9月13日に開幕した国際芸術祭「あいち2025」も残すところ1カ月。11月22日から24日まで愛知県芸術劇場 小ホールで上演されるAKNプロジェクト「人類館」は、沖縄県内外のアーティストが協働して上演する注目作だ。「人類館」は劇作家・知念正真の代表作で、1976年に初演され、1978年に第22回岸田國士戯曲賞受賞を受賞した。劇中では、1903年の大阪万博で起きた、琉球人を見世物として展示した人類館事件を出発点に、沖縄を巡る歴史をシニカルに描き出す。
ステージナタリーでは9月末、沖縄でクリエーション中のクリエイティブチームに取材。知念正真の娘でAKNプロジェクトを主宰する知念あかね、知念と共同演出を務める新垣七奈、ドラマトゥルクの林立騎(那覇文化芸術劇場なはーと)、舞台美術の佐々木文美、衣裳の藤谷香子、音響プランの山口剛に、2025年版「人類館」立ち上げへの思いを聞いた。
取材・文 / 鈴木理映子
2010年から3年ごとに開催され、今回で6回目となる国際芸術祭。愛知県名古屋市の愛知芸術文化センター、愛知県陶磁美術館、瀬戸市のまちなかを会場に展開中。現代美術を基軸に、パフォーミングアーツやラーニング・プログラムも含めた複合型の芸術祭で、芸術監督をシャルジャ美術財団理事長兼ディレクター、国際ビエンナーレ協会(IBA)会長のフール・アル・カシミ、学芸統括をキュレーターの飯田志保子、現代美術のキュレーターを愛知県陶磁美術館学芸員の入澤聖明、パフォーミングアーツのキュレーターを中村茜、ラーニングのキュレーターを辻󠄀琢磨が務めている。会期は11月30日まで。
座談会
この状況、このタイミングだからこそ、作品として意義深いものができるのでは
──AKNプロジェクトが初めて「人類館」に取り組んだのは2021年のオンライン配信です。その翌年には、那覇文化芸術劇場 なはーとでも上演されていますが、今回の国際芸術祭「あいち2025」での上演は、どのような経緯で決まったのでしょう。ここまでの作品の変化も踏まえて教えてください。
知念あかね 実は、今回の国際芸術祭「あいち2025」のお話をいただいたのは、「人類館」を上演するのは当分止めようかな……と思っていた時期のことなんです。初めてAKNプロジェクトで「喜劇・人類館」を上演したときは、右も左もわからないまま、とにかく父が作ったものをそのままコピーしてやってみた、という感じでした。その後、なはーとさんに声をかけていただき、2度目の公演をして。このときは「父親たちが作ったものとは違う、新しい『人類館』」を目標にしました。でも、終わってからのみなさんの反応が、「そうじゃないんだよな……」って感じで。もちろん直接は言われませんけど、「自分たちのときはこうだった」「あのときはこういうふうに感じたんだよ」みたいな話をたくさん聞くうちに、自分たちの方向性は果たして合っていたのかな、急ぎすぎたのかなと思うようになったんです。父やその仲間たちにとって、「人類館」を作ったことは“青春”で、観客の皆さんもそういった歴史を共有する形で楽しんできた。次に作るなら、ただ新しくするだけじゃなく、そういう想いにちゃんと向き合わないといけない。AKNプロジェクトとして、これからどうしていくべきか、いったん落ち着いて考えたいと思っていました。だから、最初にあいちのキュレーターの中村(茜)さんとお話したときにも、気持ちは固まっていなくて。でも、今回の芸術祭のテーマの「灰と薔薇のあいまに」って言葉に、なぜかすごく惹かれたんです。私が思っている「人類館」も、沖縄も、この言葉にすごくハマっている気がして。灰って何? 薔薇って何? あいまって?って、何かインスピレーションを得られる予感がして、やってみようかなと。
林立騎 私は2021年までドイツの劇場で働いていて、翌年のなはーとの企画を考えている時期に、AKNプロジェクトの「喜劇・人類館」をオンラインで観ました。当時のドイツの舞台芸術やアートの業界では、植民地主義の反省の上に立った企画をやらなければいけないという流れがあって、自分はそのことにすごく違和感を感じていたんですね。なぜなら、その多くは大都市で行われていて、歴史的な責任を負う地域で上演されるわけでもなく、観にくるのも決まって大都市の人なんです。そんな状況に居心地の悪さを感じていただけに、「人類館」に触れて、これはすごく大事な作品だと思いました。那覇に新しい劇場ができるのなら、こういう作品こそ上演すべきじゃないかと。それで、復帰50年にあたる2022年に、なはーとで公演していただくことができました。いろいろな可能性を持った戯曲ですから、その時点でも今後の上演については相談していましたが、そこへ「あいち2025」の中村さんから「やりたい」と連絡があったんです。今回の芸術祭のプログラムの柱の一つが植民地主義の問題で、そこで植民者としての日本を考えたいというのが中村さんからのお話で。つまり、国際的な芸術祭の場で日本の加害性を取り扱おうということに共感して、今回の創作はスタートしたと考えています。もちろん「人類館」が扱うのは、日本の加害性だけではないし、あかねさんも「沖縄が、単に可哀想な被害者として見られるのは我慢ならない」と言います。ですから、私としては、芸術祭からのオーダーと、この作品が持つ複雑さがいい意味でグチャグチャに混じり合えればきっと、作品として意義深いものができるのかなと思っています。
“あなたの読み方で読むことを求めている”という言葉に後押しされて
──前回のなはーとでの公演は、女性の演出家を共同演出に迎えた、女性の眼差しを意識したものだったそうですね。今回は、そこからさらに踏み込んで、若い世代の新垣七奈さんに演出を依頼されました。
知念 最初に林さんとなはーとのスタッフの方と話をしたときに、「気になっている、一緒にお仕事をしたいと思っている演出家はいますか」と聞かれて。「演出家じゃないけど、気になっている俳優がいる」と答えました。なはーとで上演された「声」という一人芝居で、90分くらいのお芝居をたった一人で集中力を切らすことなく見せてくれた、それが新垣七奈さんだったんです。それはもう「熟読の向こう側」と言ってもいいような台本の読み方で、いつかこの人に「人類館」を読んでほしいなと思ったんですよね。だから、彼女が演出家でもあることは、その打ち合わせで初めて知りました(笑)。
新垣七奈 ご連絡いただいて、びっくりして。「人類館」がどれだけ大切にされてきた作品なのか、なはーとでの上演も観ましたし、その分厚い上演史も知っていただけに、正直ミスチョイスというか……あかねさんにも「本当に私でしょうか?」と聞いた記憶があります。あかねさんはそのときは「継承」という言葉を使って、「この作品をどう次の世代につなげるか。今までやったことがない若い世代の人と一緒にやることが一つの答えになるんじゃないか」とおっしゃって。「2025年の作品として立ち上がらせるために、あなたができることがある」とも言ってくださったんですが、すぐに答えは出せませんでした。
──それほど、新垣さんにとって「人類館」は、おいそれとは手を出せない、重い作品に見えていたんですね。
新垣 戯曲は知っていましたが、上演を観たのは前回が初めてだったんです。AKNプロジェクトではタイトルに「喜劇」がついていますし、実際にコミカルな、笑える場面もたくさんありました。でも、客席にいて感じていたのはむしろ「怖さ」だったんですよね。客席の皆さんが、すごく前のめりに、それこそ毛が逆立つんじゃないかっていうほど集中してこの作品をつかみにいこうとしているのに圧倒されて。観る方にも気構えが必要で、とても自分は正面から観ることができなくて、端の席から距離を保って観劇していたのを覚えています。
──その「人類館」に正面から取り組もうと思えたのには、どんな気持ちの変化があったんでしょう。
新垣 実は前回の公演と同じ、復帰50年の年に、自分としては初めて、沖縄を題材にした作品に携わる機会があったんです。でもそれがちょっとしんどくて。50年という節目に沖縄を語ることが求められている空気感、その熱狂的な感じも居心地が悪いし、平和について語り合うような場所でただうなずいている自分の居方も嫌でした。ちょうどこのお話をいただいた頃、ウクライナ情勢が緊迫していたこともあって「このままだとこの先、また同じことになる」と思ったんですよね。ニュースを通じて情報は入ってくるけれど、自分はそれをベッドの中にいて見ているしかない。寄付をしたり、署名をしてみても、それは全部、ベッドの中でも完結する。そんな状況にすごく悩んで、腹が立ったりもする中で、「『人類館』をつないでいくために、新たな『人類館』を立ち上がらせたい、そのためにあなたの読み方で読むことを求めているんだよ」っていうあかねさんの話は、この方々と一緒なら沖縄の作品に携ってもいいのかなという気持ちにさせてくれました。
それと「cocoon」の著者・今日マチ子さんの「いちご戦争」ってマンガがあって。それは、戦争のグロテスクな場面をフルーツやお菓子に置きかえて表現しているんです。あの作品を読んで「こういうずらし方で戦争を捉えることができるなら、私が『人類館』でできることもあるかもしれない」と思ったことも、重要なポイントになりました。
作品に対するプレッシャーと「関わりたい」気持ちの間で悩んだ
──沖縄県外を拠点に活躍されているプランナーの方々が揃った座組みも、挑戦的だと感じました。皆さんはそれぞれどのようにこのオファーを受け止められましたか。
佐々木文美 中村茜さんから電話をもらったのが最初なんですけど……。私は鹿児島出身なので酔っ払った沖縄出身のおじさんに「薩摩め」と言われた経験があって。それは薩摩藩の琉球侵攻の歴史をふまえてなんだと思いますが、そういうことから沖縄と鹿児島の距離感も感じていたので、ちょっと怖かったんです。でもやっぱり興味はあって、参加したいとも思いました。その後、沖縄の本を読んで予習もしたんですが、知らなかったことがすごく多くて。この作品に関わることに対して、今も重さのようなものを感じています。
藤谷香子 私はまず、佐々木さんから衣裳どうですかと連絡があって、「やったほうがいいのではないか」と思いました。前提として必要とされていると思ったので。ただ、そのときは「人類館」のことは知らなくて、あかねさんや七奈さんとお話をさせていただくうちに、何をやるべきかがわかって、「それならやれる」と思ったことだけは覚えています。
新垣 「何ができるか明確にはわからないけど、やってみたいって気持ちはあるんですよね」って言ってくださって。いろいろな時代を行き来するし、俳優たちも複数の役割を担う脚本なので、いちから新しい衣裳を作るというよりは、いろいろな使い方ができる服をスタイリングしたほうがいいんじゃないかってことをお話ししたと思います。
藤谷 それです(笑)。
佐々木 山口さんとは以前、AAF戯曲賞の受賞公演(カゲヤマ気象台「シティIII」)でご一緒して。「音響によってこんなにも空間を変化させられるんだなぁ」とびっくりしたんですよね。それで今回、演出チームと作品の方向性や重要な要素になる「どんでん返し」について話していく中で「ここに山口さんが加わったらもっと面白くなるのでは」と提案させてもらいました。
山口剛 佐々木さんが作られるものも考え方もすごく面白いと思っていたので、お声がけいただいて最初は「うれしいな」と軽いノリで引き受けようと思ったんです。でも、作品の歴史やその背景を聞けば聞くほどプレッシャーを感じてしまって。沖縄という簡単に行き来できない場所で、ご一緒したことのない方ばかりの中で仕事する難しさも感じて、いったんスケジュールを確認するフリをして(笑)、考える時間を持ちました。もちろん、今でもプレッシャーはありますが、このとき最終的にたどりついたのは、沖縄のことや作品のことを知らないから関わらないというのはよくない──という答えでした。作品を継承していく意味でも、自分自身が知らない、初めてということを認めて、伝えていく方向に向かうのが、“仕事”というより“人間”としての課題なんじゃないかと。
2025年の「人類館」を立ち上がらせるためにどうするか
──見世物小屋を舞台に、三人の男女が沖縄近現代史のさまざまな場面を演じていく「人類館」の構造は、演劇的な楽しみ、可能性を大いに孕んでいますよね。那覇での稽古も始まった今、皆さんはどのようにこの作品に取り組んでいますか。
佐々木 美術のプランはもうできているので、今は稽古の中で、キャスト、スタッフの皆さんに、どうそれを使ってもらえるか、意見や感想をシェアしているところです。今回のプランでは特に、観客も影響を受けている状況を作りたいと思っていて。傍観者ではなく当事者として、客席も一緒にこの戯曲に踊らされているような、そういう関係性を築ける会場づくりを目指しています。那覇公演だけであれば、そういう発想はなかったかもしれないんですが、あいち公演もありますから。そこが沖縄県外の人間としてプランを考えるうえで、いちばん重要なポイントになった気がします。つまり、県内の人も県外の人も、それぞれの参加の仕方はあるにせよ、同じく当事者であるような空間を成立させようとしています。
山口 僕は普段から、音も空間の一部だという意識を持っていて。環境音をたくさん使ったりするような、サウンドパフォーマンス的なものとは違うデザインを探っています。今回の稽古の中でも、俳優の演技に音が活用されたり、空間の一部としての音の効果を感じられる場面がいくつもありました。ですから、なるべく物語の本質的な解釈に介入しすぎず、空間づくりに貢献できるようなプランを考えたいと思います。実は那覇の稽古に来る際に、いくつかアイデアを考えてきたんですが、実際に俳優たちがしゃべるセリフを聞いていると、音楽の入るタイミングにしても、結局は台本のト書き通りに導かれていくようなところがあって。自分なりに考えたつもりはあったんですが、プレッシャーや邪念の影響があったのかな(笑)。でも、この発見は決して妥協ではないし、このことを通じて台本への敬意も増しています。
藤谷 衣裳は、今まさにコンセプトを立てているという状況です。那覇での稽古が始まって、ほぼ本読みなんですが、これまでに4回通しで稽古を観ることができて、「(考えているプランが)合ってそうだな!よかった」と思ったところです(笑)。ここまでの稽古で、県内の人、県外の人に関わらず、スタッフの人たちみんなの感想や意見も聞くことができたのも、参考になりました。それに、七奈さん、あかねさん、林さんの方針も、この4回を通して、どんどん確立していった感じがあって、これはすごいことだなと思っています。
知念 この数日で役者さんが変わってきた、その変化を皆さんと一緒に見られたのがよかったですね。これは父がこだわっていた練習方法でもあるんですけど、「人類館」では稽古をシーンごとに分けないで進めているんです。戯曲自体がセクションに分けづらくて、グラデーションのようにつながっていますから。前のシーンを引っ張ったまま次に行くほうが、気持ちの変化も理解しやすいところがあるのかもしれません。
新垣 2025年の「人類館」を立ち上がらせるためにどうするのか。テキストの印象も強いし、これまでの舞台映像でも印象的なシーンがたくさんある中で、どうしたらこれまでのクォリティを守れるのか悩んだ時期もありました。でも、あかねさんは「気にしなくていいよ、そんなものは私が矢面に立って引き受けるから」って言ってくださって。初めてお会いしたときと同じように「あなたの読みたい読み方で」と言われて、これはもう、好き勝手言うしかないと心を決めました。だから、あかねさんと林さん、お二人と車座になってディスカッションすることが、この1年で重ねてきた、この戯曲の読み方だったなと思います。そのうえで、佐々木さんの空間や物事の見方は、新しい飛躍を作品にもたらしてくれていますし、さらに、これから衣裳や音響がどう関わってくるか──。確かに県外の方々とは物理的な距離もあって、難しいこともあるけど、さまざまなルーツを持った方々が参加することはとても重要で、皆さんが「人類館」に運んできてくれたものが、作品の可能性を広げることにつながっていると思います。
林 戦後80年で、二度目の大阪万博が開催される年に上演される「人類館」は、それだけで意味がついてしまうというか、期待される反面、上演したこと自体が意義になってしまいかねない面があると思います。七奈さんがウクライナやガザの話を通じて、演劇って何ができるんだろうと考えていたり、2022年の公演の後であかねさんが「人類館」に書き込まれていた差別や犠牲が見えづらくなっているって話してくれたこと……今ここに集まっている人たちが、そんな共通の問題意識を持って、長い時間をかけて作品を作り、お客さんと共有する意味はなんなのか。それはたぶん「こういう深刻な歴史を学んでください」とか「反省してください」っていうのではないんです。あかねさんと七奈さんと3人で読んだ「人類館」が、佐々木さんの美術ができることによって違う読みを生み出したり、俳優が動くことによってさらに新しい発見があったり。同じことが衣裳によっても、音響によっても、照明によっても起こる。芸術や遊びの社会的役割って、そういうふうに「こうだ」と思ったことが、どんどんズレていくことにあるんじゃないかなと思うんです。正しいことだけを学ぶんじゃなく、いろんなズレを発見して、共有していくのが、今回の「人類館」の面白いところになりそうです。
──新しい「人類館」を目指した前回公演のあとには葛藤もあったそうですが、改めて今、ここで進行しているチャレンジと、観客の体験を含めた「人類館」の歴史に向き合うこととの関係を、知念さんがどう捉えているかを教えてください。
知念 私は父が作った「人類館」しか知らなかったので、自分の中の凝り固まったイメージをどう崩していいかもわからないんですよね。だから今は、若い世代の七奈さんやプランナーの皆さんの力を借りて、歴史を踏まえつつ、新しく作り替える作業を手伝ってもらっている感覚でいます。七奈さんと最初に話をした時期まで、私は「人類館」の上演を「継承」という言葉を使って説明していました。でも、こうやって話す機会をもらったり、いろいろな方の話を聞くうちに、「継承」じゃないなと思って。徐々に自分の中で「繋ぐ」って言葉に変わっていった気がします。そっくりそのまま上演するんじゃなくて、しっかり新しい歴史を作って、未来に繋げたい。そうすることで「人類館」に書き込まれた沖縄の歴史も、この作品を好きでいてくれた人たちの存在も、忘れられることなく繋いでいけるのかな。綺麗事に聞こえるかもしれないけど、この上演も、そういう未来への希望になってほしいなと思います。
プロフィール
知念あかね(チネンアカネ)
沖縄県那覇市出⾝。演奏家、⾳楽講師。幼少期より⾳楽を学び、演奏活動と指導等、⻑年クラシック⾳楽の普及に携わる。2013年に亡くなった⽗・知念正真の作品の継承のために 2020年にAKNプロジェクトを発⾜。知念正真の作品を中⼼に、戯曲、⾳楽、⽂学等の芸術活動を通して「沖縄の若年層が楽しめる舞台作り」をテーマに活動。2021年にコロナ禍で「喜劇・⼈類館」の配信上演をプロデュースし、2022年には那覇⽂化芸術劇場なはーとにて同作を沖縄「復帰」50年特別企画として上演した。
新垣七奈(アラカキナナ)
演劇ユニット多々ら主宰。高校から演劇を始め、2016年にユニットを結成。これまでのユニット公演ではすべての作品の演出を行う。「演劇人コンクール2024」にて奨励賞受賞。俳優として外部作品に多数出演。近年の主な出演作には、2020年コロナ禍でオンライン開催した九州・沖縄版「未開の議場」オンライン(作:北川大輔)や、2021年神里雄大が演出した「琉球怪談」(原作:小原猛、演出:神里雄大)、2023年なはーとプロデュースによる出会いシリーズ①「声」(原作:ジャン・コクトー、演出:和田ながら)に出演している。
林立騎(ハヤシタツキ)
翻訳者、演劇研究者。現在、那覇文化芸術劇場なはーと企画制作グループ統括。訳書にイェリネク「光のない。」、レーマン「ポストドラマ演劇はいかに政治的か?」(ともに白水社)。2012年にイェリネク作品の翻訳で小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞。2005年より高山明の演劇ユニットPort Bに、2014年より相馬千秋のNPO法人芸術公社に参加。東京藝術大学特任講師(2014-2017年)、沖縄アーツカウンシルプログラムオフィサー(2017-2019年)、ドイツの公立劇場ドラマトゥルク(2019-2021年)を経て、2022年より現職。
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佐々木文美(ササキアヤミ)
セノグラファー。快快(FAIFAI)メンバー。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒。演劇、ダンス、音楽、展示などに舞台美術、セノグラフィーとして参加するほか、レクチャーパフォーマンスも行う。近年の舞台美術としての参加作品に、Dr. Holiday Laboratory「想像の犠牲」作・演出:山本ジャスティン伊等)、愛知県芸術劇場 × Dance Base Yokohama パフォーマンスセレクション2024「間の時間」、岡田利規 × 酒井はな「ジゼルのあらすじ」、北九州芸術劇場 キタゲキローカルアーティスト協働プログラム「シワノヴァ」(振付・演出:太めパフォーマンス)など。
藤谷香子(フジタニキョウコ)
衣裳家。快快(FAIFAI)メンバー。多摩美術大学在学中より衣裳家として活動を始め、国内外の演劇、ダンス、オペラ、コンサート、現代美術の作品や芸術祭でのパフォーマンス作品に参加し、多岐にわたる分野で活動を行う。そのほかの活動として、宣伝衣裳、美術館でのワークショップ、講師として授業なども行う。近年では岡田利規の演劇作品、金氏徹平の現代美術作品、角銅真実、中村佳穂など音楽家へのスタイリング、近藤良平(コンドルズ)×永積崇(ハナレグミ)「Great Journey」シリーズに参加。
山口剛(ヤマグチゴウ)
愛知県出身。サウンドエンジニア。大学在学中からフリーランスとして多様なイベントやミュージシャンなどのオペレートを担当し、2009年に音響技術を専門とする合同会社ネクストステージを設立。コンサートやイベントの音響を主軸とし、演劇やインスタレーション、コンテンポラリーダンスなどの音響デザインも手がける。近年の作品制作ではマルチチャンネルスピーカーや立体音響技術などを活用しながら、“常識にとらわれない音響表現”をテーマに音響デザインを行っている。



