吉田喜重

ヨシダヨシシゲ

1933年2月16日生まれ、福井県出身。東京大学文学部仏文学科卒業後の1955年、松竹に入社。木下惠介などの助監督を経て、1960年に「ろくでなし」で監督デビューを果たす。のちに妻となる岡田茉莉子主演の「秋津温泉」、従来の労働者映画への批判を込めた「嵐を呼ぶ十八人」などを発表し、大島渚、篠田正浩らと並んで松竹ヌーベルバーグの1人として注目を集めた。1964年の「日本脱出」の編集を巡って松竹と対立し退社。独立プロダクション・現代映画社を設立したのち、日本近代批判3部作と呼ばれる「エロス+虐殺」「煉獄エロイカ」「戒厳令」など日本映画の前衛を牽引する独自のスタイルで映画を撮った。1973年以降は映画を離れ「美の美」などテレビドキュメンタリーの制作に従事する。1986年の「人間の約束」で13年ぶりに劇映画に復帰し、芸術選奨文部科学大臣賞(映画部門)を受賞。1988年には初の時代劇「嵐が丘」がカンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品された。2002年には「鏡の女たち」がカンヌ国際映画祭の特別招待作品に選ばれ、翌年にはフランス政府より文化芸術勲章オフィシエが贈られる。2008年には仏パリのポンピドゥーセンター、2010年には東京国立近代美術館フィルムセンターで大規模な回顧上映が開催された。執筆活動も行っており、1999年には著書「小津安二郎の反映画」で芸術選奨文部大臣賞(評論その他部門)を受賞。2020年には、10年以上にわたって執筆した歴史長編小説「贖罪 ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争」を上梓した。2022年12月8日、肺炎のため死去。89歳だった。

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