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SOFT BALLET(上から藤井麻輝、遠藤遼一、森岡賢)

音楽偉人伝 第13回 バックナンバー

SOFT BALLET

3つの個性が織りなす妖艶かつ危険な魅力

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日本の音楽史に爪痕を残すアーティストの功績をたどる本連載。6組目に取り上げるのはSOFT BALLETだ。遠藤遼一(Vo)、森岡賢(Computer Programming, Synthesizer, Piano, Vo)、藤井麻輝(Computer Programming, Synthesizer, Metal Percussion, Noise, Voice)の3人によって1988年に結成されたSOFT BALLET。彼らは妖艶なビジュアルと、ニューウェイブやインダストリアルミュージックなどを消化した唯一無二のサウンドで日本のミュージックシーンに大きな衝撃を与え、2003年の活動停止、そして2016年の森岡の逝去を経た今もなお絶大な人気を誇っている。9月25日にはデビュー30周年を記念したアナログ再発プロジェクトがスタート。今、再び注目を集めるSOFT BALLETとはいったいどのようなグループだったのか? 彼らの大ファンとして知られる掟ポルシェをナビゲーターに、独自の進化を遂げたSOFT BALLETの音楽的変遷をたどっていこう。

文 / 掟ポルシェ

夜の裏側から魔笛の如く現れる電子音楽世界

「なんだこれは……」

1980年代の終わりか90年代が始まったばかりのある日、つけっ放しのテレビの深夜音楽番組から突如DAFをポップミュージックに落とし込んだかの如き歪んだ電子音がビキビキと艶かしく隆起し流れてきた。ボーカルはデヴィッド・シルヴィアンよろしく夜の喉笛を粘液質に響かせ、女装とはまた違ったポジティブパンクのようなメイクを施した一重瞼の涼やかな視線で画面の向こうから血管を浮き上がらせる。ドラムマシンの正確なリズムと16分のシーケンスベースに同期する歓びを湛えつつ、冷徹なハンマービートを暴力的に叩きつけるメタルパーカッションのメンバーがいて、据わった目でこちらを睨みつけていて、緊張感がやおら怒張し止まらない。そして中性的なキワドい衣装とモードメイクでバシバシにキマっている金髪短髪のキーボーディストは、さっきからクネクネと踊ったりヴォーギングをするばかりで鍵盤に触りもしない……さっきからなんなんだ、何をしてるかわからなくて、ああ、もう……すごく気になるじゃないか!

「なんだこれは……!」

ニューウェイブとニューロマンティックにノイズ / インダストリアルを滴らせ有機的に配合した攻め過ぎなシンセサウンド、鋭利な肉体をこれ以上なくエロティックに包むレザーと金属片の集積衣装、生ける媚薬と言っても過言ではない怪しく端正な顔立ちと美麗な体躯。3人それぞれ現代で言う“キャラ立ち”していて、まったく穴が見当たらない。果たして、これはテレビに映して大丈夫なのだろうか? そんな余計な心配をしてしまうほど、初めて見たSOFT BALLETは盛大に妖艶かつ危険な魅力を放射しており、一瞬にして虜となった。いや、俺だけではない。全国のNEW WAVE少年少女が長年追い求めていた海外のニューウェイブバンドのマナーに満ちた再生とアップデートが、熱狂を生む確かな理想形が、そこにはあったのだ。

1986年、顔立ちが整ったメンバーばかりでニューロマンティックスを体現していた前身バンドVOLAJU、その楽曲制作を担っていた中心人物3名でSOFT BALLETは結成された。メンバーは遠藤遼一(Vo)、森岡賢(Computer Programming, Synthesizer, Piano, Vo)、藤井麻輝(Computer Programming, Synthesizer, Metal Percussion, Noise, Voice)。バンド名の由来は、ドイツの美術学校バウハウスのバレエ顧問オスカー・シュレンマー(代表作「トリアディック・バレエ」)に関する本を読みインスパイアされ、遠藤が考案したものと言われる(ただなんとなくフィーリングで付けた説も)。

SOFT BALLETは80年代の海外産ニューウェイブのエレクトリックな側面を、森岡と藤井の2人のサウンドプロデューサーが異なるアプローチで90年代に蘇らせ、そこに遠藤の美麗な歌声が乗ることで独自のものにすることに成功した、日本を代表するテクノバンドである。3人は新宿にかつて存在したディスコ、ツバキハウスの夜遊び仲間でもあり、家庭や学校に居場所がないと感じていた15、6歳の頃からツバキハウスに入り浸り、そこで最新の海外ニューウェイブヒットをリアルタイムに吸収していった。YMO以降、日本のメジャーな音楽シーンではテクノポップの文脈しかなかったシンセサイザーサウンドを、海外の80年代ニューウェイブの多方向にわたる魅力に正統に置き換えることで、SOFT BALLETというオリジナルなダンスミュージックを確立し、未来に記憶される存在となった。

SOFT BALLETを知らない方々のために文字で説明するには、メンバー個々の出自を記すのがいいだろう。サウンド面では、2人の異なる方向性を持つクリエイターが作り出すエレクトロの同居・混在が、SOFT BALLETの基本を構成している。

作曲家・森岡賢一郎を父に持ち、中1のときに観たゲイリー・ニューマンの来日公演でエレクトリックミュージックに開眼、VisageやUltravoxなどのニューロマンティックで育ち、それらをバンドサウンドとして最先端のダンスミュージックに落とし込むことができる森岡の類まれなポップセンス。

厳格な医師の家庭に生を受け、クラシックとシンセサイザー音楽しか聴くことを許されなかったことから冨田勲「惑星」を入口にKraftwerkやNeu!、Clusterに興味を持ち、やがてThrobbing GristleやSPKといったノイズ / インダストリアルやTest Dept.のハンマービートを血肉となるまで偏愛し、それらを曲作りの重要な要素として導入する藤井の革命的な姿勢。

両者の音楽的方向性はアルバムに入り混じり、互いに影響を与え、時にバランスを取って寄せたりしながら、SOFT BALLETというバンドの意思を最優先にポップソングとして成立させていく。

そして、声楽家を志し海外に渡った破天荒な父とピアノ教師の母の間に生まれ、中学でKraftwerkに出会い、YazooやDepeche Modeなどのエレクトロニック系ニューウェイブに心惹かれ、ニューロマンティックに耽溺する青春時代を送ってきた遠藤の真摯な歌詞世界と夜に属するエロティックな歌声。

これらの要素が有機的に絡み合うとき、世にも艶めかしいSOFT BALLETの電子音楽世界が夜の裏側から魔笛の如く現れる。

デビュー30周年に当たる2019年の9月25日を皮切りに、SOFT BALLETのオリジナルアルバム6枚がアナログLPレコードで再発される。ということで、SOFT BALLETの歴史を、リリース作品を通じて振り返ってみよう。

“ELECTRIC BODY BEAT”の衝撃

判型が小さい頃の「FOOL'S MATE」でおなじみのニューウェイブ系レコード店・CSV渋谷2FのStudio GaGaで録音された7inchアナログ「TOKIO BANG!」(1987年8月発売。歌詞はすべて英語。当時の日本には洋楽の影響を受けた音楽を日本語詞で歌うことに、聴く側 / 演る側双方抵抗のある時代であった)、主宰のサワキカスミがメンバーの生年月日による占星術を行い、結果のいいバンドをリリースしていたことで知られる太陽レコードから「BODY TO BODY(インディーズ・バージョン)」(89年4月)などをリリースしたのち、89年9月25日、YMOをリリースし電子音楽に強いイメージのあったアルファレコードから8cm CDシングル「BODY TO BODY」と1stアルバム「EARTH BORN」を同時リリースしメジャーデビュー。

“ELECTRIC BODY BEAT”をスローガンに掲げ、海外のエレクトロニックボディミュージックと80年代初頭のイギリスのニューロマンティックを掛け合わせたかの如きシンセサウンドは、当時の日本のメジャーのレコード会社でリリースされる音楽の範囲を逸脱しており、故に衝撃的であった。80年代後半に巻き起こったバンドブームにより、バンド側の音楽性が尊重されやすくなった状況があったとはいえ、SOFT BALLETのデビューは十分事件だった。

当時話題となっていたエイズについて歌っていると言われる「BODY TO BODY」は、艶めかしい男性の熱い吐息から始まる。ライブで観客はこの曲で拳を振り上げ熱狂し、ニューウェイブリスナーの汗もかかない整然とした反応を予想していたメンバーたちはいい意味で裏切られたという。

初期SOFT BALLETのアルバムの特徴として、森岡だけでなく藤井もシングルカットを意識したようなポップチューンを書いていることが挙げられる。藤井の持ち味であるところのアラビア音階的なメロディと迫力のある歪んだ音像の「L-MESS」と、森岡のポップセンスに寄せたかのような美麗なロマンティシズムを感じる「HOLOGRAM ROSE」の両方が収められ、結果的に1stアルバムはほかのどのアルバムよりポップな印象を受ける。TM NETWORKもよもやの清々しさを持つ森岡曲「PASSING MOUNTAIN」も収録され、世間に受け入れられることを念頭に、そのラインを探っているようでもある。なお、半年前にほんの少しアレンジの違う「BODY TO BODY」をインディーズ盤でリリースしていた理由について、のちにサワキは、バンドブームだった当時、インディーズ出身であることが箔付けになった時代でもあり、まずインディーズでデビューさせる戦略がアルファレコードの意向であったことを、ネット配信番組「DOMMUNE」で匂わせる発言をしている。

90年4月25日、デビューアルバムから半年程度しか空けないハイペースで2ndアルバム「DOCUMENT」が発売。ライブでの定番曲を収録した1stと違い、外形ができている曲が3曲しかない状態でレコーディングに突入したというが、1カ月のスタジオワークの中で作ったとは思えないほど充実した内容で、SOFT BALLETの魅力が凝縮されて詰まっており、個人的に一番よく聴いているアルバムでもある。DAFを思わせる16分ベースの刻みに血が滾る藤井曲「NO PLEASURE」で幕を開け、静かに淫猥のパルファムを漂わす「MIDARA(PORTE DEVERGONDEE)」、ライブ定番の森岡曲「PRIVATE PRIDE」と、息つく暇なく電子音の快哉連打で脳の先から変な汁が出るのを禁じえない。

「ESCAPE」は、OMD「エノラ・ゲイの悲劇」と同様のテーマを持つ曲だが、B29を女性に例え、乗り込む操縦士との関係を歌っているという。OMDの曲と同じくコロコロというシンセリフが挿入されていて心憎い(その点がベタすぎたのか、シングル曲なのに後年ライブではやらなくなっていくのが惜しかった)。ラストを飾る「AFTER IMAGES」は森岡の過去の恋愛について遠藤が作詞し歌ったもの。「自分が望む理想と現実にはギャップがあるが、自我やイデオロギーを一切取り除いたフラットな状態で待っていると、段々と望んでいるものが近づいてくるんじゃないか、ということを歌っている」とは遠藤の弁。

3人それぞれのソロ曲を収録したクリスマス企画ミニアルバム「3(drai)」を挟み、91年5月21日、前作から1年ぶりにリリースされた3rdアルバム「愛と平和」。アルバム制作中に湾岸戦争が勃発、時代の緊張感がそのまま歌詞に直結したものとなっている。曲調も以前に比べハードになり、端的にDepeche Mode調の曲はここには見られない。とはいえ、ライブの盛り上がりどころで演奏される代表曲が目白押しのアルバムであり、個々の楽曲のポテンシャルは高い。森岡も藤井も、自分の色を率直に出すことよりもSOFT BALLETとして求められる姿に忠実に仕事をした形跡が見受けられ、結果的に本来藤井が手がけそうなダークな旋律の「EGO DANCE」を森岡が作っていたり、森岡がアルバムの中で必ず1曲は作っていたような生きのいいシャッフルビートの「OBSESSION」が藤井曲であったり、互いに作風を寄せ合う様子が興味深い。今作から5thまでの3枚、PWLプロダクション所属のフィル・ハーディングが録音エンジニアを担当。セールス的にもオリコン最高順位8位を記録。日本のエレクトロポップバンドとしては異例のヒットとなった。

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海外での活躍を視野に入れた音楽性の変化

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