旬は、宇宙と切り離せない現象
前回の終わりに、干すという調理方法において「遠火の強火としての太陽」というスケールの大きな話になりました。そのまま少し、宇宙というスケールで話を進めてみることにしますか。一応演劇界ではSFをやってる作家と認知されていますし。
皆さんは普段の食生活の中で、宇宙を意識することってどれだけあるでしょうか。あまり無いかもしれませんが、いわゆる旬というものは、宇宙と切り離せない現象です。地球の季節を作り上げているのは、太陽と地球の位置関係ですから。人間活動による温暖化が進んだことで旬がズレてしまったり、人工的に管理された栽培で一年中スーパーに並び、もはや旬がいつなのかわからない食品も多い。とはいえ、やはり旬はあります。地球の環境は地球の中だけで完結しているわけではないのです。
多くの野菜や穀物といった一年草はもちろん、全ての植物は季節の移ろいにしたがって、種ごとそれぞれの間合いで成長し花を咲かせ、結実します。これは地球の公転、太陽の周りを一年かけて一周することに依ります。また、植物は地球の自転、24時間という周期とも同期します。朝顔、昼顔、夕顔、夜顔なんてのもありますが、それぞれ何時に咲くことが決まっていたりと、時計なんか持たなくてもスケジュールを間違うことはありません。植物は天体の運行、太陽と地球の関係が、リズムや周期として体に刻み込まれている。それはもう完璧にです。お見事という他ありません。宇宙と繋がっているんですね。
動物も体の中に周期とリズムを持っている
一方動物はどうでしょうか。動物もまた同じです。天体の運行と同期して出来上がってきた自然の中で進化し、生きているわけですから。植物と同じように、その体の中に周期とリズムを持っています。渡り鳥の大移動、海洋生物の産卵、ペットのさかり、昆虫の大発生、枚挙に暇がありません。動物の場合、海から陸に上がってきた経緯もあり、潮汐リズム(12.4時間、一日が24.8時間)もDNAに刻印されています。これは月の引力と地球の自転の関係。こんな実験もあります。完全な地下室で時計も使わず、好きな時間に寝起きする生活をしてもらった結果、一日が約25時間に近付いていったとのこと。浜辺で生活していた太古の記憶が蘇ったかのようです。女性の月経は月が公転する29.5日に近いものですし、その周期は当然男性の体にも刻み込まれています。
1年が365日、1週間が7日、二十四節気、90分、こういうものは誰かが決めたものではなく、自然と決まっていったもので、他にも進化の過程でDNAに刻み込まれている周期というものが、人体にはあるということです。毎年この時期は特に理由もなく体調が悪いということに、思い当たる人もいるのではないでしょうか。人それぞれ、身体に強く出る周期というものがあるようです。朝型夜型しかり。というわけで、35億年前の生命誕生から、その最前線たるあなたの体は紛れもなく繋がっていて、その歴史は地球の歴史でもあり、つまり太陽系の歴史であり、宇宙の歴史と切っても切れない関係にあるわけです。
「宇宙との繋がり、感じていますか?」と聞かれたら、なんかスピリチュアルなやつ来たな、と思うかもしれませんが、これは常識的かつ科学的な話になります。忘れているだけなのです。まぁ私も、秋刀魚や栗ごはんを食べながら「嗚呼、宇宙……」とか思いませんけど。とはいえ旬のものをスーパーで見かけると、嬉しくなりますし、旬というだけで全肯定したくなります。旬があること、なんと素晴らしいことでしょう。それは私たちの体の奥深くに刻み込まれたリズムを、無意識に思い出させてくれるような気がします。旬のない世界、それは地球との繋がりを失った世界です。
「体壁系」と「内臓系」
今回は旬の話か、と思われた方もいるかと思いますが、更に遠回りします。どこにたどり着くかわかりませんが、お付き合いください。三木成夫という解剖学者の伝説的名著に「内臓とこころ」というものがあります。1982年のものを原本に2013年に文庫化されたものが入手可能です。非常に面白く、今回書いていることはこの書籍に拠るところが大きいです。
三木先生は動物の体を二つの系統に分けます。「体壁系」と「内臓系」です。魚を下ろす時、腹に包丁を入れて内臓をスルッと取り出しますよね。その鰓(えら)と臓物のまとまりが「内臓系」で、それ以外が「体壁系」になります。二つは頭のところで繋がっています。「体壁系」は脳と神経、筋肉、外皮で構成されている部分で、「動物器官」と呼ばれます。「内臓系」は口から肛門、その間にある全ての臓器で「植物器官」と呼ばれます。
運動をつかさどる動物器官は、動物だけのものです。植物は動きませんし、動く必要がありません。光合成ができるからです。自分でエネルギーを生み出せない動物は、動き回って餌を取る必要があるので、「体壁系」を進化させました。目や耳や鼻も、外界との接触面である皮膚が高度に分化して出来てきたものです。動物たちの感覚器官と運動能力は、餌によってそれぞれです。草食、肉食、夜行性、昼行性、餌の発生時期や植物の開花や結実などに合わせて。人間は脳、特に前頭葉を発達させて道具を使うようになり、それはあっという間に科学技術に進歩して、今では餌を好きなだけ作り出せるようになりました。旬のない世界まであと一歩です。人間だけが自然のスケジュールを無視して餌を取り、繁殖できるようになりました。宇宙との繋がりを忘れてしまうのも無理はありません。
私たちは頭で考え、体を動かして行動します。なので普段意識する「自分」というのは「体壁系/動物器官」をイメージします。一方「内臓系」は自分の意思で動かすことはできませんし、感覚もありません。時折不調を訴えたりするくらいです。自分の意思とは関係なく自動で動いているように感じます。この自動のプログラムはいつどこで出来上がったのでしょうか。「内臓系」が「植物器官」と呼ばれることで、察しがついたかと思います。植物のように物言わぬ「内臓系」は、生命の原初的な役割を果たしています。外部から物質を取り入れ、排出する。成長し、繁殖の準備をする。そしてそれは植物と同じように、天体の運行と同期するリズム、周期を内蔵しています。私たちの生命を維持しているプログラムは宇宙と深い繋がりがあるんですね。だから同じような時間に空腹を感じ、排泄し、仕事の捗る時間や、眠くなる時間、元気な季節や調子の悪い季節がなんとなく決まってくる。個人差はあれど、リズムと周期というものを誰もが内臓に内蔵している。普段意識しなくても、私たちは日常的に「内臓系/植物器官」に影響を受けているし、なんなら振り回されているわけです。そりゃそうでしょう。「内臓系/植物器官」の歴史は35億年、「体壁系/動物器官」の最先端である人間の脳の歴史はたったの20万年なんですから。
それでも私たちは、自分という存在を「脳」と結びつけて考えます。脳化社会という言葉が出てきて久しいですが、状況はますます脳化していると言っていいでしょう。生命の原初形態は内臓系で、体壁系は文字通りその手足として進化してきた歴史があります。いわば体壁系は道具なのです。その道具の最先端である脳が、なぜか内臓系の上位であるかのように振る舞っている。この主従逆転、本末転倒はいつ起きたのか。人間の登場からです。人間以外の動物は、それなりの大きさの脳を持つ動物も、内臓系に刻み込まれたリズムと周期、天体運行のスケジュールをしっかりと守っています。人間だけが、内臓系の言うことを無視して、頭で考えはじめるようになったのです。脳と意識、自由に動かせる体、それだけが自分だと勘違いして、物言わぬ内臓系を無視するようになった。これはいけない、民主的とは言えませんね。その結果、自然との共存は崩れ、地球からの搾取が始まり、環境は破壊され続けています。
心は、内臓に宿る
話が大きくなったので個人レベルに戻すと、「内臓系/植物器官」の声を私たちは意識はしないが完全に無視もできない。何なら振り回されている、年がら年中。歳を取るだけその実感は強くなるでしょう。それでもなお「私」は「脳」にあると、多くの人が思っているように感じます。思い出してください。人間の賢い脳も、最先端の道具でしかないということを。内臓系が主で、体壁系が従であることを。脳は言語化し、思考するだけで、「私」は内臓系、つまり腹にいます。人間以外の動物は素直に腹に従って生きるのですが、人間だけが腹の思いを頭で言語化して、それを「私」と勘違いしているのです。心は、内臓に宿る。三木先生の「内臓とこころ」というタイトルはそういうことです。切れる頭と言うが、切れる心とは言わない。温かい心と言うが、温かい頭とは言わない。腹が立つ、腑に落ちる、といった言葉でもわかります。頭は考え、腹は感じる、そういうことだと言います。考えるより先に感じるのが人間です。
心は腹にあるという実感は、言葉に残っているように昔からある感覚です。最近は腸活という言葉も当たり前になったように、腸内環境がメンタルに及ぼす影響が科学的にも証明されてきています。うつ病と腸内細菌の関係や、感情や気分、やる気、性格まで、腸と深い繋がりがあると言われます。「腸は第二の脳」というフレーズを聞いた時、いやいや待ってくれ、脳より先に腹があったんだ、30億年以上遅れてきて何を言うと思ったものです。むしろ「脳は第二の腹」と言うべきでしょうが、まぁ定着しないだろうな。
いずれにしろ、昨今盛んなマイクロバイオーム(腸内細菌叢)の研究は、個人的にも最も面白いジャンルの一つだと感じています。三木先生が唱えていた内臓の復権も近いかもしれません。
内臓系で感じる「美味しい」とは?
そこで、です(ここまで読んでくれてありがとう)。今回は旬の話をしたいわけではないのです。心が、内臓にあることはわかっていただけましたね? 私たちの心は腹にあり、それを受け取った頭が思考する。「私/自分」とはその総体ですが、脳に偏って心を置き去りにしてしまいがちなのが、現代です。
私が問いかけたいのは、「美味しい」と感じるのは「脳」か「心」か、ということです。ラーメンのところではこんなことを書きました。心を置き去りにして脳に直行するような速い美味しさ。旨味を強化する添加物もそうでした。テレビのグルメ番組や料理系YouTuberやインフルエンサーなどを見ても、大きな支持を得ているのは、五感(体壁系)に訴える、脳で感じる「美味しい」です。それはもう圧倒的です。それが美味しいことを否定しませんし、それで幸せなら構いません。でも違う「美味しい」もあるんじゃないか、心と腹(内臓系)で感じる「美味しい」もあるだろうと言いたい。
「なんだ、健康食の話がしたいのか」そう思ったかもしれません。確かにその側面は間違いなくあるでしょう。でもそれだけではないのです。それに「体に良い食品→美味しい」というのも、頭で考えたことで、腑に落ちているわけではない。喉元過ぎれば熱さ忘れる、と言いますが、喉元までで「美味しい」を決めてよいのでしょうか。ここはやはり内臓の意見も聞いてみないとフェアじゃない。なにせ食べ物というのは、喉元を過ぎてからも随分長く体の中にあるのですから。内臓の意見に耳を傾けるのが難しく感じるなら、こう言いかえてください。心がどう感じているか。……心、ありますよね? よかった。大丈夫です、急いで言葉にする必要はありません。あなたの心を、食レポなんかで消費されるフレーズに回収させてはいけません。わかりますね。アレです。Don't Think. Feel!
内臓の意見をどう聞くのか、次回はそれを考えていきましょう。「何が美味しいのか」も好きですが、「美味しいって何だろう」ってことに興味があります。さまざまなメディアで美味しそうな料理が紹介されています。私も料理が好きな人間なので、レシピを見て「美味しいだろうな」と思います。「間違いなく美味しいだろうな」、なんなら「こんなの美味しいに決まってるよ」と思います。でもその方向性に進化を続ける「美味しい」がどうしても、何かを置き去りにしているように思えてなりません。
三木成夫先生の「内臓とこころ」は本当に面白い本ですし、私がここで書いたことよりずっとわかりやすく詳細ですので、興味がわいた方はぜひ読んでみてください。
プロフィール
前川知大(マエカワトモヒロ)
1974年、新潟県生まれ。劇作家、演出家。目に見えないものと人間との関わりや、日常の裏側にある世界からの人間の心理を描く。2003年にイキウメを旗揚げ。これまでの作品に「人魂を届けに」「獣の柱」「関数ドミノ」「天の敵」「太陽」「散歩する侵略者」など。2024年読売演劇大賞で最優秀作品賞、優秀演出家賞を受賞。
- 前川知大
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1974年、新潟県生まれ。劇作家、演出家。目に見えないものと人間との関わりや、日常の裏側にある世界からの人間の心理を描く。2003年にイキウメを旗揚げ。これまでの作品に「人魂を届けに」「獣の柱」「関数ドミノ」「天の敵」「太陽」「散歩する侵略者」など。2024年読売演劇大賞で最優秀作品賞、優秀演出家賞を受賞。
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