目まぐるしく変化していく日々、ふと非日常的な時間や空間に浸りたくなったら、“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”。5月3日に開幕する「團菊祭五月大歌舞伎」で、尾上左近が三代目尾上辰之助を襲名する。2006年生まれ、弱冠20歳の左近は、堅実な人柄が滲み出る確かな演技と端麗な容姿で活躍の場を広げている、まさにこれからが楽しみな新世代。左近が辰之助襲名を前に思うこととは?
ステージナタリーでは3月下旬、曽祖父・二世尾上松緑と祖父・初世尾上辰之助(三世松緑追贈)の墓前で襲名の報告を行った左近にインタビュー。しっかりとした口調で記者の質問に応答する姿には、早くも辰之助としての風格が漂っていた。
取材・文 / 川添史子
襲名は新しい誕生日を迎えるような喜び
──いよいよ尾上辰之助襲名が近づいてきました。5月の新緑の季節にぴったりの、若々しい“青春の名前”を襲名される期待と、少年時代を一緒に過ごした左近というお名前への惜別……現在の率直な思いを教えてください。
左近最後の舞台は、「三月大歌舞伎」での「三人吉三巴白浪」夜鷹おとせでした。初日、花道から登場した瞬間に客席から掛かった「左近!」の大向うを聞いた瞬間はやはり、「ああ、もうすぐ左近が終わるんだ」と感慨深い気持ちになりました。しかも最後には、父(尾上松緑)が演じる和尚に殺されてしまう役でしたから、おのずと“終わる”意識が強まっていきましたし。ただ、そんな感傷とは裏腹に、僕の中では「辰之助になれる!」といううれしさがとても強いんです。辰之助は、子供の頃から大きな憧れを抱いていた名前。なのでこの襲名は、僕の役者人生にとって新しい誕生日を迎えるような喜びもあります。
先日、講談師の神田伯山先生にお会いする機会があり、「僕は、おじいさまの初代も、お父様である松緑さんの辰之助時代も拝見したことがありません。左近さんが僕が観る初めての辰之助なんですよ。楽しみにしています」と温かい言葉をかけてくださったんですね。こうおっしゃっていただけて、なんというか……少し肩の荷が下りたような気もいたしました。
──襲名披露狂言は、昼の部が「寿曽我対面」の曽我五郎、夜の部が「鬼一法眼三略巻 菊畑」の奴虎蔵実は源牛若丸です。
五郎は父に習います。改めてチラシを眺めると驚いてしまうのですが、そうそうたる先輩方が並んでくださり、しかも五郎役者がたくさんいらっしゃる。この前で主役をさせていただくのは非常に怖い部分もありますが、お兄さん方の胸を借りて力いっぱい勤めたいです。虎蔵は、父に何がやりたいかを尋ねられたとき、真っ先に頭に浮かんだ役です。2023年、父が座頭で回らせていただいた巡業で掛かった演目で、その時は(中村)時蔵のお兄さんが虎蔵をされていました。これが大変にカッコよくて。重厚な義太夫狂言でもあり、舞台も華やかで、憧れを抱きました。(七代目尾上)菊五郎のお兄さんがなさっている役というのもうれしく、父の知恵内と共演できる機会も非常にありがたいです。
──将来なさりたい役も教えてください。
(激しい立廻りのある)「蘭平物狂」は、一番最初に自分が「歌舞伎って面白い!」と思った演目ですので、まずそこは目指すところです。祖父は時代ものだけではなく、いわゆる書き物(新作)である「坂崎出羽守」「暗闇の丑松」「名月八幡祭」といったものも手がけていましたので、これもいつかは演りたい演目。もっとジャンルを拡大してお話すれば、祖父も父も演じた「リチャード三世」のような、シェイクスピアにも挑戦したいです。家の舞踊作品はもちろん、「弁天小僧」や「仮名手本忠臣蔵」五、六段目の勘平をはじめ、七代目のお兄さんに教わりたい役もたくさんあります。こうお話し始めると、憧れの役は数限りなくございまして(笑)、家の芸を大事にしていきながら、さまざまなことにトライしていきたい。「うちの畑は意識せず、他人の畑も脅かしていきたい」とは祖父の言葉。僕はなかなか、そんな大きなことは言えませんが、さまざまなことを勉強し、最終的には誰にも負けない役を見つけたいと思っております。“辰之助”は祖父と父が育てた華やかで勢いのある、強い立役の名前。ですが僕は、ありがたいことに女方も勤めさせていただいております。歴代の辰之助が演じた役はもちろん、女方の役にも挑戦しながら、三代目の色も出していけたら。父からは「(立役と女方を)兼ねる役者というのは50%・50%ではなく、両方100%でやれる役者のことだ。そこを目指すなら人生2回分がんばらないといけないんだよ」と言われていて。それを体現されている(七代目)菊五郎のお兄さんは大きな目標です。
──女方は「妹背山婦女庭訓」の雛鳥をはじめ、(坂東)玉三郎さんのご指導のもとで大事な基礎を学ばれました。
最初に僕が女方をさせていただいたのが、うちの藤間流の舞踊の会で踊った「藤娘」。そのときに玉三郎のお兄さんが「じゃあ私が見るよ」とおっしゃって、稽古をつけていただいたのがすべての始まりでした。1日限りの公演でしたし、自分の中で悔いは残りましたが、お兄さんに見ていただけた経験は一生の宝物です。
守るだけではなく攻める姿勢でも努力を
──「歌舞伎俳優になる」というお気持ちは、いつ頃芽生えましたか?
歌舞伎の家に生まれたので、特別意識したターニングポイントがあったというよりも、ごく自然な気持ちでここに至っているのですが……。でも父からは数年前、改めて「歌舞伎役者を続けたいのか?」と確認はされました。
──それは、おいくつのときでしょう?
高校に入ったあたり、コロナ禍中だったと記憶していますが、そのときに「続けさせてください」とお願いしました。僕が初めて大人の役をさせていただいたのが、父と中村鷹之資のお兄さんが歌舞伎座で「太刀盗人」をなさり(2021年10月)、僕が従者をやらせていただいた舞台。鷹之資のお兄さんを毎日近くで拝見し「年齢がそう離れていないのに、こんなにすごい方がいらっしゃるんだ」とびっくりしました。公演中はお風呂場でいろいろなことをおしゃべりさせていただいたのもうれしくて。その後、さまざまな先輩方、そして同世代の方々ともお仕事させていただき、「この中に僕も入りたい」と思い、どんどん意識が強まっていきました。
──襲名にあたって大事にしたい言葉はありますか?
(曾祖父にあたる)二代目松緑の「毎日が一世一代」は、役者として心がけるべき言葉だと肝に銘じています。1カ月25日間あると、どうしても慣れてしまう部分が生まれます。けれども舞台をご覧になるお客様にとっては、それが最初で最後かもしれません。毎日「これが最後だ」と思いながら、お客様にいい舞台をお届けしたいです。「刀剣乱舞 東鑑雪魔縁」に出演した際、中村獅童さんに「舞台に出る前になると緊張するんです」と相談した際、「緊張しなくなったら終わりだよ」とアドバイスいただいたのも印象的な言葉です。それからはいい緊張感を維持するよう、常に意識しています。
──左近さんは現在20歳。冒頭でお話されていたような「初めての辰之助」を通して歌舞伎を知る同世代のお客様を魅了し、歌舞伎を知ってもらえるようなご活躍に期待が高まります。若い方々にどうやって歌舞伎の魅力を伝えたいと考えていらっしゃいますか?
そうですね。もちろん古典歌舞伎の魅力を理解いただきたい気持ちが強いのですが、“伝統芸能”というものは、時代によって変化もしていきます。僕たち若い世代は、守るだけではなく、攻める姿勢もお見せしながら現代のお客様に楽しんでいただける努力をしなくてはいけません。これはよく(片岡)仁左衛門のおじさまがおっしゃることなのですが、「型だけで捉えられてしまうから歌舞伎は難しいと思われる」とご指導されていて。やはりおじさまをはじめ先輩方のお芝居を見ていると、型がきっちりしていることはもちろん、役の性根を捉え、令和を生きる方たちの心が動く、感動させる舞台を作っていらっしゃいます。そのためには自分自身がしっかり心を動かさないといけない。理解を広げる一つの鍵は、ここにあると思います。
──市川染五郎さんや市川團子さんといった、同年代の頼もしいお仲間もいらっしゃいます。
團子さんが22歳、染五郎さんが21歳、そして僕が20歳と、3人が列になって並んでいるのは偶然とはいえとてもありがたいことですね。年齢が近いこともあり、3人で集まる機会もあるのですが、同世代の人数が少ない分「団結してやっていこう」という話はよくしています。お芝居についてもいろいろと語り合ってもいますし、夢を描き始めると無限に広がっていくんです。
──さまざまな先輩やお仲間から素直に多くのことを吸収され、どんどん成長されている様子が伝わるお話、ありがとうございました。本当にあと数日ですが……左近のお名前で「やり残したこと」はありますか?
ありません。歴代の左近の中で僕が一番長く名乗ったこともあり、この名前でいろいろな経験をし、先輩方にも「左近」を可愛がっていただきました。思い残すことなく、辰之助を襲名させていただきます。
プロフィール
尾上左近(オノエサコン)
2006年生まれ。音羽屋。四代目尾上松緑の長男。2014年に三代目尾上左近を名乗り初舞台。
これまでの軌跡








