ウォーリー木下×大熊隆太郎×安本亜佐美が目指すストリートシアターの明日

ストリートシアター グローバル人材育成プロジェクト・STRANGE Lab.が2024年度にスタートした。STRANGE Lab.は、日本芸術文化振興会からの「クリエイター支援基金 文化施設による高付加価値化機能強化支援事業」に採択されたことを受け、SPAC-静岡県舞台芸術センターが推進しているもので、育成対象者はストリートシアターに対する知見を深めるほか、毎年5月に静岡で開催されるストリートシアターフェス「ストレンジシード静岡」で作品を発表、さらに海外展開を目指す。

本特集では、「ストレンジシード静岡」のフェスティバルディレクターで、STRANGE Lab.のメンターを務めるウォーリー木下、育成対象者より劇作・演出家・パフォーマーで劇団壱劇屋を主宰する大熊隆太郎、現代サーカス・アーティストでCo.SCOoPPを主宰する安本亜佐美にインタビュー。ストリートシアターの魅力と共に、STRANGE Lab.の今後の展開についてなど話を聞いた。

取材・文 / 熊井玲撮影 / [ウォーリー木下・大熊隆太郎]牧田奈津美

「ストレンジシード静岡」と“日本のストリートシアター”、10年の歩み

──2016年に始動した「ストレンジシード静岡」は昨年10回目を迎えました。日本のストリートシアターフェスの状況や変化を感じる部分はありますか?

ウォーリー木下 僕は「ストレンジシード静岡」のフェスティバルディレクターを務めています。それまでにも、「多摩1キロフェス」のディレクターや、大阪の御堂筋で行われた屋外パフォーマンスなど劇場ではない場所で演劇やダンス、古典芸能、音楽などを織り交ぜた“ごった煮フェス”的なもの、お客さんがふらりと立ち寄って楽しめるような敷居の低さ、かつシビルプライドを形成するようなものをずっとやってきました。僕自身は、普段やっている劇場演劇ではない表現方法にトライできることが、作り手としてもプロデューサーとしても魅力に感じています。なので、「ストレンジシード静岡」のフェスティバルディレクターのお話をいただいたときは、昔行ったシビウ国際演劇祭のような場をすぐに思い浮かべて、街中でいろいろな演劇やダンス、パレードが繰り広げられるフェスティバルにしていけたら面白いんじゃないかなと感じました。静岡という場に関しては、毎年秋に静岡で行われている「大道芸ワールドカップ」に僕は2回出演側で参加したことがあり、そのときから静岡の街のオープンさ、パフォーミングアーツや大道芸に対して積極的に楽しむ市民性を感じていました。そのような思いもあり、静岡で今までの集大成のような取り組みができたらいいなと思って乗り込んだのですが、実際はやはりすごく難しかったです。まず、出演してくれるアーティストがいない。僕の中で、大道芸とストリートシアターは区別しなければいけないという思いがあったのですが、そういったアーティストは当時ほとんどいませんでした。ちなみに当時から僕は「ストリートシアター」という言葉を使っていましたが、実のところ僕もそんなによくわかってはおらず、そこから勉強して、5・6年続けている間に今の形が見えてきたというのが実感です。

ウォーリー木下

ウォーリー木下

──ウォーリーさんが思う、大道芸とストリートシアターの違いはどんな部分ですか?

ウォーリー 大道芸はどこでもできる良さがあるもの。身一つでいろいろな街を訪れて、パフォーマンスで人を楽しませることができるのが大道芸で、ストリートシアターはそこでしかできないもの。たとえば水の中とか大きなクレーンが必要な場所とか、歴史的なエリアでやることに意味があるとか、場所を特定させるもの、その場所性を大事にするものがストリートシアターだと捉えています。

──大熊さんと安本さんは「ストレンジシード静岡」というフェスをどういう形で知ったのか、そして実際に参加してどんなことを感じたか、教えていただけますか?

大熊隆太郎 僕は「ストレンジシード静岡」立ち上げ時に、事務局スタッフの若林康人さんから「ウォーリーさんが大道芸ではない野外ストリートシアターをやってくれるアーティストを探している」と聞いて、フェスの存在を知りました。その後、改めてお声がけいただいて。僕が代表を務める壱劇屋では10年以上前から劇場の中を歩き回る芝居や、観客参加型の演劇をやってきたので、最初はよくわからないまま、「『外で演劇をやる』ってことか」くらいの気持ちで参加させてもらったんですが、実際にやってみたら「いや、これはちょっとちゃうな」と感じて、初回は外でやる意味を見出せないまま終わってしまいました。でも2年目以降は、外でやることの面白さや外でしか味わえない表現、偶然通りかかった人が立ち止まって観てくれるポイントを意識するようになりました。劇場でやるときは「その作品を観よう」と思っている人が観に来てくださいますけど、屋外では生活の延長線上で偶然に出くわす面白さや、場所性が大事だと思うので、以降、参加するたびに屋外でやる面白さ、魅力にどんどんハマっていっている感じです。

大熊隆太郎

大熊隆太郎

安本亜佐美 私はサーカスを職業としたいなと思って、海外のサーカス学校に通っていたんですね。そのときにストリートシアターとかウォーク・アバウトと呼ばれるような回遊型パフォーマンスの授業を経験しました。また私自身フェスティバルをめぐるのが好きだったので、イギリス在学中にはいろいろなフェスティバルを回って、「ストリートパフォーマンスってこんなにたくさんの幅広い表現があるんだ!」ということを知り、それをやることにも惹かれていました。私はいろいろな現代サーカスの演目をやりますが、その1つにバーティカルダンスがあります。バーティカルダンスは建物の壁にぶら下がって踊るので、一般的な大道芸フェスだとどうしても難しく、帰国してからパフォーマンスできる場所を探していたときに、「ストレンジシード静岡」を知りました。事務局の方が建物探しから構成の部分まで、すごく親身になって手伝ってくださって、今年で3年目の参加となりますが、毎回スタッフの皆さんに甘えながら出演させていただいています。

安本亜佐美

安本亜佐美

──「ストリートシアターをやるアーティストがいない」と感じていらっしゃった中で、ウォーリーさんが大熊さんと安本さんにお声がけされたのは?

ウォーリー まずその前段階としてお話ししたいのは、海外でストリートシアターがどうやって成り立っているのかという部分です。通常僕たちが劇場で公演を行うときは、スケジュールを決め、劇場を予約し、観客動員数の見込みを立て、お客様からもらうチケット代と少しの補助金で公演を組み立てます。でもストリートシアターはいろいろな人に公演を観てもらうのがメリットである反面、チケットを買ってもらうわけではない……つまり無料です。これをいかにマネタイズしていくのか最初はピンと来なかったんですけど、海外の人たちと話すうちに、ストリートシアターは福祉や教育と一緒で公共事業として捉えられていることを知りました。公園に遊具が置いてあるように、街中にパフォーマーがいて見かけた人は参加したりできることが公共事業としてのメリットになる、という考えが、ヨーロッパや韓国、中国では根付いているという歴史があります。でも日本にはまだその考え方がないので、「アーティストがストリートシアターでどうやって生活していったらいいですか?」と聞かれたら、まずインフラ整備をしない限り難しいだろうという思いがありました。なので、「ストリートシアターをやるアーティストがいない」というよりは、その道筋が日本ではまだまったくできていないということだったんです。

その状況でストリートシアターを成立させるには、街中でパフォーマンスをやる強度を持ったアーティストじゃないと説得力がないと考えました。先ほど大熊くんも言ったように、通りすがりのお客さんを一瞬で惹きつけたり、それでいてその人の心に何年も残るような作品が作れる人、かつ演劇、ダンス、サーカスといった枠を超えようとしている人がいいということは最初から思っていました。その点で、お二人の作品にはそのような意志がにじみ出ていたのでお声がけさせていただきました。あとは技術の部分も大きかったです。ストリートシアターの場合は、そこに立っているだけでその人の支えになるような技術がないと観ていられない場合があるのですが、大熊くんだったらマイムやダンス、安本さんはサーカスの技術がある。僕はその点も重要だと考えています。

──安本さんと大熊さんは劇場でもストリートでも作品を上演されますが、その違いをどのように捉えていらっしゃいますか?

安本 ストリートでやるには、「ストリートでやる意味」をすごく考えないといけないなとは思っています。劇場だったら自分が好きなように空間を作ることができますが街中ではそうもいかないし、またその場所に合わせたパフォーマンスをすることで、街の風景を日常から非日常に変えられるところがすごく魅力的です。特にバーティカルダンスの場合は、“その街の風景を変える”ことが私の中で一番の意味づけになっています。ちなみに私の中で「ストレンジシード静岡」でやらせてもらうことは、“劇場と大道芸のはざま”だと思っています。先ほどウォーリーさんもおっしゃいましたが、大道芸はどこでもできる反面、誰もが惹きつけられるような表現をやることが大事だと思うんですね。だからマイクパフォーマンスだったり、大きく派手な技をやらないといけないところもある。一方で劇場は、パフォーマンスを観たい人、観る準備ができている人がやって来るので、私たちパフォーマーは自由な表現ができます。ストリートシアターでやる場合はそれに近いところがあって、フェスティバル自体がお客さんを呼んでくれているので、特別派手なことをせずとも、強い身体で1人立っているだけでお客さんが観てくれる可能性がある。そういった点で私は、ストリートシアターに惹かれています。

大熊 「ストレンジシード静岡」に参加してまず変わったのは、環境に対する意識です。劇場でやる場合ももちろんその小屋に合わせて作品を作っていますが、屋外の場合も、やる場所を意識して作品を考えるようになりました。たとえば商店街の十字路でやるならその場に“似合わない”化け物みたいなものが出てきたら面白いなとか、学校の前でやるならスクールテイストな、一緒に何か課題をクリアしていくものをやるのがいいなとか、「この場所やから、こういう作品が似合う」というふうに作品を作るようになりました。もう一つは、屋外はめちゃくちゃ空間が広いということです。場所を限定した作品だけでなく、移動型とか、街中にパフォーマーが潜んでいるものとか、これまでいろいろなことをやらせてもらいましたが、お客さんもそれを刺激的で面白いと感じてくれているんだなというのは発見でした。

左からウォーリー木下、大熊隆太郎。

左からウォーリー木下、大熊隆太郎。

──「ストレンジシード静岡」も10年の間にさまざまな変遷がありました。初期は海外の招聘作品と全国の小劇場団体がラインナップされていましたが、現在は「コアプログラム」「オフィシャルプログラム」「オープンコールプログラム」などにカテゴライズされていたり、ワークショップ型のプログラムが増えたりと変化しています。一方で観客については、ウォーリーさんは変化を感じていらっしゃる部分はありますか?

ウォーリー 静岡の皆さんは最初からかなり受け入れてくださっていたので、実はあまり変化を感じていません。当初は「もっと派手なことをしてほしい」と言われるんじゃないかと思いましたが(笑)、皆さん観始めて数分経つと、前のめりになって観てくださっている印象で、そうやって観る側が優しく受け入れてくれたおかげで、僕たちも徐々に鍛えられていったという感じです。一方で静岡以外の地域から来る方たちが、ストリートシアターというものの面白さを見出してくれるようになったのはとてもありがたい変化だと思っています。それはストリートシアターフェスに対する“期待”にも近いんですけど、「ビールを飲みながら観られる」とか「子供や犬と一緒に観に行ける」とか、劇場ではなかなかできない楽しみ方をお客さんそれぞれが見つけてくれているなと感じます。

ストリートシアターの一番の魅力って、そのように観客が能動的に関わることができる隙間が劇場よりも圧倒的に多いことです。舞台上に立つ(参加する)こともできるし、風景にもなれるし、無視もできるし、いろいろなことができる面白さみたいなものが、大道芸よりも明らかに強いと思うんです。だからこそ、「次は何をするんだろう」という期待というかプレッシャーも感じますので(笑)、がんばらなくてはと思っています。