有澤樟太郎

ミュージカル俳優の現在地 Vol. 8 [バックナンバー]

有澤樟太郎は誰かにとって“一緒に仕事してみたい人”でありたい

積み上げた経験を携えて、いざ“帝劇の真ん中”へ

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ミュージカルの作り手となるアーティストやクリエイターたちはこれまで、どのような転機を迎えてきたのか。このコラムでは、その秘められた素顔をのぞくべく、彼らの軌跡を舞台になぞらえて幕ごとに紹介する。第8回は、近年注目作品への出演が続き、1作品ごとにその輝きを増していく有澤樟太郎が登場する。

彼の次回作は、東京・帝国劇場ほかで上演されるミュージカル「ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド」。運動神経抜群の野球少年だった有澤は、中学生のときのケガをきっかけに野球を諦め、芸能界を志した。今回のインタビューでは有澤に、地道に履歴書を送り続けた十代の思い出や、初舞台のほろ苦い記憶、祖父がつないでくれた“運命の出会い”、ミュージカルに目覚めるきっかけとなった「ウエスト・サイド・ストーリー」で得た経験など、“帝劇の真ん中”にたどり着くまでの軌跡を語ってもらった。

取材・/ 中川朋子

第1幕、母やコーチに支えられて…初舞台のほろ苦い体験で学んだ大切なこと

──有澤さんは幼少期、特撮ドラマをきっかけに芸能界に憧れたそうですね。子供の頃、特に好きだった番組や憧れのスターを教えてください。

僕は影響を受けやすい子供で、当時はテレビスターが憧れでした。「筋肉番付」や「SASUKE」の照英さんやケインコスギさんを「カッコいい!」と思い、幼稚園の年長から小学5年生頃まで体操を習っていました(笑)。特撮ヒーローものでは「仮面ライダーアギト」や「百獣戦隊ガオレンジャー」が好きでしたね。小学生の頃は「アギト」の氷川誠 / 仮面ライダーG3役だった要潤さんが出演したドラマ「親孝行プレイ」や、「ガオレンジャー」の大神月麿 / ガオシルバー役だった玉山鉄二さんが出演したドラマ「ブラザービート」にもハマりました。「ブラザービート」には速水もこみちさんも出演していましたが、もこみちさんは背が高くてカッコいいし、テレビの画面越しにも素敵なお人柄を感じます。僕も小学生時代から背が高くて、祖母や母から「もこみちさんみたいな大人になってほしいな」と、よく冗談交じりに言われていました(笑)。僕も言われているうちにいつの間にかもこみちさんが大好きになってしまい、すごく憧れていましたね。

幼少期の有澤樟太郎。

幼少期の有澤樟太郎。

──有澤さんはよく通る声をお持ちですが、子供時代に人前でパフォーマンスをした経験はありますか?

幼稚園のときは目立ちたがり屋だったから、ジャンケンで発表会の主役を勝ち取りました(笑)。でも小学1年生から2年生になるときに転校したことで、新しい環境になかなかなじめず少し性格が変わります。公園でドッジボールをしている子供たちがいると、母に「うちの子も入れてあげて」と声をかけてもらって背中を押されているような、シャイな子でした。ただ身体を動かすのは大好きで、リレーの選手に選ばれたり、マラソン大会で1位を取ったりしていて。母はいろいろな習い事の見学に連れて行ってくれましたが、お絵描き、サッカー、空手、剣道、ダンス、全部見学だけで通うことはなく(笑)。空手も、警察署がやっていた剣道教室も先生が怖くて向いていなかった。水泳を弟と一緒にやってみたこともありますが、まったく馴染めず、すぐに兄弟そろって退会しました(笑)。

──ご縁がありませんでしたね(笑)。有澤さんといえば野球経験者としても知られています。野球との出会いを教えてください。

僕の地元近くの病院に、プロ野球選手の中島宏之さんが来ていたんです。中島選手はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)もメジャーリーグも経験しているすごい方。縁あって中島選手と一緒に写真を撮ってもらって、すっかり夢中でした。さっきもお話ししたように僕は影響を受けやすいから(笑)、家族に球場に連れて行ってもらい、試合を生で観たらもうハマってしまい……「いつか自分も中島選手みたいになりたい」と思って、小学5年生で少年野球を始めました。

──その後も野球に全力で取り組み、野球の強豪中学校に進学しますが、残念ながら中学2年生のときにケガで野球を辞めています。そこからなぜ芸能界を目指すようになったのですか?

野球を辞めた頃は反抗期で、友達と遊ぶのが楽しくて夜に出かけてしまう日もありました。そんなとき母が、新聞に載っていた芸能関係の広告を見つけて「こういうの、やったら?」と言ってくれたんです。テレビの向こうの世界は遠いものだと思っていましたが、身内にすすめられたことで「あ、目指して良いんだ」と一気に現実味が増して、「やろう」と決意しました。野球を辞めたことはやはりターニングポイントでしたし、当時の僕は気持ちが荒れていた。でも今振り返ると、母や小学校のときお世話になった少年野球のコーチが僕を見捨てずに寄り添ってくれていました。コーチは、野球を辞めた僕がまだ野球をやりたがっていると知って、少年野球の手伝いに誘ってくれて。だから休日は保護者の方の車に乗せてもらい、僕もコーチとして河川敷で子供たちの試合を手伝いました。僕がフラフラせずにいられるよう助けてくれた母やコーチには、本当に感謝しています。2人には芸能界に入る夢についても相談していたし、否定せず話を聞いてくれる大人たちが身近にいたのはすごく大きかったですね。

少年時代の有澤樟太郎。

少年時代の有澤樟太郎。

──そして本格的にデビューへの道を探り始めます。

高校時代はいろいろな事務所や雑誌に履歴書を送りました。あるオーディションでは、中途半端なところで落ちてしまって。地元では「雑誌に載ってたね」と少し話題になりましたけど(笑)、“載った止まり”がすごく悔しくて本格的に気持ちに火がつきました。そこからプロフィール作りにいろいろ試行錯誤して……若さをアピールしようと野球のユニフォームを着たり、制服を着たりして、弟に写真をたくさん撮ってもらっていました。

──高校卒業後は地元・兵庫を離れて上京し、俳優養成所に通います。養成所に行こうと決断したきっかけは何だったのですか?

残念ながら、どの事務所にも受からなかったからです。オーディション雑誌にも今ほど幅広い募集はなく、東京を歩いていてスカウトされることもなかった(笑)。たまに面接まで進んでも、そこまででした。それで高校3年生の夏休み前、いよいよ進路を決める時期に、「このオーディションで最後にしよう」と、ある事務所に応募したのですが、良いところまで行けたものの合格はできず、事務所の方からは「養成所から始めるのはどうですか」と言われました。そこで「ああ、その手があったか」と思ったんですよね(笑)。やはり簡単にはいかない世界ですし、「素人の僕には何か決定的に足りないものがある。きっと一から勉強するのが大事なんだ」と考え、俳優としての基礎を学ぶために養成所に入ろうと決めました。

──養成所に1年間通ったあと所属事務所も決まり、2015年に初舞台を踏みます。幼少期はテレビスターに憧れていたそうですが、舞台への関心はいつごろ生まれたのですか?

養成所の壁には卒業生が出る舞台のチラシがたくさん貼られていて、横に「第○○期卒業生 ミュージカル『テニスの王子様』出演!」とか書いてあったんですよ。僕は「良いな。選ばれし者だけが行ける世界だな」と思っていて(笑)。でもあるとき「テレビに憧れているけど、芸能界を目指すなら入り口を限定しないほうが良いのかも」と思い、舞台への興味が湧いたんです。それに養成所時代、雑誌で足のパーツモデルをやった経験も大きかった。初めは単発のお仕事でしたが、そのうち毎号呼んでもらえるようになり、最終的に顔も名前も載せてもらえました。そうして少しずつ上に進めたことに大きなやりがいを感じて、「がんばっていれば誰かが見ていてくれる」という実感を得られた。この経験もあり、「まずは舞台の世界を目指してみよう」と考えるようになったんです。

──初舞台となった「舞台『K』第二章-AROUSAL OF KING」(以下、舞台「K」)には、アンサンブルキャストとして出演しました。過去のインタビューでは「脚本・演出の末満健一さんに鍛えられた」と話していましたが、特に印象的だったエピソードを教えてください。

あの頃は、稽古場に通うのがつらくて仕方なかった(笑)。僕は校則が厳しい男子校出身で、野球もやっていたから“体育会系”の場所でしごかれるのは慣れていましたが……「セリフも覚えてきてへんのか」と末満さんからお叱りを受け、必死に練習しました。忘れられないのは、マネージャーが初めて稽古を観に来てくれた日のこと。その日は通し稽古で、とあるシーンで本当は近藤頌利くんと交差して舞台袖に掃けるはずなのに、それを忘れ、真っすぐ行って末満さんに名指しで怒られてしまったんです。通し稽古のあとマネージャーに手招きされて「大丈夫なの!?」と言われて……マネージャーはその日初めて僕の演技を観たので、すごく心配だったと思います。当時の自分は何もわかっていなかったから「クロスと真っすぐ掃けるのと、何が違うのかな」と思うこともありましたけど、「1つ間違えるだけで、作品全部が崩れてしまうかもしれない」というプロの世界の厳しさを知ることができた。苦い経験もありましたが、舞台に立つうえで舞台「K」には大切なことを教えてもらえたなと思います。それに座組には末満さん、事務所の先輩でもある松田凌さんのように、熱い舞台人がたくさんいた。大変でしたが、皆さんの姿を見て「自分ももっと舞台をやってみたい」と思うようになりました。

第2幕、「ウエスト・サイド・ストーリー」の稽古場がミュージカルの世界に導いてくれた

──2015年には「ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』」(以下、演劇「ハイキュー!!」)初演で、青葉城西高校の国見英役を務めます。有澤さんにとって初めてのメインキャストのお仕事でしたが、どのような経緯で出演が決まったのですか?

少しですがバレーボールの経験があったので、履歴書に「特技:バレーボール」と書いていたんです。それで今の事務所の面接を受けたとき「バレーボールを題材にした舞台のオーディションがある。背も高いし、合うかも」と言われて、預かりという形で事務所にお世話になりながらオーディションを受けました。そしたら本当に演劇「ハイキュー!!」出演が決まって。僕も養成所のチラシに仲間入りできたかも!と思ってうれしかったですね。

──ご自身のブログでは「演劇『ハイキュー!!』のオーディションを受けて人生が変わった」とつづられていました。本作に参加した経験は、ご自身にどんな影響を与えましたか?

オーディションを受けて自分で役を取れたという喜びが大きかったし、国見英のオリジナルキャストとして役を背負う責任を感じていました。同世代のキャストたちと過ごすのはすごく楽しくて、せっかくの打ち上げなのに、みんなで「次回作に向けた反省点を1人ずつ言おう!」とかやっていました(笑)。演劇「ハイキュー!!」で学んだのは、フィジカルを使った表現の面白さ。バレーボールをプレイするのと、舞台上でバレーボールの試合を表現するのはまったく別物です。演劇「ハイキュー!!」では、出演者である僕たち自身もどのような身体表現で試合の展開を見せるか考える必要があり、そういう引き出しを持っていない新人の僕には難しい課題でした。特に印象に残っているのが、青葉城西高校のリベロである渡親治というキャラクターの場面です。リベロでレシーブ専門の渡ですが、セッター経験もある彼がアタックラインを踏まずにトスを上げるというシーンがあるんです。そして烏野高校の西谷夕はその姿に大きな影響を受ける……という大事な場面なのですが、演出のウォーリー木下さんはその場面の動きをどう作るかを、僕たちキャストに任せてくれた。ウォーリーさんにはなかなか「良いね」と言ってもらえませんでしたが(笑)、チームのみんなで一緒に考えて創作するのが、本当の部活のようで楽しかったことを覚えています。

──2016年からは「ミュージカル『刀剣乱舞』」(以下刀ミュ)シリーズで和泉守兼定役を務めます。

和泉守兼定といえば土方歳三が愛用したと言われる刀! 僕の祖父は新選組が大好きなので、オーディションのお話をいただいたときは不思議なご縁を感じました。小中学生の頃は毎週日曜日に祖父母の家でご飯を食べるのが習慣で、晩ご飯のあとは祖父母の寝室でNHK大河ドラマを観ていました。おじいちゃんの影響もあり、僕もNHK大河ドラマ「新選組!」が大好き。中でも土方歳三、沖田総司、近藤勇、斎藤一がお気に入りでした。祖父は映画も好きで、書斎にはDVDや本がたくさん詰まっています。僕が上京することが決まったとき、祖父に「好きなのを持って行って良いよ」と言われて、僕が選んだのは「サンダーバード」のDVDと、司馬遼太郎「燃えよ剣」の分厚い古書でした。土方歳三の生涯を描いた「燃えよ剣」は今でも僕の宝物で、履歴書にも「好きな本:燃えよ剣」と書いていました。

だから和泉守兼定役に決まったときはうれしかった。すごく思い入れがあるし、運命的な出会いでしたね。僕自身の性格とは違う部分が多い役柄なので、役作りには苦労もありました。でも刀ミュではたくさんのペンライトが客席で輝く光景を目にしたり、大阪城ホールや「NHK紅白歌合戦」のステージに立ったり、海外でのイベントや公演に出演したりと、毎回とても刺激的な体験をさせてもらった。1タイトルごとに数多くのステージを踏んできたので、舞台に立ち続ける体力作りを考えるきっかけにもなりました。やっぱり自分にとって刀ミュの経験は大きなものです。

「ミュージカル『刀剣乱舞』 ~江水散花雪~」より。(c)NITRO PLUS・EXNOA LLC/ミュージカル『刀剣乱舞』製作委員会

「ミュージカル『刀剣乱舞』 ~江水散花雪~」より。(c)NITRO PLUS・EXNOA LLC/ミュージカル『刀剣乱舞』製作委員会

──2020年の「ブロードウェイ・ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』Season3」では、ベルナルド役にキャスティングされました。残念ながら新型コロナウイルスの影響で公演中止になりましたが、同作はそれまでの有澤さんのキャリアから見ると少し毛色が違うように思います。なぜこの作品に挑戦したのでしょうか?

実は「ウエスト・サイド・ストーリー」もおじいちゃんの影響です。祖父は映画「ウエスト・サイド物語」が大好きで、僕もいつか出たいタイトルでした。ベルナルドはトニーがいるジェッツから見れば“敵”側ですが、自分なりの正義があって妹思いで本当にカッコいい役。1961年の映画版でジョージ・チャキリスが演じるベルナルドを改めて観たらカッコよすぎて、ダンスもエグい難しさで、「いやこんなん、できるか!!」と思いました(笑)。ダメもとで受けたオーディションでしたが、プロデューサーさんやスタッフさんは僕の可能性を信じてベルナルドに選んでくれて。オーディションを受けてから出演が決まるまで約1年かかり、そこからバレエに1年通い……稽古に向けた準備だけでも大変でした。

いざ稽古が始まったら、現場は自分がこれまでに参加してきたどの舞台とも違う雰囲気で。言葉で和気あいあいとコミュニケーションをとるよりも「一緒に踊れば通じ合えるっしょ!」みたいな。先輩方に「有澤樟太郎です。よろしくお願いします!」とあいさつしたら「ああ、君がベルナルドね。よろしく」という感じで……正直、最初は「怖いところに来ちゃったかも」と思いましたけど、話してみたら皆さんすごく良い人たちだったから本当に良かった!(笑) カンパニーメンバーのほとんどが先輩でしたし、クリエイティブチームはみんな海外の方で僕は英語もよくわからないし、厳しいことを言われるときもあったので初めは大変でした。ただ祖父と作品への思いが強かったし、「何が起きてもへこたれないぞ」と覚悟だけはしていたので、踏ん張れたなと思います。

がむしゃらに稽古に取り組むうち、「ああ今、地に足がついた」と感じられる瞬間もありました。稽古では「俺はアメリカに来て、ここで堂々とやっていくんだ」「敵を警戒していて緊張感が漂っている」など、振付の意味の1つひとつをディレクションしてもらいました。それまで経験してきた舞台ではとにかく自分で考えて動くことが必要だったので、作品の前提知識やアメリカの歴史を学んだうえで、すでにある振付の意味や、そこに込められた役の心情を学びながら稽古できたのは新鮮な経験で、手応えもありました。あの頃は朝稽古場に行き、全力で稽古して、終わったらみんなで食事に行って作品の話をして、家に帰ったら台本を読んで映画版を観て……本当にすべてを「ウエスト・サイド・ストーリー」に捧げていました。だからこそ公演中止は本当に悔しかった。ただそれだけ真剣に作品に取り組めた経験は自信につながっていますし、本番を観てもらえなくても大切なものを得ました。特にミュージカルというジャンルで、歌や身体で表現するために必要なことを学べたし、その後の自分の活動にとってもすごく響いているなと思います。

──2021年以降はミュージカルのお仕事がぐっと増えている印象ですが、やはり「ウエスト・サイド・ストーリー」での経験が関係しているのですか?

そうですね。「ウエスト・サイド・ストーリー」以降、ミュージカルのオーディションのお話をいただくこともありましたし、自分でもマネージャーに「これからもミュージカルをやってみたい」と伝えていたので、ありがたいことにそれが「17 AGAIN」「GREASE」につながりました。ミュージカルのスタッフさんやお客さんからすると「有澤樟太郎……? 誰これ?」感があったかもしれませんけどね!(笑)

──いやいや、そんな! ミュージカルに目覚めた有澤さんは、2022年にはミュージカル「ジャージー・ボーイズ」にチームGREENのボブ・ゴーディオ役で出演します。人気作に新キャストとして参加してみて手応えはどうでしたか?

本当にさまざまな偶然と奇跡が重なった舞台でした。まずは人との出会いです。演出の藤田俊太郎さんをはじめ、チームGREENの花村想太くん、尾上右近さん、spiさん。そのほかにも出演者の皆さん全員に対して、「この人たちは自分の味方だ」「何をやっても絶対に受けて入れてくれる」と思える温かい座組でした。その安心感と懐の深さ、作品自体の奥深さもあって、さまざまな要素が自分に上手くハマったなと感じられましたね。あの作品の空気感は今まで感じたことがないようなもので、最高のカンパニーに加えてもらえたなと思っています。

──「ジャージー・ボーイズ」といえば非常に高い歌唱力が要求される演目だと思います。共演者の皆さんとハーモニーを作り上げてみていかがでしたか?

“「ジャージー・ボーイズ」における歌”に対して僕は、“「ウエスト・サイド・ストーリー」におけるダンス”くらい身構えていました(笑)。ただ僕は「自分が一番できていない」と感じることが、一番のモチベーションになる。「自分が一番下ならもう上がるだけだ!」と思っていたし、オーディションで選んでもらえたことに自信を持とうという気持ちを大事にしていました。それに周囲の皆さんは、僕が何をしても絶対に肯定してくれる。僕以前にもボブ・ゴーディオを演じた方が何人もいらっしゃいますが、藤田さんからは「過去のキャストには何も寄せなくて良い。新しい、フレッシュなボブを作ってください」と言っていただき、良い意味で自分なりの役作りができたなと思います。

ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」より。(写真提供:東宝演劇部)

ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」より。(写真提供:東宝演劇部)

第3幕、引き出しをもっと増やして“一緒に仕事してみたい人”になりたい

──次回作となるミュージカル「ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド」(以下“ミュージカルジョジョ”)についてもお伺いします。有澤さんは今作で主人公の“ジョジョ”ことジョナサン・ジョースター役を演じます。帝国劇場でタイトルロールを務めることが決まったときの心境を教えてください。

(頭を抱えて)……ヤバい! 本当にヤバいんですよ!(笑) 2021年に高羽彩さんの脚色・演出で、山下容莉枝さんとの二人芝居「息子の証明」をやったのですが、それを“ミュージカルジョジョ”のプロデューサーさんが観劇していたそうなんです。先日お会いしたとき「『息子の証明』のときから良いと思っていました」と言ってくださって「おいおい、うれしすぎるよ!」と思いました。やっぱり誰かがちゃんと見ていてくれるんだなと思ったし、がんばってきて本当に良かった。舞台「キングダム」では同世代の俳優たちが帝劇の真ん中に立つのを見て、「僕も絶対にそこに行きたい」と思っていました。でも僕は地道に段階を踏んでいくつもりだったから、こんなに早く帝劇で主人公の役をいただける日が来るとは夢にも思わず、ずっと「実はうそなのかも」って震えていました。先日“ミュージカルジョジョ”の記者会見がありましたが、登壇するとき初めて「俺、本当に帝劇で主演をするんだ」と実感して……会見はずっとテンパっていましたね(笑)。

──マンガ「ジョジョの奇妙な冒険」や、ジョナサン・ジョースターというキャラクターの魅力をどのように捉えていますか?

「ジョジョの奇妙な冒険」は“ザ・少年マンガ”。原作を読んでいると「この作品を毎週楽しみにしていた人がたくさんいただろうな」と伝わってくるし、“ミュージカルジョジョ”への反響を見ていてもファンの方の愛と熱量がすごいんです。ジョナサンには突き抜けた正義感や真面目さ、家族や仲間を思う優しい心、「紳士になりたい」という強い気持ちがある。強くてカッコいい彼は、いろいろなものを失うにつれてさらに強い男になっていく。そんなの“世界中の男の憧れ”ですよね。ジョナサンにはたくさんの名ゼリフがあるし、それをものまねではなく、“ジョナサン・ジョースター役”として発したかった人がどれだけいるんだろう?と考えたとき、この作品と役の重みが自分の中でグッと増しました。それに「ジョジョの奇妙な冒険」といえば、敵役のディオ・ブランドーもすごい! カリスマ性とセクシーさを持ったダークヒーローで、ディオとの対比でジョナサンの魅力がより際立ちますよね。もう語り始めたら止まらないくらい、作品とキャラクターの素晴らしさを感じています。

──演出・振付の長谷川寧さんをはじめ、初めて一緒にお仕事をする方が座組に多くいらっしゃると思います。上演に向け、特に楽しみなポイントを教えてください。

これは稽古が始まって気付いたことですが、お世辞抜きに、キャストのみんながカッコよすぎるんです! 先日、廣瀬友祐さん演じるウィル・A・ツェペリのシーンの稽古を観たのですが、もう1シーンだけでも素敵すぎて。「子供のとき、もし速水もこみちさんより先に廣瀬さんに出会っていたら、廣瀬さんになりたかっただろうな」と思うくらい(笑)。廣瀬さん以外の皆さんもそうですが、「ジョジョの奇妙な冒険」という作品が持つ蒸気機関車のようなヘビーさや、さまざまな人生経験を持つ男の色気が漂っていて、“男が惚れる男たち”がそろっています。“ミュージカルジョジョ”は“少年たちの夢が詰まった舞台”で、これまで帝劇で上演されてきた作品とはまた違うゴージャスさがあるなと。男性のお客様にもぜひ観劇してほしいですし、当時連載を追っていた方も、原作を知らない子供たちも楽しめる舞台になりそう。エンタテインメントとして華やかで、芸術としても素晴らしく、原作ファンもこれから作品に出会う方もフラットに楽しめるという、“三拍子”そろった舞台になるのではないかと期待しています。

「ミュージカル『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』」ビジュアル 製作:東宝 (c)荒木飛呂彦/集英社

「ミュージカル『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』」ビジュアル 製作:東宝 (c)荒木飛呂彦/集英社

──公演がますます楽しみになりました。さらに輝きを増している有澤さんは今後、俳優としてどのような目標に向かっていくのでしょうか?

ほかの人から「一緒に仕事してみたいな」と思われる存在になりたいです。僕は子供のころから他人の影響を受けやすい性格ですが、良い刺激をくれる方との出会いに恵まれすぎているなと常々思います。30歳が見えてきた今実感しているのは、僕自身も「仕事してみたいな」と思っていた方とご一緒できるとモチベーションが上がるし、作品にも良い影響があるということ。舞台はチームで作るものなので、自分自身が持つ役割をきちんと全うしたいなとより強く感じています。だから今後はご縁も大事にしながら、先輩とか後輩とか世代を問わず「この人と働いてみたい」と思ってもらえる人になれたらなと。

また自分の引き出しをたくさん増やし、自ら何かを発信できる人になりたいとも思っています。愛を持って何かを深く考え、発信を続ける人に強い魅力を感じるので、僕も自分自身と大切に向き合いながら何かを伝えたいですね。先日海外に行ったんですが、とても楽しかった反面、荷物がなくなったり、ほかにもいろいろ不運な経験をしました(笑)。「こういう星の下に生まれているのかな」とうんざりしましたが、でも悲しい出来事も大事な経験ですし、それを人生に生かす“人間力”が大切なのかなって。今回、“ミュージカルジョジョ”で主役をいただきましたが、この作品はこれから日本発の作品を世界に届けるための大切な一歩になるのではないかと感じています。これまで人に助けられ、隅っこで人の陰に隠れてきた僕ですが(笑)、これからは前に出て責任を背負える存在を目指せたらなと。まだまだ模索しているところではありますが、まずは“ミュージカルジョジョ”をがんばります!

有澤樟太郎扮するジョナサン・ジョースター。製作:東宝 (c)荒木飛呂彦/集英社

有澤樟太郎扮するジョナサン・ジョースター。製作:東宝 (c)荒木飛呂彦/集英社

有澤樟太郎 プロフィール

1995年、兵庫県生まれ。2015年に「『K』第二章-AROUSAL OF KING-」で舞台デビュー。以降、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」、「ミュージカル『刀剣乱舞』」シリーズなどに出演し、TXT vol.1「SLANG」では主演を務めた。近年の出演作に、ミュージカル「17 AGAIN」、二人芝居「息子の証明」、ミュージカル「GREASE」、ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」、舞台「キングダム」舞台「セトウツミ」ミュージカル「のだめカンタービレ」など。2月から4月にかけて「ミュージカル『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』」が控える。

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