ミヤの手書き履歴書。

アーティストの音楽履歴書 第21回 [バックナンバー]

ミヤ(MUCC)編

クラシック少年を目覚めさせたドラクエ、井上陽水、X JAPAN

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毎回1人のアーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回はMUCCのミヤ(G)のルーツに迫った。

取材・文 / 森朋之

「ドラクエ」サントラと「氷の世界」に魅了された子供の頃

物心付いた頃からクラシックピアノを習っていて、学校の勉強の一環みたいな感じでピアノの練習が日課になっていました。親が音楽の教員だったので、子供にも小さいときからやらせてほうがいいと思ったんでしょうね。なので、自主的にやっていたわけではないんです。学校の発表会でピアノの伴奏を任されることはあったけど、好きでやっていたかと言われると微妙ですね。

クラシック音楽も自分から積極的に聴いたことはなくて、親が聴いているレコードを何となく耳にしているくらいでした。それよりもゲームの音楽のほうが好きでしたね。初めて買ったCDも「ドラクエIII」のサントラ(「交響組曲 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」)。小学生のときに「ドラクエIII」と「ドラクエIV」が出たんですが、ゲームをプレイしていた影響で音楽も好きになって。「ドラクエ」の音楽は交響曲がもとになっていてクラシックバージョンのCDも出てたんですよ。ピアノ譜も売られていて「これを自分で弾けるのは楽しい」と思ってずっと弾いてました。そのときに初めて、自分の中でピアノと音楽が結び付いたんでしょうね。いまだに「ドラクエIII」の音楽は覚えてます。ただ小さい頃はJ-POPはほとんど聴いていなかったです。テレビの歌番組もあまり観ていなかったし、CDとかメディアで音楽を聴くこともほとんどなくて。地元(茨城県石岡市)が田舎だったせいか、CDを買い始めた時期も遅かったんですよ。特に実家のあたりは“村”という感じで。じいちゃんの家の近所には牛や豚、ヤギもいたし、市街地とはだいぶ差がありましたね。

「ドラクエIII」と同様に音楽の原点になっているのは、井上陽水さんの「氷の世界」です。小学校5年生くらいから日本の音楽を聴き始めて。家にあったTUBEとかB'zのCDをよく聴いてたんですが、陽水さんのアルバムもあったんです。当時リリースされた陽水さんのアルバムはよく理解できなくて「変わったおじさんだな」くらいの印象だったんですけど(笑)、あるときに親が持っていた「氷の世界」のレコードに興味が湧いて。ジャケットの雰囲気もずいぶん違うし、「どんな感じなんだろう?」と思ってレコードに針を落としてみたら「こんな音楽があるんだ!?」と衝撃を受けて。特に歌詞がすごかったですね。リアルタイムで聴いていた「少年時代」とかも「めっちゃいい曲だな」と思ってたけど、「氷の世界」はまったく違う世界じゃないですか。しかも自分が生まれる前に出ているアルバムで、その時代からこんな独特の音楽があったんだなと。「氷の世界」の本当のすごさがわかるのは、もっと大人になってからでしたけど。

X JAPANの衝撃

同じくらいの時期にX JAPANも聴き始めました。兄貴が「カッコいいから聴いてみ?」とカセットテープを貸してくれて。まずはロックバンドなのにオーケストラの音が入ってることにビックリしましたね。さっき「クラシックはそんなに聴いてなかった」と言いましたけど、子供のときからクラシックのコンサートにも連れていってもらっていたし心地いい音楽だなという印象はあって、もちろん好きな曲もあったんですよ。自分の中でロックとクラシックはまったく別物だったんですけど、X JAPANの曲には、その混ざらないはずのジャンルが融合されていて。「こんな派手な音楽とクラシックが合体しちゃってる!」と驚いたし、メンバーの見た目のインパクトもあって一気にのめり込みました。その影響で14歳のときにギターを始めるんですけど、最初はX JAPANの曲ばかりをコピーしてました。家にクラシックギターがあって、それで「紅」のイントロを弾いたり。

ギターに関して言えば、BOOWYの影響もすごくあります。BOOWYの曲を初めて聴いたのは、コピーバンドの演奏でした。隣の中学校にBOOWYのコピーバンドがいて、ライブを観たらすごくカッコよかったんです。当時の俺にとってはギターの弾き方やアレンジが新鮮だったんですよね。それまではX JAPANの曲ばかりコピーしていて、リズムギターという概念がなかったんですけど、BOOWYの曲を聴いて「ギターがパーカッシブで面白いな」と思ったんです。それが自分のギタリストとしてのスタイルの基礎になってます。

それ以外では、地元のお祭りで太鼓を叩いた経験も大きいです。石岡のお祭り(常陸國總社宮例大祭)は関東三大祭の1つで、石岡生まれの男は小学校低学年の頃から強制的に太鼓の練習をさせられるんですよ。町内ごとに練習日が決まっていて、夕方から夜まで練習して。お祭りの太鼓は民族音楽に近いものがあるんですよね。当時はそこまで分析してなかったけど、リズムの中にしっかり規則性があって、それを叩き続けるのがすごく楽しかったんです。石岡の人間はそのリズムになじみがあるんだけど、当然人によってうまい、下手があるんです。「太鼓をやりたくない」という奴もいたけど、俺はずっとやってました。ちなみに山車の上で叩くリズムと、獅子の上で叩くリズムはちょっと違っていて。獅子はどちらかというと子供向けなんだけど、俺はそっちのほうが好きでした。石岡の祭りって朝8時に始まって、夜8時に花火が上がるまでずっと太鼓の音が鳴りやまないんです。しかも50くらいの山車が出ているからすごい迫力なんですよ。今考えてみたらあれはレイヴですね。

初めてロックのライブを観たのは中学生のとき。最初はX JAPANの東京ドーム公演(1994年12月30、31日に行われた「TOKYO DOME 2DAYS LIVE 青い夜 / 白い夜」)でした。当時の東京ドームは音がよくなくて、何をやってるかよくわからなくて。客が“Xジャンプ”をやり始めて、「あ、この曲『X』だったのか」とわかるという状態でした(笑)。その頃、茨城県立県民文化センター(現ザ・ヒロサワ・シティ会館)でLUNA SEAも観ましたね。アルバム「MOTHER」(1994年10月発売)のツアーで、一緒にバンドをやってた友達と観に行きました。それから高校になると、ライブハウスにも出入りしてました。今もMUCCが出させてもらってるmitoLIGHT HOUSEもよく行ってましたね。

その頃には、ずっと教えてくださっていた先生が亡くなってしまったこともあってピアノはやめていました。その先生のレッスンはすごく面白くて、課題曲を自分で選べたし、教え方も「ここは川が流れるように」とか「ここは怒りを表現して」という感じだったんです。ピアノが好きというよりも、先生との会話が楽しかったんですよね。今となっては、「もっとしっかりピアノをやっていればよかった」と後悔してます。学校の勉強はまったくできなかった、というかやってなかった。音楽と体育以外の成績は全部「1」だったんですよ……授業に出てないから(笑)。中学校のときは自分が面白いと思える授業しか出てなかった。

ドラムに惹かれつつ自分を表現するためにギターの道へ

オリジナル曲をやるバンドを組んだのは高校になってからです。中学生のときにX JAPANやLUNA SEAのコピーバンドをやって、そのときのメンバーと「ちゃんとバンドをやろう」ということになったんです。練習ではL'Arc-en-CielやLUNA SEAの曲をやってましたけど、ライブでは全部オリジナル曲をやってました。作曲自体は小学生のときからやってましたね。家にあるキーボードにメモリー機能が付いていて、自分で作った曲をそれで録音して遊んでいました。その頃作ってた曲は……「ドラクエ」のBGMみたいな曲が多かったです。好きな曲のパロデイというか、似たような感じで作ってみようと思って。

「この曲は、この音楽に影響されて作られた」と感じることってよくあるじゃないですか。音楽はそうやっていろんな影響を受けながら無限に広がるものなんだな、と子供の頃からなんとなく感じてたんですよね。「ドラクエ」の音楽にしても、自分の親が聴けば「クラシック楽曲がもとになっている」とわかるけど、俺は「ドラクエ」の曲として先に聴いてるから最初はそんなことわからなくて。でも、いろいろ聴いていくうちに「なるほど、この交響曲を参考にしてるんだな」と気付いたり。そうやって少しずつ音楽を理解していった感じです。曲を作り始めたときも、自分が好きな曲を参考にして、「ここを変えたら違うフレーズになるな」みたいなことを考えてました。昔から「なんで曲が作れるの?」とよく言われたけど、俺からすれば「なんで作れないの?」っていう感じなんです。

中学生の頃からずっとギターを弾いてますけど、たまたま家にあったから弾いていただけで、学生時代に一番興味があったのはドラムなんですよ。実際、17歳のときに1年間だけドラムをやったことがあって。バンドのリハーサルのときに初めてドラムセットの前に座ったにも関わらず、最初からけっこう叩けたんです。好きなバンドのライブ映像をさんざん観ていたし、どの太鼓がどういう音を出すのかもわかっていたので。「イメトレだけでこんなに演奏できる楽器ってすごいな」と思ったし、叩くのは楽しかったんですけど、自分を表現するためにはギターのほうがいいなと思って結局ギターに戻りました。ドラマーになったらリズムから曲を作るようになるだろうし、めんどくさいというか作曲に時間がかかるだろうなと。ギターは音階楽器だから、1つフレーズを作るだけで形になるじゃないですか。ドラムは今も好きで、実は今年はドラムを習おうと思ってたんですよ。今はこういう状況なので無理ですけど……。

ダンスミュージックの原点は地元の祭り太鼓

「音楽でメシを食っていく」という目標は、中1のときにはハッキリしていて。どういう形になるかはわからないけどずっと音楽は続けようと思っていたし、高校のときには「卒業したら、自分でバンドを組んでいても組んでいなくても上京しよう」と決めていました。たまたま卒業前にMUCCを組んだから、メンバーと一緒に東京に来たんです。

MUCCを結成した前後、10代の終わり頃は日本のインディーズシーンのバンドに興味があって、メジャーな音楽はほとんど聴いてませんでした。当時のアンダーグラウンドなバンドは自分にとって新しい音楽だったんです。ほとんどのバンドはルーツになっている音楽がわかったんだけど、中にはどんなアーティストとも似ていないバンドもいて、そういうものに惹かれていました。

2000年頃のミヤ。

2000年頃のミヤ。

茨城にいた頃はまったく洋楽に触れてなかったんですけど、上京した90年代後半からは洋楽も聴くようになりました。きっかけはSlipknotとKorn。この2バンドの音楽は自分の中にはまったくなかったので。特にKornは自分の中でどこか井上陽水とリンクしていて。それとジョナサン・デイヴィスというボーカリストのパーソナルな表現がエンタテインメントとして成り立ってることが衝撃で、その影響でMUCCでも激しい表現を追求するようになりました。

ソングライティングをもっと突き詰めたいと思った時期もありました。「日本の音楽として誇れる作品を作ろう」と思って、メロディ感を考えるようになったんですよ。ルーツミュージックや民俗音楽に興味が向いて、それがMUCCとして作るダンスミュージックにもつながりました。ダンスミュージックって、要するにリズムがループする音楽ですけど、自分にとってそういう音楽の原点は石岡のお祭りで叩いていた太鼓で。1日中太鼓を叩き続ける経験は本当に強烈だったし、そういう経験ができたことでも石岡の町に生まれてよかったと思います。

最近興味があるのはカントリーやブルース

「MUCCは作品によって音楽性が違う」とよく言われますけど、自分自身、多岐にわたるジャンルをやっているバンドが好きだしカッコいいと思っているんです。もちろん同じ音楽性を追求するバンドの美学もあって、それもいいと思います。でも俺自身は、音楽的に変わり続けるバンドに惹かれる。そういう感じで音楽をやっていないと、自分の心とリンクしないんですよね。「晴れてる日もあれば、曇っている日もある」という感じで変化に応じて音楽を作っていきたいというか。表現したいことは常にあるし、今のところは音楽にまったく飽きてないです。最近興味があるのはカントリーやブルース。そこにはまだ踏み込んでいないし、やったことがないジャンルの曲を作るのは面白そうだなと。ヒップホップも以前から好きでよく聴いてます。ヒップホップって、自分の中でなんかパンクロックとすごく近い音楽性なんですよね。

MUCCでもいろんな音楽に影響されて曲を作ってますけど、実際にバンドで形にしてみると別の方向を向いちゃってることも多くて。要は作り始めたときとは違う形になる。でも、それでいいと思ってるんです。MUCCでは自分のイメージ通りに完璧に音楽を作るのが目的ではないし、バンドってそもそも集合体じゃないですか。メンバーそれぞれの色がどうしても出てしまう。MUCCの音楽性でいくと、本物になり切れない感じも好きなんですよね。メタルがルーツじゃないのにメタルっぽいことをやったり、ボーカリストがラップを一生懸命やったり。そのジャンルのスパイスが感じられるだけでいいし、得意、不得意をひっくるめてバンドの色だと思っていて。もちろん下手じゃダメだけど、そういう“歪み”みたいなものも個性の1つだと思うんですよね。

ミヤ

ミヤ

ミヤ

1979年7月生まれ、茨城県石岡市出身。MUCCのギタリスト兼コンポーザー。1997年に地元でMUCCを結成し、1999年12月に1stミニアルバム「アンティーク」を発表した。国内外でライブ活動やリリースを重ねる一方で、ソロとしてクラブイベントのプロデューサーやDJとしての活動も展開している。地元愛も深く、石岡市ふるさと大使としても活躍中。

※「BOOWY」の2つ目のOはストローク符号付きが正式表記。

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