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SITE(Ghetto Hollywood)

映像で音楽を奏でる人々 第9回 バックナンバー

Ghetto Hollywoodが狙うのは“日本における「ワイルド・スタイル」”

多くのラッパーが信頼を寄せる、謎多き映像クリエイターの正体

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ミュージックビデオをはじめとした、音楽と関連する映像の制作に携わるクリエイターたちにスポットを当てるこの連載。今回登場するのは、加山雄三 feat. PUNPEE「お嫁においで 2015」やAKLO feat. SALU, 鋼田テフロン & Kダブシャイン「RGTO」など、ラッパーの楽曲を中心にこれまでさまざまなMVを手がけてきたGhetto HollywoodことSITEだ。

グラフィティライターとして頭角を現し、NORIKIYOが率いるラップグループSD JUNKSTAにも所属、近年は“正体不明の人気インスタグラマー”としても知名度を上げているSITE。映像のみならず多方面に才能を発揮している彼だが、その素顔はほとんどが謎に包まれている。ヒップホップとサブカルチャーへの愛情と造詣の深さがダイレクトに反映されたGhetto Hollywood監督作品の秘密を明らかにするべく、彼にこれまでとこれからについて話してもらった。

取材・文・構成 / 橋本尚平 撮影 / ツダヒロキ

グラフィティライターになって味わった初めての感覚

物心ついた頃から、好きなことしかやらないというか、絵を描くこと以外は運動とか本当にまったくできない子供でした。小学校の通信簿も図画工作だけがよくて、ほかはオール1みたいな。授業中も、学級文庫の江戸川乱歩の本を読んでいるか、教科書や机が真っ黒になるまで落書きしてたから、クラスで1人だけ1学期のドリルが3学期になっても終わってなかったり、忘れ物も毎日何個もあったりして初っ端からドロップアウトしかけてたんですが、小学5年生のときの担任に「どうせお前は絵を描く仕事に就くから好きに描いてろ」って言われて。それを聞いたら呪いが解けたように、興味あることなら勉強も嫌いじゃなくなって、成績も全部平均くらいになったんです。

うちは幼稚園の頃に親が離婚して母親が働いてたので、週末になると兄貴と新宿に行って父親と会って、一緒に映画を見る習慣が中学卒業まで続いてました。母親もレンタルビデオが好きだったので、映画ばっかり観てましたね。音楽の原体験はドラマ「はいすくーる落書き」をきっかけにハマったTHE BLUE HEARTSです。小3の誕生日に再生専用のウォークマンを買ってもらって、学校に行ってる以外の時間はずっと、布団の中で寝落ちするまで聴いてました。だからNORIKIYOとPUNPEEに誘ってもらって「終わらないうた(REMIX)」のMVを公認で撮れたのは感慨深かったです。

俺が高校に入った1995年は、Wu-Tang ClanとかDJプレミアとナズに代表されるようなニューヨークのハードコアなヒップホップが全盛期で。宇田川町のレコ村も異様に盛り上がってたし、「さんピンCAMP」につながる日本語ラップブームに本格的に火が着いた時期で、全身迷彩でイスラム帽をかぶって、戦場に行くような格好で登校してました。高校に入ったらバスケ部の同級生にDJをやってる奴がいて、俺も中3のときに雑誌「Fine」で「MC教室」っていう連載を読んでライムだけはちょこちょこ書いてたから、一緒にラップグループを組んでました。

高1の秋に近くの私立高の文化祭に遊びに行ったときに、たまたま1学年上の2人組がショーケースライブをしてたのを観たんですが、それが般若(般若、RUMIDJ BAKUのグループ)だったんです。おそらく初ライブで、まだ持ち曲もないから20分ぐらいのフリースタイルをやってたのを覚えてます。その半年くらいあとに、TOKYO FMの「HIP HOP NIGHT FLIGHT」を聴いてたらZeebraさんが「ヤバい奴がいる」と言って般若のデモテープをオンエアして、「これ隣の高校の人たちだ!」って超ビックリしました。般若を観たときは「モノが違うな、こういう人が上に行くんだろうな」って漠然と感じましたね。俺、今でもライムを書くのは大好きなんですが、基本的に人前に立つのが好きじゃないから、友達と曲を作るのは楽しいけど、ライブをしても客のほうを見れないし見たくない。パフォーマーとしての才能がまったくなかったんですよね。だからラップが下手なら同世代で一番ヒップホップに詳しくなろうとして、金ないなりにいろいろDIGりまくりました。

高3になったときに、俺が所属してるSDPの創始者でもあるグラフィティライターのKANEくんに、通ってた新宿の美術予備校で出会って、日本にもグラフィティのシーンがあることを教えてもらいました。俺もそれをきっかけに1998年頃からSITEっていうタグネームでグラフティを描き始めたら、もともと絵が得意だったのもあって、そっちのシーンではけっこう知られた存在になれたんです。その頃は街に防犯カメラが付き始めた頃で、今と比べると街にいる警官の数も極端に少なくて。例えば渋谷から原宿まで移動しながら3、4時間ぶっ通しで描き続けてても、たまにパトカーとすれ違ったり、運が悪いと通報されて追いかけられるくらい。当時通ってた桑沢デザイン研究所の旧校舎のベンチで始業まで寝て、出席を取って帰って家でまた寝て、起きたら街に繰り出す、みたいな生活をしてました。グラフィティでは、ラップでは味わえなかった「ゲームの最前線に立ってる」という感覚を初めて肌で実感できたんです。もう時効だから言っちゃうけど、電車の全車両の全面に4人がかりで描くとか、無茶なこともけっこうやりましたが、まさにハイリスクハイリターンで、目立つ場所に描くとその分反響もあるんですよ。その結果、2002年にパルコで展覧会をやるために来日したTWISTことバリー・マッギーのアシスタントとして制作を手伝ったり、今はグラフィティを超えて世界的な人気アーティストになったホセ・パルラと一緒にヤードに忍び込んだりもして。グラフィティはラップよりアンダーグラウンドな分、そういう一流のアーティストとの出会いをたくさん経験することができました。

その頃はグラフィティを扱うメディアでもKAZZROCKさんとTOMI-Eくんくらいしか紹介されてなかったんです。だから日本にもヤバいグラフティのシーンがあるんだっていうのをもっとみんなに知らせたくなって、池袋のBEDでライターから集めた写真を拡大コピーして展示する「東京ブロンクス」というイベントを何回かやりました。それで当時読んでた雑誌に「こういうイベントをやってるから取材に来てくれ」っていう手紙を片っ端から送ったんですが、結局イベントには誰も取材には来てくれなかったんですね。でも後日、「BURST」の副編集長だったジャンク・ユージさんから突然実家に電話がかかってきて、「手紙を読んだんだけど、わかりやすかったから今度グラフティ特集の原稿を書いてくれ」って言われたんです。それで2000年、ちょうど20歳のときに「BURST」に8ページの特集記事を書かせてもらって、なりゆきで“文章を書くほうのライター”としてもデビューしました。

俺は当時、地元幡ヶ谷のコンビニで夜勤のバイトをしてたんですが、近所に住んでたMummy-D(RHYMESTER)さんと一緒に、当時「blast」編集部にいた高橋芳朗さんがお客さんとして来店したので、レジを打ちながら「前にイベントに来てくれって手紙送った者なんですが、『BURST』で記事を書いたから『blast』でも書かせてください」って声をかけたら、俺の手紙がちょっと気になってたらしくて、すぐに特集と連載ページを任せてもらえることになって。そこからスケート雑誌の「WHEEL」や「Quick Japan」「STUDIO VOICE」にもたまに記事を書かせてもらうようになりました。文章を書くときはイベント名から取った東京ブロンクスって名前を使ってました。

「TERIYAKI BEEF」が決定的な出来事だった

20代前半にはそのほかに、地元の先輩と一緒に洋服のブランドを立ち上げたりもしてます。店も出したんですが、半年くらい経ったら出資してた人が詐欺で捕まって、同じタイミングで先輩とも金銭面で揉めたので辞めました。それで26歳くらいのときに地元のカラオケボックスでバイトしてたら、知り合いの会社社長から「そんなことやってるんだったらうちに来いよ」って言われて、そこで働くことになったんです。その社長は小・中学校の同級生でDJをしてた昔の仲間だったんですが、しばらく会わない間にトランスのブームでひと山当てて。それを資金に安室奈美恵さんが使うようなダンスミュージックに特化したスタジオを経営しながら、メジャーと提携して流通も使える準メジャーみたいなレーベルと、音楽出版を扱う会社を立ち上げてたんです。そこに入ってから、まずはA&Rとして、当時周りにいた中で一番ヤバかったSEEDAくんに声をかけて「街風」ってアルバムを作りました。その際にMVを外注したんですが、一見お手軽そうなMVでも、ちゃんとした制作会社に頼むと100万円以上かかるというのを知って。だったら経費削減のためにも俺が撮ったほうがいいなと思って、まずは「seeda.tv」っていうドメインを取って自作のEPK(エレクトリックプレスキット、動画の宣伝資料)をアップし始めたんです。

「seeda.tv」を始めた次の年に、仲間のNORIKIYOのソロ曲「DO MY THING」のMVを、ハンディカメラを持ってる友達と一緒に手探りで撮りました。クオリティはまあ酷いもんでしたが、MVを自分で撮るようになったのはそこからです。映像に関してちゃんと勉強したことがないので、はっきり言っていまだにド素人なんですが、昔からMVが好きでよく観てたのと、絵が描けるからコンテだけは作れたし、MVを撮り始めたのは自然な流れでした。10年前は今みたいにヒップホップ専門で動画を撮ってる人の数も少なくて、注目が集めやすかったのも大きいと思います。

動画の面白さにのめり込んだ決定的な出来事は、SEEDAくんに急に呼ばれてハンディカムで撮影して1時間くらいで編集した「TERIYAKI BEEF」が、次の日にYahoo!のトップニュースになっちゃうくらいバズったこと。同じ時期に作ったPSGの「PSG現る 1972(M×A×D)」は自分の私物のおもちゃや本などをストップモーションで動かして作ったんですが、これは今でも気に入ってます。

MV監督の仕事もA&R的な考え方で

A&Rの仕事を通してわかったのは、プロモーションで大切なのは、クオリティや予算の規模以上に「どこに何を投げるか」ってこと。曲がカッコよくて狙いがちゃんと合ってれば、予算5万でも、スマホで撮った動画でもバズるじゃないですか。レコード会社の人からしたら、アルバム作ってMVを作るのはルーティンの一環だけど、アーティストからしたらアルバムを出すのは一世一代の大勝負。そこの感覚が共有されてないことが本当によくある。上司への報告書のことしか考えてないバカなディレクターはメジャーにもいっぱいいますよ。

昔から「シーンの垣根を超えたメジャーな成功がしたいなら、アーティストは見た目が重要だ」と思ってるんですが、SALUくんと初めて会ったときは、少女マンガから出てきたような顔立ちなのに生い立ちがタフで、ラップもめちゃくちゃうまくて、新鮮な驚きでしたね。ヘッズは自分たちが知らないアーティストが「鳴り物入りでデビュー!」みたいに世に出てくることにすごく拒否反応を示すんで、俺がMVを作ったときは「勝負曲がポップだから、MVだけでなくヘッズにアピールするようなEPKも作ろう」って提案しました。そうやって作戦込みで考えるのが好きなので、アイデアを出してクライアントの発注自体を変えちゃうこともよくあります。

見た目がイケてて様になる、って意味ではBAD HOPも抜群にいいですね。BAD HOPは活動初期の頃に一時期だけ、ポスターやアルバムのジャケット作ったり、企画書を書いてドキュメンタリー映像の制作を提案したり、いろいろ手伝ってた時期があるんです。T-PablowくんとYZERRくんを知ったのは「BAZOOKA!!! 高校生ラップ選手権」の第1回をたまたまYouTubeで観たのが最初。すぐにレフリー役のDARTHREIDERに電話して「あの双子すごくいいから、俺にも絡ませてくれ」ってお願いしたんですよ。その後、ダースが始めた未成年限定のMCバトル「SCHOOL OF RAP」で俺がデザインや撮影を手伝うことになって、その1回目のゲストがBAD HOPで。今みたいに彼らが人気者になる前は、若いヘッズの間で「ラッパーはファッションにこだわるより泥臭くて熱いほうがリアル」みたいな風潮があって、案の定その日もほかの出演者はクールなBAD HOPに対して「カッコ付けやがって」みたいな雰囲気になっていました。それでライブ後にバーカウンターで「君らイケてるから絶対そのままのスタイルで続けたほうがいいよ」って話しかけたら、T-Pablowくんから「Ghetto Hollywoodさんですよね、ビデオ撮ってもらえませんか?」ってその場で頼まれて。彼らとのつながりはそこからです。

彼らの世代は不良マンガだと「WORST」の影響が強いらしいんですけど、昭和の残党から言わせてもらうと、あのマンガって登場人物がやたら優しいしカッコいいし「こんなトレンディ俳優みたいな不良いないっしょ!」って、あんまリアリティを感じないんですよ。でもBAD HOPを見たら「カッコいい不良がここにいた!」ってなっちゃって(笑)。彼らもマンガに影響されてるから、小学校の頃から20対20のケンカでもボス同士でタイマンしてたらしいんですよね。中学に警察が乗り込んできて30人逮捕とか、医療少年院から双子の兄弟に宛てた手紙が初めてのリリックとか、「君たちマンガの登場人物かよ!」っていう。前にYZERRくんが「俺らが髪型やファッションこだわるのは、やっぱヤンキーだからなんですよ」って言ってたのを聞いたときに「全国制覇は近いな」って思いましたね。例えば「HIGH&LOW」とか、いい大人が何十億もかけてBAD HOPのコスプレをしてるみたいなもんじゃないですか。それはすでに彼らがアイコンになったことの証明だと思います。日本武道館ワンマンも観ましたが、成長した親戚の子を見る気持ちというか、頼もしすぎて今ではもはや普通にファンですね。いつか、彼らの実体験をもとに映画を撮ってみたいです。

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PUNPEEやAKLOのMV制作秘話 / 次の一手はマンガ連載

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