になると予想されるし、でんぱ組.incに憧れて業界入りした現役アイドルも大勢いる。でんぱ組.incの軌跡とは、非リアによる一種の革命だったのかもしれない。

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小野田衛

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読者の反応

マキシマムえいたそ☆成瀬瑛美 @eitaso

成瀬の弁当マジ!!!!!??www

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