SOFT BALLET(上から藤井麻輝、遠藤遼一、森岡賢)

音楽偉人伝 第13回 [バックナンバー]

SOFT BALLET

3つの個性が織りなす妖艶かつ危険な魅力

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海外での活躍を視野に入れた音楽性の変化

4thアルバム「MILLION MIRRORS」(オリジナル発売日:1992年10月21日)

4thアルバム「MILLION MIRRORS」(オリジナル発売日:1992年10月21日)

「MILLION MIRRORS」発売年のSOFT BALLET。

「MILLION MIRRORS」発売年のSOFT BALLET。

そして92年10月21日、アルファからビクターにレーベルを移籍してリリースされた4thアルバム「MILLION MIRRORS」。ダークでミニマルな曲が並び、完全に甘みのない方向に楽曲の方向性を振り切り、一般層に訴求することを配慮していた1stの頃から見れば、随分遠くへ来たなという印象を受ける。Aメロ+Bメロ+大サビという歌謡曲的な曲構成に背を向け、自らの持ち味であるわかりやすさを排除した、森岡が本当にやりたいようにやり、同時に藤井のノイズ趣味が壮絶に反映された革新的最高傑作アルバムだと絶賛される向きもあれば、それまでの作風とあまりに違うことに戸惑ったファンも多く、音楽誌の人気投票の結果がガタ落ちするという事態も発生。毀誉褒貶が交錯するSOFT BALLET史上最大の問題作である。シングルカットされたCDはなく、唯一海外のBlue August Recordsから「THRESHOLD」の12inchアナログがリリースされたのみ。この事実から考慮すれば、彼らは海外での成功を視野に入れ、クラブミュージックとして国外で評価されるものを作る方向に舵を切ったことは明白だ。ルックスで付いていたミーハーなファンを振り落とすには十分すぎるその内容について、森岡はこう語っている。

「とにかく僕、海外に出たくてしょうがないんです。でも、これまでのシーンの盲点をつく隙間産業的やり方では世界に出るのも限度がある。これまでのものをブチ壊すところから始めないと後世に残るものは作り得ないなと。今回あえてこれをやったのは、ある意味ファンをふるいにかけなくてはならないかなというのがあったから。それをしないと自分たちの先は長くないかなと」(ソニー・マガジンズ刊「GB」1992年12月号「MILLION MIRRORS」リリースインタビューより)

ちなみに、2000年代になって本作についてプライベートな場で森岡さんに話を伺ったとき、「あのアルバムを作ったときのこと、僕全然覚えてないんですよ。気がついたらできあがっていました」と、にこやかに語られていたことを思い出す。燃え上がる表現欲求のために己をトランス状態に置き、知識として知っている音楽を組み合わせて曲を作る職業作家的手法に決別し、芸術家として自らに降ってくるものだけを信じることにした結果なのだろう。

5thアルバム「INCUBATE」(オリジナル発売日:1993年11月26日)

5thアルバム「INCUBATE」(オリジナル発売日:1993年11月26日)

93年11月26日、5thアルバム「INCUBATE」発売。前作で周囲を気にせずやりたいことをやった反動か、ポップな森岡曲が帰ってきている。自分の中から出てくるものをそのまま素直に曲に込める姿勢は前作同様だが、周りの人間の意見をなるべく聞きながらやっていこうとし、アルバムのリード曲でシングル曲の「WHITE SHAMAN」はレコーディングスタジオでスタッフが見ている中、リアルタイムで歌メロを自ら歌って構築していった。森岡が本来得意とするが故に一時は出しづらかったポップで下世話な作風を解禁した結果、これぞSOFT BALLETのシングル曲、というものになっている。

「INCUBATE」発売年のSOFT BALLET。

「INCUBATE」発売年のSOFT BALLET。

この頃、藤井と森岡は完全に別のスタジオで作業するようになり、その結果藤井曲はディレクターから「これはソロでやれば?」と言われるほど従来のポップスから遠ざかり、「GENE SETS」では遠藤の声すら入っていない。音階から自由である様子まで自身のバンドの音楽として持ち込むようになり、1枚にムスリムガーゼとDead or Aliveとアンビエントが並列されているようなアルバムになっているが、SOFT BALLETという一貫した美意識に貫かれているためか違和感は驚くほどない。気絶するほど美しい旋律のシングルカット曲「ENGAGING UNIVERSE」は、精子と卵子が受精する瞬間から生命の誕生への祝福を、宇宙の神秘に重ね合わせているかのような歌詞が素晴らしい。祝祭の光に満ちた歌声が真空の銀河に光となって目映く反射する。「愛と平和」の頃の危うい時代の空気を乗り越え、「MILLION MIRRORS」で行き着くところまで行ったSOFT BALLETは、この作品で1つの完成を迎えようとしていた。

崩壊の美学の中で輝きを放つ「LAST SONG」

6thアルバム「FORM」(オリジナル発売日:1995年4月21日)

6thアルバム「FORM」(オリジナル発売日:1995年4月21日)

95年4月21日、活動停止前の最後のアルバムとなる6thアルバム「FORM」をリリース。シンセサイザーとドラムマシンの音色を主体に存在していたSOFT BALLETの音像に変化が見られ、ミドルテンポの生ドラムとギターの音色が立つロックバンド的サウンドアプローチの曲が増え、メンバー個々にSOFT BALLETに求めるものが変質してきていることがうかがえる内容となっている。そして、CDリリースツアー初日の東京・NHKホールで解散宣言。遠藤はカラフルな花柄のシャツに固めていないナチュラルな長髪。以前のレザーと金属片で固めた爬虫類スーツと黒っぽいメイクの「ソフトバレエの人」はここにはいない。内から湧き上がる己に素直に、より自然体であろうとする姿に、3人にとって最早SOFT BALLETは足枷でしかないことをファンは理解した。「LAST SONG」の悲しくも美しい歌は、個々の自由がギリギリつなぎ止められている日々への決別が、崩壊の美学の中で輝きを放っている。遠藤の歌の表現力は、バンド結成当初の蒼い泡立つ声ではなく、その発声の技術だけで人の心を震わせることができるレベルに達している。セールスについては解散特需もあって過去最高枚数を記録した。

「MENOPAUSE」発売年のSOFT BALLET。

「MENOPAUSE」発売年のSOFT BALLET。

その後SOFT BALLET は、2002年8月17日の「SUMMER SONIC」出演を機に期間限定で復活し、2003年12月17日の「大団宴」ライブで再び活動を停止するまでに「SYMBIONT」(2002年10月23日)、「MENOPAUSE」(2003年10月29日)と2枚のオリジナルアルバムをリリースした。今回のアナログ再発には2000年代の復活SOFT BALLETの作品は含まれていないが、長年のファンとしてはぜひそちらも復刻をお願いしたいし、森岡賢亡きあと、なんなら遠藤遼一と藤井麻輝の両者が再び同じステージに立つ奇跡なんかも起きてしまうことを、願わずにはいられないのである。

※記事初出時、本文に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。

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掟ポルシェ

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読者の反応

SACHIKO EX @js5dm9b9jwhy1tq

不覚にもスルーしていたナタリーのこの記事!掟ポルシェさんが SOFT BALLET を語っている以上読まないという選択肢はないので、正月休みの課題図書にしようと思います!щ(゚Д゚щ) https://t.co/Nd8HJ6kbxM

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