秋葉原ディアステージ

2010年代のアイドルシーン Vol.4 [バックナンバー]

アキバ系カルチャーとのクロスオーバー(後編)

でんぱ組.incはいかにして時代に求められる存在になったのか

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2010年代のアイドルシーンを複数の記事で多角的に掘り下げていく本連載。この記事では前回に引き続き、アイドルカルチャーと東京・秋葉原から発生した“アキバ系カルチャー”の関係性をテーマとする。前編では2000年代からの秋葉原の盛り上がりについて振り返ったが、後編では秋葉原ディアステージから誕生したでんぱ組.incのブレイクの過程に注目。プロデューサーである“もふくちゃん”こと福嶋麻衣子をはじめ、メンバーの古川未鈴と成瀬瑛美、彼女たちの楽曲を多く手がけるヒャダインこと前山田健一、でんぱ組.incの登場に大きな衝撃を受けたという音楽プロデューサー・加茂啓太郎からの証言をまとめ、いわゆる“非リア”の集まりであったでんぱ組.incがいかにして2010年代のアイドルシーンを代表する存在になっていったのか、その背景に迫る。

取材・/ 小野田衛 インタビューカット撮影 / 曽我美芽

集まった子たちの共通点がオタクだった

でんぱ組(のちのでんぱ組.inc)なるアイドルグループを結成することになったはいいが、秋葉原ディアステージでは肝心のメンバーになろうとする者が現れなかった。当然である。キャストがアイドルに憧れていないのだから。秋葉原という街でもディアステージ店内でも、少女たちの崇拝する対象は3次元(アイドル)でなく2次元(アニメ)だったのだ。

唯一の例外が古川未鈴だった。古川はアイドルを愛しており、落選したもののAKB48やSKE48のオーディションも受けたようなゴリゴリのアイドル志願者。彼女の強い希望を受けて、ディアステージを運営する当時のモエ・ジャパン代表取締役のもふくちゃん(福嶋麻衣子)はアイドルのプロジェクトをスタートさせる。しかし「みりんちゃん(古川)とくっつけるべき子が、店内を見渡しても1人もいなかった」ということで、いきなり頭を抱えたという。

もふくちゃんこと福嶋麻衣子。

もふくちゃんこと福嶋麻衣子。

「当時もいなかったし、そもそもそのあとも相沢梨紗ちゃんは90年代の声優さん、えいたそ(成瀬瑛美)は90年代のアニメにしか興味がなかった。(夢眠)ねむちゃんは完全メイド宣言の熱心なオタクで、自分も完全メイド宣言みたいになりたいからディアステージに入った。そんな人たちで結成されたアイドルグループですからね。純粋にアイドルに憧れているみりんちゃんは、むしろ亜流なんです。

だから『でんぱ組に入ればアニソンも歌えるかもよ』って騙し討ちみたいにして巻き込んでいったんですよ。当時、でんぱ組はPCゲームのタイアップ(『トロピカルKISS』のオープニングテーマ『Kiss+kissでおわらない』)が1つ決まっていたので」(もふくちゃん)

「Kiss+kissでおわらない / Star☆tin'」ジャケット

「Kiss+kissでおわらない / Star☆tin'」ジャケット

アイドルになりたくて仕方なかった古川と、強引に巻き込まれたほかの初期メンバー。この温度差は決定的と言えるものだった。実際、結成当時の経緯についてメンバーの捉え方は驚くほど異なっている。まずは古川の証言から。

「もともと私はほかのメイド喫茶で働いていたのですが、『歌いたいんだったら、どう?』と誘われる形でディアステージに来たんです。私が目指していたアイドルは、モーニング娘。さんやSPEEDさんのように歌って踊れてテレビにめちゃくちゃ出ている人たち。自分もそうなりたいと思っていたんですね。そういう意味ではほかの子と確かに考え方は違っていたけど、正直、そこはあまり気にしなかったかもしれない。当時は周りのことをあまり考えていなかったというのもあるし、アイドルになりたい子よりもなんとなくなっちゃった子のほうが人気も出る気がしましたし」(古川)

どこかクールな視線で状況を受けとめていた古川とは対照的に、成瀬は釈然としないまま加入した1人。そんな成瀬はでんぱ組の記念すべき初ライブを目撃している。当日、会場で物販やチェキ撮影の手伝いをしていたためだ。そのときの印象を尋ねると、「これ、本当のこと言っちゃって大丈夫ですかね……」と躊躇しながら口を開いた。

「私、3次元のグループアイドルにマジでまったく興味がなかったんですよ。同じ3次元でも声優さんは大好きだったんですけど。あの日は誰かが『えいちゃん、でんぱ組が出ているから行ってきなよ!』って声をかけてくれたんですけど……正直、観たところでなんの印象も残らなかったです。強いて言えば、ねむちゃんががんばって歌って踊っている姿を観てちょっと感動したくらい。ねむちゃんとは昔から一緒に遊んでいましたから」(成瀬)

当時の彼女は、なぜそこまで3次元から距離を取ろうとしていたのか? 成瀬の語り口から察するに、この問題は外部が考えるよりもはるかに根が深いように感じられた。

「3次元に興味がないというより、3次元アンチだったかもしれない。今思うと視野が狭すぎて自分に呆れるんですけど(笑)。私が大好きなアニメやマンガにアイドルが絡んでくると、『ああ……大3次w』とか素で思っていましたから。マジで厄介。当時はアイドルと聞くと『大人たちに操られている!』みたいな印象があって……『主体性がない』っていうイメージだったんですよね」(成瀬)

この話をするとき、成瀬はしきりに「もちろん今はそんな偏見まったくありませんけど」「でんぱ組も実際に入ってみると完全な自己プロデュースでしたけど」などとフォローを挟み込んでくる。心配しないでも、そんなことはファンならずとも気が付いているはず。むしろここで重要なのはイデオロギーの完全に異なるメンバーが集結したということだろう。

それにしても、なぜこのメンバーだったのか? 「みりんちゃんと合うメンバーがいなかった」のは事実だろうが、だからと言って誰でもよかったわけではあるまい。もふくちゃんの中ではグループの確固たるコンセプトがあり、それに見合ったメンバーに声をかけたと考えるのが自然である。

「オタクを集めたというのは違っていて、集まった子たちを眺めながら『共通点は?』と考えてみると全員がオタクだった。だから、そこを打ち出したに過ぎないんです。よく覚えているのは『ナダールの穴』(フジテレビ系)という千原ジュニアさんが司会を務める番組に出たときのこと。やっぱりテレビの世界って、きちんとしたコンセプトを事前に求めてくるんですよね。『どういう特徴のグループなんですか? ウリはなんですか?』って。私も『ヤバいな、これは』と悩んだ末、打ち出したコンセプトが『でんぱ組.incはオタクのアイドルです。しかも5人が5人とも別ジャンルのオタクなんです』というもの。みりんちゃんはゲームオタク、跡部みぅちゃんはBLオタク……といった調子で説明していったんですね。だから言っちゃえば苦し紛れのコンセプトなんだけど、テレビ的にはこれがすごくわかりやすかったのかなと」(もふくちゃん)

「なんだ、こいつら!?」と気に留めてもらうことが大事

アイドルになりたくなかったアイドル。それがでんぱ組.incの出発点だとしたら、グループを維持・運営する苦労は並大抵のことではなかったはずだ。実際、初期は目まぐるしくメンバーが入れ替わっている。2008年12月の結成メンバーは古川未鈴と小和田あかり。2009年6月には相沢梨紗と夢眠ねむが加入し、このタイミングででんぱ組からでんぱ組.incに改名している。2010年6月に成瀬瑛美と跡部みぅが加入。7月には小和田が卒業。2011年12月には跡部が卒業し、最上もが、藤咲彩音が加入……というあたりでラインナップがようやく固まる。

でんぱ組.inc「Future Diver」ジャケット

でんぱ組.inc「Future Diver」ジャケット

2012年1月当時のでんぱ組.incのアーティスト写真。

2012年1月当時のでんぱ組.incのアーティスト写真。

「何年にもわたって『アニメの曲を歌いたい!』と言われ続けてきたんですよ。アイドルを続けるモチベーションのうちの1つが、『いつかアニメの曲を歌えるかも』というメンバーは多かったかなと。『私たちだってアニソンを歌いたい!』『私たちは2次元になりたい!』という気持ちが、どうしたって根幹にはあるんですよね。それで実際のちにアニメの曲を担当させてもらえるようになったり、アプリとタイアップして2次元のキャラになったりするわけですけど……そうやって徐々に『でんぱ組でがんばっていれば、自分の夢は叶うんだな』という実感につながったのかもしれません」(もふくちゃん)

この発言を補足するように「作詞が畑亜貴さんで、作曲が小池雅也さん……それを聞いたとき、心が固まりました」と成瀬はでんぱ組.incへの加入の決めたときのことを振り返る。畑は「らき☆すた」のテーマ曲「もってけ!セーラーふく」も書いたアーティスト。オタクたちにとっては神と同義だった。最初に「Kiss+kissでおわらない」で畑がでんぱ組,incの楽曲に関わることを伝えられたメンバーは「嘘でしょ!? 私たちのために、あの畑亜貴さんが!?」とその場で泣き崩れたという。

一方、作曲を手がけた小池は桃井はること音楽ユニット・UNDER17を組んでいたアニソン界のレジェンド。畑と小池がタッグを組むことは、でんぱ組のメンバーからしたらとんでもないことだった。こんなドリームチームがお膳立てしてくれるのに、自分たちが駄々をこねている場合じゃない。ようやくメンバーは同じ方向を向き始める。

「Wiennersとの出会いも大きかったですね。最初にWiennersを聴いたとき、『これって女の子が歌ったら、そのまんま電波ソングになるじゃん』と思ったんです。厳密に言うとそれまで存在していた電波ソングとは微妙に違うんだけど、だからこそニュー電波ソングになり得るんじゃないかという手応えがありました」(もふくちゃん)

電波ソングとは何か? 2000年代に入ってから台頭した音楽ジャンルの一種である。最初は主に成人向けPCゲームに使われていたが、のちにアニソンの世界にも広がっていく。音楽的特徴としては「唐突な転調を繰り返すプログレッシブな曲展開」「高速リズムと早口ボーカル」「オーケストラヒットやシンセベースを多用したハイテンションなトラック」などが挙げられる。でんぱ組.incのサウンドを確立するにあたって、もふくちゃんはクリエイター陣と緻密な協議を重ねた。

「とにかくエクストリームな要素がないと聴いてもらえないと考えたんですね。『なんだ、こいつら!?』と気に留めてもらうことが、まずは大事だと思った。アイドルが出るイベントって下手したら30組くらい次々登場して、それぞれの持ち時間なんて15分くらいしかないこともある。そんな中で印象に残るものを出すって並大抵のことじゃないですよ」(もふくちゃん)

手拍子することすら困難な超高速の人工的ビートに、興奮剤を打たれたように熱狂するオーディエンスたち。現在のアイドルシーンで主流となった“沸き曲”という概念は、でんぱ組.incによって発明されたと見る向きは多い。しかし一方で、でんぱ組.incには小沢健二「強い気持ち・強い愛」のカバーや、かせきさいだぁ作のメロウなナンバー「くちづけキボンヌ」でリスナーをホロッとさせる懐の深さも併せ持っていた。

「ハロヲタって渋谷系が好きな方が多いなと。だから、その枠は狙っていきたいなと意識的に考えていたんです。普段はアイドルを聴かない、みたいな層に届くといいなと。

それと私は小倉優子さんや吉川ひなのさんが歌う曲の感触が大好きだったんです。小倉さんの『オンナのコ▽オトコのコ』(▽はハートマークが正式表記。作詞作曲は小西康陽)とか本当に最高だなと思っていて。ヘタウマの境地というか、キッチュな魅力がめちゃくちゃ出ている。それで学生時代すごく好きだったかせきさいだぁさんにダメ元でオファーしたところ、奇跡的に受けてくれたんです。やっぱりかせきさいだぁさんとか、渋谷系とかとアイドルの歌は抜群に相性がよかったです」(もふくちゃん)

Beastie Boys「Sabotage」のカバーを好んで披露していたことも、こういった発想の延長線上にあるのだろう。奇異な電波ソングで注目を集めるだけでは聴く者を選んでしまう。「知る人ぞ知る存在」で終わるつもりは鼻からなかったのだ。

「ヒャダインさんをはじめとしたクリエイターの皆さん、ダンスのYumiko先生、それからトイズファクトリー……徐々にだけど周りの環境が整ってきたんです。ちょうど『Future Diver』の頃ですかね。CDセールスはまだまだだったけど、『でんぱなら新しいアイドル像を作ってくれそうだ』という周りからの期待を感じましたね。『やるしかない!』と気合が入りました」(古川)

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クリエイティビティとポピュラリティの両立

読者の反応

マキシマムえいたそ☆成瀬瑛美 @eitaso

成瀬の弁当マジ!!!!!??www

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