「王女メディア」の曲で最期の別れ、平岳大「父・平幹二朗の原動力は芝居」

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10月22日に永眠した平幹二朗の告別式が、本日10月28日に東京都港区の青山葬儀所で行われた。

平岳大

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平幹二朗の葬儀の様子。

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式には、佐久間良子をはじめ、市川猿之助、佐々木蔵之介、堤真一、最後の舞台出演作「クレシダ」で演出を務めた森新太郎らが出席。弔問客を代表して、栗原小巻鵜山仁が弔辞を述べた。

栗原小巻

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栗原は「『俳優は役の中に真実がある』ということを、言葉ではなく、演じる姿で教えてくださいました」と声を詰まらせながら語り、続く鵜山は「平さんの演技、声、志は、舞台の客席との境界線だけでなく、生と死の間の壁さえ、やや突き抜けたところに響いている気がします」と平の魅力に迫った。

平岳大

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式の最後には、喪主を務める長男の平岳大が挨拶。「『生前父は』という言葉をいつか自分も使うときが来るだろうなとは思っていましたが、こんなに早く、唐突に来るとは思っていませんでした」と前置きして、「父の原動力になっていたのは芝居だと思います。そんな平幹二朗を今まで支えてくださった皆様、本当にありがとうございました」と感謝の意を述べた。

平の代表作「王女メディア」で使用されたヘンデルの「サラバンド」が流れる中、出棺。なお会場には一般向けの焼香所も設けられ、多くのファンが駆けつけた。

栗原小巻による弔辞

あまりにも突然のご訃報、ご遺族の皆さんの悲しみ、友人の皆さんのお気持ち、私も同じに胸潰れる思いです。平さんのご遺影を前にして、遥かな頃が思い出されます。恩師・千田是也主宰、劇団俳優座に平さんも私も所属していました。稽古場で舞台で表現される平さんの演技には、スタニスラフスキーの言葉を借りれば、“感動の瞬間”がありました。平さんの俳優としての優れた才能、その誠実さ、内に秘めた情熱、私たち後輩は憧れに近い尊敬の気持ちを持っていました。若き日の平さんの代表作・大河ドラマ「樅の木は残った」では、原作にない、原田甲斐の初恋の相手として共演させていただきました。平さんの役を作り上げる力、そして激しい雨に打たれながらの、魂の悩み苦しむ演技に圧倒されました。平さんは「俳優は役の中に真実がある」ということを、言葉ではなく、演じる姿で教えてくださいました。そのほか多くのドラマでご一緒させていただきました。舞台での共演は、浅利慶太氏演出「狂気と天才」、ジョン・デイビッド氏演出「オセロー」、蜷川幸雄さんの「三文オペラ」。舞台を作るとき、女優には葛藤もあれば、感情の闘いもあります。平さんの「一緒にやろう」というお電話で決断しました。平さんとなら調和の中で詩のように美しい作品ができる。思い返すと、どの作品も場面も今鮮やかに感じることができます。「NINAGAWAマクベス」は、平さんとの最後の共演作になりました。絶望的な悲しさ、孤独。私たちは言葉の伝わらないオランダの地で力を尽くしました。後にプロデューサーは「世界を手に入れた」、そんな風に評価してくれました。平幹二朗さんの芸術への強い意志と純粋な精神は、ご子息の平岳大さんに引き継がれます。平さん、ありがとうございました。どうぞ安らかに。

鵜山仁による弔辞

平さんとは、演出者として4度にわたってお付き合いさせていただきました。最初の「親鸞 大いなるみ手に抱かれて」は一人芝居でしたが、1988年、広島市のサンプラザという5000人収容のイベントホールで初日を開け、その後、平さんの出身高校である上下高校で、いわば里帰り公演がありました。その際、今は府中市となった当時の上下町の教育長の女性から伺ったお話が忘れられません。その方は平さんの同級生で、共に演劇部に所属されていたとのことでした。平さんが高校時代、木下順二作「夕鶴」で与ひょうの役を演じられたとき、空に帰っていく鶴を見送るシーンで、呆然と立ち尽くすか、がっくりと膝を付くかで大いに悩んでいらしたというのです。思わず、学生服の平さんを想像してしまいましたが、今も昔もまったく変わらない、演技者としての風貌を感じたことが強く印象に残っています。最後にご一緒したのは、2008年、新国立劇場の芸術監督としてピランデルロの「山の巨人たち」という作品。演出は、フランスから招聘したジョルジュ・ラヴォーダン。彼は平さんに「すでに頭の中にあるセリフをしゃべるのではなく、舞台の時間の流れと共に、刻々と生まれてくる生きた言葉との出合いを演じてほしい」と初日の直前まで、何度も何度もくり返していました。芝居のいろはとも言えるようなダメ出しで、さすがに平さんもかなりこたえたご様子でしたが、うれしいことに、故・蜷川幸雄さん演出の「リア王」の成果と併せ、翌年の読売演劇大賞の最優秀男優賞を受賞なさいました。授賞式のスピーチで「去年は2人の演出家に、長年の演技のサビを落としてもらった年でした」とおっしゃっていたことが、心に残っています。恥ずかしいことですが僕自身は、そこまで平さんには肉迫できなかったという悔いがあります。こんな凡庸な演出者であるにもかかわらず、「命のあるうちにまた舞台を」とお誘いいただいていました。残念ながら実現は叶いませんでした。申し訳ありません。平さんの演技、声、志は、舞台の客席との境界線だけでなく、生と死の間の壁さえ、やや突き抜けたところに響いている気がします。その響きは、かけがえのない記憶として僕たちの心に残り、僕たちの芝居づくりは、平さんの影響を受け続けると思います。そんなわけでこれからも稽古場で、時に平さんを引き合いに出し、いくぶんか平さんめがけて、ダメ出しをさせていただきます。そして諦めることなく、われわれのサビを落とし続けたい。そのことがささやかながら、大きな先輩へのご恩返しになればと思っています。平さん、どうもありがとうございました。

平岳大による挨拶

本日は、父・平幹二朗の葬儀にお越しくださいまして、ありがとうございました。「生前父は」という言葉をいつか自分も使うときが来るだろうなとは思っていましたが、こんなに早く、唐突に来るとは思っていませんでした。皆様におかれましても、このようなお知らせを差し上げることになってしまったことをおわび申しあげます。生前父は、どんな逆境に立たされても不死鳥のようによみがえってくる人でした。30年前に肺ガンを患ったときも、小さな奇跡を起こしながら復活を遂げてきました。それでパワーが衰えるかな?と僕は思っていたんですが、病気をすればするほどパワーアップしていくという不思議な人でした。僕が言うことではありませんが、その原動力になっていたのは芝居だと思います。そんな平幹二朗を今まで支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。実は最近、私の妹に子供が生まれまして。先週の金曜日(10月21日)、私と妻と父とで妹の家に子供の顔を見に行きました。ご存知かもしれませんが、あまり子供の扱いに慣れていない父は、遠くの方から最初は不思議そうに子供の顔を見ていたのですが、だんだん慣れてくると、最後には太い大きな繊細な手で赤ん坊を抱いて、哺乳瓶でミルクをあげていました。それに気を良くしたのか、その晩、大好きなワインをたくさん飲みました。今まで僕と父と妹ができなかった家族の会話ができました。そしてそれにまた気を良くしたのか、さらにお酒を飲み、僕はフラフラの父を抱きかかえて、父の家に送り届けて、ベッドの上に座らせて「もう飲むなよ」って言ったんです。そのとき父は、子供が親を見るようなかわいい顔をして「たけ、もう帰りなさい」って笑っていました。父は幸せだったと思います。そんな平幹二朗をこれまで支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。

※初出時、タイトルの作品名に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。

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参列者一覧(一部・五十音順)

浅利陽介
市川猿之助
鵜山仁
桐谷健太
紀里谷和明
栗原小巻
佐久間良子
佐々木蔵之介
堤真一
中尾彬
中村玉緒
夏木マリ
富司純子
橋本淳
吹越満
不破万作
溝端淳平
森新太郎
山田涼介
竜雷太
ほか

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読者の反応

藤岡清 @KiyoshiFujioka

「王女メディア」の曲で最期の別れ、平岳大「父・平幹二朗の原動力は芝居」 - ステージナタリー https://t.co/URfe5oZMu1 そうか、この曲で送ったのか。平さんもきっと本望だろう。

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