「イムジン河」は、メジャーデビュー前のフォークルが1967年に発表した1曲。翌1968年2月20日、メジャー発売前日に発売中止となったが、さまざまなアーティストに影響を与え、今日まで歌い継がれている。本作はフォークルがこれまでに発表した「イムジン河」の4つのバージョンに加え、メンバーの
またCD発売後の9月30日には、東京・東京国際フォーラム ホールAで音楽監督に
きたやまおさむ コメント
生き残る歌「イムジン河」
今回の新録は、私にとって五度目の「イムジン河」への参加となった。これを解説しておきたいと思う。
まずは第一次の、アマチュアのフォークルのもので、300枚の私家版「ハレンチ」というアルバムに収録され、発売は1967年の秋の京都だった。初めて聞いた時(おそらく1966年頃)、「誰が祖国を二つにわけてしまったの」という松山猛のオリジナリティの高い歌詞が、私の心に鋭く突き刺さった。当時は2番までしかなく、下手な原語で一部を歌っていたが、やがて東京のコンサートで「大阪と東京の間でもし分断されていたら、今日この歌はここで歌えなかった」と私が述べたことを記憶する聴衆がいるほど、心に残る歌となっていった。
次いで、プロになった第二次フォークルの「イムジン河」で、1968年、3番の歌詞を得てスタジオ録音された。「帰って来たヨッパラィ」に続く第二弾として、発売前から深夜放送で話題となったが、私たちはこれを「朝鮮民謡」だと思い込んでいて、その認識不足が朝鮮総連のクレームにつながった。原作者が半島におられたという事実があり、レコード会社は本社の意向を得て発売直前に中止を決断した。発売中止になってから会社と交渉を繰り返したが叶わず、30年以上も経って2002年に発売がようやく可能となったものだ。
この2002年、第三次フォークルが坂崎幸之助の参加を得て再結成され、NHKホールの「新結成記念解散音楽會」で歌われた。このライブ盤には、分断されたものが結ばれることを願って私と加藤和彦による4番が加えられ、「イムジン河・春」として収録された。
さらに、加藤和彦が自死で逝った後になってしまったが、故人の発案でパトリック・ヌジェ(Patric Nugie)がロマンチックなフランス語で歌ったバージョンが録音された。坂崎と私がメンバーとなった第四次フォークルによる「若い加藤和彦のように」というアルバム(2013年)に収録されている。
そして今度のイムジン河・新録が五度目の「イムジン河」である。2002年の「春」をウクライナにおける戦争を意識して改変し、4番を作り上げた。評価はこれからだが、さまざまな意味の「和」に向けて、内容に相応しい形で集まった仲間たちによる、歌い分けて歌い継ごうというメッセージの溢れるものとなったと自負している。心より、ミュージシャンとその関係者に感謝したい。
私は、これまで「イムジン河コンサート」を何度か開催し、これ以外にも多くの「イムジン河」の制作に関わってきたが、出会ってから50年以上を経て、いま改めて思うことがある。皆は当時、発売中止になってひどく悲しんだが、発売中止になったからこそ記憶に残り、歌はフォークルだけのものではなくなった。おかげで歌は翼を得て飛び立ち、歌詞にはヴァリエーションも生まれ、多くの歌手やミュージシャンによって歌い継がれるようになったと感じる。これは、「音楽は国境を越える」というメッセージを正しく体現している歌として、苦しい困難を常に生き残る、世界でも珍しい「生きている歌」なのである。
最後に、この歌の如く、何があっても多くの人にできる限り生き残ってほしいと思う。
V.A.「イムジン河」収録曲
01. イムジン河 / 2022年新録音バージョン
02. イムジン河 / 1967年「ハレンチ」収録バージョン(MONO)
03. イムジン河 / 1968年オリジナル・シングル・バージョン
04. イムジン河・春 / 2002年「新結成記念 解散音楽會」収録バージョン
05. イムジン河 / 2013年「若い加藤和彦のように」収録バージョン
06. イムジン河 / 1968年オリジナル・シングル・バージョン(カラオケ)
07. イムジン河 / 2022年新録音バージョン(カラオケ)
あの素晴しい歌をもう一度コンサート2022
2022年9月30日(金)東京都 東京国際フォーラム ホールA
OPEN 14:00 / START 15:00
<出演者>
音楽監督:
※記事初出時、CD発売日に誤りがございました。お詫びして訂正します。
高田漣 @rentakada
光栄なことにフォーク・クルセダーズの「イムジン河」の新録に編曲で参加させて頂きました。ニッポン放送主催の恒例イベントも今年も音楽監督として参加致します。
よろしければぜひ♫ https://t.co/iPApZvRncC