sara

ミュージカル俳優の現在地 Vol. 7 [バックナンバー]

“こぼれ落ちてしまうもの”を拾い上げるために、saraはステージに立つ

エウレカ!な出会いを経て、目指すは“届くべき声”を伝えられる俳優

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ミュージカルの作り手となるアーティストやクリエイターたちはこれまで、どのような転機を迎えてきたのか。このコラムでは、その秘められた素顔をのぞくべく、彼らの軌跡を舞台になぞらえて幕ごとに紹介する。第7回は、ハスキーな歌声と弾けるような笑顔が印象的な新鋭・saraが登場する。

子供の頃から英語ミュージカルに親しんできたsaraは、大学時代に文学座附属演劇研究所に入所し、2022年から文学座の準座員として活動。大学と研究所のハードな二足のわらじ生活や、グランドミュージカルのデビュー作「ドリームガールズ」で体験した“鳥肌もの”の感動、そしてシャンソンをきっかけに生まれたという、演じることへのアツい愛をたっぷりと語ってもらった。

取材・/ 中川朋子

第1幕、パフォーマンスの原点は暗唱大会の静寂…シャンソンにハマった渋い高校生sara

──saraさんが歌やダンスに初めて触れたのはいつ頃でしたか?

小学1年生でジャズダンスを始めたのが最初です。母の友人が地元で開いたダンス教室に、私を含めた3人きょうだい全員で入り、ダンスはそこからずっと続けてきました。歌が好きになったきっかけはよくわかりません。家族や親族に音楽との関わりが深い人がいるわけではなく、強いて言えば父の趣味がカラオケです(笑)。でも実家ではずっと洋楽、特にR&Bが流れていたので、私は意味も知らない英語の歌詞を「ワーッ!」とものまねしていましたね。

人前で披露することに目覚めたのは小学5年生で、英語の暗唱大会に出たのがきっかけです。通っていた小学校は英語に力を入れていて、暗唱大会に出るためのオーディションもありました。自分なりにミュージカル風にスピーチしたら、学校の英語の先生が気に入ってくれて、そこからは毎日昼休みに先生のところで発音を鍛えられました。先生には「英語の意味はいつでも勉強できる。だけど発音に自信があれば、意味を理解したときスムーズに話せるようになるから」という考えがあったそうで、これは自分にとって大きな経験でしたね。

暗唱大会では3分間くらいの英語の物語を覚えて、身振り手振りを交えながら一人芝居のように発表しました。忘れられないのが、初参加のとき舞台に立ったら会場のみんながシーン……としていたこと。それで「あ、私がしゃべらないと何も始まらないんだ」という自分が場を握る感覚と、みんなが静寂の中で「何が始まるんだろう?」とこちらを見ている状況にやみつきになりました。同じ頃、英語でミュージカルをする児童劇団が地元で発足して。当時は歌も踊りも好きだったので喜んで入団し、そこからいろいろなことが始まりました。

──英語で話すことがパフォーマンスの原点だったのですね。

うちは3人きょうだいでとにかくうるさかったから、母が「テレビでも観ていなさい」という感じでよくテレビがついていたんです。それで子供向けの英語のドラマを観ながら、私はやっぱり「オロオロオロ」とめちゃくちゃな口まねをしていました(笑)。

中学2年生のsara。

中学2年生のsara。

──その後、中学2年生で本格的に歌を習い始めます。saraさんは素敵なハスキーボイスをお持ちですが、レッスンではどんな曲を歌っていましたか?

昔は今よりも声がハスキーで、児童劇団でも中高6年間所属した英語ミュージカル部でも、いわゆる女子が憧れる役は経験しませんでした。部活では主にいわゆるブロードウェイミュージカルを上演しましたが、女子校だったので、「ウエスト・サイド・ストーリー」のベルナルドをやったり、「キャッツ」のラム・タム・タガーをやったり(笑)。歌の先生には「あなたの声質なら、ミュージカルよりもジャズやボサノバが向いている」と言われ、レッスンではそういう曲を中心に歌いました。先生の専門は声楽ですが、幅広いジャンルの音楽に精通している方なんです。その先生には中学2年生から大学入学前までお世話になりましたが、高校3年生くらいのときシャンソンにハマりました。当時はちあきなおみさんやクミコさん、大竹しのぶさんといった方々のシャンソンをひたすら聴いていましたね。

──渋い高校生ですね……!

あははは! シャンソンには人生や、不倫やドロドロの恋愛模様を語る歌詞が多くて、高校生の私には全然わからなかった(笑)。でもなぜか「これが歌えるようになりたい」と思いました。歌の中に、まるで1つのお芝居のように物語があることに惹かれて、それで演じることに強く興味が湧いたんです。ちあきさんの「ねえあんた」という楽曲が私はすごく好きなんですが、初めて聴いたとき衝撃を受けました。言葉で説明するのが難しいのですが、素晴らしいシャンソンは“隙間”に染み入ってくる気がします。喜びや悲しみといった感情というより、そこからこぼれ落ちるものを歌ってくれるというか。高3の私は子供なりに「孤独だな」とか「どうしようもないな」というモヤモヤとした気持ちを抱えていて、シャンソンはそこにすごくフィットしました。だから素晴らしいシャンソンを聴くと「ありがとう」と思いますね。私が演劇をやる理由の1つは「『この人がいてくれて良かった』と思われる人になりたい」というもの。それはきっと、シャンソンとの出会いをきっかけに生まれた気持ちだと思います。

──高校卒業後は地元の兵庫を離れ、早稲田大学に進学します。大学2年生のときに文学座附属演劇研究所に入所していますが、なぜここでミュージカルや音楽関係ではなく、新劇の研究所で学ぶことを選んだのですか?

きっかけは地元でお世話になった歌の先生です。当時はシャンソンを通じて演技への関心が強まっていました。早稲田で演劇といえば、演劇研究会(以下劇研)をはじめたくさんの選択肢があります。劇研にはすごく興味があったのですが、私の所属コースでは大学1年生の夏に必ず留学しなくてはいけませんでした。その留学期間が劇研で必須の新人訓練と重なってしまって、劇研に入るのは難しいとわかり……それで迷っていたときに、歌の先生が文学座について教えてくれました。実際に文学座のアトリエを見学したら、“純粋にお芝居のために存在している場所”であることがひしひしと伝わってきて、「ここで過ごしたい」と強く思って試験を受けようと決めたんです。私はゴールに向かって計画を立ててコツコツがんばるのが大好き(笑)。文学座の試験準備では、過去問やありとあらゆる演劇雑誌のバックナンバーをコピーし、緑色の線を引いて赤シートで隠しながら勉強しました。

──受験生!(笑)

あははは! 試験に出そうな戯曲や、一般常識の本もひたすら読み込みました。そういうタイプの試験は自分ががんばればどうにかなるので好きです。当時は目標を立ててそこに向かって努力するのが生きがいみたいな感じで、試験の準備は楽しかったですね。ただ文学座の試験は大学1年生の冬だったので、そこまではサークルにも入らず1人でひたすら図書館にこもる、鬱屈とした学生生活でした(笑)。ちなみに大学1年生の夏の留学はアメリカのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に行ったのですが、間違えて演劇の上級コースに入ってしまい……5人くらいしか学生がいないクラスで毎日大変でした。私はとにかく「やってまえー!」と何かに飛び込んで、あとから苦しみがちですね(笑)。でも留学はとても良い経験になりました。

第2幕、文学座でエウレカ!な発見。観客とのつながりを教えてくれた「GREY」との出会い

──大学2年生の春からは、大学生活と文学座附属演劇研究所を両立する生活が本格的にスタートしました。

今思えば「なんでやりきれたのかな」という忙しさでした(笑)。あとで知ったのですが、大学と研究所を両立する人はたいてい、単位取得が落ち着いてくる大学3・4年生で入所するらしいです。私は何も知らず大学2年生で入所したので、毎日ドタバタで。16:15まで大学の授業を受けて、ブワーッと走って16:30くらいの電車に乗って、文学座の稽古場に来たら汗だくで着物を着て稽古に行って……という生活でしたね。

でもやっぱり、大学と研究所での勉強がリンクしたときはうれしかったです。私が大学で所属していたのは文学や文化を英語で学ぶコースで、中国やアメリカからの留学生と一緒に森鴎外を英語で読んだりしていました。大学で学んだ「発想を転換し、言語の枠組みを外して別の言語で文学を読む」という考え方は演劇に取り組むうえで今も役に立っています。私は台本をもらったら、英訳して読んでみることがあります。日本語は主語が省略されることが多いですが、英語では必ず主語が付く。だから英訳してみると、原文では汲み取れなかったニュアンスを感じられて面白いです。これは今でも続けていますし、たまに英語ではなく関西弁に変換してみることもあります(笑)。一度違う言語で戯曲を読むと、自分の凝り固まった部分がほぐれてくる感じがして良いなと思いますね。

それに大学の仲間たちは、半分は日本人、半分は留学生だったので、いろいろな考え方と文化を持つ人と毎日対峙していました。毎日が留学みたいな大学生活と研究所を両立するのはとても大変でしたが、複数の居場所があることで1つのことに悩みすぎずに済んだのはありがたかったです。

2020年度 文学座研修科発表会「村で一番の栗の木」より。左がsara。

2020年度 文学座研修科発表会「村で一番の栗の木」より。左がsara。

──文学座附属演劇研究所で、特に印象的だった出来事や出会いについて教えてください。

鵜山仁さんとの出会いは衝撃的でした。文学座研修科公演で「村で一番の栗の木」という二人芝居をやったとき、鵜山さんの演出を受けて自分の演劇観を覆されました。鵜山さんは考え方のスケールが私とはまったく異なり、良い意味でいわゆる常識からはるか遠いところにいらっしゃるので、稽古しながら宇宙や細胞のお話が出てくるんです。そういうマクロやミクロな視点で創作に取り組んだことで、「とにかく演技がうまくなりたい」くらいしか考えていなかった自分の視野が大きく広がりました。

それに以前、鵜山さんが「演技をするとは、ありえたかもしれない世界や、ありえたかもしれない自分を手に入れることだ」とおっしゃったことがあって、それは私にとっては「エウレカ!」(編集注:ギリシャ語に由来する、「わかった!」「見つけた!」という意味の感嘆詞)と思える言葉でした。確かに生きていくって、マラソン選手や野球選手とか、“何にでもなれる”可能性を捨てていくことですよね。でも多種多様な人生に出会い、演技を通じてその人生を実際に生きることで自分の世界は広がり続けるんだ、と思えたことに救われました。「文学座に来て本当に良かった」と思った出来事の1つでしたし、私が本格的に演劇に目覚め、人生が変わった瞬間でした。

──2000年生まれのsaraさんは、大学3年生のときにコロナ禍の始まりを経験しています。当時の演劇界は非常に厳しい状況でしたが、その中で舞台の道を進んでいくことに迷いはありませんでしたか?

すごく迷いました。当時、私の初の外部公演デビュー作になる予定だったミュージカルもコロナの影響で中止になってしまって。すごくショックだったし、「自分がやってきたことって、こんなにあっさりなくなってしまうんだ」と恐怖を感じました。あの頃はちょうど、同級生たちも就職活動について考え始めるタイミングで、演劇界がいつ復活するかわからないし、自分も就職活動をしようか?と人生の岐路に立った気持ちでしたね。でもちょうど文学座でいろいろと先の予定が決まり始めていたし、つらくても私は1人ではなかった。それに鵜山さんとの出会いで「自分は演劇をやろう」と決意が固まっていたこともあります。ありがたいことに、私が迷っているときは、つかめる何かが目の前にあることが多いです。そういうときにつかんだ選択肢が、今に至るまで私を引っ張ってくれる気がしますね。

──その後、2021年にミュージカル「17 AGAIN」で外部公演デビューを果たし、同年にとあるリアリティ番組を背景にした物語を描くミュージカル「GREY」で、自殺未遂してしまうシンガーソングライター・shiroを演じました。shiroはsaraさんにとって初めての、ミュージカルのヒロイン役です。

「GREY」で私は、初めて演劇を仕事にするとはどういうことかを知りました。「GREY」で私が演じたshiroは、SNSの誹謗中傷をきっかけに自殺を図る役。いざ幕が開くとお客様からはいろいろなフィードバックをいただき、その中には「自分もshiroと似た経験をした」とか、「自分もshiroと同じ思いだったけど、歌声に救われた」というものがありました。「GREY」以前の私は自己実現のため演劇を続けていた部分があり、「うまくなりたい」「もっと人に観てもらいたい」という気持ちが強かった。だから舞台に立つとき、どこか“発表会”のような気持ちがありました。でも「GREY」では「お客様1人ひとりに人生があり、自分はその人生に影響を与えている」と初めて肌で感じ、「お金をいただいてこういうことをするのが俳優の仕事なんだ」とわかりました。今まで「自分が、自分が」と思っていた私にとって衝撃の体験でしたし、「じゃあ演劇を通じて、お客様に何を届けなくちゃいけないんだろう?」という、一段上の視点が自分の中に生まれました。

「GREY」演出の板垣恭一さんは「現代を生きるお客様に届く舞台を作ろう」というポリシーで作品を作られています。だから「どんな作品をどんな気持ちで届けるか?」は俳優が必ず考えなくちゃいけないことです。「舞台は人とつながるものなんだ」と教えてくれた「GREY」は、本当に大切な作品になりました。「GREY」のお客様からは今も「shiroの歌を口ずさんでがんばっています」とお手紙やメッセージをいただくことがあって、読むたびに「はあ、すごい体験をしたな。生きているとこんなことが起こるんだ」と感動しています。

ミュージカル「GREY」より。(写真提供:conSept)

ミュージカル「GREY」より。(写真提供:conSept)

──2021年の「GREY」と翌2022年の「アーモンド」では、いずれも板垣恭一さんが演出を手がけています。板垣さんにどんな印象をお持ちですか?

板垣さんは言葉の魔術師のような方です! 言語化能力がハンパじゃなくて、どんなことを尋ねても決して見捨てず何か答えてくれました。「GREY」のとき、私は21歳。思春期ではないですが、初めてのヒロインでわからないことだらけでした。私は夢中になると視野が狭くなって、ほかのものが見えなくなってしまう傾向があります。でもうまくいかないときは必ず、自分の中に何か詰まっているものがあった。板垣さんはスランプの私に必要な言葉をかけてくださり、私が自力で答えを見つけられるまで待っていてくれました。引っ張っていただいたなと思いますし、安心感と信頼感がすごかったです。

──「アーモンド」のあと、2022年4月には本名の“佐藤彩香”から芸名の“sara”に改名されました。saraというお名前はマネージャーさんの発案だそうですが、このタイミングで改名したのはなぜですか?

ずっと芸名が欲しいとは思っていて、「苗字は残そうかな」とか「画数はどうしようかな」とかいろいろ検討していましたが決まらなくて……でもあるときマネージャーさんが「saraってどう?」と唐突に提案してくれました。「本名と全然被ってない!」ってちょっと驚きましたけど(笑)、“sara”の響きと軽やかさにピンと来て即決でした。文学座の先輩にアルファベット表記のお名前の方はいらっしゃらないですし、振り返るとなかなか大胆な決断ですが(笑)、当時は大学を卒業するために仕事をセーブしていたタイミングでしたし、心機一転であまり悩まず改名しました。

第3幕、目指したいのは“届くべき声”を伝えられる俳優

──改名後、2022年9月に大学を無事卒業され、今年2・3月にはブロードウェイ・ミュージカル「ドリームガールズ」のローレル役でグランドミュージカルに初挑戦しました。

小学生のときに「ドリームガールズ」の映画版を観て踊りまくっていたし、大好きな作品なのですが……実はいまだにあの舞台に立った実感が薄いです(笑)。「ドリームガールズ」ではすべてのプロセスが新鮮で、演出の眞鍋卓嗣さんは2カ月の稽古期間でお芝居を丁寧に作ってくださいました。共演者の皆さんは百戦錬磨の方ばかり。ディーナ役の望海風斗さんとカーティス・テイラー・ジュニア役のspiさんのシーン稽古がすごくて、お二人は「今こうしてみましたが、どうですか? 次はこうします」と眞鍋さんとコミュニケーションしながらお稽古されていて、「えっ、演技の提案ってそんなふうに自分からやって良いものなんだ!?」と驚きました。ディーナ役の望海さんとは幼なじみの役どころで、間近でお芝居を見られた経験は宝物です。皆さんと長期間ご一緒して「これがミュージカルの最前線で、この人たちがトップランナーなんだ」と肌で感じられて、素晴らしい体験でした。

──「ドリームガールズ」の稽古や公演期間の中で、忘れられない景色はありますか?

テーマソングの「ドリームガールズ」のシーンに、初めて稽古場で取り組んだときのことが強く印象に残っています。眞鍋さんから「ここに壁があって、その壁が開くとディーナたちが立っています。これは彼女たちが、人種をはじめとしたあらゆる壁を開いた瞬間です」と説明があって……もう、「オワー!!」と感動しました。映画などで、夢をかなえた人にボーン!とスポットライトが当たるシーンがありますよね。そのとき私の頭の中はまさにあんな感じの大興奮。「聞いてください! 私の夢が今、実現するんです!!」って誰かに共有したいと思いすぎて、変な顔になっちゃってたと思います(笑)。実際にそのシーンを東京公演初日で披露したときもすごかった。照明が入って、「バッババババ バッバッババーバ……」というイントロが聞こえてきて……もう鳥肌もの! ローレルの人生が開けていくシーンが、大舞台で初めてメインキャストを務めるという自分自身の人生とリンクして、まるで自分のドキュメンタリーを観るような不思議な感覚に包まれました。

ブロードウェイ・ミュージカル「ドリームガールズ」より。

ブロードウェイ・ミュージカル「ドリームガールズ」より。

──文学座で演劇を学び、ミュージカルにも挑戦しているsaraさん。異なる表現形式の舞台を経験したことで、意識に変化はありましたか?

ストレートプレイとミュージカルは全然違う“競技”で、舞台にはジャンルによってそれぞれ必要な技術があるとわかったことが大きかったです。例えば小劇場のお芝居なら、自分の気持ちや相手とのやり取り、あるシーンの息遣いをリアルに見せることが大切です。それに対してミュージカルでは“本能”のままではいられないというか、音楽のリズムやそれに合わせた立ち位置を意識したり、歌で感情の高ぶりを表現しつつ繊細な声を出す必要があったりと、たくさんのことを並行して考えないといけません。動線や歌はスポ根マンガのように何度も練習して身体になじませ、自分なりに準備するしかない。それにミュージカルには気持ちだけでは絶対に到達できない領域があるし、先輩方はいつもどこか冷静さを保って演技していました。私はまだまだ経験が少なく、「ドリームガールズ」では百戦錬磨の先輩方の背中を見て「全力で役の感情を表現しながら、クールなところも持っていなくてはいけないんだな」と現実を突き付けられた気がしました。

──過去のインタビューでは、オーディションが好きだと話されていました。観客としては「オーディションはプレッシャーを感じながら自分の今後をかけて闘う、大変な場なのでは?」と想像しますが、最初からオーディションへの抵抗感はなかったのでしょうか?

ないんですよね、これが(笑)。もちろん緊張感を持って臨みますし、思い出すだけで赤面ものの失敗もたくさんしてきました。だけどオーディションで自分が決めることって何もなくて、私がそのお仕事に合わなければあちらからお断りしてもらえます。「こんにちは!」と入室して、やりきったら「さようなら!」という流れが面白い。私は自分が期待されていないという状態が好きで、オーディションの順番が最後になったりすると、「ドアの開け方からもう予想を裏切ってやりたい」と闘争心が燃えてきます。オーディションって、全員がゼロから自分を見せられるというのが平等で好きなんですよね。ただし合格してお仕事をいただいても、「これからずっと皆さんと一緒に過ごすのに、変なことしちゃったらどうしよう」と思って、稽古場初日は別人のように委縮しがちです……。

──ギャップがすごいですね!(笑) 本格的に舞台人として歩み始めた今、saraさんは改めてミュージカルの魅力をどのように感じていますか?

私が演劇を愛し、続けている理由は、演劇が“こぼれ落ちてしまうもの”を拾い上げてくれるから。そういう意味でやはり、ミュージカルにも理屈で言えない魅力を感じます。昨年「THE BOY FROM OZ」を観劇したとき、フィナーレでリオのカーニバルみたいな衣裳を着たキャストたちが踊り狂っていたのですが、それを観ながら涙が止まらなくなり、心が浄化される感覚があったんです。「THE BOY FROM OZ」はある人の人生の物語で、そこには悲しみやつらい別れもあるけど、華やかなフィナーレを観たら「これはセレブレーションだ。人生は愛するに値するものだ」と、理屈では説明できない感動を覚えました。ミュージカルは音楽やダンスを通じて、自分がずっと閉じ込めていた苦しみや、感じないように抑え込んでいた喜びのような、言葉で言い切るとこぼれ落ちてしまう気持ちをすくい上げてくれると思うんです。それはミュージカルだからできることだと思うので、やっぱり私はミュージカルがすごく好きだし、支えられてきたなあと思います。

──saraさんの今後の活動がますます楽しみです。これから俳優としてどこを目指していくのか、目標を教えてください。

1つとても明確な目標があって、それは「プライマ・フェイシー」という一人芝居をやることです。これはオーストラリアのスージー・ミラーが書いた戯曲で、ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)ではジョディ・カマーが、労働者階級出身の弁護士テッサを演じています。テッサは性犯罪者を弁護してきた敏腕弁護士ですが、あるとき自分も性被害に遭い、被害者として裁判で闘うことになります。物語が進むにつれ、テッサは男性優位社会で作られた性犯罪に関する法律の問題点に直面し、その矛盾と闘っていくこととなります。私は絶対にこれを日本で上演したいと思っています。

まだまだ不勉強ではありますが、ミュージカル「GREY」に出演したとき、やはり社会には“大きな声”と“届かない声”があると感じました。“届かない声”は確実に存在しているし、それは“届くべき声”でもある。演劇には、その声を社会に届ける力があると思います。私はNTLiveで「プライマ・フェイシー」を観て、同じ女性として救済されたと感じたし、「この声が届いてほしい」と思いました。だからこれからも演劇を続けていくにあたって一番大切にしたいのは、届けるべき人に“声”を聴いてもらうこと。それはミュージカルでもストレートプレイでも変わりません。まだまだ未熟な私ですが、“届くべき声”を伝えられる俳優を目指して歩き続けたいと思っています。

sara プロフィール

2000年、兵庫県生まれ。小学生のときにYouth Theater Japanに入団し、いくつかのステージを経験。2019年、大学在学中に文学座附属演劇研究所に入所し、2022年に準座員となる。2021年にミュージカル「17 AGAIN」で外部公演デビューを果たし、以降は「GREY」「アーモンド」「ドリームガールズ」といったミュージカルのほか、ゆうめい「ハートランド」に出演。12月31日には「カウントダウン ミュージカルコンサート 2023-2024」を控えるほか、来年1月には東京でソロライブ、大阪でディナーショーを開催する。また6月には、鵜山仁が演出する文学座公演「オセロー」に出演。

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高野しのぶ🌹(しのぶの演劇レビュー) @shinorev

saraさんの目標は「「プライマ・フェイシー」という一人芝居をやること」だそうです!🥰 https://t.co/LtkRNioRPR

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