今、劇場が動き出す──始まった新たな日常 第3回 [バックナンバー]
「できるだけ中止でなく延期に」、KAAT神奈川芸術劇場の思い
思いがけない形で迎えた10周年
2020年12月28日 16:00 13
2021年1月、神奈川・KAAT神奈川芸術劇場が10周年を迎える。本年度は、2016年から芸術監督を務めてきた白井晃のラストイヤーでもあり、2月に行われたKAAT2020年度ラインナップ発表では、白井が信頼を置く多数のアーティストが顔をそろえ、にぎわいを見せた。
それから7カ月、発表されたプログラムの多くは延期、または中止となり、KAATは9月の白井演出による音楽劇「銀河鉄道の夜2020」でいよいよ再スタートを切った。また来年4月には、長塚圭史が新芸術監督に就任することも決定。臨機応変さが求められるKAATの今後について、館長の眞野純と広報営業課の安田江、企画調整課の河崎巴見に話を聞いた。
取材・
KAAT神奈川芸術芸術劇場 / 眞野純館長、安田江(広報営業課)、河崎巴見(企画調整課)
クルーズ船を横目に、早めの対処に奔走した
──1月半ばにコロナのことが聞こえて来たとき、KAATでは「アルトゥロ・ウイの興隆」が公演中でした。この段階で、コロナ対策については何か行われていましたか?
眞野純 いえ、まだですね。ただ「アルトゥロ・ウイの興隆」は1月22・23日と出演者がインフルエンザにかかって休演したので、「こういう事態になると公演はもろいな、気を付けなければいけないな」と強く意識するようになりました。その後、1月末に中国で非常に感染力が強いウイルスが発生していて、大きな都市がロックダウンされるような事態になっているということを聞き、また問題となったクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が劇場から見えるところに停まっているので、そのさまを見ながら、「これは尋常ただならぬことになるな」と思いました。なので2月の頭には、「今後、公演をしばらく止めることになるかもしれない」と白井晃芸術監督に話していました。
──2月26日に自粛要請が出たとき、KAATでは3月に予定されていた「避難体験 in KAAT<寄席>」「芝居の大学」など複数の公演の中止・延期を発表しました。2月上旬からその準備をしていたのでしょうか?
眞野 そうですね。KAATを管理しているのは神奈川芸術文化財団なので、中止・延期を決めるにもいろいろな手続きが必要なんですが、その手続きに関する協議が2月に入ってすぐに始まりました。だから自粛要請が出る前に、これからどういう判断・対応をしていくかという大まかなあらすじのようなものは、自分たちで立てていましたね。ただ3月開幕の「マンマ・ミーア!」をどうするかは、劇団四季さんの判断に委ねようと考えていました。結局「マンマ・ミーア!」は7月まで初日が延期になったのですが。
──提携公演(編集注:劇場の主催公演ではなく外部主催者と提携・協力し実施する公演)のカンパニーデラシネラ「どこまでも世界」(2月27日~3月1日)、OrganWorks「HOMO」(3月6日~8日)は公演が行われましたが、笠井叡「DUOの會」(3月26日~29日)は土日の公演だけ中止となりました。
安田江 実は3月26日に「週末は外出を控えるように」という神奈川県からの強めな要請が出て、それを受けて「DUOの會」は週末のみ公演中止となりました。
──3月のKAATは、主催公演が中止、貸館・提携公演は主催者次第で実施する公演もある、という状況でした。そして緊急事態宣言が発令される4日前、4月3日に鼓童×ロベール・ルパージュ「NOVA」の中止が発表されます。
眞野 この作品は、カナダと日本を行き来しながらクリエーションする予定でしたが、私はこれまでルパージュさんの作品の作り方を何度も経験しているので、2月に鼓童がカナダに行けなくなった段階で、「あ、これは危ないな」と思っていました。まずは鼓童さんの判断を優先すべきだろうと思い、何度も連絡を取り合って、鼓童さんの中止発表を受けて私たちも正式発表しました。
できる限り、中止ではなく延期に
──4月7日に緊急事態宣言が発令されると、翌8日に、初日を3日後に控えていた「アーリントン(ラブ・ストーリー)」や「アーリントン」連動企画「メトロポリス伴奏付上映会 ver.2020」やリーディング公演「ポルノグラフィ」の中止・延期を発表しました。またその後も6月に上演予定だった「未練の幽霊と怪物」、7月予定だった「二分間の冒険」、8月上演予定の「さいごの1つ前」の中止が発表されます。
眞野 白井さんがKAAT以外での演出の仕事があり(編集注:3月に東京公演のみ実施された「ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド ~汚れなき瞳~」、6・7月上演予定で中止となった「ある馬の物語」)、その情報が私たちにも届いていたので、「これは普通の判断ではダメだな、お客様も私たち自身も守れないな」と思ったんです。もちろん当然ながら、わざわざ公演中止にすることは、私たちとしてもやりたくはなかったです。でも新聞の論調などを見ても6カ月くらいは事態の収束に時間がかかると思ったので、たぶんほかの劇場よりずいぶん早く、中止・延期を決めたんじゃないかなと思います。
河崎巴見 4月上旬に緊急事態宣言の発令を見越して、神奈川県の「8月末までの県主催事業の中止」という発表があったので、先のものについてもプログラムの見直しを早い段階でやったんですよね。
──4月の時点で8月末まで休館となると、かなり先のことという感じがしますが……。
眞野 今年はかなり丁寧にプログラムが作られていたのと、芸術監督の交代を挟んでどうするかということを見据えて話し合っていたので、春から夏のプログラムがボコッと抜けてしまってもなんとかなるだろうと思っていました。
河崎 館長は一番早く危機感を持って、「8月まで公演はやめるべきだ」っておっしゃってましたね。でもただ中止にするのではなく、方向性としては全部延期にできないかということから考えて、どうしても調整がつかなった公演以外は救えたのではないかと思います。
──確かにKAATは、公演中止ではなく延期になるものがとても多かったですよね。
眞野 予定していたプログラムで、年度内にできるものは全部やろうとなり、どうしてもできないものは翌年度にやっていいかと次期芸術監督の長塚圭史さんに相談したんですね。そうしたら長塚さんのOKが出たので、白井芸術監督と私で演出家や作家たちとリモート会議し、公演をどうするかという話をしました。またそれ以前からなんとなく嫌な予感がしていたので、先の公演については契約書を作ることにしました。というのも、公共劇場なので、公演が中止になった場合に契約書がないとスタッフやキャストにお金を払うことができないので。これについては東京芸術劇場や彩の国さいたま芸術劇場にも声をかけて、それぞれの事情で支払える金額の割合は違うかもしれないけども、基盤になるものを作ろう、ということにしました。かつて私たちは演劇をやるっていうことはお金が回らないものだと思っていましたが(笑)、公共劇場が一般化されて来たことで、今更ではありますが、そういった目線で考えることも必要だろうと思って。
河崎 そうですね。キャストもですが、スタッフの方たちにもちゃんと発注したという痕跡を残していないと、このあと彼らにとって不利なことになるのではないかということで、まずはきっちり契約書を作りましょうと。
眞野 十分とは言えないんですけど、そういったことをまず準備したうえで、中止や延期の相談を始めました。
──かなり先回りして、劇場スタッフの方たちは動いていたんですね。しかしそのような準備をしている傍らで、2月4日には2020年度のラインナップ発表会をされました。「延期の可能性があるな」と思いながら、発表会に臨まれたのでしょうか。
眞野 そうですね、そのような危機感を念頭に置いていました。
大きかった、プロダクションチームの存在
──白井さんは4月以降、芸術監督としてのコメントをたびたびKAATの公式サイトで発表されていました。芸術監督がこれほど何回もコメントを出している劇場は、珍しいと思います。
眞野 芸術監督の最終年で、渾身のプログラムだったわけです。でもそれが1つ、また1つできないとなり、彼は俳優でもあるし演出家でもあるので、「公演中止で傷付いているのは劇場関係者の僕らだけではなく、役者の人たちも演出家も、またフリーランスのスタッフたちも同じだ」と強く感じていたようです。なので、公演を止めるということに対して、言い訳ではなくきちんとメッセージを出したいという意向があり、公演中止を発表するごとにコメントを出そうとしていたのだと思います。ただ白井さん自身、毎年1作品ずつKAATでブレヒトをやるというのがテーマだったわけですが、最後の年になって「コーカサスの白墨の輪」を諦めざるを得なかったので、非常に口惜しい1年だったと思います。
──緊急事態宣言は5月25日に解除されましたが、KAATが主催公演を再開したのは、9月の音楽劇「銀河鉄道の夜2020」からでした。9月にイベント人数規制緩和が発表されましたが、KAATは現在も主催公演の客席稼働率が50%のままです。
眞野 そもそもこの劇場を建てるときに目指したのは、“快適な三密”を生み出すことでした。そのために換気能力を高めたり、客席同士の距離も、メインホールだと大きさ的には1400席くらい作れるところを1100席にするなど、劇場空間としてかなり自信のあるものになっているんです。それでも今は、“三密”を避けることが重視されていますし、私も現在の体制のまま客席稼働率50%を守っていれば安心だと思っているので、当面は50%のままの予定です。それでももしコロナ陽性者が出てしまったら、所定の期間劇場を閉め、またすぐ公演再開できるようにと、劇場再開まではそのガイドライン作りに注力していました。
だから11月末に「knife」の出演者に陽性者が出たときも、早急にカンパニーに連絡して、初日を遅らせることを決め、なんとか延期できる日程はないかと調整しました。最初は3日間しか劇場の空きがなくて、なんとかならないかと調整した結果、その時期に会場を利用予定だった人たちが次々と申し出てくれて、結局8回予定していた公演を6回までは振替公演として復活させることができたんです。
河崎 劇場スタッフ全員が、公演を絶対にやりたいし、やめたくない、という思いが強いので、必死でした。
──その状況に、臨機応変に対応できるのがすごいですね。
眞野 KAATのプロダクションチームの存在が大きく、制作スタッフが決めたことを、実際に可能ならしめるのは現場スタッフですから、彼らが「こうすればできる」とスッと動けたのは、10年の蓄積だと思います。また、劇場の仕込み作業員であると同時に、KAATで公演を打つ若い劇団のデザインを普段から一緒にやっているので、どんな演出家やデザイナー、スタッフにも柔軟な対応ができる。そのような状態をKAATのオープンから望んでいましたが、ようやく功を奏したのかなと思います。
休館中も観客との接点を見つける試みを
──また、KAATでは休館中に、広報誌「ANGLE」をWeb掲載したり、公式サイトに企画ページを作成し、オンラインバックステージツアーを展開したり、さまざまなコンテンツを紹介したりと、新たな取り組みを行っていました。
眞野 皆さんがリモートでお芝居を観せるということをポツポツとやり始めた頃に、何かやれることがあるのではないかと考えたんです。そのことを切望したのは白井芸術監督でした。「この状況下でKAATが沈黙しているのがどうしても腰の座りが悪いから、発信できるものはなんでも発信しよう」と言って。そこで技術課長が自ら出演したバックステージツアーや、平原慎太郎さんの演出・映像制作による来場ガイダンス映像などが生まれました。
──中止になった岡田利規さんの「未練の幽霊と怪物─『挫波』『敦賀』─」は、「『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊」としてオンラインで上演されました。コロナによってオンライン演劇に取り組み始めた作り手は多数いますが、本作では、机の上に置かれたパネルの上にプロジェクションマッピングで俳優の姿が映し出されるというスタイルで、オンライン演劇を新たなフェーズへいざなったと思います。
眞野 「未練の幽霊と怪物」は、ぼぼ完売していたんですよ。だから公演を完全に中止するのは非常に痛かったし、「配信という形で展開しよう」と提案されたときも私としては半信半疑だったんです。ただWebで観てくださる方があれほどいるとは思わなかったし、チケットを購入していた人はもちろん、実際に買えなかった人やこれまで岡田さんの作品をKAATで観ていなかったような全国の人に観てもらえたのはよかったなと思います。
──KAATでは今年9月から10周年記念公演がスタートし、来年1月に11年目を迎えます。当初の想定とはかなり違った10周年だったかと思いますが、今後の展開について、どのようにお考えですか?
眞野 2020年度のラインナップについては、全部芸術監督が演出家とダイレクトに話をし、内容まで相談して決めた作品で、一部延期できず中止になってしまったものもありますが、多くの公演は中止にはならなくて良かったと思っています。また途中から映像配信を始めたので全部は配信できなかったんですが、これからまた、配信される公演も出てくると思います。11年目に入る1月以降は、白井さんから長塚さんへ、ゆっくりと体制を移行しつつ、新年度に臨みたいなと。先ほどお話しした通り、今年度はプログラムをしっかり組んでいたので、臨機応変な対応ができましたし、来年度のプログラムも平然と組むことができました。今後も、何かあってもちゅうちょせず対応していきたいと思っています。
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