ミュージカルの作り手となるアーティストやクリエイターたちはこれまで、どのような転機を迎えてきたのか。このコラムでは、その秘められた素顔をのぞくべく、彼らの軌跡を舞台になぞらえて幕ごとに紹介する。第5回に登場するのは、パワフルな歌とダンス、血が通ったような実在感のある演技を武器に、グランドミュージカルや2.5次元舞台、ストレートプレイなど幅広く活動する
幼い頃に米海軍横須賀基地の演劇部の公演で初舞台を踏んだspiは、「物心ついたときにはもう舞台の道を志していた」と話す。ブロードウェイでレッスンやオーディションを受けた経験も持つspiの原動力は、社会に貢献したいという思い。次回作「シュレック・ザ・ミュージカル」フルバージョン公演を控える彼に、“日本発”を世界に届けることへの思いや、「ファンを絶対に裏切れない」と思った経験、そして次なる野望について語ってもらった。
取材・
第1幕、実は“超理系”!横須賀生まれミュージカル育ちのspi
──プロフィールによると、アメリカ人のお父様、日本人のお母様を持つspiさんは、6歳頃から米海軍横須賀基地の演劇部で活動されていたそうですね。やはり幼少期から演劇や音楽に囲まれた日常生活でしたか?
そうですね。母のお腹にいたときは、クラシックばかり聴かされていたらしいです。小さい頃はディズニー作品とかミュージカル映画に触れることが多くて、同世代の子が観ていたような戦隊ものにはあまり縁がなかった。あの頃はアニメ映画の吹替版が今ほど一般的ではなく、日本ではあまり知られていないミュージカル作品を英語で観ていましたね。好きだったのは「サウンド・オブ・ミュージック」「アラジン」、あと「ライオンキング」とか。「ハクナ・マタタ」のシンバのパートを歌っていたら、父から「うまいね!」って言われたことを覚えています。子供だったから真に受けて「あ、俺って歌うまいんだ!」って思っていました(笑)。
──海軍内の演劇部では、どんな活動をされていましたか?
父が演出や出演をしていて、「ジーザス・クライスト・スーパースター」や「南太平洋」などを上演していました。自分自身は6歳くらいから舞台に立っていて、初舞台は「ザ・ミュージック・マン」。でも軍人は2・3年したらアメリカに帰ってしまうから、だんだんメンツが集まりにくくなった。俺が小学校低学年くらいのときはまだ活発に活動していました。でも中学生、高校生になる頃にはかなり縮小していて、2001年の9.11をきっかけに、演劇部はなくなってしまいました。
──spiさんは自身のブログで、演劇部での活動を「舞台を作る時は『お互いに無償の愛を持ち続ける事』それを学べたのはこの人達のおかげかもしれない」と振り返っていました。
何をやっても安全な場所であり、何をしても良い場所であり、どんな自分でも認めてくれる場所でした。いつもとても良い空気で、誰も焦っていなかった。会社にいませんか? なぜかいつもイライラしていて、「あなたがピリピリしたところで何も進まないじゃん! 良いからタバコでも吸ってきて!」って思わず声をかけたくなるような人(笑)。でも演劇部ではそういうことが一切なくて、みんな朗らかでした。
──素敵な環境ですね。その後のspiさんは小学校、中学校でスポーツと並行して合唱に取り組み、高校はブレイクダンス部でした。常に音楽やパフォーミングアーツが身近にあった少年期だと思いますが、「舞台の世界に絶対進もう」と決めたきっかけはあったのでしょうか?
どこかで決意したというより、物心ついたときからずっとそうだったし、それがすべての子供たちの夢だと思い込んでいました。だから子供の頃、友達に「将来は何になりたい?」って聞いたときに「消防士」とか「パン屋さん」とか言われて、「冗談でしょ! みんな芸能人を目指すものじゃないの!?」と思いました(笑)。
──まっすぐに舞台の道を目指すspi少年ですが、高校卒業後は青山学院大学の法学部に進学します。音楽や演劇の学校ではなく、法学部という選択をしたのはなぜですか?
実はもともとあまり大学に行く気はなかったけど、親の強い希望で進学することになったんです。俺、頭の作りは超理系なんですよ。「難しい」とか思ったことがないくらい数学が得意で、テストではいつも英語の次に数学の点数が良かった。でも国語とか文学も興味があったし好きで、ただ理系で大学受験しようとすると、必要な科目数が多かったんですよね。それで文系の学部をいくつか受験したんですが、早稲田、慶應義塾、学習院、専修……全部落ちた(笑)。でも受験科目が英語のリスニング、英語の筆記、国語だけだった青学の法学部には受かって。合格がわかった瞬間、「なんかゴールインしちゃったな」という気がして、進学先に決めました。
法学部を受けたのは「ルールを熟知していないと世の中を“プレイ”できない」という思いがあったからです。六法全書も数学のようにロジックが必要ですし、ルールがわからないと“バグ”というか、抜け道も見つけられないじゃないですか。だからもともと法律に興味はあったんです。もしかしたら小さい頃、弁護士もののアメリカ映画を観すぎたのかもしれませんけど(笑)。
──大学生活はどうでしたか?
親に「行きなさい」と言われて進学しましたが、新しい出会いがたくさんあって、結果的には行って良かったですね。最初はアメフト部かラグビー部に入るつもりでしたが、舞台に立ちたい気持ちは変わらなかったから、将来のためにダンスサークルに入りました。それでクラブで踊ったり、ダンスのショーケースに出たりして。その頃EXILEが注目されていたから「ダンサーをやっていれば就職先があるかも!」と思ったんだけど……「自分はフロントに立ってパフォーマンスがしたいな」と気付いた。だから2009年に5人組ダンスボーカルユニット・WOOKiを結成しました。そしたらメンバー経由で芸能事務所から、ミュージカル「RENT」のオーディションの打診があった。それにWOOKiはレスリー・キーに写真を撮ってもらっていて。同時期にレスリーが東宝さんに「良い子がいるよ」と俺を紹介してくれたんです(編集注:レスリー・キーは「RENT」のビジュアル撮影を担当している)。2カ所から推薦を受けたこともあり、オーディションを受けて初めて「RENT」に出ることができました。
第2幕、原動力は社会に貢献したいという思い。2.5次元に出会って得た“人生に影響を与える”経験
──「RENT」には2010年、2012年、2015年と3回出演されました。その後2016年に渡米し、ニューヨークでレッスンを受けたそうですね。
ありがたいことに当時の所属事務所が出資してくれたので、1カ月ニューヨークに滞在して、舞台は1本も観ずにずっとレッスンを受けていました。そのときたまたま水夏希さんもニューヨークに来ていて、同じレッスンで鉢合わせしたときは、お互い「なんでいるの!?」って驚いてました(笑)。水さんはそのレッスンでもやっぱり輝いていて、「この人、ブロードウェイでもこんなにうまいんだ!」と思ったのを覚えています。
──ニューヨーク滞在で印象的だったことは何ですか?
なんというか……ブロードウェイのレッスンやオーディションを実際に目にして、「ああ、こんなものか」と思ってしまったんです。それに「みんな順番待ちの“列”に並んでいるんだな」とも感じた。ブロードウェイの舞台を目指す人は、何年かニューヨークに住みながら現地で知り合いを増やして、オーディションを受けて、それで舞台の仕事を得ているんだなと。でも俺は、ニューヨークで10年過ごすなら、その間に日本を拠点にしてやりたいことがほかにいっぱいあるな、と思ったんです。
──ご自身のブログでは、渡米をきっかけに「日本の演劇と舞台を世界に持っていく」という目標が生まれたと書かれていましたね。
滞在の終盤には現地でオーディションを受けたんですが、審査員に「ごめんなさい、今回アジア人の枠はないんですけど、ぜひ仕事は続けてね」と言われて不合格でした。当時28歳くらいでしたが、あのとき自分が進むべき道が見えた気がします。ブロードウェイで「アジア人」と言われたことで、「じゃあ俺は日本でやるか」と腹が据わったのかもしれない。
当時から「社会貢献がしたい」という気持ちがあったものの、何をしたら良いのかわからなかったんです。「俺ができる社会貢献って何?」と考える中で、ブロードウェイの審査員に「アジア人枠がない」と言われたことで、「そうか、俺はアジア人なんだ。それならアジアでやっていこう。それで日本の演劇と舞台を世界に持っていこう」と思いました。海外作品を日本語でやる素晴らしさはもちろんあります。「海外ミュージカルを日本語で観たい」というお客さんの夢をかなえるのも社会貢献の1つだと思う。でも俺は日米ハーフで、日本語も英語もできます。だからこの能力を生かし、“メイドインジャパン”のコンテンツを盛り上げるのが、自分ができる社会貢献じゃないかなと思ったんです。それで帰国後に「2.5次元作品に出たい!」といろいろなところで口にするようになって、そしたらマンガやアニメ原作の舞台とのご縁が生まれた。そんなときに出会ったのが、「ミュージカル『刀剣乱舞』」シリーズの蜻蛉切という役柄でした。
──2016年以降は「ミュージカル『刀剣乱舞』」シリーズをはじめ、舞台「黒子のバスケ」や舞台「KING OF PRISM」など、話題の2.5次元作品に多数出演しています。同時にグランドミュージカルやストレートプレイなどにも幅広く出演していますが、2.5次元とそうでない舞台で、作品や役柄への意識が変わることはあるのでしょうか?
どうなんだろう? あまり考えたことがなかったかも。ずっとがむしゃらに、お客さんのためにやっているという感じです。もちろん2.5次元や、自分にとって新しいジャンルの舞台に出るときは「売れたい」という欲もありましたが(笑)。舞台では俳優という“歯車”はあまり大きくありません。例えば2.5次元は、ウィッグやメイク、演出、ビジュアルにとても助けられているし、自分1人でできることは限られていると思う。だから1人の俳優として、劇場に来てくれるお客さんのために“最適解”を考えながら演じるという点では、どんな作品でも変わらないです。
──spiさんの多彩な活躍のおかげで、例えば2.5次元でspiさんを知り、日生劇場でミュージカル「ジャージー・ボーイズ」を観る、というように、観劇の幅が広がったファンの方も多いのではないかと思います。ご自身は周囲の変化を感じることはありましたか?
ファンの方から「パニック障害があって外出が難しかったけど、spiさんを観るために電車に乗ることができました」とか、「spiさんのファン同士でルームシェアを始めました」とか教えてもらったことが印象に残っています。これには衝撃を受けましたね。「ヤバい、人の人生に影響を与えてる」「絶対に裏切れない」と思った。「spiさんのおかげで、初めて知る世界を見られてうれしい」と言ってもらったこともあって……すごくありがたいなと思っています。
──素敵なエピソードですね! spiさんといえば「Take me out」や「ジャージー・ボーイズ」、ミュージカル「VIOLET」、「ミュージカル『手紙』2022」など、藤田俊太郎さんの演出作品でもおなじみです。藤田さんの演出の魅力をどう感じていますか?
藤田さんは「私の演出作品では、良い俳優ほど光ります」とおっしゃっていました(笑)。藤田さんは俳優自身の考えを大切にしてくれる人。だから俺は藤田さんと組むときは基本的にいつも、演出卓の横に立って一緒に自分の動線を考えています。「手紙」の序盤では、シーンの中で衣裳がコロコロ変わって、血まみれになったり引っ越し屋になったり、上着で手首を隠して逮捕されたことを表現したりしていました。これ、実は全部自分で考えたんですよ。藤田さんは俺の出したアイデアを拾って、一緒に作ってくれました。あとね、藤田俊太郎という人は……めっちゃ雄(おす)なんです。
──どういうことですか!?(笑)
藤田さんは言葉遣いも雰囲気も柔らかいけど、“縄張り意識”がすごく強いんですよ! 彼の中では演出家の領分、俳優の領分、音楽監督の領分、振付の領分がきっちり分かれていて、絶対に相手の縄張りに踏み込まないようにしています。例えば俺が「こうしてみても良いですか?」と提案したら「それは振付の領分なので確認しますね」と受け止めたうえで、演出家としてアイデアを総括してくれています。俳優やクリエイターの意思をすごく大事にしているし、その縄張りをマックスまで使わせてくれる人ですね。
──spiさんと藤田さんの間の深い信頼を感じます。そんな藤田さん演出の「ジャージー・ボーイズ」では、2018年のコンサート版と本公演、2020年のコンサート版、2022年公演に出演し、ニック・マッシ役を務めました。2022年公演には多数の新キャストが登場しましたが、異なる顔合わせで作品に挑んでみていがでしたか?
フォー・シーズンズのメンバーがガラッと変わったことで、2022年公演ではチームGREENだからこその「ジャージー・ボーイズ」ができたと思います。座長の(花村)想太が作る空気感を大切にしながら、(尾上)右近さんの実力と人間性、(有澤)樟太郎の愛嬌、そして俺がコラボした、という感覚かな。“GREEN”はやっぱり想太の色です。想太は中川晃教さんが作った土台をリスペクトしつつ、いろいろ新しいことにチャレンジしていた。そこにほかのメンバーも加わって、GREENなりの「ジャージー・ボーイズ」を実現できましたね。
第3幕、“プレゼンター”spiにお任せ!次なる野望はアジアの代表
──次回作は「シュレック・ザ・ミュージカル」フルバージョン公演です。spiさんは昨年のトライアウト公演の際、オーディションでシュレック役を勝ち取りました。お母様のすすめで応募したそうですが、トライアウト公演を経てお母様の反応はいかがでしたか?
楽しんでいましたね。実はオーディションをすすめられたとき、ほかの作品の稽古があったのであまり乗り気ではなかったんです。でもシュレックを演じられて良かったですし、母にも「だから言ったじゃない、やったほうが良かったでしょ!」と言われました。
──過去のインタビューでは「シュレック・ザ・ミュージカル」の楽曲について「ジニーン・テソーリ作曲で最高」とおっしゃっていました。テソーリといえば、spiさんが2020年に出演した「VIOLET」の音楽も手がけています。
ジニーン・テソーリはポップスの人で、この方の楽曲は日本人、日本語に合っているなと思います。ミュージカルっぽさもあり、ポップスっぽさもある、ちょうどいいあんばいの楽曲だなと思いますね。
──「VIOLET」の楽曲にも確かに、キャッチーなフレーズがありつつ、心情を細やかに語るような繊細さも感じます。「VIOLET」でspiさん演じるヴァイオレットの父親が歌う「That's What I could Do」からは娘を思う親の気持ちが強く伝わってきて、とても感動的なシーンでした。
ミュージカルにはどうしても、日本語では元の意味を表しきれない楽曲があると思うんです。それは翻訳の良し悪しじゃなくて、楽曲の音の数は限られているのに、外国語で詰められた膨大な情報量を、日本語に落とし込むのがあまりにも難しいから。ただテソーリの楽曲はある意味シンプルで、かつ音の数が比較的多いんです。だから日本語に訳されても意味が乗せやすい気がするんですよね。
「That's What I could Do」も、もとの英語歌詞では日本語歌詞の3倍くらい情報が詰まっているので、いろいろな“子育てあるある”や、父が娘を大切に思う気持ちがより多くの言葉で語られています。でも日本語になっても必要なことがお客さんに伝わっていたし、十分に“足りて”いたと思う。それは「シュレック・ザ・ミュージカル」にも同じことが言えます。もちろん日本語に訳された段階で情報が削られていますが、キャストたちの高い能力のおかげもあって、限られた歌詞でも必要な情報が伝えられるはず。それはテソーリの曲だから、っていうのはあるかもしれません。
──ミュージカルは「歌っているときに話が止まっている」と言われてしまうことがあると思いますが、歌が物語をしっかり推し進めてくれる作品は観客としても観ていて面白いですし、素晴らしいなと感じます。
音楽が鳴っている間はストーリー内の時間が歪むというのは、ミュージカルの良さでもありますよね。劇中の時間を止めてしまうこともできるし、何十年分も加速させることもできる。テソーリの楽曲なら翻訳してもそういうことが可能だと思うし、やっぱり日本語との相性が良いなと感じます。
──なるほど、「シュレック・ザ・ミュージカル」フルバージョン公演がますます楽しみです。トライアウト公演から1年を経て改めてシュレックという役柄に挑みますが、演じるうえで大切にしたいことは何ですか?
できるだけ余計なものをそぎ落としてシンプルに、子供たちでもわかるように仕上げたいです。ここしばらくのミュージカル界を見ていると、ルネサンス期ではないけど、いろいろな作品でいろいろな試みがあったと思う。それで俺は今「1周したな、出尽くしたな」と感じています。「シュレック・ザ・ミュージカル」劇中の皮肉は、ほかのいろいろな舞台作品を前提にして成立しているので、いきなりこの作品を観ても何の話かわからない人もいると思います。だからミュージカル界が1周した今の状況に、この作品はピッタリだなと(笑)。
実は俺としては、「ジャージー・ボーイズ」も観客が自分でストーリーを整理する必要があって難しいなと感じる部分があります。舞台には頭を使う面白さももちろんあるんだけど、難しいことを考えなくて良い楽しさも必要だなと。この間シルク・ドゥ・ソレイユの「ダイハツ アレグリア-新たなる光-」を観たのですが、ただただすごかったです。ああいうシンプルなものってやっぱりパワーがあるなと感じました。ミュージカルには音楽やダンス、ビジュアル、演技といろいろ要素があります。だからやっぱり今回は難解にならないように、1つひとつの要素をまっすぐ、シンプルに表現したいなと思います。
──以前のインタビューによるとspiさんは、基本的にオファーが来た順にお仕事を引き受けるようにしているとのことですが、逆に自分から「やりたい」と立候補した作品はありましたか?
オファーをいただいてお仕事を受けることが多いので、オーディションを自分から受けた「シュレック・ザ・ミュージカル」くらいかな。基本スタンスとして「人のためにがんばりたい」と思っているから、「この舞台を絶対にやりたい!」みたいなことは少ないです。やっぱり表現者としてすごいんですよ、俺って(笑)。歌とかダンスとかいろいろできますし。世の中には「spiにこれをやらせてみたい」とか、「こういうことができる人がほしい」とか思っている人がいるわけで、俺はその人たちのために働きたいです。「俺なら誰よりも素晴らしくやってみせます。任せてください!」という感じですね。
──心強いですね! 歌もダンスもお芝居も素晴らしいspiさんが、ご自身で「これが自分の軸だ」と思っている要素はあるのでしょうか?
プレゼンテーション能力が自分の武器だと思っています。歌やダンス、演技のうまさって、プレゼンテーションというか提示のうまさだと言えるんじゃないかなと。だから俺の軸は、相手の身になって考えることかな。「どうやったらこれが伝わるか?」を人の立場で考えたうえで、その結果を見せる。これをとても大切にしています。
──なるほど、観客の視線を奪うspiさんのパフォーマンスには、そのような裏側があるのですね。ではspiさんが、そのプレゼンテーション能力を引っ提げて挑む、今後の目標は?
次なる野望としては志高く、日本やアジアを代表できる人になることですね。これまで「日本の演劇と舞台を世界に持っていく」を目標に掲げていたけど、舞台で自分1人ができることには限界がある。それにどうしても言葉の壁があるので、日本語でストーリーが展開する舞台作品を海外の人に楽しんでもらう難しさも感じています。でも「日本から、アジアからやっていく」という気持ちは引き続き持っていて。今は海外の映画に出ることに興味があります。今世界中で韓国の映画やアイドルグループが愛されているように、その国や地域のイメージをより良くするようなフィールドで自分も活躍できたら良いなと思いますね。だからいつか、MARVELやDCの映画でヒーローになれたらうれしいです!
spi プロフィール
1987年、神奈川県生まれ。幼少期から米海軍横須賀基地内の演劇部で活動し、子役としてミュージカル「ザ・ミュージック・マン」で初舞台。現在は、2.5次元舞台からミュージカルまで幅広く活躍するほか、音楽パフォーマンスユニット・ZIPANG OPERAのメンバーとしても活動している。近年の主な出演舞台に「ミュージカル『刀剣乱舞』」シリーズ、ミュージカル「オリバー!」、「ミュージカル『手紙』2022」、ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」、ブロードウェイ・ミュージカル「ドリームガールズ」など。また堤幸彦が監督する映画「SINGULA」にも出演した。
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てけ @taka_koro
素敵なインタビュー!
感性の豊かさと同時に、歌やお芝居を理屈で説明されてるときの明晰さもすごい方だなと思ってたけど、「頭の作りは超理系」からの法学のロジック面について触れられてるところでなんかちょっと腑に落ちるものがありました https://t.co/bToK8I5so6